1日目その2

 ゴルフ練習場から、緑色の絨毯のような物が敷かれた階段をのぼり事務所と思われる建物の横を抜けると、少しだけ開けた場所に出た。そして、レジャーパークの入り口方面には、長方形の建屋が見える。園内マップを確認してみると、どうやらかつて売店だった建物の様だ。

 近づいてみると、ほとんどのシャッターはゆがんでおり、かつては不良たちが入り込んでいたのかスプレーで落書きがされていた。バンクシー気取りなのかは分からないが、犬の様なキャラクターが落書きされている。そのキャラクターには吹き出しが書かれており、こんなセリフが書かれていた。


 ❝丁は上に、半は下に❞


 一体どういう意味だろうか。見たところ、その落書きはまだ書かれて間もないような気がした。明らかに他の落書きに比べてインクの色が真新しい。

 その落書きがされたシャッターの近くに、キツネの様なキャラクターが書かれたプラスチック製の大きなBOXが設置されている。大人一人が入れそうな大きさだ。そしてその横、一か所だけシャッターの無い場所が有り、どうやらそこから建物の中に入れそうだった。入り口の上の方には《売店》や《ゲームコーナー》と書かれた看板が取り付けられ、足元には名前のキーホルダーが売られていたであろうラックが無残にも横たわっていた。

 建物内に足を踏み入れると、赤い床にゴミやチラシなどが散乱し、正面には正方形に仕切られた棚が壁のかわりに設置されていた。所々棚が外れているところも確認できる。奥の方には事務所の様な場所があり、かつて売られていただろうお土産のサンプルや、スマイリーダッコ君なるものが売られていた形跡があった。

 早坂は、足元に落ちていたヒーローショーを告知する二色刷りのチラシを手に取る。

「大食い戦隊マシマシレンジャーきたる? いつの時代だコレ」

 大食い戦隊マシマシレンジャーは、一九九六年に放送された特撮ヒーロー物で、当時の子供のみならず社会現象を引き起こし、一大大食いちだいおおぐいブームをもたらした。しかし、大食いを真似した子供が食べ物を喉につまらせ窒息死するという痛ましい事故が起こった影響により、ブームはあっという間に去ってしまった。

 当時早坂は生まれたばかりであるため、その時のことは全く知らない。覚えているのは、母親に早食いをすると喉に詰まるからきちんと噛んで飲み込みなさいと幼い頃に言われたことだけだ。

 チラシを元あった場所に戻すと、突然物陰からやせ細った男が現れた。

「ちっ、百万円か」

 物陰から現れた男はやはりスポーツグラスをかけており、右手に大型のサバイバルナイフを握っていた。

 早坂はとっさに距離を取り、相手を見る。

 薄汚れた白いポロシャツに紺色の作業ズボンを履いており、肌は浅黒く、ワゴンセールで売られているようなスポーツシューズはクタクタに履きつぶされていた。

 

 懸賞金:五百万円

 

 早坂のスポーツグラスには、そう金額が表示された。

 身長は早坂より少し低いぐらいで、白髪が多めな髪は短く切りそろえられている。額にはうっすらと汗を浮かべており、ナイフを握る手が微かに震えていて終始落ち着きが無い。

 すると男は、早坂が水の入ったペットボトルを持っている事に気が付くと、口角から泡を飛ばしながらナイフを突きだした。

「おい! そ、その水を寄越せ!」

 一瞬、くれてやるものかと考えたが明らかに分が悪い。まだ距離が有るため相手のナイフが届かない位置に立っているが、距離を詰められた場合防ぐ手立てがない。さりげなく床を見るが、武器や防具などに役立ちそうなものは見当たらなかった。

「わ、分かったからちょっと待ってくれ。水をここに置くから、飲んでもらって構わない」

 今にも襲い掛かって来そうな男を制止するように左腕を前に出しながら、ペットボトルを床に置く。そして、ゆっくりと後ずさりながらさらに距離をとる。浮ヶ谷の時とは違い、あまり話が通じるような相手ではなさそうだった。ここは大人しく水を渡した方が賢明だろう。しかし、相手が水を飲み終わった後どうすべきか。水を分け与えたからと言って、命の保証がされたわけではないのだ。

 早坂がペットボトルから充分離れると、男は膝からスライディングするように水に飛びついた。震える手でキャップを開けると、ペットボトルを垂直にして勢いよく水を飲み干す。

「げほっ! がはっ!」

 勢いよく飲みすぎて気管に水が入ったのだろうか、男はむせた。空になったペットボトルを無造作に放り投げると、「ふぅ」と一息ついた。

 手の甲で口元を拭いゆっくりと立ち上がりかけた瞬間、急に息が荒くなり両ひざをついた。やがてナイフを落し両手を地面につくと、ブルブルと体を震わせついに崩れる様に横になった。口から泡を吐き、目の焦点は全く合っていない。ヒューヒューと隙間風の様な音をさせながら喘ぐように呼吸をし、首をかきむしる様にしている。

 早坂はその様子を唖然としながら見つめる。そして、頭の片隅で状況を分析しようと試みる。

 なぜ目の前の男はここまで苦しんでいるのか。元々持病を持っていて、このタイミングで発作が起きたのだろうか。いや、それにしてはタイミングがおかし過ぎる気もする。明らかに水を飲んだ直後に苦しみだした。だとすれば、やはり水の中に毒が入っていた可能性が高い。けど、同じ水を飲んだ浮ヶ谷と自分は何ともなかった。目の前の男だけに効く毒だったのだろうか。しかし、そんな毒が存在するのだろうか。アレルギーによって起こった発作の可能性も考えられる。水アレルギーというのも存在するが、あれはあくまで皮膚疾患だ。体内には影響を及ぼさなかったはず。

