葉巻の煙
葉巻を吸い続けて二十七年になる。
まだまだ若い頃の私は実は、喫煙というか全ての煙草が大嫌いな人間だった。
余計に税金を払ってまで誰が好き好んで健康を害するのだ? 馬鹿か?
……と。
で、その若い頃の私が心身を患い、無気力と絶望の最中にあった時、主治医に「偶にはいつもと違うことをして気分転換をしてみたら?」と言われて電車で三十分の場所に有る、滅多に行ったことが無い繁華街を徘徊した。その時、何故繁華街だったのかは分からない。『いつもと違うこと』は何だろう? と悩んでいた。
その繁華街の中に老舗の煙草屋があり、店頭のディスプレイに並べられた長大な葉巻のイミテーションを見ていた。眺めていただけの私に店主が「中で葉巻、見てみませんか?」とにこやかに声をかけてくれた。元気なころなら断っていただろうが、省エネ気味な当時は、「まあ、いいか」という気分で店主の言葉通りに店内に入り、様々な【煙草】を見た。葉巻だけでなく、紙巻、手巻き、パイプ、嗅ぎ煙草が所狭しと、然し、視線から外れないように陳列されていて眺めやすかった。
私は……今思い出しても全く不思議なのだが、「あの葉巻ありますか?」と、店頭のイミテーションの葉巻を指して言った。店主はニコニコ顔でその葉巻の実物を取り出して、さり気なく声を掛けてくれた。「葉巻は初めてですか?」と。
当時の私は脳味噌を省エネ営業させることに集中していたので返答すら省エネで、いい意味でここはプロに任せるか、と、思考が及び、素直に「はい」と答えた。
それから店の二階にあるシガーバーじみた内装の喫煙所に移り、店主が葉巻の手解きをしてくれた。カットの仕方、フット炙り方、簡易的な保湿の仕方、葉巻の性質など。
その時に吸ったのは国内では最高のハバナ葉巻で、値段も最高だった。休暇の無い過重労働の繰り返しで金だけはあったのでその価格でも特に苦ではなかった。……息抜きに金を使うと言うということを全くしないほどに不器用な人間だったから心身を壊してしまったのだが。
その葉巻は長大。
吸いきるのに当時の私で二時間かかった。
当初は店主の言葉を覚えようと大変だったが。店主のレクチャーが十五分ほどで終わり、「あとはごゆっくりお楽しみください」と店主は階下へ。
暫く葉巻を吸う。無言。静かな空間に一人だけ。紫煙が揺蕩う行方を何となく眺めている。壁掛け時計の針の音が心地よい。自分でも今座っている一人掛けのソファに体が溶けていくような安息感を覚える。
そして……一時間ほど経過した時、ふと概念的ではあるが、脳内で【音】がした。
何かが組み立てられていく【音】。
それまで『休む』『スケジューリングを立てる』『落ち着いて思考する』ことが苦手だった私の脳内が高速で回転して、脳内にまき散らされた分別されていない情報が組み立てられていく。
先に片付けるべき仕事。その順番。日程。
次回の新作小説のプロット。ネタの選別。世界観の構築。
休むとはどういうことか? という一人哲学問答。
今までの自分では到底振り返ることが無かった、振り返ることができなかった様々な、脳内のもつれた糸が解けて整理されていく。
これが所謂、ニコチンの作用なのだろう。
煙草は肺で吸い込む物しかないと思っていたが、葉巻やパイプ、煙管は口腔で楽しむものだ。口に煙を適量溜めてゆっくりと吐き出す。口の粘膜からニコチンの成分が浸透して脳に作用する。
爽快ではなく、リラックスに近い軽い酩酊感。
噂に聞くニコチン酔いは無かった。これは多分私の体質だろう。
それが葉巻との出会いだった。
その後、不思議と心身の不調も回復傾向を見せて創作が捗り、アクティブに外出することが多くなった。嫌な事が有っても「まあ、葉巻が有るしな」と、実際には葉巻は吸わないのにそう思うことで、心の平穏が保てるようになった。
今は禁煙ブームと嫌煙家のでかい主語のお陰で煙草と名が付けば葉巻だろうが紙巻だろうが嗅ぎ煙草だろうが蛇蝎の如く嫌われる世界になった。
私にとっては誰も助けてくれなかった時に本当に傍で居て心の支えになってくれた相棒は間違いなく葉巻だったのだ。
昔話を何度思い出しても感謝しかない。
それと、あの時……老舗の煙草屋の前を通り、店主の言葉に反応した私。偉いぞ!
★煙草は二十歳から!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます