2日目その2
観光ホテルの向かいに、ゲートボール場入り口とアーチ状の看板が取り付けられている階段があった。階段の上部を覆っている緑と白の縞模様のカバーは、所々破れボロボロになっている。ゲートボール場に続く階段は草花に覆われ、降りて行くのに苦労しそうだ。手すりも全体的に錆びており、腐食と老朽化が進んでしまっている。しかも、ホテルとゲートボール場は高低差があるのか、階段の勾配は急でしかも長い。
「これ、降りてる途中に抜けないよな?」
不安が募る。しかも今、防刃ベストとクロスボウを所持しているため、その時点で普段より四キロほど重い。元々それほど体重は軽くないため、その四キロはとても大きい。もろくなっている所をうっかり踏んでしまったら、階段が抜け落ちてしまうかもしれない。
サバイバルナイフを腰にぶら下げたケースにしまうと、手すりを掴みながら一段一段ゆっくりと降りて行く。一気に体重をかけると抜けてしまいそうなため、まずはつま先からゆっくりと耐久性を確かめてからかかとをつく。一歩、また一歩と確実に。
時折軋む音をさせるが、まだ人を一人支えられるぐらいの耐久性は維持している様だ。
「しかし、結構急な階段だな」
ゲートボールというと、年配の人が楽しんでいる印象が有る。果たしてこの急な階段を年配の方々が上り下り出来たのだろうか。そんな事を考えながら降りて行くと、ゲートボール場の建物が見えてきた。階段は建物の壁面まで続いており、一旦踊り場の様に少し広くなっていて、そこから壁に沿うように九十度曲がる。
その踊り場を過ぎて、二段ほど下りた時だった。
「――っうわ!!」
バキッっという音ともに、階段が抜けた。
瞬間、重力に体が引っ張られ落下し、尻もちをつく。
「ぐっ! いてぇ……」
疲れや油断のため着地を失敗し、右足首を少しひねってしまった。
茂る様に生えた草や、蓄積した葉っぱなどで地面が柔らかくなっていたため、ひどい怪我は免れたが暫くは満足に走れそうにない。見上げてみると、早坂が落ちた部分だけぽっかりと階段が無くなっている。高さが二メートルほどというのも、軽いけがで済んだ要因かも知れない。
ゆっくりと立ち上がり、他に怪我が無いか確かめてみる。
「痛めたのは右足だけか。手の平は、大丈夫だな」
落ちた時に咄嗟に手すりを掴もうとしたのか、地面に手を付いた時なのか分からないが、右手も少し擦りむいていたがこちらに関しては何も問題は無い。ズボンの後ろポケットに入れていた栄養調整食品の箱も潰れていたが、袋までは破けていないため食べるのには問題なさそうだ。恐らく、中身は粉々になっているかも知れないが。
階段の下から抜け出し、すぐ近くにあった入り口から中を覗く。ゲートボール場は想像した以上に広く、コート二面分の広さが有りそうだ。一般的にゲートボールのコートは十五メートル×二十メートルの長方形で、この施設は長さが五十メートルほどあるように感じる。全天候型のため、窓は全て外されてしまってるいる様だが、草木などはほとんど生えていない。床面は硬い土の様で、過去の地震の影響か所々ひび割れが確認出来るが、今でも問題なく運動が出来そうだった。
コートのそこかしこに、当時使われていたであろうパイプ椅子や錆びた金網製のごみ箱、ストーブなどが横たわっており、ゲートボール用のゲートとボールも、プレイヤーを待ちわびているかのようにそこにあった。
出入口は四か所あり、ホテルの階段から降りてきてすぐの所とその正面。後は左右に一つずつある。どちらかというと正面入り口は、今入ってきた入り口の右手側の方らしい。そして、正面入り口の真正面側にある入り口の左右の角に、宝箱がそれぞれ置いてあった。
左の箱は青色で大きく、右の箱は緑色で小さい。まるで舌切り雀のつづらの様だ。まずは大きい方の箱をスキャンしてみる。すると、中身はトンファーであることが分かった。金額は三百万円。続いて、小さい箱を確認してみる。金額は同じ三百万円だったが、中身はミネラルウォーターだった。
