第14話 Purple Lamborghini 3

 まぁまぁ、と言葉を投げたのは、フェニスの隣に座する白い顔の男だった。


「レディには刺激が強い世界だ、あまり一気に慣れさせては趣がなくなる。一定の清楚さは必要だ」


 長い足を弾ませて客人用の椅子から腰を上げた男は、貼り付けた様な笑顔はそのまま私のそばへと降りてきた。

そして、顔と同じ白さ、何処か土気色をした手のひらを私に差し出して、膝をつく。


「大丈夫かね?美しいお嬢さん」


 全てが私の常識の外で、頼れるものが何もなかった。

フェニスは相変わらず沈黙したまま状況を眺めているし、シン・ライツもアンジーもルーシーも私の理解の範疇の外だった。

だから、私の常識内の行動をしたこの男の手を取ったのは、仕方がない事だったと思う。

でも、間違ってた。


「触れたね、お嬢さん」


 体の内部が振動した様な感覚があった。

一瞬で収まったその揺れの後、私の前で膝をついていた男の身体がゆっくりと倒れて横たわった。

何?と考えている間に、私の意に全く反して、私の身体が立ち上がった。


「ふう!流石に女性の体は居心地がいい、ワクワクしているよ、いい画が撮れる」


 そう、私が発言した。

私は息を吸って、身体を捩ったのだけれど、自分の意思の通りに体は動かない。

目は見える。音も聞こえる。だけど体だけが、自分の思い通りに動かせない。


「さて、そろそろ………」


 私がそう言いながら、手の甲を眺めている。

私の視界には見慣れた私の手の甲があるけれど、その手の甲にゆっくりと水色の鉱石が浮かび上がってきた。


「私の中のお嬢さんに説明しよう」


 私の声をした私ではない人間が言う。


「これはエノク。元々は空から飛来した巨大な一つの宝石だったが、百年ほど前78の欠片に砕けて世界に散らばった。うち、私が持つものが大アルカナ、番号0、フールのアルカナだ」


 エノク。聞いたことはある。でも実際に見たのは初めてだった。


「エノクは触れた者に異能を顕現させる。大半は狂気に呑まれ意識を無くし、モンスターと化すらしいがね、どうも私には適性があったらしい。さて、私の能力は、他者の身体に強制的に侵入でき、支配できる、というものだ。ああ、そこで倒れている男の体は好きに使ってくれていい。どうせどこぞの行き倒れだ」


 そう言って私は体の前で両手を弾けさせる。


「さて、仕事だ!ケイシー!マリー!そして必殺マン!いい画を撮ってくれよ、ランドマリーの上流階級、奥様方が涎を垂らして戦争ポルノをご所望だ!我がビーンズケイクコーポレーション、BCCの社運を賭けた戦争ドキュメント!舞台はコヌヒー、内戦中のこの国で美しい少女がどうなるか!R指定部分の編集には力を入れろ、なるべく悲惨に、なるべく淫猥に!美しいものが崩れていく様を安全な場所セーフゾーンで見る、これ以上のエンタメはないだろう!」


 そう言って私が笑う。何もおかしくないし、笑いたくもない。けれど腰を折って反った体のまま、腹を震わせ大きな口を開いて笑っている。抗おうとした。身体を捻った。どこも動かない。混乱しながら私は私の中で頭を抱えている。その合間に、頭上から声があった。

機械音声だ。見上げるとそこには空中浮揚する小さな一つ目のモンスター、グロゴールが飛んでいる。蜂の様な羽根を羽ばたかせている彼には小型の機械が設置されていた。そこから声が聞こえてくる。


『オッケー!ジョカ、通信状態良し、遅延なし、音声よし!映像も問題なく送られてる。録画は何処から?』

『え〜〜〜、やばぁ〜。カワイイじゃぁん、ジョカ〜〜!ケイシーが嫉妬しちゃうよう?』


 女性の声だった。楽しそうな二人の女性が私を見て笑っている。若くて可愛らしい声。


「ふむ………。見所はレイプシーンだな。それから殺人、殺害シーンなどは高値がつく。奥様方はそういった、テストロステンに非常に弱い。売り上げの6割は持っていくぞ、いいな?フェニス」