 早坂が目まぐるしく色んな可能性を考えていると、やがて男はゆっくりと動かなくなり、そして、呼吸が止まった。

「し……死んだ?」

 恐る恐る近づき、生気を失った男の顔を覗き込む。瞳孔が完全に開いており、ピクリとも動かない。

「は、はははは……」

 目の前の出来事がよく理解できず、変な笑いが込み上げてきた。人が目の前で死んでいくのを見たのは決して初めてではない。しかし、あまりにも理解不能な状況だ。

 恐らく目の前の男もこのゲームの参加者で間違いは無いだろう。手にナイフを持っていた事から、初めに選んだ箱は武器の可能性が高い。それにもし、突然この男が死ななければ自分が殺されていたかも知れない。こちらには、サバイバルナイフに対抗する物は持ち合わせていなかったからだ。

 だが仮に襲われていたら、一目散に逃げるつもりではあった。それは、早坂には逃げ切る自信があったからだ。現役時代から多少時間が空いているとはいえ、学生時代には陸上部に所属し中距離を得意としていた。あまり体力のなさそうな中年の男なんて、すぐに引き離す事が出来ただろう。

 早坂は地面に落ちていたナイフを足で男から遠ざける様に蹴った。仮に男が息を吹き返した場合襲われないように、念のためだ。

 そして傍らにひざまづくと、首元に手をあて脈をはかってみる。だが、その指には男の脈動は一切伝わってこなかった。

「やっぱり、死んでる」

 あまり死体に触れるのにいい気分はしないが、男の目にも浮ヶ谷と同じ場所にQRコードが無いか確かめることにした。

「あ、有った……」

 右目の下瞼を引き下げると、虹彩の下、白目部分に小さなQRコードが確かに確認出来た。

 ポケットから端末を取り出しアプリを起動する。そして、《スキャン》と表示された場所をタップすると、四角い枠が表示された外部カメラが起動した。ゆっくりとピントを合わせる。

 カメラの枠内にQRコードが映り込むと、短いファンファーレの様な音がしたあと、画面には『懸賞金ゲットだぜ!』とランカー君が踊りながら登場した。

 画面をタップすると、『獲得した懸賞金は、下の獲得金から確認出来るよ』と、これまたランカー君が教えてくれた。

 画面では、《獲得金》という所が点滅しており、他の場所は暗くなっている。どうやら《獲得金》を確認しないと駄目な仕様らしい。こんな所もまるでソーシャルゲームのチュートリアルみたいだ。

 指示された通り《獲得金》のアイコンをタップすると画面が切り替わった。その画面では、現在所持している懸賞金の総額と、獲得の履歴が確認出来る様だ。

 今回獲得した賞金は五百万円。男の表示額と一致していた。そして、懸賞金の総額も五百万円と表示されている。つまり、そこから考えられるのは、自分自身の金額が含まれていない事と、この人物はまだ他人のQRコードを読みこんでいなかったという事だ。

 今回獲得した懸賞金を確認すると、画面では《戻る》を押せと催促している。

 その指示に従いトップ画面に戻ると、今度は《データ》という所をタップするよう促された。とにかく今は従うしかないだろうと思いタップしてみると、今度は懸賞金の使用履歴、参加者の情報などが見れる画面に移行した。

 参加者の情報については、今回スキャンした男の顔データしか表示されておらず、浮ヶ谷や早坂を嵌めた女子高生の森口もりぐちのデータは表示されていなかった。

「参加者のデータは、コードを読みこんだ相手しか表示されないのか……いや、まてよ。もし相手が他の誰かを読み込んでいた場合、そのデータも共有される可能性もあるな」

 だが現状、それを確かめるすべは無かった。目の前で死んでいる男が、すでに他の誰かから懸賞金を奪っていたのならその疑問も解決するが、誰も殺していないんだから確かめようがない。

 男の顔写真データをタップしてみると、詳細データへ移行した。しかし、そこで確認できたのは名前と懸賞金額だけだった。


 飯貝 幸雄いいがい ゆきお 懸賞金:五百万円


 一体この懸賞金の金額はどういった基準でつけられているのだろうか。男が現れた時、『百万円か』と口にしていた。つまり、自分に懸けられた懸賞金は百万円である可能性が高いと早坂は考えた。そして、浮ヶ谷は二百万円。森口に関しては、その時スポーツグラスをかけていなかったので金額は分からないが、出会った中で今の所自分が一番低い。

 「まだだ、まだ情報が少なすぎる」

 とにかく引き続き情報を集めた方がよさそうだ。幸いにも今回、五百万円という金額が手に入った。自分で直接手をくだした訳では無いが、おそらく自分の持っていた水を飲んで死んでしまった事に少し罪悪感を覚える。だが、アイテムを少なくとも五百万円までなら買える事。懸賞金を手に入れた事からゲーム終了時に生き残れるチャンスが生まれた事に少しだけ安堵する。

 大したデータを確認出来なかった事に少し落胆しながら《戻る》アイコンで一つ前の画面に戻ると、右下の隅っこに小さな歯車のアイコンが有る事に気が付いた。色も薄い色で表示されているため、見逃してしまいそうだった。

「なんだろう、これ」

 何か詳細設定でも出来るのだろうか。歯車マークと言えば基本的に設定画面へ移行することが多い。画面の光度や背景、文字の大きさなどが変えられるのだろうか。

 何となく歯車マークをタップしてみると、想像していた物とは違う物が表示された。

 