なるほど、と早坂は思う。もし箱の中身が分からない状況だったら、思わず大きい箱を開けてしまうかもしれない。同じ値段であれば欲が出て大きい方を選んでしまう可能性の方が高いだろう。
ただ、あくまでそれは金額のみ同じだった場合だ。一応、箱の中身の種類は色で分かる。その時の状況で選ぶ箱は変わって来るだろう。実際今の早坂であれば、間違いなく緑色の箱を開ける。勿論、開封するための金が有ればだが。
だがどうだろう。仮に水に困っていない状況だったとして、トンファーを手に入れるだろうか。攻守ともに優れるトンファーだが、その扱いは難しく素人が扱いきれるものではない。ただ、リーチはあるためサバイバルナイフや十手よりかは有利だ。そして、殺傷能力は低いため扱いに安心感がある。頭部を殴り気絶させた後、QRコードを読み取ればナイフなどで刺し殺したりするより罪悪感は低いかも知れない。
いやいやと早坂は首を振る。
結局それでは自分の手で殺しているのと同じだ。それに、早坂はトンファーに関しての知識はトンファービームしか持ち合わせていない。あくまで知識のみで、練習すらもしたことが無い状況だ。それにナイフを持った相手にお見舞いする勇気や技術は無かった。
「さぁ、次はお殿様館に行くか」
地図を確認し、スマートフォンをしまいながら立ち上がると、背中に衝撃を感じた。
「――えっ!?」
カランと金属製の何かが落ちる音。
振り返り物体を確認する。本体が黒いストーンウォッシュ加工されたスローイングナイフが一つ転がっていた。そして、そこからゆっくりと視線を上げ、ゲートボール場の入り口をみると、そこには不敵な笑みを浮かべた八鳥が立っていた。
八鳥 倫宏 懸賞金:一億五千万円
「おいおい、急に立たないでくれよ~。確実に首筋を狙ったんだからさぁ~」
その言葉に早坂はゾッとする。もしあのまましゃがんでいたら、うなじにナイフが刺さっていたかも知れないのだ。
しかし今は、胸を撫でおろしている場合ではない。八鳥は二本目のナイフをその手に握っている。
早坂は慌てる様にケースからボウガンの矢を取り出し、本体にセットする。そして、持ち上げて照準を八鳥に合わせる。
「おぉ~、そんな物持ってるんだぁ、もしかして俺ってピンチ?」
ボウガンに狙われているはずなのに、八鳥は余裕そうに両腕を広げおどけて見せる。
「こ、これ以上近づくな! じゃなきゃ撃つぞ!」
「ははっ、いいねぇその虚勢。そんな震える手で本当に撃てるのかい?」
「うるさい! 今すぐここからいなくなれ」
「はい、とは言えないんだよなぁ。せっかく見つけた獲物なんだ。切り刻まないわけにはいかないだろう? もうずっと生きてる人間をやってなんだからさ」
「ずっとって……銀座の時以来か?」
「あれ? もしかして俺の事知ってる? そうそう、最後がその銀座の時なんだよね。いや~楽しかったなぁ、あの時。結構大量にやったけど、一番気持ち良かったのは娘を庇う母親を刺した時だったなぁ。あまりに良かったから何度も何度も刺しちゃったよ。ふふっ、思い出したらまた興奮してきちゃった。実際あの時、気持ち良すぎて思わず射精しちゃったもんな」
八鳥は快感を思い出すかのように恍惚な表情を浮かべた。
「娘だけは〜、なんて何度も言っちゃってさ。気持ちよさに免じて、娘の方は生かしといてやったけど。ははっ」
早坂はギリリと奥歯を噛んだ。
「おやぁ? その表情、もしかしてなんか知ってるかんじ?」
「ああ……俺もそこにいたよ」
「そっかぁ、いたのかぁ。じゃあ、母親を刺してる所もみてたんだ」
「――っお前が! お前が刺したのは俺の母親だ!」
「うはっ! おいおいおい、そんな事が有って良いのかよ。まさか、俺に復讐するつもりでこのゲームに参加したの?」
「違う! っていうかなんでお前はここにいる。刑務所にいるんじゃないのかよ」
