第22話 the drift 2

 赤い両開きの扉を開けると、女性の怒号は更に大きく激しく、戟鐡の鼓膜に突き刺さる。

 余程興奮していると見えて、女性は何を言っているのかわからない。黄色のドレスを振り乱しながら、年の頃14、5歳の少女が、跪いたままの初老の男を蹴っている。

 余りの光景に体を出そうとした蝶子を、エヴァンが止めた。小さな声で彼女に告げる。

「姐さん、堪えてください。手を出すと俺も、姉さんも、頭領も殺されてしまいます。それが許されている国なんです」

 少女の罵倒はおさまらない。手当たり次第に茶器や中の湯を男の頭にぶつけ、仁王立ちに見下ろしながら罵詈雑言を吐きつけている。耳もようやっと慣れてきて、彼女の文句がなんなのかを理解できる様になった。理解できる様にはなったが、理解したいものではなかった。言いがかりと責任転嫁がその文句の全てだったからである。


「言い訳なんかいらないのよ!あんた達の仕事は何?!私達、女性の為に誠心誠意尽くすことでしょう?!そうじゃないと生きられない無能のゴミの癖に、一丁前に言葉話してんじゃないわよ気持ち悪い!醜い上に頭も悪い、生きてる価値がないお前達みたいなクソ種族を生かしておいてやってるんだから、少しは働きなさいよ!ねえ、あんた達この数年で何をやったのよ!ブラックオイルも確保できない、ワームウォーターは無駄にする、おまけに私の姪の行方もわからない!何もできない細菌を生かす理由を教えてくれるかしら?!あんた達みたいな頭の悪い汚物達は、叩いて焼却するしか道がないのよ!コヌヒーみたいな発展途上国すらまともに支配できないなんて、考えられない!あんた達がノソノソその無駄にでかい体でバカみたいに動いているから、私たちの崇高な女権って権利が啓かれないの!わかる?あんた達が無駄に汚らしい男根立ててる間に、コヌヒーの女性達はレイプされて殺されてるの!女性が死んでるのよ?!あんた達男が死なずに!女性の代わりに死になさい!消えろ!ゴミども!」


 一息に怒りを吐き出して、少女の細い肩は深く上下している。彼女の前に跪いたまま、初老の男は言葉もなくその最上の礼を崩さない。


「何やってんのよ、死になさいよ。さっさと死ね!死ねないの?死にたくないわよねえ、だったら少しは頭動かして考えなさいよ!男は日に50人死ななきゃねえ?!だって汚物だもの、お前達みたいな種族がいること自体が間違いだもの、分かったらさっさと男の首を持ってこい、ウスノロ!」


 彼の肩に黄色いパンプスの踵をかけて強く押した彼女は、興奮冷めやらぬまま身を翻し、自席へ座って足を組んだ。彼女の右に重そうな体を肘掛けにかけて豊満な体を揺らしながらワインを舐めている妙齢の黒髪の美女がいる。赤いドレスは胸部が大きく開いており、彼女の白い胸部を押し込め、目立たせていた。肉厚で柔らかそうな指がワイングラスを傾け、なんとなしに面白そうな、それを押し隠したそっけない表情で、ワイングラスを隣に立つ美少年へ預ける。そのまま彼女が発した。


「ねえ、もうやめなさいよ。ワインが不味くなるわ。無能はさっさと二級に落とせばいいじゃない」


 事もなげに言い放ち、彼女は、膝の上の黒猫を撫でながら巨体を揺らして反対側の肘掛けに体重を乗せた。黄色く光る目で戟鐡らを射抜いた黒猫は、小さな口をまた小さく開いてにゃあ、と鳴いた。首元にはドーナツの形をした木の板がぶら下がっている。マギーの怠惰な表情も、その態度にも腹を立てたらしい少女が、こめかみに血管を浮き出させながら彼女に凄む。


「マギー・ボウ。その口を閉じなさい。男の擁護の罪は重いわよ。男に知性も理性もないんだから、こいつらは叩いて躾けないと何も理解しないの。屠殺するにしたって汚物は出るんだから、こいつら自身で処理させないと」


 カレンの憎悪を聞いて、マギーは細い眉を上げただけの返答をした。以前カレンの吊り上がった瞳は、紅茶やスコーンで汚れた初老の男性のグレイの髪に向けられていた。その左側には青いドレスを身に纏った金髪の女性が、膝に置かれた手を揉みほぐしながら引き攣った表情で自身の足元に視線を落としている。


 さて、どうならい、と檄鐡は腹で唸った。何かを発せる空気ではないし、何か発せば男の自分は殺される。任せられるのは隣の蝶子ではあるが、彼女は少々血の気が多い。目の端に彼女の横顔をちらと盗み見れば既に、怒気に染まった頬と般若の面が作られてある。こりゃ血を見るぞ、頭を振った矢先である、マクシス・イグドラシスが足を進め、三人の座する玉座側に侍っていた黒革に身を包んだ男性へと声をかける。