【解除キーを入力して下さい】


 その文字の下には、何やら文字を入れられるボックスも表示されていて、そこに触れると文字入力画面が表示された。

「解除キー? えっ? ここに何かパスワードを入力するって事?」

 しかし、何を入力すればよいのか分からない。何か今まででヒントは有ったのだろうか。

「――あっ! もしかして」

 早坂は弾かれたようにズボンの後ろポケットから紙切れを取り出した。

「これを入力すれば良いのか?」

 初めの宝箱に入っていた、情報を選んだことにより手に入れた、園内マップと一緒に入っていた英文字の書かれた紙切れだ。


 【PvhfsSzobpq】


 相変わらず意味が分からないが、とりあえず入力をしてみる。もしかしたら何かが起こるかも知れないからだ。その一縷いちるの望みにかけて、早坂はフリック操作で文字を入力する。

「これでどうだ」

 だが、結果は残念な物だった。画面には無情にもエラーが表示されている。

「やっぱり、そのままじゃダメか」

 だが、あながち間違ってはいなさそうだ。情報という箱に入っていた謎の文字列だ。何かしらのパスワードになっていてもおかしくは無いし、実際このアプリの一部機能がロックされているらしいからだ。けど、何かが足りない。あと一ピースを埋める何かが。

「ん? そういえば――」

 早坂は何かをひらめいたかの様に表へ出た。そして、シャッターに書かれている落書きを改めてみてみる。


 ❝丁は上に、半は下に❞


 一見いっけん何気なにげない落書きかも知れない。だが、他の落書きに比べて後から書かれたような感じが気になる。それに、ここに不法侵入するヤンチャな若者がこんな謎な文字を書くだろうか。大体下ネタか『〇〇参上』、自分で考えた良く分からないロゴをかいて自己顕示欲を満たしている輩がほとんどだろう。そう考えると、この落書きは明らかに不自然だ。

「丁って確か偶数だよな」

 確実な自信が有ったわけでは無いが、確か丁が偶数で半が奇数だった記憶が有る。つまりこの英文字の偶数部分を上に、奇数部分を一つ下に置き換えればいいのではないだろうか。アルファベットのPがQになり、二文字目のvがuになる。そうやって文字を入れ替えてみると、


 【QuietRancor】


 という文字に置き換える事が出来た。

 そして、置き換えた文字を試しに入力してみる。

 すると、パスワードを認証したのか画面が切り替わり、再び先ほどとは違うスラッシュメタルのリフが再生され、ランカー君が登場した。

 『やぁやぁ、この解除コードを入力したという事は、君は情報の宝箱を開けたんだね。実に賢い。うん。実に賢い。いや、もしくは誰かから奪い取ったのかな? まぁ、いずれにしてもここで手に入れられる情報でかなりのアドバンテージが付くと思うよ』

 相変わらずおどけた様に画面を歩き回るカニのキャラクターのランカー君は、更に言葉を続ける。

 『この解除コードは、始めの宝箱からしか手に入れる事が出来ないんだ。君はすごく悩んだ? それともすぐに選んだ? だって、初めの宝箱は一つしか開けられないからね。けど、実は他人の初めの宝箱はお金を払えば開ける事が出来るんだ』

 そう言われて確かに納得した。始めの宝箱は一つしか開けられないのにも関わらず、それぞれ百万円の値段が設定されていた。本当に一つしか選べないのなら、値段をつける必要は無い。

 『でも安心して。情報の箱だけは全プレイヤー中身はおんなじだから。全員の情報の箱を開ける必要は無いよ。他プレイヤーの最初の宝箱を発見したら、情報以外を開けた方が良いよ。だってお金の無駄になるからね』

 なるほど、と思う。もしかしたら色々な宝箱から情報を集めなければならないと思っていたが、どうやらその必要は無さそうだった。ランカー君が嘘を言っている可能性もあるが、あえてここで嘘を言うだろうか。

 『さて、そろそろ本題に入ろうか。今回パスコードを入力したことで、データから見れる情報が沢山増えたよ。まず、スキャンした相手の年齢とか職業とか犯罪歴とかが確認出来る様になったし、スポーツグラスで見た時も金額だけでなく名前も表示される様になったんだ。まぁ、これに関してはあまり重要じゃないかもね。ってことでぇ、ここからはめちゃくちゃ有利になる事を伝えるよ。まず、全体マップが見られるようになったよ。後、全部の宝箱の位置。でも、宝箱に関してはそこに何が入っているかまではお楽しみだよ。その代わり、アイテム一覧が確認できるから、どんなアイテムがあるか要チェックだね。んで、それにちなんで、QRコードをスキャンしたプレイヤーのスタート位置が分るんだ。だからそこに行って初期アイテムを取るもよし』

 今ランカー君が言ったこと全て本当ならば、かなり有利に動けることになる。特に宝箱の位置が特定できるのはありがたい。これで効率的に動くことが出来るようになる。エリアマップも確認出来るのであれば、身を隠す場所や逃げ道の確保などし易いかもしれない。ただ、プレイヤーの初期位置がわかっても今のところなんの価値もなさそうだが。

『効率よく宝箱を回収して、効率よく懸賞金を獲得しよう。最初には言わなかったけど、生き残った時点の獲得金がそっくりそのまま手に入るからね。買い物ばっかりしてスッカラカンじゃ、生き残った意味がないでしょ?』

 最終的に生き残るのが一人であれば、スッカラカンになることなんてあるのだろうか。

「いや、待てよ。スキャンが出来なかった場合どうする?」

 そう、仮に自分と自分以外の誰かが残り、相手がQRコードを読み取れない状態にしていたら?