事件後、八鳥は無期懲役となり刑務所へ行ったはずだ。
「ほんとかなぁ? まぁいいや。んで、俺が何でここにいるって? そりゃ刑務所での俺は良い子だもん。反省して更正した振りをしてたから、時間はかかったけど無事に仮釈放してもらえる事になった訳。よく知らないけど、このゲームには強制的に参加させられたみたいだけどね。そんで君の妹、今も元気にしてる?」
「お前に言う義理なんてない!」
「ふ~ん。でもその反応、トラウマ抱えてふさぎ込んでるんじゃない? だって、あの時失禁してたもんね」
早坂は無意識に引き金を引いていた。怒りが頂点に達し、もはや全ての事がどうでも良くなっていたからだ。
クロスボウから放たれた矢は八鳥の横を通り過ぎ、ドンという大きな音をたてゲートボール場の壁面に突き刺さった。その半分以上が壁に埋まっている。
「うわっ! おい~、よく狙えよな? 心臓はここだぞ」
八鳥は自分の後ろに突き刺さった矢を見た後、まるで早坂を挑発するように胸の辺りを拳で軽くたたく。
「くっ!」
矢が壁面に突き刺さった音で、初めて自分が矢を放った事に気が付くと、少しだけ冷静さを取り戻す。
今近づかれたら不味い。すぐさま次の矢を放つために弦を引かなければ。
早坂がフットスティラップを地面につけ弦を引こうとした瞬間、八鳥がスローイングナイフを投げようと振りかぶった。
「引かせるかよ」
早坂が弦を引くより早く、八鳥の手からナイフが投擲された。
「まずい!」
クロスボウを盾にするよう早坂は咄嗟にかがみ込んだ。
防刃ベストを着ているため、無防備なのは顔と手足だ。身を低くしてストックの部分で顔を隠せば、生身の部分に当たる確率を少しでも減らせるだろうと考えたからだ。
その判断が功を奏したのか、飛来したスローイングナイフは甲高い音をたてクロスボウにあたった。
だが予想外な事に、クロスボウの弦にもブレード部分が触れたらしく、プツリと弦が切れてしまった。これではもはや使い物にならない。
そして、三本目のスローイングナイフを取り出した八鳥が足早に近づいて来る。
「くそう!」
まともな機能を失ってしまったクロスボウをその場に投げ捨てると、八鳥から逃げる様に逆の出口へ走り出した。
だが、右足を痛めているため思うように走る事が出来ない。もし万全の状態であればすぐに引き離す事は出来ただろう。しかし、今はそうもいかない。相手の体力や脚力がどれくらいあるのかは分からないが、すぐに追いつかれてしまうかもしれない。
それに、慌てて走りだしてしまったが、これから行く方向は初めて向かうため道をよく知らなければ、どんな建物が待ち受けているのかも分からない。下手をすれば袋小路に迷い込み、絶体絶命のピンチに陥ってしまうかも知れない。
だが、今はとりあえず逃げるしかない。狂人とナイフでやりあおうとしても恐らく負けるだろう。相手は人を殺すことに何の躊躇も無い。それに人を殺す前に小動物を使ってナイフの練習をしていたような男だ。人を刺すことに抵抗を持っていて、ナイフの扱いに慣れていない早坂では到底太刀打ちできない。
早坂はそれが分かっていたからこそ、クロスボウを重要視していた。だが、もはや頼みの綱はもうない。
「はぁはぁ。――っくそ!」
息を切らせながら、痛む足を庇いながら知らない道をひた走る。すると、《お殿様館》と書かれた大きなゲートが見えた。とりあえずそこをくぐり更に進む。
ゲートをくぐる前、チラリと後ろを確認したが、八鳥はすぐ近くまで迫っている気配な無かった。しかし、出来るだけ距離を離したかったし、これ以上足を傷めないよう休息をとりたかった。
ゲートをくぐるとすぐに《変男沼お殿様館》と書かれた木の看板が取り付けられた拝殿のような物が見えた。手前にかかっていたであろう木の橋は壊れており、その左手奥、拝殿の手前にあったであろう
