第17話 Falling 3
最初にイサクに出会った夜、私達は互いに体を暴かずにベッドを共にした。
彼と関係を持ったのは三度目の夜、その頃には彼の生い立ちを知っていたし、軍に入った経緯も理解してた。彼自体は、コヌヒーの軍権を預かるヴェアウルフというギルドとは何も関係のない一般人、軍には志願して入ったらしい。反政府軍に家を燃やされ、目の前で姉と弟を射殺された。父親は後ろ手に縛られたまま、頭蓋に大きな穴を開けられ道端に放置されていたらしい。
「殺したのはヨーセフって男だ」
ベッドの中で彼はよく、その男の名前を口にした。
「ヨーセフは酷い男だ。西武地区をめちゃくちゃにしちまいやがった。俺の友人も殺された」
彼への復讐を誓って、コヌヒー軍に志願した、と彼は続けた。それまで軍なんてとんでもないし、自分が人を殺すなんて考えてもいなかったらしい。
「俺は、自分で言うのもなんだけどそんなに度胸がある方じゃないからさ。いつも逃げ回ってたんだ。でも流石にここは戦わなくちゃいけないと思った。反政府軍は酷い奴らだぜ。嘘ばっかり言いやがって。コヌヒー政府だけが悪い訳じゃない、ブラックオイルを売らなきゃ、今度は俺たち国民が殺されるんだ」
彼の口から語られるコヌヒー紛争の内情は、まるで教科書で見てきたもののようだった。
政府側はサンドワーム資源の有用性から常に大国に狙われており、ブラックオイルは適正価格の半分以下の値段で買い叩かれている。私たち、ウルタニアの貴族階級が何不自由なく暮らせているのは彼らの貧困があってこそだ。そこに、ランドマリーという国の口添え、適正な価格と本来得るはずだった生活を提示されたなら、民衆はそこに飛びつくだろう。多少の嘘はのちに正義になりうるから、瑣末な問題だ。反政府という高揚、革命という言葉に酔ったものが拳を振り上げる。一定の正確さで何かを知りうる場所に居たものは、政府という権威に阿り正義に酔う。酔っ払った者同士の無様なダンス、それが内戦だ。
酔っ払った男達のお祭りに巻き込まれた子供と女は良い迷惑で、この国の宗教と文化が彼女達をモノとして扱う。どこにもいけない袋小路、それでも彼女達は生きている。
イサクと寝ている間、グロゴールは眠っていた。どうもBCCのメンバーからすれば、〝面白い絵〟ではないらしい。つまりジョカや彼らからすれば、戦争の本質などに興味もないし意味もないのだ、彼らが必要なのはエンターテイメントだ。人が千切れ死に、人が苦痛の中で彷徨う図だけが彼らの何かしらの渇きを癒すのだろう。
そしてイサクと共に過ごす間だけ、ジョカは私の支配を解いた。一度だけなぜかを聞いたけど、鏡の中の私はほくそ笑んだだけで、明確な答えを示さなかった。そして私もまた、イサクと過ごす間だけは、死への渇望が揺らぐのだ。彼の腕の中で眠る時、彼の優しい愛撫を受けている時だけ、体は自由なのに今度は心が自由になれない。寝ている彼の顔を見ながら、彼の衣類から何度も軍用ナイフを拝借した。自分の首元に当てるまでは出来る、でもそれからナイフの切先を肌の奥に押し込めない。私が死んでもきっとセーフゾーンの女達は笑うだけだろう。でもイサクは私が死んだら泣くだろうか。安らかな寝顔。女の子みたいに長いまつ毛。逞しい体と繊細な心。死にたいのに、死ななければならないのに、私の意識は生きる理由を探している。生きてていい理由が彼にある、そしてシータに。
自由になれない心と自由にならない体を抱えたまま私は無気力に生活をする。
ここにきてもう五ヶ月が経った。私は無数の名前も知らない男達に抱かれながら、ベッドの中でゴーストマンティスの正体を探っている。幾人かの兵士から傭兵隊の話は聞かされたが、どいつも無能で役には立っていないという答えが帰ってきた。それでも私の見立ては違う、この環境で物を見ていれば、またジョカの行動を見ていればわかる。娼館に近づかない男は有能だ。そして隠すべきことがある人間だ。兵士たちの口に上がる男達の中で、娼館で一度も姿を見ていないもの、それがヴェアウォルフ団長、ヴァン・ボルドー、そして傭兵の一人である、ブルー・ワンズだった。
ヴァン・ボルドーの挙動を探った。コヌヒーの軍権を握る軍隊長、性格は明朗快活、純朴、謹厳実直だ。融通が効かないところが玉に瑕、それ以外は部下にも慕われている有能な人物だった。彼の人望がコヌヒー軍、軍に昇格したヴェアウォルフの強さそのものだ、と評する人もいる。彼の博愛精神は政治思想を違える者すら魅了するようで、コヌヒー政府の中で極左思想をとる政治集団すら、彼のことだけは認めていた。兵士たちの語り草になっている、ヴァンとハーディ、王宮での舌戦、勝負はハーディが負けたけれど、ヴァンはハーディの健闘とその理論に感嘆し、彼こそが自身の右腕だ、と称賛したらしい。負けた方のハーディはいつの間にか居なくなってしまったらしいけれど、敗者を絶賛するのは兵法の一つ。それだけで彼が高水準の教育を受けている者だとわかる。対するブルー・ワンズ、彼の情報が殆ど流れてこない。誰もがよく知らない、黒い長髪の黒い鎧を着た男だ、という事だけ。名前から察するにおそらくは孤児。マウロと呼ばれる女性だけで作られる流浪の民、その子供につけられる姓がワンズとライズ、男児はワンズ姓を名乗り、女児はライズ姓を名乗る。ワンズやライズを名乗る人間はどの地域にも存在するが、ほとんどは奴隷だ。奴隷階級ではないワンズ、ライズ姓は自身の生まれを隠すために改姓される。ワンズを名乗ったままの傭兵は珍しい。
ジョカは私の肉体を使いつつ、軍部への侵入を狙ったが、目標であるウルタニアの傭兵には以前辿りつかない。けれどなんとなく私にだってわかる。顔も姿もわからないけれど、ブルー・ワンズ。貴方がそうなのではないの?
