interlude 2 ~幕間 2~

第20話 interlude 2 ~幕間 2~

 秋晴れの心地よい午後である。


 極東に位置する大和という島国、その地方都市の一つである京という町の中、四角四面に整理された区画の一つ、巫女姫のおわす芦屋に程近い武家屋敷、その内庭に面した縁側で二人の男が将棋を打っている。将棋盤の右にきちんと正座で収まっているのは初老の男。着ている物は正絹反物から仕立てられたねず色の羽織と着物、仕立ての良い物である。秋の日の暖かさを鼠の羽織が一点に受けて心地よく流れているが、流れる絹に一点の皺もシミも埃すら見受けられぬ。柔らかい笑みを口元に、皺の目立ち始めた両手を膝にて、盤を眺める。白髪の目立つ髷は椿油で固められており、後れ毛の一つも見られなかった。隙のない佇まいで微動だにせず、相手の長考を待つ姿ははたまた、名人のそれである。彼の名は、諏訪部仙覚すわべせんかく、この京にて大店を構える老舗の荒事屋「堺屋」。荒事とは西に於ける傭兵稼業、ギルドの事である。そこの経理担当を一手に引き受けている知恵者、仙覚、大番頭、人々の口に登る彼の人と成りはまるで悟りでも開いた阿羅漢の様だ。

 対するは歳の頃は20、盛りの青年だ。着崩した着物の合わせより張った胸筋を覗かせながら、片足は縁側より庭に投げ出し、片膝を立て腕を乗せ、将棋盤をもう数分は眺めている。毛量の多い頭を掻きながら、眉間に皺を寄せた表情は正に投了を認めようとしない負けず嫌いそのものだった。彼の名前は、屋号「堺屋」の若旦那にて頭領、堺屋戟鐡さかいやげきてつ。庭にて色づく紅紫檀の木に止まった百舌鳥が、まだかまだかと急かすので彼の長考は終わりそうにない。どちらに行っても詰みだからである。


 長考を切るように仙覚が和らげで静かな落ち着いた声を投げる。

「今年は柿が良く成りましたな、野にも山にも食うものがあるというのはよい事です。獣が肥えるとその分人は安全になる。人も同じく肥えましょう」

 戟鐡はまだまだ勝つ気でいる。生返事でそれに返して、指をと金にかけたけれどすぐに思いとどまった。ああすればこうくる。こうきたら詰みである。彼の生返事を流しながら、仙覚がまた発した。戟鐡の腹が段々と煮えてくる。やかましねん、少し黙っとられへんか。


「件の話。そろそろ期日ですぞ」


 口の端を苦味に結んで閉口した。思う通りにならぬ事ばかりであるのに、どうにか思い通りにならねば気に入らぬ性質の所為で人間は全く苦労する。


「なんの話や」


 いつもよりは少し荒めに返した。どうにか成った金を動かそうかと思ったが、それも矢張り二手先には取られてしまう。


于人ウルタニアじんの話です。悪い話ではありますまい」


 于人とはウルタニア人の事である。数ヶ月前、ある于人のギルドから依頼があった。金を都合して欲しい、という話だった。額面はかなりのもの、交渉役の金色の髪の身なりのいい美丈夫に、戦争でもするのか、揶揄して笑ったが彼は渋い顔をしたまま押し黙った。沈黙は全く雄弁に、于国の腹を戟鐡に見せた。出した金額に見合う見返りを問うと、貴方方の探している人の情報だと返ってきた。そこで戟鐡も沈黙にて腹を割る。腹を割った上で留保した。返答の期限はあと三日もない。


「いうてなあ。なんで俺らの身内の話知っとるんか、いう話やんけ」


 口を突き出して仙覚に言った。手持ちの駒は歩しかない。


「そこは于国の情報網、恐らくは政府に繋がる者らでしょう。情報の精度はかなり高いかと」


 戟鐡は頭を掻いた。いくら考えてもこちらの王を逃す一手がない。相手の王は4、5手先まで逃げている。

 手を動かす必要がないから、仙覚の舌は流暢に回る。流石は西国一、大名お抱えの荒事屋堺屋の大番頭である。かつては居合の達人と謳われたが、今は口八丁、手八丁で人を諭すたぬき親父と成り果てた。