 例えば、目を取り出してしまう、QRコードの部分を塗りつぶしてしまうなどだ。だが果たしてそんな事をするやつは居るのだろうか。自ら目を摘出するなど到底無理だし、塗りつぶすとしても鏡が無いと無理だろう。それに、何で塗りつぶせば良いのだろうか。場合によっては失明は免れない。

「とりあえず、どんなアイテムが有るのか確認してみよう」

 《データ》の中に追加された《アイテム一覧》をタップして画面を開いてみる。すると、ズラリと一覧が表示された。それぞれ武器、防具、食料と順番に並んでいる様だ。

 画面をスクロールしながら確認していく。

 

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|     アイテム名称      | カテゴリ |                  ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

|     サバイバルナイフ    |  武器  |                         ナイフケースにはダイアモンド・シャープナーやファイア・スターターが付いている。 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

|     スリングショット    |  武器  |                    リストロック付きタイプ。12㎜のスチール玉10個。                 |―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

| クロスボウ           |  武器  |                        組立済み。アルミ矢3本同梱。150ポンド                      ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

| スローイングナイフ       |  武器  |             420鋼のワンピース構造。3本。                          ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

| グロック17           |  武器  |                         装弾数は複列弾倉(ダブルカラム・マガジン)による17+1発。            ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

| 劇薬              |  武器  |                              液状の劇薬。舐めただけで死に至る程。                      ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

| スタンガン           |  防具  |                       出力電圧:150,000V。フラッシュライト、奪われ防止機能付き。           ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

| 防刃ベスト           |  防具  |                                Vネック型。Lサイズ。うろこ状の素材を使用しているため刺突にも有効。       ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

| ヘルメット           |  防具  |                        軽量タクティカル用ヘルメット。NIJ規格Ⅲ-A。                   ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

| 十手              |  防具  |                           鋼鉄製。30センチ。                               ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

| トンファー           |  防具  |                             赤樫製の丸形トンファー。44センチ。                       ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

| バリスティック・シールド    |  防具  |                          透明性の小型シールド。NIJ規格Ⅲ-A。重量約3.6㎏。                ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

| ミネラルウォーター       |  食料  |                         ごく普通の水。開始時配布されているものと同じ物で毒などは一切入っていない。   ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

| 塩タブレット          |  食料  |                            レモン味。クエン酸入り。                            ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

| 栄養調整食品(ブロックタイプ) |  食料  |                       チョコレート味。80グラム、4本入り。                       ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

| 栄養調整食品(ゼリータイプ)  |  食料  |                         アップル味。215グラム。                             ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

| エナジードリンク        |  食料  |                         トロピカル味。355ミリリットル。※摂取しない方が良い。              ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

| 缶ビール            |  食料  |                         辛口。アルコール度数5%。350ミリリットル。※摂取しない方が良い。        ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 やはり武器類は殺傷能力が高い物ばかり揃えてるらしい。それに対して防具は、それらの武器から身を守るためのアイテムが揃っている様な気がする。浮ヶ谷の持っていたスタンガンは、彼女の言葉通り防具に分類されており、ここに来る前に発見したゴルフ練習場の始めの箱は、防具の箱が開いていた。つまり、四つの箱の中身は大きさからして防具はスタンガン、武器は恐らくサバイバルナイフという可能性が高い。武器はまだ確定ではないが、飯貝が持っていた事からその可能性は十分に高いだろう。残るは食料の箱に何が入っているかだが、気になる記述がいくつかある。

 まずはミネラルウォーターの補足だ。❝開始時配布されているものと同じ物で毒などは一切入っていない。❞

 宝箱から手に入る水が開始時に配布されたものと全く同じであれば、毒が入っていないという事になる。しかし、飯貝は水を飲んだことによって死んだ。

「浮ヶ谷も平気だったし、俺も問題無かった。やっぱり毒は入っていなかったと考えるのが自然か……」

 森口が事前に入れたという可能性も考えられるが、そうなると無事だった二人の説明が付かない。

「まぁ、一旦良いか。とりあえず今後手に入る水は安全という事で。けど、この摂取しない方が良いってのはなんだ?」

 エナジードリンクと缶ビールに書かれている注意書き。確かにエナジードリンクにはカフェインなどが多量に含まれており、飲みすぎは体によくないのは分かる。缶ビールもアルコールやプリン体など多く摂取すると体に良くないのはそうだが、注釈を入れるほどの事だろうか。

 アイテム一覧画面を一番下までスクロールすると、再びランカー君が姿を現した。

 『やぁやぁ、ご覧いただいた通りこれがこのゲームで手に入れる事の出来るアイテムさ。一個しかない物や複数あるものも存在するよ。そこで、たぶん君が気になっていることに答えようじゃないか』

 ランカー君がくるりと身をひるがえす。

 『君は、エナジードリンクと缶ビールの備考欄をみてこう思ったんじゃないかい? 何だこの注意書きは、元から大量に摂取したら体に悪いだろう、って。でもこれはそう言う意味じゃないんだ。この二つの飲み物の中には、ちょっとしたお薬が入っているんだ。そう、とっても攻撃的になっちゃうお薬がね』