季節が移り始めた。
コヌヒーは標高の高い位置に作られた国だ。冬には海からの湿度を受けて大雪が降る。段々と下がり始めた気温に肩を震わせながら、私はイサクを待っている。最近は娼館で会うことよりも、近くの酒保で食事をとって酒保の二階で寝ることが多くなった。他の兵士の嘆きも、娼婦達の絶叫もここには届かない。それにイサクはセックスを必要以上に要求してこない。私の体調を見て気分を見て、私に触れていいか、抱きしめていいか、を必ず訪ねてくる。疲れている時は彼の要求を断ったし、気分な時は積極的に彼を抱きしめた。
酒保の前にあった壊れかけた街灯が私たちの待ち合わせ場所だった。時間は既に20時を回っている、もう30分の遅刻だ。私は空想した。彼が暗闇からブーツを引き摺りながら小走りで駆けてくる。焦った顔で、ごめん!と叫ぶから、その時は少し機嫌を悪くしよう。そしたらきっと彼は何度も頭を下げて、私の許しを得ようと縋るだろう。なんていい気分だろう。少しだけ焦らして、それから笑顔で彼を許す。そんな時間が来ると思ってた。
噂に聞いてたこれが恋だろうか。彼を切望し、彼を渇望し、感情に酔って踊る。思えば、二人で会うときにはいつも、ざわついた音色のジャズがかかっていたっけ。歌詞はこう、ああ、愛しい人、貴方は愛の河、私は小舟………。今もまた、軍の指揮を高めるため、慰安の為の楽曲がこの酒保前の広場に流れている。………抱きしめて、それから揺らさないで、貴方の波の中で溺れてしまうから………。物語の中でしかなかった恋という現象に私は夢中になった。私の周りにはそれ以外、頼るものがなかった所為だとも思う。だから、彼が、イサクがどんな思いであったのか私にはわからない。私には初めての恋だったし、彼もまた初めての恋だっただろうから。
前から歩いてきたのは、イサクじゃあなかった。顔には覚えがある。彼の上官だ。イサクと私を引き合わせた上官だけど、性格も最悪だった。イサクが客として入ったあと、必ず彼が味見として私を予約している。ジョカのおかげで私は大層淫乱な女だと認識されているだろう。
私の姿を見て、そいつは何故か眉毛を下げた。そして酔っ払った頬を必死に引き上げて、だれきった片手を軽く上げた。そして言った。
「イサクとデートか?そりゃちょっと難しいな」
嘘だと思った。第一印象も最悪ならその馴れ馴れしい態度にも腹が立った。私が許しているのはイサクだけ、あんたなんかものの役にもたちゃしない。口も聞きたくなかったのだけど、酔っている彼はフラフラした足取りで私に近づき、前に立つ。そいつの姿を目の前に見上げて違和感に気づいた。泥酔している。なのに、なんて悲しい目をしているんだろう。
「イサクは、………イサクはもう来ねえよ。きっと帰ってこねえ」
「嘘よ」
吐きつけるように言った。あんたみたいな酒臭い嘘つきとは違うのよ、イサクはいつだって誠実でいてくれる、私を求めて愛してくれる。言いたかったけど、大きな手のひらで顔を覆ったその上官の声が震え出して言えなかった。酔いの所為なのか、悲しみの所為なのか、裏返る声を励ましながら彼は告げる。
「俺が悪かったのか………、いいやつだったのに変わっちまった。反政府軍の女の股に木の棒を突っ込んで、子供をくびり殺しやがった………。なあ、サエル、お前何か知らないか。あいつがなんでああなっちまったのか、わからねえか。俺にはわからねえんだ、なあ、サエル………」
顔を覆った彼の、酔った体が段々と小さくなり、最後には膝をついた。
何もない空を見上げるばかりの私の視界に、夜の明かりに照らされた雪が、舞い降りてくる。
嘘で飾りつけられたフェスティバルのど真ん中、ポールにくくりつけられた拡声器から聞こえてくるのは掠れたあのジャズだ。
ああ、愛しい貴方、私を包んでちょうだい、貴方の暖かい愛の河で
私は小舟、貴方に花を届けるために揺れる小舟、掬い上げてちょうだい、貴方の大きなその愛の手のひらで…………
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