少し回顧

 確かに暑い夏ではあるが、暑熱順化が間に合わないからと嘆いているばかりの毎日ではない。勿論、エアコンは必須として少しでも新陳代謝を行うべく日課の運動は加減しながら行っている。


 ……そこで最近、夏太りというものが有ると知った。


 夏になると気温が高いので体温を上げる機会が少なく汗でビタミンミネラルが排出されて新陳代謝しにくくなるので結果的に太るというものだ。


 他にも理由として、運動量の低下、冷たい物の摂取、カロリーの高い食事、エアコンによる自律神経の乱れなども加わってくる。


 道理でどんなに負荷をかけても体重がちないわけだと納得。


 過保護に扱い続ける時間が長すぎたので、ここら辺で心を入れ替えて運動量をそのままに夕食に炭水化物は含まない食事をしてみようと挑戦中。今はまだ開始2週間程度だが、体重の維持で止まっている。寧ろ一進一退か。


 兎角、今年は私としても自分でも信じられないくらいにアクティビティなのを実感する。


 事実上のドクターストップで執筆は休筆。その分、不摂生の極みだった老体に気合を入れるべく外出しての活動を増やした。何もしなくても午前中に日光を浴びながらウォーキングしているだけでセロトニンは出るし、室内でもキックボクササイズをしているだけでドーパミンが出る。さらに最近注目されつつあるBDNFも分泌する。


 正直、今まで生きてきてこんなに自発的に外出しようと思ったことはないのだ。


 若い頃は確かに無茶をした。若さに任せて酷使した。だが、それは不健康な理由だった。


 若い頃に早くに働き過ぎで体を壊し会社を辞めて療養生活に入った。何もすることが無い毎日。具体的に療養と言っても今のように万全のケアやマニュアルも無いので寝ているだけ。


 じわじわと忍び寄る人生への不安。


 このままでは布団で寝転がったまま人生が無駄に終わるという焦燥感。


 誰も何も助けてくれない。ネットなんて無いから調べようもない。役所の福祉は何の役にも立たない。


 このまま無為に時間が過ぎれば、自分が四十代、五十代、六十代の頃になって「自分の人生には何もなかった……」と悲観して惨めに暮れるのは我慢ならなかった。


 そこで一念発起して、布団から飛び出て海外へ行き、只管、銃を撃つ。それだけでなく、貴重な学問を聴かせてもらう。短いながらも滞在して人種の坩堝を身近に感じる。


 その時は「自分でもこんなに活動できたんだ!」という自分自身に対する感動は無かった。兎に角、誰も経験していないようなことを体験体感するので精一杯だった。自分の病気など気力で抑えた。


 ……気力で抑えたが、お察しの通り、反動で帰国するなり何度も寝込んだ。それでも海外へと赴いた。少なくとも若い世代にマウントを取れるだけの経験をしたかった。武勇伝を語れるだけの経験と知識が欲しかった。


 実に低俗で浅はかな動機。今思い返しても過去の自分を殴り飛ばしてやりたい。


 ……中年期を過ぎようかという現在。

 かつてのイキリ倒していた自分は消えてなくなっていた。


 歳をとって丸くなったと言えばそれまでだが。


 なんだか、違う。

 そうじゃない。


 ……と、途中で思い始めたのだ。


 マウントを取るために集められた経験や知識が勿体ない。そんな自尊心や承認欲求を得るために集めた経験や知識、ひいてはそれを紡いできた先人達に失礼だ、と。


 自分の矮小な欲求を恥じた。何のために病床から飛び出して自分の体に鞭を打って生きていたのかと、本当の意味で人生を棒に振る直前だった。


 スケールの大きな世界を見てもスケールの小さい人間だったわけだ。


 今では加齢のせいだろうが、おとなしくなり、逆に冷静に生き方や生きてきた過去を分析する時間と精神的余裕を得た。


 それからだ。

 それから、つい最近の私の挙動へと通じることになる。


 過去の反省。悔悟の半生。


 中年期に差し掛かる前にはイキリ倒している自分は消えて、思秋期を迎えつつあった。そのような矮小な過去が無ければもしかしたら、突然山に籠ってそばを打っていたかもしれない。古民家カフェをオープンしていたかもしれない。それも、明確な計画も無く思い付きで焦るように、追い出されるような気持で。


 偶々私は過去の自分を顧みる事が出来た。偶々自分に相応な齢の重ね方が有ることに気が付いた。誰でもこのような事態に陥るだろうし遅かれ早かれ同じ道辿っているだろう。「子供叱るな来た道だもの、年寄り笑うな行く道だ」とはよく言ったものである。


 どんなに反省しても反省しきれない過去。

 それを悔いてやり直そうとする今。

 結果的に向かいたい先を模索する未来。


 それもこれも、若い頃に体を壊さなければ何も気が付かなかった事ばかりだ。

 それを思えばあの病も自分にとっては成長の機会を与えてくれたイベントだったのかもしれない。


 恰好好い言い方を擦すれば青春のやり直しになるのだろうか。



 今では【実るほど頭を垂れる稲穂かな】を肝に銘じて生きていきたいと思っている。


 思っているだけで実行が伴っているかどうかと尋ねられると困るが……。

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