第三章 The Drift

第21話 the drift 1

 二ヶ月の船旅を終えて、ウルタニアの大地を踏んだ。

大地といえば大地か、と戟鐡は舶来もののブーツたる履き物の踵を鳴らす。薄らと石畳に積もる雪を踏み固め、長い船旅で固まっていた背を伸ばした。倭国を出たのが長月の初めであるから、今は霜月の頃であろう。夜郎自大の見識を見透かした様に、トンビコートの肩口から冷気が入ってきて背中の筋を撫でた。ぶるりと体を揺らしたあと、首巻をもう一つ持ってくるんだった、と彼は遠い倭国を思う。京も底冷えする街だが、中々どうしてウルタニアの寒さも引けを取らぬ厳しさがあった。寒い寒いと騒ぎながら島田に結った髪を縮ませ、毛皮の首巻を抱え込んだのは堺屋蝶子だ。兄の伽藍が出奔して、蝶子の身柄をどうするか話し合った。戟鐡はこのような事になってしまい申し訳ない、離縁も覚悟すると両親ともども頭を下げたのだが、蝶子は薄い体と細い腕で持って堺屋の人間に頭を下げた。あの人の妻で居させてください、と。女盛りを無駄にするなと散々彼女を説得したが、頑として譲らずこんなくんだりまで足を運ぶこととなっている。黒地に紅の蝶をあしらった彼女の道行に、一枚、一枚とまた雪が落ち始めた。足元は足首まで覆った黒ブーツである。慣れていない履き物で、何度か転びそうになっていた彼女を支え、いなしながら、前を行くエヴァンという金髪の少年に声をかける。


「ちょいと待ったれや。歩かれへんこんなん。ウルタニアはこない早よから雪が降るんか」


前を行く金髪の青年は慣れた物だ。コートは舶来、ウルタニア仕様のチェスターである。脱げば恐らく防具の一つか二つは着込んでいる様だが、堺屋の教えを忠実に守るこの青年は軽装だ。彼の生まれはこの国だと聞いた。彼が言うには色々あって(色々あっての色々の部分はまだ語られていない)倭国に流れ、堺屋の門を叩いた。久々の帰郷というのに彼の顔は浮かないままだ。


「真冬はもっと積もりますよ。頭領や姐さんの靴はウルタニア仕様だ、蝦夷の方だって使える代物なのに。慣れてもらわないとどうにもなりませんよ」


支え合いながら、冷たいなあ、と吐いた泣き言もエヴァンの軽快な靴音に消されていく。少し前に見えた馬車の前で、やっぱり不機嫌な彼が御者とウルタニア語で会話をしていた。どうにかこうにか馬車のそばまで辿り着いて、丸いコーチの中に転ぶ体を捩じ込んだ。

コーチの中は、外に比べれば幾らかは暖かい。白い息をふうふう吐いて、体の熱と外の冷気を入れ替えながら外を見る。人々が妙に細くて小さくてそして汚れている。世界に名だたる魔法国家ウルタニアの市井には似合わぬ光景だ。


「二級市民ですよ。みんなそうだ」


エヴァンもまた外を眺めながら言った。


「もう60年近くこんなザマです。ボス家の家長、カレン・ボスがウルタニアの最高権力者になってからだ。セーフゾーンが作られて、女性だけを異常に優遇するようになった。政府の要人も役職も全て女性。その上セーフゾーン内、女性だけが住む女性の街の人間は免税されてる。その分の皺寄せが全部この二級市民に来る」


暗い瞳でこちらを睨みつける少年がスライドされていく。次には指を咥えた見窄らしい少女が。港からの道すがらでもこの国の異常性が見て取れる。


「この国で男が生きていく方法は二つしかない。奴隷か、騎士です。騎士も奴隷みたいなもんだ。セーフゾーン内のインフラを整えているのは全て男性ですが、いい暮らしはしていない。薬も買えない薄給で長時間働かされて、働けなくなったら殺される。本当ですよ。セーフゾーン内では男性の人権なんて認められてないから、女に見つかったら逃げるんです。なんだっけ、PMS?イライラしている女性に殴られても罵倒されても耐えなきゃいけない。やり返したらすぐ処刑です。街を守る騎士に殺させる。騎士も同じ様にいつ殺されるかわからないけど、死ぬ確率は低い。だからみんな騎士になりたがる。そんな世界だからマンティスが出来た。最初は男性の避難場所だったんです。それが今や同じ男性を殺してる。皮肉なもんですよ。でも俺だって元マンティスなんだ。だからあの人達には恩がある。そうじゃなきゃウルタニアに戻るなんて考えられません」


曇り始めたコーチ内のガラスから外を眺めながら、やっぱり不機嫌で憂鬱なのだろう、エヴァンが一息に語りきった。蝶子が彼の様を見て、大和の組織を預かる女性番頭の役目をする。