幸いにも堀は浅く、橋が無くても渡れそうだ。もしかしたらこのレジャーランドが現役の頃は川に水が流れていたのかも知れないが、今は一面草で覆われてしまっている。
足下に気をつけながら対岸に渡ると、建物の戸を開いた。
「うっ、なんだこの臭い」
建物の内部からは、鼻をひどく刺激する鉄臭さが漂ってきた。足を踏み入れてみると、部屋の角に男が仰向けに横たわっていた。周りには血だまりができており、赤黒く変色して所々固まっている。人目見てその人物が事切れていることが分かった。恐らくこのゲームの参加者の一人だろう。
戸を閉めると、辺りを警戒しながらゆっくりと死体へと近づいていく。頭と胸の辺りに弾痕らしきものが確認出来る。恐らく、先ほど聞いた銃声はこの男の命を奪った物なのかも知れない。
建物の内部は調度品や飾りなどが少しばかり残る程度で、撤去や掃除の途中だったのか、埃を被った掃除機やなにか像などをおいていた様な台座がひっくり返っている。その他にも、昔の日本画のような絵がかかれた木製の仕切りが数枚壁際に寄せられていた。また、壁面にも同じようなタッチの絵が書かれており、入り口から右周りでストーリー仕立てになっているようだ。
天井も壁面を照らすライトの一部が残っており、格子状にしきられた枠の中には丸い紋様が書かれていた。
壁の一部にその物語の伝説がかかれた文章を見つけたが、今は読んでいる場合ではない。ここにとどまっていたらすぐに八鳥が来てしまうだろうからだ。
籠城しようにも扉を塞ぐものや、堅牢なバリケードを築けそうなものもない。入り口の真正面側にも扉があったため開いてみる。すると、数十メートル先に色褪せた鳥居があり、階段を上った所に草に覆われた神社がひっそりとたたずんでいた。
「くそっ、どうする? 神社に身を隠すか、逃げるか」
しかし、逃げるにしても八鳥が迫ってくるであろう方向に戻るしかない。神社側に出てしまうと、神社への一本道しかないからだ。草木を掻き分けながらであれば強引に突破できるかも知れないが、痛めた足を引きずっている状態ではとても厳しい。それに、草木を掻き分けるとなると、俺はこっちだ捕まえてくれと言わんばかりにそこを通った形跡を残してしまう。また、うっかりエリア外に出てしまう可能性もある。今の所、どこまでが境界線かは分からないが、アプリの地図を見る限り、神社はレジャーパークの一番西側に位置していた。
「――はっ!!」
逡巡していると、遠くから八鳥の鼻唄が聞こえてきた。昨日も聞いた、そして母親を刺したときにも歌っていた鼻唄だ。
当時のトラウマが蘇り、額から冷や汗がどっと吹き出し、焦りから思考が停止する。
とにかくここから離れなければ、頭のなかはその思考で埋め尽くされるが、具体的な方法までは浮かんでこない。
とりあえず早坂がとった行動は、絵のかかれた木製の仕切りを入り口の扉付近に並べる事だった。ほとんど意味をなさないだろうが、少しでも侵入を阻止できればと思った故の行動だ。
なるべく手間取るように仕切りを並べ終え、神社の方へ向かおうとした瞬間だった。戸が激しい音をたて軋んだ。
「いたいた~~」
戸の一部が突き破られ、そこから八鳥の片目がこちらを覗きこんでいた。
更にガタガタと激しく戸が叩かれると、いとも簡単に突き破られてしまった。
「あはっ。無駄な
扉の周りにおかれた木の仕切りを一瞥して八鳥はニヤリと笑う。そして、獲物を追い詰めるのを楽しむかのようにひとつひとつ仕切りを蹴飛ばしながら早坂に近づいていく。
恐怖のためか早坂の足は鈍く、じわりじわりと後ずさることしか出来ない。頭のなかでは『逃げろ』と冷静な自分が促しているが、八鳥を凝視したままほとんど動けないでいた。
あぁ、これがまさに蛇ににらまれた蛙というやつか。
「ほらほら~、どうしたの? 逃げなくて良いの~?」
タン!
スローイングナイフが一本、早坂の足元に突き刺さる。
「ねぇねぇ、今どんな気持ち~?」
タン!
