第15話 Falling 1
コヌヒーへ向かう船の中で、初めて襲われた。
味見だ、と笑いながら私の身体に手を伸ばした初老の男はその船の船長で、私は上目遣いに彼に媚びながら、優しくして、と吐き気を催すセリフを言った。
私が言ったんじゃあない。私の体を支配している、ジョカという男が演技して言った。
私は抗った。動かない腕を何度も動かそうと努力した。
男の舌が私の肌を舐める。嫌悪に鳥肌がたって、私は絶叫したはずなのだけど、口から出てくるのは甘い溜息、本当は男の頬を平手で打って、その後そいつを蹴り倒したかったけど、私の腕はしなだれて男の首へ絡まる。
匂う男の舌が私の口内へ侵入し、唾液を送り込む。吐きそうになったけれど、私の体はそれを美味しそうに飲み込んで、口を開く。
男はたまらねえな、と呟いて下半身を露出した。
「いい女だ、ここにいる気はねえか。可愛がってやるぜ」
屹立した男根を揺らしながら、彼の身体が私の間に入ってきた。絶叫しながら全力で抵抗した。涙を流して、考えられるだけの罵倒をした。動かない自分の体の中で。
「一人じゃ満足できないの。機会があったらまたお願いするわ。その時は弾んでちょうだいね」
そう言いながら私の指は、男の唾液で濡れてしまった陰部を指先で開く。熱いそいつが入ってきて、私の肉をかき分ける。感触だけがある。嫌悪を殺すために感情を殺す。私の中で私は声を枯らして泣いているのだけど、私の体は火照り、男に揺らされながら、男の全てを受け入れて、絶頂した。
生臭い船の上で、生臭い男の精液を何度か受け止めて、やっと地上に降りた。
1週間ぐらいの船上暮らしで、私は身も心も完全に汚された。
私達、戦場で恐らく体を資本にして金を稼ぎにきた風俗嬢達は、船員にとって積荷も同然だ。
出荷のごとく荒く引っ張り出され、投げられ、背中を押される。
女達は文句を言うけど、きっと慣れているのだろう。
そんな女達ばかりだったから、船上での1週間も最悪なモノだった。
敵は男ばかりじゃなかった。女達も敵だった。
体を使って船員の男達から金をせびるのは当たり前だったし、盗難も頻発した。
三日も経てば、男達の中でそれなりに人気のある、スレていない美しい少女が、突如船内から居なくなった。男達は悲しんだし、船長は積荷の紛失に憤慨したのだけど、女達は皆知っている。
きっとこの中の誰かが、彼女を海に落としたのだ、と。
知らない土地に降り立って、私の体が最初に行ったことは、コヌヒー軍の施設へ潜り込むことだった。
男と見れば誰彼構わず声をかけて、軍の施設へのコネクションを探った。
何人かに強姦はされたけど、強姦であったかどうかも怪しい。
だって私は、情報の礼として自分の体を差し出したのだから。
廃墟の裏の泉で、中に出された精液を掻き出し、洗いながら私の体が笑う。
「中々いい絵だったな。ああ、いいか、マリー、ケイシー。この部分はカットだぞ。あくまでファンタジー、ファンタジーの体を保っていないと、売り上げが伸びない」
少し上で飛びながら録画をしているグロゴールから音声が響いた。
顔や生まれはわからないけれど、このしっかりした受け答えはケイシー、BCCの看板キャスターでもあり、アイドルでもあり、ディレクターだ。
「おっけーおっけー、理解してる。ディレクターズカット版には挿入するわ。エロよりグロ目的の奴らはこういう絵を喜ぶのよねえ。あと、売り上げね!聴いて!過去最高の売り上げを記録したわ!」
後から響いてきた声がマリー、少し抜けてる。BCCのアイドルで記者。舌足らずの子供みたいな喋り方なのに、書くものや企画があらゆるものに対する毒で満ちていて、カルト的な人気を誇る作家だ。
「ポルノ分野の売り上げが鬼ぃ〜〜。後ねえ、公共放送のDFGから動画シェアの話きたから吹っかけたの〜〜。クソウけんだけど、ぼったくっちゃった〜〜」
二人の女性の笑い声が響く。私にはわからない。何故?何故こんな事が出来るの?貴方達女性でしょう?私の痛みがわからないの?
