78 鳳凰暦2020年4月29日 水曜日夜 国立ヨモツ大学附属高等学校女子寮


 小鬼ダンから寮へと帰ったあたし――伊勢五十鈴は、岡山さんの部屋の床に体育座りになってうつむいて、はぁ、とため息を吐いた。あたしの隣には同じ状態の宮島さんがいる。


「あの……床ではなく、ベッドにどうぞ、お座り下さい」

「無理……」

「立ち上がれないし、立ち直れない……」

「岡山さん、五十鈴はごはん食べたらたぶん復活するから、今はそっとしといてあげて。宮島さんは、どうかわからないけど」

「モミちゃんもたぶん同じだね」


 美舞はあたしのことを何だと思ってるんだろ?


 あたしと宮島さんがこんな感じで凹んでいる理由。それは、酒田さんの小鬼ダンでのとある一言から始まった。


『鈴木先生が、小鬼ダン1周、30分切るの、一度見てみたいですね』


 夕方の小鬼ダンは、午後から入ってきた先輩たちもほぼいなくなって、朝と同じで、あたしたちの貸切のような状態になっている。先輩たちはたぶん駅前とかに遊びに行ったと思う。


『別に、いいけど……』


 鈴木くんがそう答えたので、1層の入口に一度戻って、見せてもらうことになり、16時20分にスタートした。ただし、あたしたちもできるだけ周回するように、とは言われていた。

 その時は、どうせボス戦だけだし、そこは集中しよう、なんて甘い考えだった。


 あたしと宮島さんには、安全確保のために岡山さんがサポートでついてくれてた。美舞と酒田さんはペアで、鈴木くんはソロ。ソロで1周30分を切るなんて、無理に決まってる、そう思ってた自分を殴りたい。


 鈴木くんが先頭で、え、これってもう全力疾走なんじゃないの? というスピードで突進して、ゴブリンがいたら何もしてないように見えるのに、いつの間にかゴブリンが消えて、魔石も拾わずにそのスピードをほぼ維持したまま、進んでいく。


 もう、しょうがないからあたしが拾ってあげるか……と思ったけど、魔石は落ちてなかった。


 気が付いたら、あたしと宮島さんはどんどん鈴木くんに引き離されていって、最後尾であたしたちに合わせて走る岡山さんと3人だけになった。

 最短ルートは鈴木くんが倒しているので、戦闘なしで走るだけなのに、置き去りになったのだ。そんなことって、ある?


 この時点でもかなりのショックだった。美舞たちも少しずつ鈴木くんに引き離されていたけど、それでもあたしたちよりはずっと先まで追いかけていたというのもショックだった。


 2層の終わり頃からは、ゴメイとの戦闘になって、3層は9エンカウント27匹全部、相手にした。つまり、2層の終わりで鈴木くんとはリポップタイムの5分、通過タイムに差があったらしい。


 その後、初めてボスにペア戦闘で挑んだけど、その緊張と興奮よりも、鈴木くんの周回タイムに衝撃を受けていたので、初のボス戦闘の記憶がほとんど残ってないという大惨事。それは宮島さんも同じらしい。


 衝撃はさらに続く。


 2周目は最初からゴブリンとの戦闘がある。最後のボス戦で必ず5分以上の差がつくので、リポップするからだ。


 戦闘を繰り返して最短ルートを進み、2層の途中で後ろから走ってきた鈴木くんに追い越された。いわゆる周回遅れというヤツだった。もう、有り得ないと思ったけど、それが現実だった。あたしたちは2周目なんだから、鈴木くんはもう3周目なのだ。それは凹む。すんごく凹む。


 鈴木くんがあたしたちを追い越してからは必死に追いかけた。そうすることで、あたしと宮島さんは戦闘なしで最短ルートを走り、鈴木くんが戦うのを見た。というか、戦ってるように見えなかった。


 鈴木くんは両手にそれぞれ握っているショートソードくらいのカタナっぽいヤツで次々とゴブリン軍団を刺し殺していくだけ。3層ではそれにアーチの矢を払い落とす動作が少し加わる。それで、倒すと同時に、落ちる前の魔石をキャッチしてマジックポーチに入れてるらしい、というのもなんとなくわかった。たまにうっかり落としてしまったのを慌てて拾ったのも見た。


 あたしたちの2周目で、かつ、鈴木くんの3周目は、遠目でぎりぎり、鈴木くんがボス部屋に入るのが見えた。そこまでなんとかついて行った。それから約5分待って、ボス戦に再び挑戦した。やっぱりボス戦の記憶が残ってない。倒したのは間違いないけど。