もう一本、股下の床に突き立つ。
そのナイフの効果は絶大だった。まるで忍者の影縫いの術がごとく、早坂はすっかり動けなくなってしまったからだ。
「はぁ、はぁ……」
もはや息をするのもやっとの思いだった。目の前には憎むべき相手がいるのに、なにも出来ない自分が悔しい。
そして、とうとう手が届く距離まで八鳥の接近を許してしまった。八鳥の腕がゆっくりと上がり、早坂の喉元にナイフが突きつけられる。
「チェックメイト、だね。ふふっ」
弾んだような声。まるで人を殺すことになんに躊躇もなく、むしろ本当にゲームを楽しんでいるかのようだ。
「俺はね、このゲームの主催者に感謝しているんだ。刑務所を出てからずっとつまらない日常を生きてきた。君にもわかるだろう? 大好きなことをずっと我慢しなきゃならない辛さってものがさ」
「……て……るか」
「ん? なんだい?」
「わかってたまるか! そんな人を殺す事を遊びみたいに思っているお前と一緒にするな!」
早坂は襲い来る恐怖に耐えながら、むしろそれを吹き飛ばすかのように声を荒げた。
「ふ~ん、そう。やっぱり君も僕を異常者扱いするんだね?」
「だってそうだろ! 人を殺す事が異常じゃなくなんて言うんだよ!」
「君はさ、逆に考えたことはないのかい? 自分の方が実は異常なんじゃないかって。動物が本来持ち合わせている本能を、教育や道徳と言う都合の良いもので洗脳されてしまっていることがさ」
「そんなことはない。異常なのはお前の方だ!」
「いや、だってそうだろう? 法律なんて物があるから人は人を殺しちゃいけません、ってなっているだけで、それがなければ異常なんかじゃない。生存本能として当たり前に持っているものじゃないか」
「だからといって、それが正常とは言えないだろ」
「じゃあ君はあれか? 戦争で人を殺すことも、殺してくれと懇願した者を殺すのも異常だって言うのかい」
「それは詭弁だ。すべてがそれすなわち異常って訳じゃない。お前が異常なだけだ!」
「いい加減君は気づくべきだよ、この状況下で相手を殺さないことの方が異常だって。まっ、気づいたところで君はもう死んじゃうんだけどね」
「俺は死なない! いや、死ねない! 妹が俺の帰りを待っているからだ!」
「あはは、こんな絶体絶命のピンチでどうしようって言うの? まぁ、せめて苦しまないように逝かせてあげるよ」
八鳥はそう言うと、まるで指揮棒を振り上げるようにふわりと腕をあげた。
「あぁそうだ、最後に君の妹の居場所を教えてよ。このゲームが終わったら会いに行ってあげるからさ」
八鳥がいやらしい笑みを浮かべ、唇をぺろりと舐めた。
「言うわけないだろ。バーカ」
子供っぽいかも知れないが、これが今早坂にできる精一杯の抵抗だった。話の通じない相手には、以外とシンプルな罵倒の方が不快にさせることが出来る。理屈でいくら説き伏せようとしても、論点をずらしたりはぐらかしたりするからだ。
「な~んだ、つまんないやつ。じゃあ、さよならだね」
八鳥は一瞬顔を歪めたが、スッと無表情になったかと思った瞬間、前につんのめるように体を折った。
「えっ?」
そして、何が起きたのか分からないと言ったキョトンとした表情を浮かべた。そしてそれは、早坂も同じだった。
八鳥が体を折る一瞬前、何かが風を切る様な音が聞こえ、その後ゴトリと重い物が床に落下する音が聞こえた。
落ちている物が石だと早坂が気付いた時には、八鳥はうなじを押さえ振り向いていた。そして、外にいると思われる人物をねめつけた後、スローイングナイフを投擲しようと構えた。
その瞬間、影縫いの術から解き放たれたように早坂が動いた。八鳥の手からナイフが放たれる前に、その腕を掴み取ったのだ。
「おい! 邪魔をするな! 離せ!」
とにかく夢中だった。この先どうなるかなんて、八鳥が誰に向かってナイフを投げようとしていたかなんて全く考えていなかった。ただ思ったのは、相手を拘束する、それだけだった。
しかし、想像以上に八鳥の力が強く、掴んでいた腕を振りほどかれてしまった。
「せっかく楽に逝かせてやろうと思っていたのに。思いっきり苦しませてからころしてやるよ!」
再び標的は早坂に移り、ナイフを首元めがけて突き出した。
咄嗟にバックステップで躱す。
狙いを定め、構え直したところにまた風切り音が聞こえ、今度はゴンという鈍い音が八鳥の後頭部から聞こえた。そして、フラフラと二歩ほど進んだ後、気を失うように前から倒れ込んだ。そして、その先には地面に突き立ったスローイングナイフが待ち構えており、それが喉に突き刺さった。
「――ゴボッ!」
ビクビクと痙攣しながら口から血液をはき出し、首からも鮮血があふれ出て行く。