 攻撃的になる薬とは一体どういう事だろうか。

 『具体的な名前を出しちゃうとちょっとアレだから伏せるけど、うつ病などに処方されるとある薬をベースにした物が混入しているんだ。副作用として攻撃的になる薬だから、摂取するとすごく攻撃的になるんだ。しかも、一度摂取するともっと欲しくなって抜け出せなくなるし、飲めば飲むほど理性を失っていくからね。賢い君は飲まない方が良いよ。だから、エナジードリンクや缶ビールを飲んでいる人がいたら、近寄らない事をおススメするよ。遠くからボウガンや拳銃などでやっちゃうのが一番かもね』

 つまり、エナジードリンクや缶ビールの中には麻薬のような物が混入しているということか。しかも一度摂取してしまうとなかなか抜け出せないほどのヤバいヤツが。そこでふと、とある考えが頭をよぎる。

 一番初めの食料の箱に、それらのアイテムが入っていたとしたら。

 その時点で負けが確定なのではないか。攻撃的になるというのは一旦無視するとしても、その薬から抜け出せなくなった場合、優勝して現実に戻ったとしても、今まで通りの生活が出来なくなるだろう。

 早坂は仮にエナジードリンクなどを手に入れても、飲まないことを心に誓った。

 アイテム一覧を閉じ、参加者データを再び確認してみると、飯貝の情報が追加されていた。

年齢は五十六歳で、過去に危険運転致死傷で服役していたらしい。酒を飲んだ状態で車を運転し、歩道を歩いていた男性とその孫をはね、孫は軽症で済んだものの、男性は頭を強く打って死亡。それにより捕まり、服役したそうだ。しかもアルコール中毒患者で、事故当日もかなりの酒を飲んでいた様だ。

「飯……貝?」

 先程まではあまり気にならなかったが、過去のニュースを目にすると、頭の奥がモヤモヤとする感覚に襲われた。何かこれについて知っているような、そんな感覚だ。

だが、いくら考えてみても思い出す事が出来ない。

答えが出ないことをいつまでも考えても仕方がないので、気持ちを切り替えることにする。今は、いかに生き残るかが重要だ。

 売店の中を覗くと、飯貝は先程と同じ姿勢で横たわっている。息を吹き返したりした様子もなく、他に誰かが来た形跡も無い。

 サバイバルナイフを拾うと、飯貝が他に何か持っていないか服を探ってみる。すると、ズボンのポケットからサバイバルナイフのケースが出てきた。一覧で見かけた通り、ダイアモンド・シャープナーやファイア・スターターが付いている物だ。改めてズシリと重いナイフを眺めてみる。

 刃渡りは十五センチほどで、グリップ部分は滑り止め加工がされておりしっかりと握る事が出来る。また、歯の反対側には複数のギザギザがついていて、蔦やロープを切ったりなど万能に使えそうだ。勿論、殺傷能力も十二分にあると思われる。

 ナイフをケースにしまい、腰のベルトに引っかけると、床に倒れている死体をなるべく目立たない所へ引きずっていく。丁度カウンターの裏、表からはすぐ見えない所に隙間があったため、そこに移動させた。

 決して隠ぺい工作をしている訳じゃない。あまり争った形跡などを残したくなかっただけだ。それに、入り口から見えるところに死体が置き去りになっていれば、目立つのは必至であるし、色んな情報を他のプレイヤーに与えてしまう可能性がある。いや、これはある意味隠ぺい工作なのかもしれない。

 死体の移動を完了させると、事務所の奥を覗いてみた。そこはどうやらロッカールームらしく、縦長のロッカーがいくつも並んでいた。そして、開いているロッカーからは過去の売上台帳などが確認出来る。そして、正面の壁際には色分けされた四つの箱が置かれていた。勿論、開いていたのは赤い色の箱だ。

 そして、アプリの地図では飯貝のスタート地点はこの場所が表示されていた。やはり飯貝はこの宝箱からサバイバルナイフを手に入れたという事だ。

 防具の箱を確認すると、金額は百万円と表示されていた。また、試しにQRコードをスキャンしてみる。すると、機能をアップデートしたからなのか、箱の中にどのアイテムが入っているのか確認出来る様になっていた。

 どうやら中身はバリスティック・シールドらしい。

 一応今回手に入れた懸賞金で購入することは可能だが、もう一度アイテム一覧で確認をしてみる。

 NIJ規格はⅢ-Aで、重量は約三.六キログラムもある小型のシールドだ。

「三.六キロかぁ、かなり重いな……。でも、その分硬度はかなりあるのか」

 早坂は過去に友人とサバイバルゲームを数回やったことがあるため、NIJ規格がどういうものかはなんとなく把握していた。Ⅲ-Aであれば44マグナム弾に耐えられる強度が有る。今回の武器の一つにグロック17が有るが、使われる弾丸は9㎜パラベラム弾だ。その銃弾であれば問題なく防げるだろう。だが、問題なのはその重さと大きさだ。小型とあるし、箱の大きさから言って三十センチあるかないかぐらいのサイズだと思われる。そうなると、顔や胸部など致命傷を避けるためにしか使えそうにない。しかも重さが三.六キロもあるため、構え続けるには相当の筋力が必要だ。そう考えると、使い勝手はあまり良さそうではない。この状況下で、足に銃弾を受けただけでも致命的となりかねないのに、防御出来る範囲が狭すぎる。

 それに、拳銃の命中率はさほど高くは無いと言われている。特に動いてる標的などに対してだ。ましてや、撃つ側が素人であれば尚更だろう。このゲームの参加者にどれほど拳銃の扱いに慣れている者がいるのかは分からないが、それほど心配しなくても良いかも知れない。