 それからラストの3周目。ボス部屋の待ち時間でのリポップありでスタート。ここまでの2周での疲れもあるけど、あたしと宮島さんは頑張った。それなのに、ボス部屋まであと2エンカウント6匹のところでまた鈴木くんに追い抜かれて……。


 ボス部屋の前で待ってた鈴木くんに譲られる形で、先にボス戦へ。もちろん、2回も追い越された衝撃で何も覚えてない。でも、確かにボスは宮島さんと二人で倒した、と思う。


「今日、2回も追い抜かれたから、それであたし、今日の本気で走ってる鈴木くんを見て、中学の時の陸上の大会で、鈴木くんを見たことがあるって思い出したよ……」

「え? それホント、モミちゃん? 鈴木先生、中学は陸上部だったんだね? そういえばモミちゃんも陸上部だったっけ」

「そうですね。鈴木さんは陸上部だったと奈津美ちゃんから聞きました。それに、奈津美ちゃんの部屋に鈴木さんの中学時代の賞状とかメダルとか、いっぱいありましたよ」

「なんで妹ちゃんの部屋に? 確かにあの子はブラコンっぽかったけど?」

「……鈴木さんは、大会で頂いた記念メダルを売り飛ばそうとしたらしいです」

「鈴木くん……そこまでしてお金を……というか、そういうのって、売れるの?」

「やっぱり変わった人なんだ。鈴木くん、中学の時、県大会で謎エントラーって言われてたよ……ハードルと3000にエントリーしてたから。しかもどっちも県で上位入賞だったと思う。2位とか3位で……あと、リレーも出てたし、同じ学校の人より100のタイムも良かったはず……全国標準記録に長短どっちでもあとわずかだったって……どっちかに絞れば確実に全国行きだったのにって言われてたから、謎エントラーって話で……」

「そういえば、何かの駅伝での区間賞のメダルも奈津美ちゃんの部屋にありましたね。売り飛ばされないように奈津美ちゃんが大切に守っているそうです」

「……鈴木くんが、走るのが速いのは、陸上部だったからなんだ」

「さすがは鈴木先生ですね……きっと、いつかトップランカーになったら鈴木記念館とかつくってそこで飾るんだよね……」


 あたしは美舞、宮島さん、酒田さん、岡山さんの話を凹んだままぼんやりと聞き流していた。


 ……速いなんてもんじゃない。有り得ないから、あれは。速過ぎるから。


「……追い抜かれてない美舞たちには、このショックはわかんないな、たぶん……」

「え? あたしたちも1回、抜かれたよね? ね、高千穂さん?」

「3周目の2層の途中で抜かれて、びっくりしたのよ」

「え? 抜かれてたの?」

「1周目なんて、必死で鈴木先生を追っかけた結果、ゼロ戦闘で走り続けて、今までのボス部屋到達記録を大幅に更新した新記録の31分53秒だったからね。それなのに1分くらいでボス部屋がリポップして、あ、鈴木先生は4分前にボス部屋入って倒したんだ……って、とにかくびっくりし過ぎて。あたしたちだってそれだけの記録的スピードだったのに、まさかそのあとで周回遅れにされるとは思わなかったし。もう鈴木先生が凄過ぎて。3層なんて、いつもの左手、メイスじゃなくてショートソードで……って、あれ、なんかショートソードとはちょっと違ってたような気がしたけど……ともかく、それが、両手にショートソードで、しかもゴブリンソードマンを2匹ほぼ同時に刺して1撃で倒すラム走戦法とか、もう感動して……見せてほしいって言ってよかったねぇ……」

「あんなマネは、鈴木くんにしかできないと思う。そのまま、それぞれの手で魔石は落ちる前に掴んでたし……どういう反射神経してるの……」

「……まあ、それが鈴木さん、ですから」


 そんな話でうんうんとうなずく岡山さんの鈴木くんへの絶大な信頼が怖いよ、あたしには! あと、酒田さんも! 鈴木くんの戦闘姿にうっとりし過ぎだから!


 この後、あたしは美舞に、宮島さんは酒田さんに引っ張られて一緒に食堂へ行った。それで、食べ終わったらあたしも宮島さんも復活してた。美舞が「ほら、やっぱり」と口でも顔でも言っていたのがちょっと悔しかった。





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