第9話 恋人

 里佳と共に秀人は待ち合わせ場所へ向かった。一般的な生徒ならば学内での待ち合わせを尋常とするが、相手は華々しい人気を誇る華澄であるから、容易にそのようなことはできない。秀人は人目にさらされることを嫌う節があった。だから、この学校から二駅上ったところのカラオケを待ち合わせ場所に選んだ。


 その道中、秀人は里佳と言葉を交わすことはしなかった。里佳は仕切りに「華澄とは長い付き合いなのか」とか「他に遊びに行く女友達」はいるのかとか聞いてきたが、秀人は力無い空返事を返すばかりであった。里佳はしつこくしていたが、諦めてスマホを取り出してつまらそうにしていた。


 待ち合わせ場所へ向かうと、すでに華澄が長い足を組ませてベンチに座っていた。


「お待たせ」


 と秀人は苦笑いしながら言った。そして里佳が秀人の影からひょっこり現れると「こんにちは」とあざとく言ってみせた。その姿は、いつもと違って落ち着きを見せつつ、女性として艶をみせた微笑みを伴っていた。


 華澄は里佳を一瞥すると、すぐに秀人の方を鋭く睨んだ。秀人はギョッとして目線を逸らした。


「ごめんね、私も混ぜてもらうね。私、廣瀬里佳って言います。秀人と同じクラスだから華澄ちゃんの一つ年上だけど、タメ口でいいよ。」


「そうですか、私は石井華澄です。里佳さん、今日は私と秀人さんのデートなのでできれば帰ってください。」


 強い口調でいうものだから秀人は驚いた。


「まあまあ、今日は三人で楽しもうよ。二人だけのデートはまた今度ね。」


「あのさ、デートデートって、二人は付き合ってるの?」


「はい。」


 秀人が「ちがっ」と言いかけたところ被せるように華澄が肯定した。里佳は目を見開いて大きな丸い目をより丸くした。


 秀人は華澄に向かってすかさず「何を言っているんだ」と表情で問いかけたが、


「だから、私たちのデートを邪魔しないでください。」


と不敵の笑みで言った。


 里佳は小声で何か細々言った後、頬を上げることなく


「今日は一緒ついて行かせて、私はいない物として二人でデートして。」


と言った。


「わ、わかった。里佳もそう言ってるし、早く行こう。」


 里佳は生気の無い声で黒目を大きくしていったから、秀人は怖気付いて、華澄と恋人関係でないことを弁明するのを忘れてしまった。カラオケに入るまで華澄は不機嫌な顔で口を聞いてくれなかった。


 部屋に入り、誰が最初に歌うか決めようかと思ったが、間髪入れずに華澄が曲を入れて歌い始めた。K-POPの曲を難なく、しかもプロのように歌う。他二人は彼女のその美貌だけでなく、隙のなさに一種の感動を覚えた。里佳は歌は苦手だからと言って歌わなかったが、音楽の授業で人一倍大きな声で歌っている姿を見たことがあるので、華澄の後だといどころが悪かったのかもしれない。秀人は普段から弾き語りをしているから歌うことへ躊躇いはなかった。本来であれば秀人の好きなジャンルの曲を歌いたいが、初めてきた人にオルタナティブロックを歌うのは憚られるので、無難に流行りのjポップを危なげなく歌った。


 秀人の歌声に、里佳は目を輝かせ、華澄は感心していた。


 歌わないと言っていた里佳も結局歌った。それぞれが好きなように歌い、何巡かした後、里佳はコップを持たずに部屋を出ていった。すると華澄が秀人の耳元へ近づいた。


「どういうつもり?バラされたいわけ?それとも私を舐めてるの?」


「違うよ、里佳がどうしても華澄さんと仲良くなりたいっていうから。」


「そんなわけないでしょ、まあいい、今のうちにしちゃおうか。」


と言って華澄は目を瞑った。あくまで秀人がキスをするのを待ってるらしい。仕方がないと思って秀人は華澄に顔を近づける。秀人は自分の意思でキスをしたことが、昨日の玲香とのが初めてであることに気がついた。どうやってすればいいのか、少し戸惑った。それと同時に昨日の玲香のことを思い出して体が熱くなった。そうこう考えていると、見かねた華澄が秀人に唇を合わせに行った。軽く口を合わせてすぐに唇を離した。秀人は拍子抜けして呆然とした。華澄は恥ずかしそうにしていた。頬は赤くほてっていたがウブな顔つきであった。秀人はその様子に心を打たれてしまった。いつもキリッとした顔立ちで何食わぬ表情で、物怖じせずにはっきりとしている華澄が、あまりに照れくさそうにするから。


「屋上前であんなこと言ったけど、あの時が私のファーストキスなんだから。本当は玲香としたかったけどね。」


 舌をぺろりと出して笑った。


 秀人はまだ身体が熱かった。だから、またキスをした。華澄は驚いていたが気にせず舌を入れた。華澄は次第に顔を綻ばせていった。時を忘れて、防音室の狭苦しい空間を忘れて、キスをした。


 口を離すとお互い息を荒げた。


「さっき言ってた恋人っていう設定、その、本当にしないか。」


 秀人は身体の熱さを乗せて言った。華澄はなぜか秀人ではなくその奥を見ていた。華澄が見ているものの方へ目を滑らせると、里佳が立ち尽くしていた。


「そっか、そうだよねそっか、うん、そうだね、うん、うん」


 里佳はそれだけ言って部屋を出ていった。里佳の目は光を失っていた。すかさず秀人は里佳を追いかける。部屋を出て廊下を見まわすが、すでに里佳の姿は無い。厄介なことになったと落胆した。秀人は肩を下ろして地面を見つめた。


 隣の部屋から女性が出てきた。ワンピースを着た女性が視界の縁にぼやけて映る。秀人の方へ歩いてきて止まった。秀人は覚えのある甘い香りに誘われて、顔をその女性の方へ上げた。


「兄さん、恋人って、何?」

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