「シールドより買うなら防刃ベストの方が良さそうだな。遠距離から撃たれても致命傷を避けることが出来るかもだし」

 重量のあるバリスティック・シールドより、着用できるベストの方が使い勝手は良いだろう。不意打ちで切りつけられても安心だし、スローイングナイフも防げるだろう。ボウガンに関しては無理かも知れないが、その時はその時だ。

 とりあえずバリスティック・シールドの購入は見送る事にし、今度は食料の箱のQRコードを読み取ってみる。

 なんと中身は缶ビールだった。

 ランカー君曰く摂取しない方が良いと言っていたものだ。それにしても、アルコール依存症の飯貝が缶ビールを手に入れなくて良かったのかもしれない。恐らくすぐに飲んでしまっただろう。そして、中に入っている薬の所為で攻撃的になり、いきなり背後から襲われていた可能性も考えられた。もし、初めから中身が分かる状態だったら迷わず缶ビールを選んだかもしれない。だが本人が死んでしまった今、本当の所は分からないが。

 「う~ん、缶ビールは必要ないなぁ。一旦見送るか」

 武器の箱は既に空いており、そしてその中身は飯貝から手に入れている。情報の箱は開ける必要が無いとランカー君が言っていた。そして防具と食料の箱に至ってはあまり必要性を感じないため、見送ることにした。今回手に入れた懸賞金は五百万円だから、二つとも手に入れても三百万円は余る。誰かと出会った時の交渉用として手に入れておくのも有りだがどうしても荷物になる。出来るだけ身軽な方が良いだろうというのが早坂の考えだ。

「さて、次はどこに行ってみようか」

 アプリで地図を確認してみる。

 今いる売店の東側がパークの入り口で、南側に野外ステージ、西側にはバンガロー村やキャンプ場があり、その南側には観光ホテルが立っているらしい。その他にもパークの西側にはお殿様館という謎の建物や、遊園地ゾーンがある。

「とりあえず、バンガロー村ってところに行ってみようか。ここからすぐ近いし、宝箱がいくつか確認出来るし」

 地図上では宝箱のマークが四つほど確認出来る。ランカー君の言う通り、それが何の宝箱かはアプリでは分からないため、実際に行って確かめる必要があるだろう。宝箱の中身も知ることが出来れば楽だが、場所が分かるだけでも無駄に歩き回る必要が無いだけありがたい。それに、他のプレイヤーに開けられる前に入手できる可能性もある。出来ればグロックやボウガン、防刃ベスト辺りは手に入れておきたい。先に自分が手に入れてしまえば、他のプレイヤーが手にすることが出来ずそれだけで安全度が増す。勿論、複数個有った場合はその限りでは無いが。

 スマートフォンをポケットにしまうと、辺りを警戒しながら売店から出る。目に見える範囲で誰もいないことを確認すると、バンガロー村へ続くと思われる道を歩きだした。



 バンガロー村に着くと、様々な形をした小屋が二十戸ほど立ち並んでいた。ドーム型をしていたり、三角形やコテージ型、中にはピラミッドの様な形のものも見受けられる。窓などはベニヤ板で補強されていたり、ドアが無くなっている小屋も複数あるが、そのほとんどは原型をとどめている。そして、生い茂っていたであろう草などはある程度伐採されており、各小屋を回るのにはあまり苦労しないで済みそうだった。

 まずは端っこにある三角形の小屋に入ってみる。

 広さは六畳ぐらいあり床や内装は痛んでいるが、荒れた様子はほとんど無かった。だが、その小屋の雰囲気に似合わないものが壁際に四つほど並んでいる。そう、色分けされた宝箱だ。

 「ここは、誰かのスタート地点だったのか?」

 すでに赤い箱が開封されていて、他の三つはまだ開けられていない様だ。つまり、ここで目覚めた人物は武器の箱を選んだという事だろう。何が入っていたのか確認してみようとQRコードを読みこんでみる。

「あれ? アイテム名が表示されないぞ」

 アイテム名だけでなく、金額についても表示がされない。端末の画面には《すでに開封済みです》という文字しか映っていない。

「おかしいな。壊れたかな?」

 さっきまでは問題なくアイテム名が表示されていた。試しに、隣にある青い宝箱をスキャンしてみる。すると、防刃ベストと百万円という金額が表示された。

「なるほど、そういうことか」

 どうやら未開封であればアイテム名と金額が確認出来、開封済みの宝箱についてはそれらが確認出来ない仕様らしい。つまりは、ここで目を覚ました人物が一体どんなアイテムを持っているのか分からないという事だ。アイテム一覧から推測しなければならない様だが、全く見当がつかない。

 情報の箱だけは全員一緒だとランカー君は言っていた。裏を返せば、情報の箱以外は異なっているという事だ。飯貝についてはサバイバルナイフなのは確実だが、ここの箱が必ずしもそうであるとは限らない。

 ただ、分からない事をいくら考えても無駄だろう。そう見切りをつけ、今度は食料の箱を確認してみる。

「おっ、栄養調整食品じゃん。しかもブロックタイプだ」

 丁度空腹を覚えていたタイミングだったのでありがたい。しかもブロックタイプなので、多少は腹にたまるだろう。

 躊躇することなく懸賞金を使い宝箱を開けると、栄養調整食品の箱が二つ入っていた。一箱が四本入りなので計八本だ。一本当たりの熱量は100kcalだから、全部食べると800kcal摂取できる事になる。成人男性の一日の摂取カロリーには程遠いが、無いよりましだろう。

 早速一箱開け、一本かじってみる。まだ完璧にランカー君を信用した訳では無いが、いつまでも毒の心配をしても仕方ない。実際食べてみても変な味などしないし、いつも食べなれているチョコレート味だ。

