モーゼルHSc
モーゼルHSc。
大戦中のドイツの自動拳銃。
ところで、私はモーゼルの拳銃といえばM714よりHScの方を思い出す。と、いうより、思い入れが強い。
大藪春彦先生の作品で洗礼を受けたのが切っ掛けで、大藪文学の中で登場するモーゼルHScはまさに野獣の相棒といった描写だった。
大藪文学ではスペックの羅列は、それがテーマでもない限り、見受けられない。トリガープルだのサイトの形状だの弾頭重量だのがねっとりとカタログのように説明されていない。
拳銃は拳銃。主人公のドグマや目的を完遂する上で発揮する暴力の記号だ。なのに、途轍もないスーパーガンとして描かれていない。被弾した三下は即死してしまう事が割りと少ない。それが妙にリアルだ。
32口径の豆弾なのだから、バイタルゾーンにまともに命中しても行動不能に陥るが即死に至る例は少ないのだ。だが、被弾した三下や名前が与えられた人物は、時間が経過するに連れて、出血や疲労の具合から32口径の威力を表現している。出血性ショックで死亡するまでや痛みに歪みつつある表情や傷を庇いながら行動する様。
実に『豊か』。私も個人サイトでガンアクションを書いているが、手癖でスペックの羅列になる病に罹患している。習作で何度も矯正しようとした。
それでも大藪文学に於けるモーゼルHScを超える……近付く描写は無理だった。
自分は散々、好きな銃を好きなように描写してきたが、限界や頭打ちのようなものに悩まされていた。昔に回帰して『文字を書く創作』の楽しみを教えてくれた大藪文学を最近読み直して、やはり御大は偉大だと痛感した。
今では時代遅れも甚だしいと笑われてしまうモーゼル拳銃。しかし、技量が確かな筆者が書けば時代を超えても尚色褪せない輝きを放っている。寧ろ、今のガンアクションの手本や基本といったものの根本を魅せられている錯覚すら感じる。
私は今、療養中で、体力を消耗する公開用の執筆は控えているが、習作としての短編や掌編で大藪先生の野獣に倣い、32口径の自動拳銃を懐に呑んだ『様々な主人公』をメインに執筆している。
基本に帰れば帰るほど、自分が忘れていた、或は取るに足りないと無視してきたポイントが要点に見えてきた。今、この時期に、この年齢で体調を崩さなければ回帰して温故知新とばかりに己の聖典を忘れていたところだ。
モーゼル……否、ガンアクションか? が好き過ぎて忘れたモノや無視していたモノ、拾うべきモノの価値があやふやになっていた。
もっと視野を広くして視界もクリアにして大藪文学だけではなく、様々なコンテンツをインプットする時期にあるのだな、と思っている。
創作は性癖のパッチワークとも言う。
好きなものを好きなように書く心意気を基準に、更に今度はどうすれば『自分が最も納得する作品として仕上がるか?』をテーマに、自分の教義や作風や個性を見つめ直したいと思った所存。
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