「グルーグレイ・ブルーバロウ近衛長。出資者をお連れしました」

 黒いマスクに全身を締め上げる黒革の奇妙な衣装に身を包んだ男が冷たい視線を彼に投げた。ん、と小さな了承を発し、彼の正面に立っているこれもまた黒革に身を包んだ女性に目配せする。目を伏せ、それを了承し、彼女の体が一段、二段、玉座への階段を進み、怒りのおさまらないカレン・ボスの前に跪いた。彼女の顔を見ないまま、高く細い声がカレンへと謹言する。


「カシス・カソーシスより謹言致します。出資者が到着されたようです」


 出資者、の言葉に眉間の皺を伸ばしたカレン・ボスが、跪くカソーシスの頭を通して堺屋一行の顔を確かめた。カレンの視線に気づいた戟鐡がいつも通りに軽く会釈をした瞬間だ、エヴァンが目を向いて戟鐡を諌めようとしたが遅かった。男性二人の体は何か強力な力に頭から押さえ込まれ、期せずして他の男性達と同じ最上の礼を取ってしまっている。歯を食いしばって力を入れた。これか。これが世界に名だたる魔法国家ウルタニアの国家主席、カレン・ボスの魔法か!自由にならない首をどうにか動かして隣の蝶子を見る。予想通り彼女には魔法がかけられていない。ただそれ以上に、蝶子の顔色は紅を通り越して赤黒い怒気を発し始めている。


「あら、ごめんなさいね。気づかなかったわ。長旅お疲れ様。名前を聞かせてくださるかしら?」


 少女の無垢さと快活さで蝶子に問うたカレン・ボスの顔を、堺屋蝶子は睨みつける。体を押さえつけられながら、戟鐡は唸った。頼むわ姐さん、短気起こさんとおさめてくれ!

 堺屋蝶子の爛々と輝く般若の目がじっとりとカレン・ボスに向けられる。けれど彼女も名にし負う大和堺屋の番頭衆、その一人である。目を伏せ閉じて怒気をしまい、凛とした響く声でカレンに答えた。


「大和堺屋にて番頭衆やらせてもろうてます。女人頭の一人、堺屋蝶子と申します。えらい歓迎してもろうとるみたいで嬉しおすわ。田舎者やさかいね、賑やこうて何が何やら」


 言葉の尻に、吐きつけるような笑いをくっつけて、顔をカレンから背けた後、再度睨めあげるような視線を彼女に向けて、蝶子は立つ。跪いてばかりの戟鐡の首が下がる。あかん。こりゃあかん。腹に据えかねる事があってもおくびにも出さずそろばんを弾くが商いの鉄則、相手を威嚇するのは彼らのもう一つの仕事の顔ではあるが、蝶子はよりそちらに適性のある女である。


 しかし対するカレン・ボスは、この強烈な皮肉を理解してはいないようだ。少女の目を輝かせて、体を乗り出し、一方的なこの国の常識を蝶子に押し付けていく。


「素敵なお洋服だわ。東洋の、そう、キモノって奴ね!柄がとても綺麗、ああ、だけどピンクは下賤な色だから、そこだけ直せばこのセーフゾーンで使ってあげても良くてよ!女性にピンクを押し付けるような未開で野蛮な国の人間だから仕方ないわ。でも貴女は幸福よ、だって私達、セーフゾーンに暮らす女性達に相見えたのだもの!野蛮な男達の間で苦労したわね、女に跪かないなんて。カシス、彼女に良い部屋を用意してあげて。後でお菓子とお茶を持って行くわ。大和という未開の文化に、女権が拓かれる歴史的な一歩よ!」


 蝶子の片目が僅かに絞られた。同時に彼女を覆う雰囲気が怒気から嘲笑へと変わる。いや、わかるけどな、姐さん。あかんで、あかん。何しに来とんか思い出せ、金稼ぎにきとんや!


「はぁ、そうでっか。よう褒めて頂いてこっちが恥ずかしなるわ。この道行、せやな幾らぐらいやったかねえ、ああそう、ここでよう取れる白龍の逆鱗50枚分ぐらいの、まあ大したことあれへんボロ着ですわ。染めにまた20枚ほどかかります。おたくさんのお洋服なら鱗5枚もあれば足りるやろけどねえ。ほんま羨ましいわぁ。倭国は桃は桃でも躑躅つつじから薄紅までなんぼでも色はありますさかい、一色をどうこう言うつもりないねんけど、うちはこの薄紅がえろう気に入ってましてね。ええ色でっしゃろ、混ぜるのに男衆の職人数十人と三月の禄が必要や」


 カレンの顔から笑みと高揚が消えた。恐らく蝶子の皮肉を理解してはいないだろう、だがカレンの隣に座る青いドレスの女、エヴァ・ベルが後ろにまとめた金髪を撫でる振りをして、少しだけその口元を綻ばせている。エヴァ・ベルの仕草を横目で見て、何かに感づいたらしい。だが、少し気づくのが遅かった。


「こないな田舎もんやから、お街のええモノ食べてしもたら吐いてしまうかもしれへんで、お菓子は遠慮しときます。うちの男衆は働きもんやから、何や食べもんくらい自分で用意するやろ、何やったら私が握り飯ぐらいは世話しますよって。さぁさ、あんたら、仕事や仕事、さっさと立って仕事しよか。仕事の後は私が肩揉んだるから、気張ってしいや!」


 出ていけええええええ!