「うん、大丈夫だ。でも、これは飲み物が欲しくなるな」

 そう、このブロックタイプの最大の難点は水分が欲しくなる、という事だ。長期間保存が可能なためか、食品自体に水分がない。食べ進めていくと、口の中の水分がどんどんと持って行かれ、油断すると喉に引っかかって危うく窒息しそうになる。そんな事にならないようにひとまず一箱分だけ平らげ、もう一箱は念のため取っておくことにする。万が一この先、食料が手に入らなかった事を考えると、明日用にとって置くべきだと考えたからだ。

 食べ終わると内袋と箱をコンパクトにたたみ、ポケットの中に突っ込む。もしここに捨てて行くと、他のプレイヤーに情報を与える事になってしまうのでやはりそれは避けたい。捨てるにしてもどこか他の場所で、草むらの中か土中に埋めるなどした方が良いだろう。場合によってはサバイバルナイフにファイアスターターが付いているので、燃やすというのも手かも知れない。

 栄養調整食品を食べ終えると、胃がもっと食べ物を寄こせと激しく動き出したのを感じながら、今度は青い宝箱を開封する。

 出て来たのはやはり表示されていた通り防刃ベストだった。黒色のVネックで、スーツなどにも合いそうなデザインをしている。だが、正面のボタンはどうやら飾りの様で、すっぽりとかぶる様にして身に付け、背面部分のベルクロをしめて固定する様だ。重さは大体二キログラムぐらいあるだろうか、多少体に負荷がかかるがバリスティック・シールドの様に常に持ち歩かなければならない訳では無いので問題は無さそうだ。それに、胸元と左右のおなか部分にポケットが有るのは嬉しかった。カバンや袋が無い今、少しでも物を収納できるようになるのはありがたい。いざという時を考えると、なるべく手に荷物は持っていない方が良いからだ。

「うん。なかなかいい感じだ」

 早速シャツの上に着てみる。やはり二キログラムは重く感じるが、Vネックでありベスト型で腕の可動が制限されることが無いので意外と動きやすい。それに、肩の部分もしっかり守られている様で安心感が有る。だが裾は短めに作られていて、ちょうどへその部分が逆Vの字になっているため、そこをピンポイントに狙われたら致命的ではある。

 アイテム一覧では刺突にも有効と書いてあり、実際叩いてみるとベストの中身は何層かになっている様でなかなかの強度が有りそうだった。

「これならボウガンを撃たれても致命傷を避けられるかも知れないな」

 ナイフだろうと相手の力が強ければ完全に防ぐことは難しいかも知れないが、貫通することはほぼ無さそうだった。そう考えると、仮にボウガンの矢が飛んできても体までは突き刺さらず、致命傷を免れるかもしれない。

 草むらや見通しの悪い場所が多いため、いつ物陰からボウガンの矢やナイフが飛んできてもおかしくないので、これで多少は安心できる。

 すると安心した束の間、少し遠くから草をかき分ける音と、男の声が聞こえた。

 息を潜め、じっと聞き耳を立てる。

 ガサガサという音と男の声はだんだんとこちらの方へ近づいて来る。

「ったく何で俺がこんな意味わからない所に連れてこられなきゃなんないんだよ」

 どうやら男はブツブツと文句を言ってるようだ。そして、時折刃物で草を切る様な音も聞こえる。

「しかも、他にプレイヤーがいるって言ってんのにまだ誰にも出会わないし。あ~~、早く生きてる人間を切り刻みて~~」

 男の気配はどんどんと近づいて来る。早坂は音を立てないよう、ゆっくりとサバイバルナイフをケースから取り出した。もし急に男が小屋の中に入って来た時に応戦出来る様にだ。

「つーか何で武器がスローイングナイフなんだよ。しかも三つ。ダガーナイフとかククリナイフが良かったわ~~」

 どうやら男は最初に武器の箱を開けた様だ。そして、その中身はスローイングナイフだったらしい。そうであれば、仮に対峙したとしてもこちらが有利かも知れない。こちらは防刃ベストを着ているし、サバイバルナイフを持っている。単純な攻撃力と防御力はこちらの方が上だろう。ただ、相手がスローイングナイフの達人で、こちらの眉間を正確に刺して来たら勝ち目はない。

 こっちに来るな、この小屋に入って来るな、と心の中で強く念じていると、男は鼻歌を歌い始めた。

 その鼻歌を聞いた瞬間、早坂の頭の中は真っ白になった。そして、吹き出す汗とわきあがるどす黒い憎悪。

 呼吸が乱れ、脈が速くなる。

 今すぐ飛び出して、握りしめているナイフでめった刺しにしてやろうか。

 そんな思いを必死に抑え込む。

 姿を見るまでも無い、顔を見るまでも無い。

 早坂はその男の事を知っていた。なぜなら、母親を殺した憎むべき相手だったからだ。


 八鳥倫宏はとりともひろ


 かつて繁華街で通り魔殺人を犯し、無期懲役で服役しているはずの男。

 なぜ、やつがここにいる。



 事件が有ったのは、早坂が高校三年生に進級する直前の頃だった。

 二つ下の妹の高校入学が決まり、母親と妹と三人で入学祝いのプレゼントを買いに銀座へ来ていた時だった。妹は頑なに要らないと言っていたが、早坂と母親が強引に連れ出したのだ。

 日曜の銀座という事もあり、歩行者天国も多くの人でごった返していた。そのため、デパートや各ショップなども人が多く満足に商品を吟味する事が出来なかったので、なかなかプレゼントが決まらなかった。