 フェニスだけは微動だにしていない。あの暗い隈の刻まれた野良犬の目で私を見てる。

そして、やっぱり静かで抑揚のない、沼の底から響く様な声で告げた。


「報酬は成功時のみだ。ウルタニアの傭兵を完全に無効化しろ。方法は問わん。出来なければお前も、お前の仲間も、何もかもを金に換えてやる」


 ああ、そうか、とその時わかった。

フェニスという人物の恐ろしさが。

この人は、人間性や共感なんていう曖昧なものに価値を見出さない。

この人は徹底した、唯物論者、功利主義の権化なのだ。


 怖い怖い、と子悪党みたいに身体を揺らした私の足が何かを踏んだ。

感触は私のもの、でもこの体はもう私のものじゃあないんだ。

踏んだのはフェリダスの遺体、私はフェリダスをもっと見ていたかった。

こんな事ならもっと沢山会話をしておくんだった、と思った。

泣けない私の身体が、やっぱり私の意志に逆らって、フェニスを見る。


「………あの亜人の身元は?」


 フェニスの低い声が室内に響いた。

シン・ライツが適切に答える。


「亜人自治区出身ですな。兄弟が五人。亜人種は多産だ。父親は既に死亡、母親は織物業を」

「三親等、近しい友人までを速やかにしろ」

「わかりました」

「それと」


 言葉を切ったフェニスが、視線を上に投げた。

私達の誰も気づけていなかった侵入者を、彼女のあの暗い目は見つけたのだった。

全員が彼女の視線を辿って、この宮殿を支える大理石の柱、装飾を施された上部の僅かな隙間に、白く光る二つの目を見つけた。猫だ。

そいつはまるで私達の全てを覗き見するように、高く耳を立て尻尾を振っていた。首輪から木で出来たドーナツ型の板をぶら下げている。


「殺せ」


 とまたフェニスは端的に言った。

それに、まだ血まみれのままのアンジーが悲鳴を上げながら抗議する。


「ねえ、フェニスゥ、冗談言わないでよ、あれ、メス猫ぉ?!メス猫なんじゃないのォ?!嫌よアタシ、日に二回もメス触るなんて」


 カン高い声で絶叫するアンジーを見下ろしながら、シン・ライツが低い声でフェニスに告げた。


「間者、の可能性はありますまい。亜人の殆どは始祖となる動物にトランスフォーム出来ますが、あそこまで小型の動物に変形できる亜人はいない。居るとするなら、亜人ではなく魔術師でしょうが、やはりそれも自身の体格に左右される。迷い猫でしょう」


「かまわん。殺せ」


 譲らないフェニスの暗い瞳を見て、アンジーが大きなため息を吐いた。

そして懐からナイフを取り出して、感傷たっぷりの演技をしながら黒猫に嘯く。


「ごめんなさいねぇ、本当はナイフだって汚したくない………。でも仕方ないのよ、子猫ちゃん、あんたがオスだったら首を飾ってあげるからね?」


言いながら投げたナイフをすんでで交わし、黒猫がそのまま長い尻尾をくねらせながら闇に消えた。

黒猫の殺害に失敗したアンジーの様を見ていたルーシーが、呆れた声を上げる。


「ザマァみろ、クソカマホモ野郎。さっさと殺さねえからそうなるんだよ。てめえ頭にまで性病回ってんじゃねえか?!」


 ギー!と騒ぎ出したアンジーの声を尻目に、足を出した。

哀れなフェリダスの死体を跨いで、私の身体は出口に向かう。

私の後ろには一つ目玉のカメラマンが飛びながらついてくる。

威風堂々と両手を振りながら、私が向かうのは戦場だ。

意識だけが後ろを向く、行きたくないと暴れて泣く。

そんな私の目の前に、私ではない証拠が晒される。

手の甲に浮き出たエノクの石を見ながら、私の身体が呟いた。


「この石が私なのか、私がこの石なのか………。まぁそんな事はどうでもいい。今ここにある事実は一つ、私は限りなく自由、という事だ」


 それから私の声をした彼が笑いながら語った言葉を、私は一生忘れはしないだろう。

あの日、私の18年の人生は全てを他者に打ち砕かれた。

信じてきた事も、正しいと思っていた事も奪われて、奪われたことに対する怒りすらも蹂躙された。


「君はリベラリストらしいが、お嬢さん。私に言わせれば肉体を持つこと自体が抑圧だ!私は何にでもなれる、何処へでもいける!故に君は知るべきだな、君が自由を行使する時、その自由によって踏みつけにされる人間は確実に存在する、ということを!さあ逝くぞ、全ての自由が死に絶える戦場へ!全ての自由が生まれ栄える戦場へ!私はこの、『際限なき自由フリーダムパラドクス』で世界に自由をばら撒くぞ!」


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