第11話 契り

 眼を覚ませば見知らぬベッドで大の字で寝かされていた。あたりはやたらいい匂いで満たされていた。秀人はその匂いですこし意識が朦朧としたが、すぐさまことの重大さを思い出した。


「玲香!」


 秀人は体に力を入れたが重々しい音が部屋に響くばかり、手足が鉄製の拘束具で不自由にされた。


「玲香!」


 秀人はまた玲香を呼んだ。


 すると部屋のドアを開けて玲香が何やら食事を持ってきた様子だ。


「兄さん、やっと起きたのね。食事を持ってきたわ。」


と言ってベッドの近くの丸椅子に座った。


「玲香、これはどういうことだ。」


 玲香が先ほど玲香を呼ぶのとは打って変わって、秀人は声のトーンを落とした。


「どうもこうもないの。」


 玲香はお粥をスプーンで掬い上げて秀人の口に運んだ。秀人は抵抗を意味して口を強く結んだが、玲香は無理に流し込もうとした。当然少し口の隙間からお粥が流し込まれたが、そのほとんどはベッドに溢れた。


「玲香、すぐにこれを外してくれ。」


 秀人はベッドの四つ端から伸びる鉄に眼をやった。


「さあ、それはまだダメ。私は聞きたいことがあるの。」


 と言ってまたお粥を掬い上げると、そのまま静止した。ほんの刹那考えた後、そのお粥を玲香に口の中に運んだ。


「おい、玲香、いい加減にしてくれ、」


と言い付けたが、玲香が突然顔を接近させてそのまま口付けした。秀人は驚いて口を閉めることができなかった。玲香はその開いた口にお粥を流し込みんだ。秀人はそれを飲み込むことしかできなかった。飲み込み切ったところ、玲香はそのまま舌を絡ませてきた。秀人は口を閉じて拒否しようとしたが歯の間から玲香の舌が強引に滑り込まされてきたから、断念して下を喉の方へ引っ込めた。が、玲香はそれを求めて自らの下を奥へやった。


 玲香はまなこに涙を綻ばせて秀人の味を楽しんだ後、またあの笑顔をして優しく微笑みの声を漏らした。


「兄さん、彼女って言ってたけど、誰のことかな。」


「それは、ちが、いや待て、なんで分かったんだ。俺はカラオケに行くと伝えてないぞ。」


「それは兄さん、私、兄さんのことはなんでも知りたくて。兄さんの声も行動も全部わかるのよ。」


 秀人は意味がわからなかった。


「声って言ったな。もしかしてどっかから聞いてたのか。」


 秀人は冷静さを欠いていたが、玲香の笑顔も凄みが秀人を怖気ずかせたから、その声は震えを帯びていた。


「これ、兄さんの声をこれで聞いてたの。」


 玲香は手のひらの中にイヤホンを見せた。


「盗聴してたのか、もしかしてずっと。」


 秀人は玲香に全て聞かれていたことに愕然とした。屋上の階段で華澄とキスをしたこと、カラオケでのキス。そして雨の日の玄関での玲香の発言を思い出した。


「どうして、どうしてそこまで。」


「だから兄さんを愛していて、いつでも兄さんを感じたいから。授業中は流石にやめてるけどね。私、一応兄さんへの気持ちはセーブしてきたと思う。あの誕生日に、少しステップアップしたけどね。そして、兄さんと毎日夜にキスをすることだけが楽しみだったの。華澄との関係はね、ある意味私にも非があるから、そして、兄さんをじっくりと堪能できるのは私だけだっていう自負もあったし。」


「じゃあなんでこんな、拘束を。」


「私も我慢できると思ってた。だけど兄さんの、兄さんの口から彼女という言葉を聞いた瞬間、身体が勝手に動いて。」



 秀人は口を開くことができなかった。


「だってさ、彼女もとい恋人の関係になったら、私がしてないこともするんでしょ。兄さんの初めてをその彼女に奪われる、キスは私とが初めてだったから我慢できたけど、それは取り返せなくなると思った。いくらキスをしようが、兄さんのものを手で触れようが、私の中に兄さんが入ってくる感触を、他の女を感じながらなんて嫌だ。」


