80 鳳凰暦2020年4月30日 木曜日朝 小鬼ダンジョン


 途中で本の話題を選択して大正解でした! あの本をマングローブ通販で買って読んでおいて良かったです。まさか価格が6700円もするとは思いませんでしたけれど。

 そして、彼が、ここまで食いついてきて下さるなんて……。


「……それで笙不音讃良皇女は、父帝の光天地足帝の命で有馬洞乱の鎮圧に向かうけど、その時はおそらくまだ計算上では14歳ぐらいだったって考えられてて、中学生がダンジョンブレイクスタンピードに対応する総司令官なのかって思うと、確かに憧れるけど、今だと考えられない感じで。たぶん現代とは成人年齢とかが全然違うし、そもそも寿命が違うからなんだろうな。あ、その時に許婚の湯山七甲皇子が戦死して、失意の中、父帝の命で父帝の同母弟の大波割皇子に嫁いでいくけど……」


 彼は前を向いたまま、次々とゴブリンを刺し殺しつつ、それでいて、ずっと笙不音讃良皇女について語って下さいます! 私――平坂桃花が感動したと申し上げた笙不音讃良皇女について、です!


 今日は、正直なところ、約束もなくあの交差点で待っておりましたので、彼がどのような反応を示すのか、本当は不安でした。とりあえず、私は何もないような顔をして、挨拶をして横に並んで歩きましたけれど。


 最初は、彼、あれ? という顔をしていました。あれはおそらく、約束してなかったけど、という顔でした。すごくあせりました。話題も途切れてしまいましたし。

 そこで、この前、彼が教室で読んでいた本の話を少し口にしてみましたところ、この状態です!


 何の迷いもなくゴブリンに突進して、その胸をひと突きし、止まることなく魔石を受け止め、走り続けていますけれど、彼、同時にずっと口も動いているのです!


 ダンジョンに入る前に、さりげなく本家の書庫へとお誘いしましたところ、それはすげなくお断わりされてしまいましたけれど……。


「……そこにはもう先に姉である安穏和皇女が嫁いでいて、こう姉妹がそろって嫁ぐとか、姪が叔父に嫁ぐとかってのは、親子兄弟で争う帝室の歴史上必要な同盟婚だから珍しくはないけど、姉の安穏和皇女は戦いの場面では一切名前が出てこない人物で、その名前からどのような姉だったのかって考えたら、女性として夫にどう思われるか、『戦場の皇女』と呼ばれた笙不音讃良皇女には悩みとか多かったはずだって考察が『日本八百万神聖国の女帝たち』では書かれてるんだよな……」


 本の話題になったことで、彼の雰囲気が一変しまして、もうずっと彼による日本史の講義を受けている気分です!

 そして、約束なしで今も一緒にダンジョンアタックをしておりますことも、全て有耶無耶になってしまいました!


 これで、もう、今後は、約束などなくとも、あそこで待っていても大丈夫ということでしょう。ええ、きっとそうでしょう。ついに、この、朝のダンジョンアタックは、私と彼の日常の1ページとなる真の恒例行事となったに違いありません。


「……結局、異母弟の親莫友皇子を夫の大波割皇子を支えて倒し、それと並行して吉野洞乱を鎮圧して、そのまま亡き姉の代わりに皇后になって、夫亡きあとは亡き姉の子である輝宝水皇子を大津洞乱で謀殺して、さらには大津洞乱を自ら鎮圧してその功績で女帝になってと、戦い続け、勝ち続けるまさに『戦場の皇女』だな……」


 もちろん、彼の観察もいつも以上にばっちりです。ショートソードはいつの間にか、刀系の物に変わっています。長さから考えると脇差ではないかと思います。腰に下げているメイスも、レンタル武器のメイスではありません。先端が円錐台をひっくり返した物に波打つ刃のような突起がいくつか付いています。犬ダンドロップのモーニングスターでもないと思います。どちらも、私の記憶が確かなら、平坂第2ダンジョン――地獄ダンジョンのドロップ武器ではないかと思います。ふたつ合わせると300万とか、400万とか、そういう価格の物ではないかと……しかも、脇差はふた振りもありますから……。


 彼の家庭は、確か、ごく普通のサラリーマンの家庭で、しかもお義父さまだけが働いていらっしゃったように記憶しています。


 ……彼が小鬼ダンをクリアしているというのは、既に彼本人から聞いていましたけれど、まさか、地獄ダンにもう入って、そこでドロップを……いえ、さすがに、それは彼でも難しいはずです……ただ、少なくとも、400万は稼ぐ必要が……あ、まさか、犬ダンでアレを! 金の延べ板を引き当ててしまったのでは……だとすると、彼の今後の金銭感覚については私も気にかけておかなければなりません……必要ならば心からお諫めして散財なさらぬように申し上げなければなりません。


「夫の大波割皇子と帝位を争った異母弟の親莫友皇子なんて、絶対に別の名前があったのに、『したしきともなしのみこ』なんて、歴史の中で敗者にして書き変えたんだろうなって名前だし。ある意味では苛烈な時代に生きてたんだな。逆に聖心持女帝って名前は、明らかに勝者の名前だし。実は姉も笙不音讃良皇女が暗殺したのかもしれないって言われてもいて。姉の安穏和皇女は歴史書では病弱だったとの記載はあるけど、皇女と皇子を産んでる訳で、当時の医療水準から考えたら無事に出産できる体力があって病弱ってのはちょっとおかしいと思うな。あ、姉の産んだ皇女にも確か、神職を命じて政治中枢からは完全に排除してたな……血の繋がりとか関係なく動く政治のドロドロって考えてみると怖いな……」


 ……あと、私が本を読んで感動したはずの人物が、いろいろととんでもないお方だったのは、これ、本当なのでしょうか⁉ 次の彼との対話のためにも新たに歴史の本を読まなければ……あ、対話ではありませんでした。このペースで走っておりますと、私、話せません……これは彼による日本史の講義でした……。


 とりあえず、今朝の最後のボスだけは、私にやらせて頂きたいと、そう願っています……私、今朝はまだゴブリン1体さえ、倒していないのです……。


 ただ、こうやって話しながらも、次々とゴブリンを屠っていく彼の集中した横顔は、観察し甲斐があります……。ながら、なのに、集中しているのでしょうか、という疑問はございますけれど。


 それと、昼休みにはお手伝いの千代さんに公衆電話から連絡を入れて、彼が言っていた本を注文してもらわなければなりません!





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