「于国が近く何事かの紛争に手を出すのは自明でしょう。数年前から虫水を作ろうと研究していたのは、若もご存知かと思われます。相手は恐らく、藍国ランドマリー、鉄騎団の女首長でしょうな。あれも中々に胆力がある。ここは一つ、于国に恩を売っておくが最善です。于国との流通の道は細い、我が国でもあの国と取引をする荒事屋はそうおりますまい。藍国とは互いにヒヒイロカネと種子島を融通し合う仲、情勢を鑑みるならば両者の顔色を見つつ、得を模索する、が落とし所でしょうな。また兄君、伽藍がらん様の行く方が知れるならば値は千金、我ら堺屋にも村正にも良き知らせとなりましょう。一に情報、二に情報は、荒事稼業の訓戒なれば」


 伽藍の名を出された。まあそれはつまり投了せよ、との勧告だ。盤面に向けていた顔を起こして庭を見た。紅紫檀の木に泊まった百舌鳥がおもしろそうにこちらを見ながら頭を傾げている。戟鐡は頭を掻いた。掻く必要もないが掻いた。兄を思い出したからである。


「そない上手くいくわけないやろ。藍のフェニスはええお客や。やっとる事はえげつないが、あれもあれで人を食わしとる。そことの関係壊してまで、協力せなあかんか?それにな、気に入らんのはアレや。頼みに来るなら頭が来なあかんやろ。そこまで切羽詰まった集団が副官寄越すか?あとまあ顔が気に入らん。あのなんや。マクシス・イグドラシス?あの顔が気に入らん。ほんまええ男やねん。腹立つねん。エヴァンが毛嫌いするはずや、しおらしい顔しながら腹にイチモツ持っとる顔やで、あれは」


「虎穴にいらずんば、と申します。于国の情勢も安定したものではない。つけいるとするならばそこでしょうな。相手もそれなりに交渉には力を入れている。しかし、商人の交渉とはこれ、金を通じねば成り立たない。算盤ならばいくらかこちらに分がありましょう。さて、若。国を出ず、狭い倭国で鵺討ちとガシャ髑髏討伐を為さるか、国外に出て未知の素材を集め売るか。勝負どころでございますぞ」


 堺屋の兄、伽藍は何の前触れもなくこの家を出て、国外へと出奔した。ここ、大和に於いて海外渡航は重罪である。今だに鎖国を解かない国であるから、国外の旅行者を受け入れないし、海外へ行く者も許さない。例外として大量の賄賂を船頭に支払うか、国から許可を貰い商いとして渡航する場合のみである。故に単身で海外へ渡ろうとしたものは、犯罪者、尋ねものとして登録される。兄が消えたのは祝言を挙げた直後の事だった。兄嫁蝶子の傷心は凄まじく、二ヶ月の間ものも食わずに泣き続けた。その兄嫁を支えて堺屋の頭領となったのが1年前である。正直なところ、自分がこの堺屋の屋号を背負える人物であるかどうかはいまだに判別が付かぬ。彼もまた、兄伽藍ならば、と思っている。兄は倭国でも名の知れた豪傑、薬学の知識があり、火薬の知識もあり、何をさせても自分より優秀であった。優秀であったと思う。伽藍の出奔は戟鐡にとっても寝耳に水の出来事だった。それこそ、兄の名誉の回復の為四方駆けずり回って情報を集めたが、得られたのが根も葉もない噂話。大名、京極氏の暗殺未遂を行った、とか実は勅命を受けて潜入調査を行なっている、などの噴飯極まりない作り話ばかりだ。兄は情報を何よりも重要視していた。どんな情報も自分か、或いは仙覚と共有しないことはなかった。そんな男が何も言わずに、自分達の元を去ったのだ。

 戟鐡もまた、兄の動向を知りたいと思っていた。何を考え、何を知り、何の結論があったから、自分たちを捨てたのか。


 百舌鳥が飛んだ。

 なのでため息をついて、戟鐡も重い腰を上げた。


「………通訳としてエヴァンやな。蝶子はついてくるやろ。今日中に支度しとけ、明日には大和を出る」

「御意」

 頭を下げた仙覚の月代を引っ叩きたくなったのだが、我慢した。将棋も情勢も何もかもが詰みだ。詰んだ盤面を動かすに、人の頭を引っ叩いている暇はない。必要なら盤面ごと、ひっくり返す胆力が必要だ。

 ため息を漏らしながら秋の空を見た。薄い雲が高い空に流れてある。湿った風が庭に茂る紅紫檀を揺らして、戟鐡の肌を攫った。

「………嵐が来るなあ………」


 一人ごちた戟鐡の耳に、何処からか笑う百舌鳥の高い鳴き声が響いてきた。

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