小説。銃と活劇、そして個人的教義。
今から四十年以上前。古本屋のワゴンセールのどれでも三冊五十円のコーナーで、大藪春彦先生の凶銃ワルサーP38をジャケ買いしたのが全ての始まりだった。当時もうすでに銃火器が大好きだった。小学生には理解が難しい小説を教科書や参考書や歴史書、漢字辞典を片手に一年かけて読み、一年かけて筆写した。
幼いなりにこの小説は面白いと感じた。上手く表現できない曖昧模糊とした何かが常に渦巻き始めたのもすぐ後の頃だ。
結果から言うと、創作の萌芽だった。
この世の殆どの人間は創作意欲はあるし、憧れに似た感情を持っている。だが、自分にマッチした創作の手段と出会えて、最初から最後まで塑像することができる人間はほんの僅かだ。
幸いにも、私は早くして小説で表現するということを覚えたのだ。
銃火器が好き。その一念で小説を書いていたが、いつしか活劇が好きに変わり、鉄砲活劇が好きに変遷する。
当時はデジタルの陰すらなかった時代、銃火器が登場し、活劇描写が華やかな小説はなかなか巡り合えなかった。探すにしても情報が少なかった。
やがて中学に入り、同人サークルで小説を書くようになる。一時期は漫画と二足の草鞋だったが、絵の方に才能は無いと早々に悟り、断筆。小説一路となる。小説の方は銃火器を用いた活劇小説で古今東西のハードボイルド小説のパッチワークだった。
そういった嘗ての経験から、私はいつしか、『初心者向けだと思われる』銃火器活劇固ゆで小説を大量生産するようになった。
時代は個人サイトが持て囃されていた。
今ならばニッチな層に需要がある小説が受ける! 嘗ての自分のように銃火器に興味のある人間に作品が届き易いはず! と、ガチの方向けでない、鉄砲活劇小説に全力を注いだ。
私が作品を送り届けたい層……それは【初めて銃火器に興味を持って、銃火器が登場する作品に触れたいけど、知識が少なくとも楽しめる作品を探している『初心者様』】へ向けて書こうと思った。
勿論、紆余曲折があった。
失敗も迷走もあった。
時間的物理的制約も大きかった。
それでも、書き続けた。
お陰様で今ではたくさんの読者様に支持される身分となった。
何より嬉しかったのは、今、私の読者層はガチの方は殆ど居なくて、当初の目論見通り、初めて銃火器に興味を持った方々に受けている。
銃火器四に対して活劇六。
銃火器を用いてどのような格好いい活劇を展開して、ラストを迎えるかに注力している。
個人的にその小説を読むにあたって特定の知識や特殊な教養が必要な作品は目が滑ってしまい読まれにくいと思っている。
ぶっちゃけ、主人公が自動小銃を使おうが火縄銃を使おうがどうでもいい。その銃が登場する理由は作者の趣味でも、作中の人物はそれに命を懸けている。ならば、その銃を必要とする尤もらしい嘘を面白おかしく描写するのが作家としての仕事ではないかと考えているのだ。
更に、活劇であるからにはエンターテインメントやスペクタクルが用意されていなければ成立しないので『何をそのように見せるか?』が問われる。例で言うなら、六連発の輪胴式から七発目が撃発したら誰でも驚く。何故七発目が撃てたのかを面白く描写する技量が求められる。
そういった経緯を経て字書きの自分が居る。
或る時、ヘビーな読者様方と通話した折に「私は銃火器もハードボイルドも分かりません。ただ、エンターテイメント小説として面白いから応援しています」「友人十人ほどにあなたの作品を紹介しようと思ったのですが、友人全員が既にあなたの作品を読んでいました。全員、銃火器の知識はありません」という反応をもらった。
自分の目指していた地点に近づきつつあると確信し歓喜した。
……ただ、未だに「ハードボイルドガンアクション小説を書いています」と大声で言えない。
作品を書けば書くほど、ハードボイルとは? ガンアクションとは? と哲学に陥り、自分のような小物が気軽にハードボイルドガンアクション小説という文言を放言してもいいとは思えない。
だから普段は『鉄砲活劇固ゆで小説』を書いています。と、言う。
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