「なんだ? 何なんだよ」
また一人、目の前で人が死んでいく。一先ず助かったという感情より先に状況の理不尽さに困惑する。だが、まだ本当に助かったとは言えない。このゲームから開放された訳では無いし、八鳥に石を投擲した人物がいるからだ。もし、その相手が自分に対して殺意を向けて来たら……。
サバイバルナイフをケースから取り出し身構える。本当に刺そうと思っている訳では無いが、多少脅しにはなるだろう。
やがて、ゆっくりと入り口から姿を現したのは、女子高生の森口だった。
その左手にはスリングショットが握りしめられていた。
早坂はその姿を見てなるほどと思う。確かにアイテム一覧でスリングショットが確認出来た。それを使って石を投擲したのだろうが、スチール製の弾も付属していたはずだ。全て打ち尽くしてしまったのか、それとも命中率を重視したのか。
スチール製の弾に比べ、今回投擲した石の方が重量が有るとは思うが、リストロックが付いているスリングショットのため、照準を安定させることが出来るし、力の弱い人でも扱いやすくなっているだろう。
今度は自分に向かって弾を発射してくるのでは、と警戒した早坂だったが、森口は攻撃する意思を見せなかった。そして、その口から出てきた言葉は早坂には到底信じられない物だった。
「良かった。まだ生きていてくれて」
「は?」
何を言っているんだこの女は。
早坂の脳内を占めたのはそんな言葉だった。
散々痴漢の罪をなすりつけようと、裁判でも涙ながらに自分を陥れようとしていたのに。
「生きていて、良かっただと?」
「でも、まだ油断は出来ないです。後二人、残っていますから」
混乱している頭の中に、突然重要な情報が飛び込んでくる。今、後二人と言ったか。
「特に、あの浮ヶ谷さんという女性に気を付けてください。あの人は、何か嘘をついているかもしれません。もしかしたら、運営側の人間の可能性も考えられます」
その言葉を信じるなら、一先ず浮ヶ谷はまだ生きているのだという事が分かる。だが、この女の言う事を真に受けることは早坂にとって到底出来ない事だった。
「それを、君が言うのか? 散々人をウソの罪で悪者にしておきながら、その言葉を信じろと?」
「その件に関しては本当に申し訳なく思ってます。ごめんなさい」
森口が体をくの字におり頭を下げる。
「今更謝られたって、俺の人生は帰って来ないんだよ!」
「ええ、確かにそうですよね。だから、初日にあなたを見かけた時思ったんです。この人を生かそうって。それで罪が帳消しになるわけじゃ無いですけど」
「そんな言葉、信じられるかよ! 確かに今回は助けられたかも知れない。でも、その言葉で俺を騙して殺せば、君は八鳥と俺の懸賞金を手にすることが出来るんだ。そんな状況なのに信じろと?」
「無理に、とは言いません。それに、私はあなたを殺せるような武器は持っていません」
確かにスリングショットでは人を殺すことは難しいかも知れない。当たり所が悪ければ別だが、殺傷能力は低い。
「武器を持っていなくたって、QRコードを読み取れば出来るだろう?」
「それはそうですけど、かなり難しですよね? 力では勝てないですし、私はあなたのQRコードの場所が分かりませんから」
「いやいや、嘘をつくなよ。ゲーム説明でランカー君が……」
早坂はそこまで言って言葉を止める。
自分がQRコードの場所を知ったのはいつだ? 誰から教えてもらった?
「何か思い出したような顔ですね」
いやいや、それだけで浮ヶ谷を運営側の人間と断定するのは無理だろう。彼女の他のプレイヤーから教えられたのかも知れないからだ。
「君は、昨日彼女と会ったよな?」
「はい。少しだけ」
「そこで、どんな話をした?」
「そんなに重要な話はしていないです。どこで目覚めたとか、ここに来る前は何をしていたのか、とかですね」
「それで、君は話したのか? 俺を嵌めたことを」
「いいえ。第一印象であまり信用出来なかったので、普通に高校生活を送っていた事しか言っていません」
彼女の眼はまっすぐであり、その声のトーンからも嘘をついている様には思えなかった。だが、自分を騙した前科がある。おいそれと信用する訳にはいかなかったが、早坂はずっと違和感を覚えていた。森口のその話し方や立ち振る舞いだ。
裁判心理中はもっとか弱いというか、あまり頭の良くない子だというイメージを持っていた。だが、今は逆の印象を受ける。
だからこそ真実を言っていると思える部分と、騙そうとしているとも思えてしまう。
「分かった。でも、君の事を信用した訳じゃないからな」
「はい、それで構いません。このゲームが終わるまで、誰の事も信じないでください」