 部屋中に響いた絶叫にその場に居た全員が耳を押さえた。エンジンの発火音にも似た脳を抉る絶叫が、そのまま衝撃を生み突風を作る。ティーパーティの座する玉座以外が、その突風に煽られて崩壊を始めた。扉が、カーテンが、装飾品が吹き飛ばされる。突風から顔と体を守り、小さくなる堺屋一行を壁に叩きつけてその上から音圧と風圧が更に彼らの肉体を責め苛む。動かない体のまま息すら吐けぬ風圧に耐えながら、堺屋戟鐡は覚悟を決めた。これは明確な攻撃である。自分は堺屋の頭領、部下を守ってこその人間だ。丹田に力を込め、気を練り、重心を奥に据えた。足の小指と手足の小指を軽く動かし、気を行き渡らせて発と成す、瞬間。


 青い緞帳が風を切ったと思った。次に爆発音があり、後には静寂がやってきた。薄らと開けた戟鐡の目に映ったのは、ゲートサークルの外の世界。男の立ち入れぬセーフゾーンの外で、彼らの肉体は散らつく雪に濡らされている。止まっていた息を一気に吐いて、戟鐡は気を抜いた。危なかった。エヴァンと蝶子の様子を見た。必死だったのだろう、エヴァンは既に蝶子を胸の下に隠し、石畳に転がっている。そこから苦し紛れのエヴァンの切れた声も聞こえてくる。姐さん、姐さん、大丈夫ですか。二人の無事を確認し、立ち上がった。ぐるりと見渡した景色には、既に立ち上がり天を仰ぐマクシス・イグドラシスの姿、彼は一言、エヴァ様だ、と呟く。その奥には最後まで最上の礼を崩さなかった初老の騎士の姿がある。


 なんやこいつ、と戟鐡は目を疑った。あの風圧でもこの礼を保ったんか。彼のロマンスグレーの前髪には、未だ紅茶とスコーン、そしてバターで汚されてはあったが、それはもう粘液、カケラとしての象徴としてだけであって、彼の広い背中は既にこの国の雪を集め始めている。礼を崩さない彼を案じて、マクシスが声をかけた。

「メロウ騎士団長」

 マクシスの呼びかけにやっとその面を挙げた彼はまるで岩が動くように固めた体を動かし立ち上がった。190を超す体躯、鍛え上げられた肉体は顔に刻まれた壮年の年輪と見合ったものではない。悠々とした肉体を動かして彼は自分に呼びかけたマクシスへと体を向ける。悲しい目だった。何もない、と表すべき暗く何かを憂う目の色だけがそこにある。疲れ切っている精神がその奥には見えるのに、彼はそれを表現しない。だからかける言葉がない。


 戟鐡は彼を見ながら考える。義。マクシスは倭国を仁義の国だと言った。自分にそれがあるか、と再度自分に問うた。あるならば自分は何かを彼に言わねばならぬ。何を言うべきか思案している間に、自分の側を何かが走り抜けた。蝶子だった。蝶子はメロウを見上げながら、こう言った。

「少し屈んでくれへんか。手が届かへんねん」

 蝶子の申し出に、その岩のような体躯を縮ませてメロウは片膝をついた。見上げる形になった蝶子の頬に擦過傷の痕がある。それを見てメロウは低い静かな声で彼女に言う。

「ミス。お怪我をされている。女性は怪我をすべきではない。私よりその手の中のハンカチは貴女に使うべきだ」

 ええねん、ええねん、と愚図って蝶子は泣いた。何故か彼女の目には大粒の涙が溜まっている。

「お兄さんの方が辛いやん、こない、こない汚れてしもて……。堪忍え。怒らせてしもうた。堪忍え」

 メロウの髪を蝶子が拭う。丁寧に埃を取り、濡れた髪を撫で付け、どうにか格好がつくように。彼の顔にかかったバターを拭い取りながら蝶子の口が段々とへの字に歪んでいった。

 なんやろな、なんやろな、二度発した蝶子の声が震え始めた。そして最後は手の中のハンカチを握りしめ、絞り出すようにこう叫んだ。


「………悔しい………!!!」


 蝶子の言葉を聞いたマクシスが、下唇を噛み締めてあらぬ方向を向く。エヴァンもまた目に涙を溜めたまま、泣く蝶子を眺めている。そして堺屋戟鐡。義はあるか、仁はあるか、その問い自体が全くもって馬鹿馬鹿しい。仁義の問題ちゃうわ、と彼は結論づけた。


 俺の身内を二人泣かせた。それは自分達、堺屋に、そして裏稼業である村正への宣戦布告と相違ない。


 鼻を啜ったエヴァンに戟鐡が覚悟を決めた低い声でこう告げた。


「エヴァン。仙覚に伝令や。予算の二倍、いや三倍の額こっちに送ってこい。堺屋は今からウルタニア、いやマンティス騎士団につく。幾らでも払ったる。あのクソガキの身包み剥ぐまで終わらせん。堺屋の戦争見せたるわ」

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