「………なんでこんな事が出来るの………」
私の声だ。思わず口に手を添えようとした。でも体は動かない。
そして私の中で声が聞こえる。(記者の声はドキュメンタリーでも重要な要素だ)
(一時的に声帯の支配は解いた、さあ、世界を見た感想は?お嬢さん)
「貴方達、女性でしょう?!人の、人の痛みがわからないの?!自分がこんな目にあったら泣き喚くくせに!」
グロゴールの向こう側にいる二人の女性の笑い声が一瞬おさまった。直後爆発するような嘲笑が、私の頭上に降り注ぐ。ぬめる様な女性の悪意を言葉に乗せて、私を最初に断罪したのはマリーだ。
「自他境界曖昧すぎィ〜〜。私の常識は世間の常識、って許されるの中学生までだしィ。やっぱウルメス、マジでバカ揃いだわ〜、女性だからって舐めないでよねぇ〜〜?あんたの痛みに共感なんかするわけないでしょぉ??」
「私はもっと簡単よ。私、そういう目に合わないように努力してるの。共感が欲しい?ごめんね、無理。あんたが殴られようが犯されようが、私じゃないのよそれ。もしかして痛いようって泣いたらお母さんがいい子いい子してくれた人生だった?だったら、ママの腹から出てきてんじゃないわよ、稚魚の癖に」
二の句を告げなくて私は押し黙った。測ったように二人の笑い声が私を苦しめる。言葉は必要なかった、笑い声だけで人は他者を攻撃できるのだ、とその時知った。
「何故、こんな事が出来るの、か。いい視点だ。ケイシー、録画済みだな」
また私が言った。きっと再支配を施したのだろう、私の声帯だ。私の体の中で私はさめざめと泣いた。世界はどうしても覆らない。腕を振っても、足を出しても、声が枯れるほど叫んでも。
「上手く切り抜いて使ってくれ。死体を映す場面などに効率的に挿入してくれていい。死体を見て欲情している変態どもに、いい事をしていると思わせろ。寄付が増える」
そうして歩き出した私の体に、私はとうとう泣きながら従った。私の意識は既にある一つを希求し始めている。全てに平等で、普遍、全てに安らかで絶対なある状態。その状態でしかもう、私は私を取り返せない。私の世界を取り返す唯一の方法。
死を。
※ ※ ※
街で引っ掛けた男の一人が軍の関係者で、私は幸いにも非常にスムーズにコヌヒー軍の施設へと潜入する事ができた。
住民保護、とは名ばかりの娼館で、私はまた女の化粧とじっとりした嫉妬の眼差しに晒される。
あてがわれたのは、整然と並べられたベッドの一つ、春をひさぐのは別の場所だ。
コヌヒーの軍施設は見れば見るほど酷い場所だった。
娼館の隣には負傷者の収容施設があって、娼館の女達は負傷者の世話を見ることを、暗に要求されていた。
体を売ることよりは、負傷者の世話をしていることの方が楽だろう。
それでも足が千切れていたり、腕が無くなってしまった兵士達の身の回りの世話をする事は重労働だった。彼らとて排泄はするし、食事もする。
日に数回の傷の処置や、何人かの体を拭く作業。排泄物の処理。
そして夜中は痛みで唸り続ける彼らの声が娼館にまで響いてきて、その声を聞くたびに娼婦を扱う男の態度は荒くなる。
殴られた女性も居た。
髪の毛を掴んで引き摺り回された子も。
男達の暴力の嵐が去った後、彼女達は身を寄せ合って慰め合う。
昔の私なら怒り狂って男に抗議しただろう。
でも、ここでは抗議など何の意味もない。
それを身に沁みてわからせられた。
殴られた女性は、頬を冷やしながら言う。
私も辛いわ、と。同じ口で言うのだ、でも彼らだって辛いのよ。
考えてみて、自分の友達が痛みで苦しんでいる時何もできない歯痒さ。
無情に朝は始まって、人を殺しにいく、自分が殺される場所に行くストレス。
頬を押さえた彼女は、私よりずっと若かった。歳を聞いたら、まだ十五歳らしい。
母親を病気で亡くしてここにきた、と彼女は言った。
「死にたくなかったの。難民キャンプに居たけど、代表者がおかしくて、あのままだと殺されると思った」
それはきっと、この場所で生きる全ての人間達の総意だろう。
強い意志をその目に宿す彼女に対して、私はなんとも意志薄弱だ。起きて寝るまでの間、どうやって死ぬかをずっと考えているのだから。
「母さんはコヌヒーの風土病だった。体に水が溜まって死んでしまうの。治す方法はないから、貴女も気をつけてね。ここの生水は飲んじゃダメよ」
体も心も差し出して、生きようとする意志を前に、私の宗教の何かが揺らぐ。もしかして私が信じていたもの、それらは全てまやかしじゃなかったの?カレン・ボスに従う必要は?マギー・ボウへの忠誠は?そして、もしかして、ベルへの帰属なんてまやかしか何かじゃないのかしら。
断言も決断もできなくて、私は逃げるように彼女の名前を聞いた。はにかみながら答えた彼女の笑顔の美しさが眩しくて、決断できない弱い私は、せめて強い彼女の名前だけでも覚えておこうとそれだけを決めた。
「シータ。シータ・サレム」
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