「ところで、残りは後二人と言っていたけど、もう一人は見たのか? それに、他の参加者は?」
「パーク内をすべて見回った所、今回の参加者は私含め八人です。まず、私とあなた。それに死体がここの他に売店とゴルフ練習場の草むらにありました」
ここには八鳥ともう一人の死体が有る。そして、売店の死体は飯貝のものだろう。ゴルフ練習場に死体が有ったのは初耳だった。ゴルフ練習場では浮ヶ谷と会ったが、その時に果たして死体なんて有っただろうか。
「そして、生き残っているのが浮ヶ谷という女性と、石黒という男性です」
早坂はその名前を聞いて固まった。
「今、なんて言った?」
「え? 浮ヶ谷という女性と石黒という男性って言いましたけど……」
「本当か!? その石黒ってやつの下の名前は!」
予想もしていなかった名前が出て来たことに早坂は驚き、思わず森口の両腕を掴んでしまった。
「ちょっ、痛いです」
強く握られたことが痛かったのか、急に顔が接近した事に動揺したのか、森口は顔を逸らしながら後ずさった。
「あっ、済まない」
危うく本当の痴漢行為になってしまう所だった。それほどまでに、石黒という苗字は早坂にとって特別だった。
「漢字表記のみなので、読み方が有っているかは分かりませんが、石黒愛流っていう人でした」
その名前を聞いて、再び早坂は呆然とする。これは、運命なのか偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか。
「どうして、参加者の多くは俺の因縁の相手なんだ……」
「えっと、どういう事ですか?」
「言葉の意味まんまさ。君はまぁ、良いとして。そこで死んでいる八鳥倫宏というやつは、俺の母親を殺したんだ」
「えっ?」
「君は知らないかも知れなけど、九年ぐらい前に銀座で無差別殺傷事件が有ったんだ。んでその犯人がそいつだよ。そして、その時の犠牲者の一人が俺の母親さ」
「その事件なら、ネットか何かで見た事あります……」
「それで、その石黒愛流ってやつは、俺の姉さんを自殺に追いやった野郎なんだ」
「そんな……」
「明らかに異常じゃないか? そもそもこんなゲーム自体異常だけどさ、何で俺と関係が有る奴ばかり何だよ」
「あの、何か闇バイトに応募したりしませんでしたか?」
今、世間を騒がしている闇バイト。匿名性の高いSNSアプリを通じてやり取りを行い、犯罪に加担させたり、そもそも犯罪を行わせるバイトだ。詐欺や強盗など行わせるケースもあるという。
「いや、そんなことはしていないよ。確かに仕事を探していたけどさ。誰かさんの所為で」
少し嫌味ったらしく言う。
「そ、それは……。ごめんなさい」
「ん? 待てよ。いつだったかな、なんか怪しいアンケートに答えた気がする」
「怪しいアンケート、ですか?」
「ああ。一年前ぐらいかな、仕事をクビになって絶望している時に、路上にQRコードが書かれていたんだ」
「書かれていた? 落ちていたんじゃなくて?」
「そう、コンクリートブロックの上に。それで、普段だったら絶対読み取らないんだけど、その時は人生に絶望していたし、なんかすごい気になっちゃったから読み取ってみたんだ。もうどうにでもなれって。そしたら変なアンケートだったんだよ」
「変なアンケート?」
「そう。なんかマルチビジネスに誘われるうたい文句みたいなやつでさ、お金は欲しいですか? とかあなたの夢は何ですか? とか幸せにしたい人はいますか? とか」
「確かに、ねずみ講の勧誘っぽいですね」
「でしょ? それで普段だったら答えないだけど、さっきも言った通り自暴自棄になっていたからさ、一生働かずに暮らせるお金が欲しいとか、家族を苦しめた奴らに復讐したいとか答えたんだよ」
今考えれば明らかにおかしいアンケートだ。そもそも道端にQRコードが書かれている時点で怪しい。奇をてらった企業が宣伝のためにやりそうではあるが、それはただ単に自社のホームページに誘導すれば良いだけの話だ。なぜにわざわざアンケートをとるのか。
「それで、答えた後はどうなったんですか?」
「別に何にも無かったよ。アンケートのご協力ありがとうございました。みたいな感じだったかな。あとは頂いたご意見を参考にします、っていうよくあるやつ」
すると、森口は考え込むように押し黙ってしまった。そして、しばらく考え込んだのち頭を左右に振った。
「やっぱりわかりませんね。そのアンケートがこのゲームに関係してる可能性もありますけど、それだけでは何とも」
そして、頷いた後踵を返し入り口の方へ向かった。
「ちょっと危険かも知れませんが、浮ヶ谷さんともう一度話してみます。もしかしたら何か知っているかも知れないですし」
そう言い残し、森口はお殿様館から去って行った。