「嫌な思いさせとるな。おおきにね、エヴァン」


額の皺を一気に広げて、驚いた顔のエヴァンが堺屋蝶子に頭を下げる。


「いえ!姐さん、こちらこそ!俺の都合ばかり押し付けちまった。俺はもう倭国人です、大和の、堺屋の人間です。あそこを追い出されたらもう俺に行くとこなんてない。だから………」

「心配しぃな、せぇへんわ。んなもん」

憂鬱を吐きつける様に彼に答えた戟鐡の目に、重厚な鎧を身に纏った通称、セイフガードと呼ばれる騎士達の姿が入ってきた。街で見た子供を思い出す。彼らは屈強な体をし、大仰な鎧を身につけてはいるけれど、目の奥に灯る光は、街で見た二級市民の子供達と何一つ変わらない。微動だにしなかった彼らを通り過ぎ、馬車はセーフゾーンを取り囲む外周、男性の存在する最後の土地、ゲートサークルへと侵入した。


 出迎えはその男だった。

片膝をつき頭を下げ、ウルタニア式の最上の礼をしながら戟鐡らを迎えたのは、マクシス・イグドラシル。短く流れる様にセットされた金色の髪と青い目、人好きのする甘いマスクと低い声、180以上の長身に鍛えた体。微かな憂いを帯びる目と薄い唇と、それらを一つに纏める彼を覆う青い鎧。コーチから戟鐡が足を下ろすまでその礼を崩さなかった彼は、全員の到着を確かめてゆっくりと立ち上がり背を伸ばした。大和では大柄な戟鐡の背だが、彼に比べれば見劣りする。立ち上がった彼に向けて、大和式の簡易な礼、軽く頭を下げた後、手を伸ばし握手を求めた。マクシスはその静かな声で、まずは旅の無事を喜んだのだろうけれど、戟鐡にウルタニア語の見識はない。不思議そうな顔をしてマクシスを見上げる戟鐡を見たエヴァンが、あ、という顔をして小さな機械を彼に手渡した。翻訳機らしい。手の中の小さな豆粒の様な機械を、取り落とさない様に慎重に耳腔に入れた。ザワザワとした波動が鼓膜に届いてすぐさま馴染む。馴染む時間を待って、やっぱり頭を掻きながら発言した。


「ああ、すんまへん、田舎もんやからよう聞き取れへんのですわ。大和じゃウルタニア語を聴く機会なんかほぼあれへんさかい」

マクシスは戟鐡の言葉を聴き、隣のエヴァンに視線を投げた。戟鐡の皮肉混じりの挨拶をニュアンスもそのままに翻訳してマクシスに伝える。エヴァンの言葉を聴き終わり、微笑んだ彼の面に、蝶子が思わず息を呑んだのがわかる。ほんま腹立つ、所作が一々ええ男やねん、こいつ。


「御足労痛み入ります。旅の無事を祈っていました。お疲れでしょう。どうぞ此方へ」

進行方向に向けて、マクシスの広い手が開き差し出される。前には聳え立つ白亜の壁と重厚なリリーフの飾られた扉だ。既に薄らと雪が積もるそれらが、両脇に立つ兵士達の手で開け放たれる。


 室内は実に明るかった。壁も床も白一色で統一されており、飾られているのはウルタニア国旗。青地に白いドラゴンが踊っている。この地方にしか生息しない白竜リンドビオル、鱗は魔法触媒として各国に高値で取引されている。キョロキョロと辺りを見回しながら、倭国との差異、倭国にないもの、金目の物を記憶する。その様を見ていたマクシスが歩く速度はそのままに、戟鐡に語りかけた。


「床や壁には術がかけられています。この地方はよく冷えるし、あまり日が当たらないから………。壁自体が発光し、熱を持つんですよ。今は室温調整も魔法で行える」


ほう、と口を尖らせ感嘆した。蝦夷に向けて売るとしたら中々の儲けになる。


「こりゃあれですか。やっぱり術師がおらなんだなら話にゃならん、ちゅうカラクリですか。やったらコストが高いのう」

「アダム魔法、イヴ魔法、両方の知識が必要にはなりますね。大和はニュートラルの国だ。術式を施した物なら輸出可能でしょう」

高うつくな、と一人ごちた瞬間、奥の扉から陶器の割れる派手な音と、次いで若い女性の怒号が聞こえてきた。大和人の二人は身を引いて、ウルタニア人の二人は俯いた。立ち止まったマクシス・イグドラシルは、正面を向いたまま、背中で戟鐡にこう語る。


「貴方方をお呼びだてした理由がこれです。どうか、見ていただきたい、この国の現状を。この国の有り様をみて、その上で融資を断る、と言うのならば私達も諦めましょう。しかし、倭国は義の国だと聞いた。仁義を重んじる名誉の国だと。貴方方に少しでも我らを哀れと思う気持ちがあるのなら、どうか。目を逸らさずに見ていただきたい。この国の恥部を」

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