 当初の予定では午前中に買い物を済ませ、お昼ご飯を食べた後帰る事にしていたが、午後もプレゼント探しを続行する事になった。

 十二時を回ったぐらいに、予約していた資生堂パーラーへ行きコース料理を堪能した。予約していたことを知らなかった妹は始め驚いていたが、憧れていたお店に来れてとても喜んでいた。

 そんな三人だけの幸せを堪能したあと、再びデパートに行こうという話になった。人が多くてまだ見れていないショップがあったからだ。遠慮がちだった妹も、資生堂パーラーでの食事で気を良くしたのか、ちょっとだけ良い定期入れが欲しいと提案してきた。勿論高級ブランドじゃなくて良い、高級ブランドを持っていて周りから目を付けられたら嫌だ。とのことだったので、早坂が『それならアニエスベー辺りが良いんじゃないか?』と言うと、じゃあ見に行こうという事になった。

 資生堂パーラーの有る銀座七丁目からアニエスベーのショップが有る三丁目まではそれなりの距離が有るが、三人でおしゃべりしながらだったためそこまで苦には感じ無かった。

 そして、三丁目の交差点を曲がり松屋通りからあづま通り経由でいくか、二丁目の交差点まで行き銀座マロニエ通りからいくか、ここが運命の分かれ道だった。

 早坂たちが選択したのは、二丁目の交差点まで行くルートだった。

 三人が二丁目の交差点近くまで来ると、何やら悲鳴と何かが激しくぶつかる様な音が聞こえた。そして、突如として目の前に二トントラックが姿を現した。歩行者天国であり、入ってくるはずの無い物が現れたことにより、早坂の思考は一瞬停止した。すると、トラックは方向を変え早坂達の方へと向かってきた。

 数人の歩行者を撥ねながら近づいて来るトラック。明らかに挙動がおかしい。早坂は咄嗟に母親と妹を歩道に避難させ、自身も歩道へ行こうとした瞬間全身に衝撃を感じた。

 無重力を感じた刹那、視界がぐるりと回りながら肘や膝が地面に擦れる感覚が襲う。

 何が起きたのか分からないまま地面に横たわっていると、トラックから人が降りる気配を感じた。そして、耳には知らない人の悲鳴や自分の名を叫ぶ母親の声、通報している人の声の他に明らかに異質なメロディが聞こえてきた。

 事故を起こしたというのに、その状況にそぐわない明るい鼻歌。

 何とか状況を把握しようと顔を上げると、大型のナイフを持った男がユラユラと自分の横を通り過ぎ、こちらへ向かってくる母親と妹の方へと向かっている。

 ヤバい。

 すぐに立ち上がれない自分。

 逃げろ。

 声にならない声。

 男が持っていたナイフを振り上げると、ようやくそれに気づいた様に母親が驚愕の表情を浮かべた。そして、妹をかばうように抱きしめ男に背を向けた。

 逆手に持ったナイフが母親の背中へと振り下ろされて行く。

 ヤメロ。

 突き立つナイフ。飛び散る鮮血。

 頼む、やめてくれ。

 妹を抱きかかえたまま母親が倒れ込む。そして、男は鼻歌を歌いながら何度も何度も、母親の背中を刺した。

 呼吸が荒くなる。口の中に血の味が滲む。

 痛む体に鞭を打ちながら早坂が立ち上がった時には、男は別の通行人に斬りかかっていた。

 無事でいてくれ、頼む。もう、これ以上家族を失うのは嫌だ。

 足を引きずりながら何とか母親の元にたどり着くと、かがみ込み母親と妹の安否を確認する。

 だが、早坂の思いもむなしく、母親はもはや虫の息だった。

 目の焦点は定まらず、か細い声で何度もゴメンね、ゴメンねと繰り返している。

 妹は無傷で有ったが、震えたまま声にならない悲鳴のような声を出し、錯乱していた。

 すぐに周りには救助に来た通行人が集まり、母親の出血を止めるため圧迫止血をしてくれる人もいたが、その健闘もむなしくやがて息を引き取った。

 理性を失い、復讐してやると立ち上がった早坂の目に映ったのは、すでに警察官に拘束された男の姿だった。もはや復讐が叶わないと悟った早坂は、そこで意識を失った。

 その後目覚めたのは病院のベッドだったが、骨折等はしておらず裂傷と全身打撲という怪我で済んだ。

だが、妹はその事件がきっかけで、今も入院している。

 


 そして今、その事件を起こした犯人が早坂のすぐ近くにいる。

 だがまだ外に出るわけには行かない。相手のいる位置や距離が分からない。そんな状態で自分の姿を現してしまったら先手を取られてしまうかもしれない。

 相変わらず八鳥は鼻歌を歌いながら歩いている。すると突然、バァンと何かを蹴ったような音が聞こえた。

「ったく、誰かいるんなら出て来いよ~~」

 どうやら二つ隣の小屋を蹴ったようだ。あまりに突然の音に思わず声を出しそうだったが、何とか堪える事が出来た。だがその反面、心臓の鼓動が外に漏れ聞こえているのではないかと感じられるぐらい脈が速くなっている。

「ちっ、他の場所に行くか~~」

 わざと周りに聞こえるような声でそう言い放った。恐らくこれは罠かも知れない。まだこちらがここにいるとはバレていないと思うが、あえて聞こえる様に言い油断させる作戦だとも考えられる。早坂は息を潜め、しばらくそこで待機する事に決めた。

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