ふぅとため息を一つ吐くと、早坂は既に動かなくなった八鳥の顔を覗き込んだ。
その瞳孔は完全に開いており、勿論ピクリとも動かない。
そして、右目の下瞼を引き下げると飯貝と同じようにQRコードが書かれていた。それを読み込む。
すると、例のごとくファンファーレが鳴り響き、画面には『懸賞金ゲットだぜ!』とランカー君が踊りながら登場した。
久しぶりに見たような気がするが、今回手に入れた懸賞金を確認してみる。
手に入れた額は、スポーツグラスに表示されたものと同じ額だった。つまり、八鳥はこのゲームにおいて誰も殺していないという事だ。
「いや、殺したけど懸賞金を奪わなかった可能性もあるな」
その可能性も捨てきれない。八鳥は快楽殺人者と思われ、もしかしたらお金には興味が無かったかもしれないのだ。
次に、もともとあった死体のQRコードをスキャンしてみる事にする。スポーツグラスに名前も金額も表示されない事から、恐らく懸賞金は既に奪われているだろうが、この人物の素性が分かるかも知れなかったからだ。
スキャンをしてみると名前が今藤遊人、年齢が三十七歳。過去に特殊詐欺のリーダー格として逮捕されている事が分かった。懸賞金についてはどうやら五千万円だったらしい。
「やっぱり、懸賞金は取られているな」
今藤を殺して懸賞金を奪ったのは誰だろうか。普通に考えれば石黒が一番怪しい。まだ一度も有っていないため、グロックを所持している可能性が高い。勿論浮ヶ谷か森口という可能性も十分にある。その人物が懸賞金を手に入れたかどうかを確認するためには、こちらがQRコードを読み取らなければならない。なので、読み取って見なければ誰が獲得したかは分からないが、スキャンをすれば毒が注入され死んでしまう。おいそれと確認するのは難しいだろう。
何はともあれ、やはり一番警戒すべきは石黒だ。もし相手が銃を所持していることを考えると、今からでもバリスティック・シールドを取りに行くべきだろうか。早坂が着ているベストはあくまで防刃用で、弾丸相手では歯が立たないだろう。だが、やはりバリスティック・シールドは重すぎる。普段でさえ重いのに、右足を痛めている今、そんな重量のあるものを持って歩きまわるのはとてもつらい。
ふと、地面に落ちているスローイングナイフを見る。一本は八鳥の喉に刺さったままだが、一本は八鳥の手元に、もう一本はその死体のすぐそばの床に刺さっている。さてどうしたものか、と早坂は思う。
果たしてグロック相手に通用するだろか。闇討ちという点では非常に優れているが、いざ正面切っての状況となるとよくて相打ちだろう。それにナイフで有ればすでにサバイバルナイフを持っている。だが、ここにそのまま置いて行って、もし石黒などに拾われたらそれはそれで面倒臭い。
「よし、捨てよう」
とりあえず目の付かない所に捨てる事を思いつく。あまり気分は良くないが、八鳥の死体を持ち上げ横にずらす。そして血だらけになった一本と、残りの二本を持って神社の方へと向かう。ついでにクロスボウの矢もケースごと捨てることにした。本体が使い物にならず矢だけを持っていても仕方ないと判断したからだ。そして、神社の裏手の藪の中に放り投げる。流石にここを探すことは無いだろうとの考えからだ。
「さて、どうしたもんかな」
色々と気になる事はある。だが、今は一刻も早く休みたかった。
まだ痛む足を庇いながらゲートボール場へ向かうと、水の入った宝箱を開ける。中には、ありがたいことにペットボトルが二本入っていた。
まずは一本、味に違和感が無いか一口確かめてから、五百ミリリットルを一気に飲み干す。体中の細部一つひとつに、水がしみわたるのを感じた。
空になったペットボトルも持ったままゲートボール場を横切る。そこには捨てたはずのクロスボウが忽然と姿を消していたが、そんな事にかまっている気力などなく、一刻も早く休みたかったためホテルへ向かう。あそこならば、多少安心して休むことが出来るだろう。
再び一〇二号室へ来ると、テーブルをドアの前に移動させる。ドアはうち開きの為、テーブルを置いてしまえば外から開けて入る事が困難になる。もし、寝ている間に誰かが侵入し、QRコードを読み取られてしまったら終了だ。なので、念のため侵入されないように細工をしておくことにする。
窓際のイスに腰掛け、ボロボロになったブロックタイプの栄養調整食品を水と共に流し込むと、気持ちが緩んだのか睡魔が襲ってきた。始めは抵抗していたものの、流石に耐え切れずそのまま意識を失うように眠りについた。
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