「そ、そんなことはしない、あれは冗談で。」


 秀人はいいながら華澄の顔を思い浮かべて言い淀んでしまった。玲香が悟って笑みを消した。


「冗談?私兄さんが冗談で彼女とか言ってるの聞いたことないけど。今のは傷ついちゃった。今まで私との関係を避けようとしてたのはわかるけど、そうやって嘘つかれると私、自分の想像以上に心を痛めるんだね。」


「いやちが、」


「また同じように言い訳するのね。大丈夫、傷つくことは仕方がないこと。恋とか愛とかは、いつも幸せを意味することじゃないことは知ってる。それに今もなお、私の思いは増幅するばかりだから。」


 玲香は椅子から立ち上がり、勉強机の鍵付きの引き出しから本を一冊持ってきた。


「で、兄さん。私が兄さんをこうやって拘束したのは、私の衝動的なものだけど、この際ことを進めてしまいましょう。まだ先でもいいけれど、兄さんの周りに甘えた声を出す猫が二匹いるわね。別にその二匹のことは嫌いじゃないけど。」


 玲香はその本の栞のところを開いた。そしてそのページを丁寧に読み上げた。で、本を閉じて何も言わずに秀人の手のひらを掴んだ。その手のひらをそっと撫で上げた。一本一本指を撫でたところ、左手の薬指を掴んだ。本のカバーを外して、先ほどのページの端を指に這わせた。そのまま素早く端をスライドさせて指の腹を切った。


 秀人は鋭い痛みを覚えて顔を強張らせた。玲香はその表情を見て顔を恍惚と口を結んだ。秀人の薬指の腹からひと玉の赤い血が出てきた。玲香はそれに顔を近づけて「兄様」と小説の妹のように艶のある声で呼んで舐めとった。玲香は血の味を知った。鉄の苦みが兄弟という因果の苦しみを含意しているようで、玲香は興奮にまた目の中に涙を浮かべた。そして玲香は今度、自分の左手薬指を同じように切って血を滴らせた。


 秀人はそれを見て顔を背けて口を積むんだ。玲香は血の滴った指を自分の顔の方へ持っていき、舌を出してその血を数滴垂らした。力強く秀人の顔を掴むと馬乗りになりキスをした。閉じた口の中に舌をねじ込んで含まれた血を余すことなく秀人の口に注いだ。


 玲香はそれが終わると、


「やっと、やっと、一つ叶った。私の兄さん、私だけの。」


 と言って震え上がっていた。


 秀人は混乱していたが、玲香のキスに心を掴まれてしまった。心なしか玲香の血の味が心地よく感じた。そして放心状態でベッドに横たわっていた。


 その日はよく晴れた三日月の日で、玲香の部屋の窓から月明かりが漏れていた。その光は玲香を照らし、怪しげな雰囲気を漂わせた。


 玲香はしばらくして顔を秀人の胸に預けた。玲香は秀人の鼓動が早いのを聞いてまた起き上がると、徐に自らのシャツに手をかけて美しい肌を露わにした。形の整った膨らみが秀人を誘惑した。月明かりが照らす玲香の白い肌のきめ細やかさが秀人の理性を蒸発させた。


「兄さん、愛してる。」


 秀人は拘束具をしていることを忘れていたが、心の奥底を鎖で縛られたような気がした。


 そして二人は肌を重ねた。



 翌朝、二人は同じベッドで眠っていた。開いたままの窓から日光が差し込んで二人の間を照らしていた。その光の先には結ばれた手のひらが二つ。まだ、拘束具は繋がれたままである。秀人は鳥の囀りに眼を擦った。自分の横に眠る玲香の顔がいつもより愛おしく思えた。そもそも玲香の寝顔は数年ぶりであった。その顔を撫でたいところだけが拘束で自由が効かない。玲香を起こそうとしたその時、「ピンポーン」と家のチャイムが鳴った。


 

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妹の螺旋 有里エヌ @Kyokyokyosuke

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