73 鳳凰暦2020年4月29日 水曜日朝 小鬼ダンジョン


 朝からすぐあたし――伊勢五十鈴はジャージの上下にブレストレザーを身につけて、その格好で朝食開始の7時半には食堂に入って食べ始め、食べ終わったらすぐに食器を片付けて寮を飛び出す。


 時は金なり。言われてみればその通り。

 1分でも長くダンジョンで狩り続けた方が、魔石の数は増える。そんなごく普通に考えられること、それをかき乱す、戦闘制限回数という安全マージン。


 確かに、スタミナ切れという怖ろしい現象は存在してて、そうなったらゴブリンでさえ危険な存在になる。それを、ポーションを使って回復させ、そのままダンジョンで戦い続けるという力業。


 1層でそれをやっても赤字。2層でならそれでも稼げなくはないけど、魔石1個が500円になる3層だったら、魔石20個でポーション代が賄える。

 3層で100体を倒してスタミナ切れになり、ポーションを使ったとしても、その時には4万円の黒字が出ている。知ってしまえば、ごく簡単な計算で理解できる真実だった。


 戦闘で稼ぐのは3層。そのために、最初は赤字でも、ポーションを使って、3層で戦えるだけ肉体強度を高めて、自分たちの戦う舞台を3層にしてしまう。強引に。


 ……最初にポーションを用意するお金さえあれば、可能なことだけど。まず、お金がないし、そこに5ケタのお金を注ぎ込む度胸もない。あたしたちはいつも退学に怯えてるから。ヨモ大附属は、できるだけお金を遣わない方向で、あたしたちを洗脳? してるのかも。それはいつかアタッカーになった時に、引退しても貯金を残せるように、という正しいものだけど。


 もちろんそれだけじゃない。モンスターであるゴブリンの習性についての研究と理解、それに基づく効果的な戦術と、その戦術を実現させるためのトレーニング。そして、天井から足元まで気を配らなければならないダンジョンで、その中を走る、という無謀な行動。


 ……鈴木くんって、すごいけど、有り得ないなぁ。


 それでも、ダンジョンカードに残る残額が、鈴木くんから離れられない、どうしようもない魅力を持たせてしまう。


 ……毎日お昼にとんかつ定食はちょっと、アレだけど。いろいろなメニューを選んで食べられるってのは、はっきり言って、気分爽快。


 今、ここにいるのはあたしだけじゃない。親友の高千穂美舞、あたしのペアの宮島さん、美舞のペアの酒田さん、そして、あの、退学RTAとまで言われた、補欠入学の岡山さん。


 この鈴木くんのやり方――仮に鈴木メソッドとでも呼ぶとして――によって、大幅に収入を改善させられ、それと同時に借金漬けにさせられた仲間たち。美舞はニコニコ鈴木Eローン被害者の会なんて冗談っぽく言ってるけど、そのくせに顔は満足そうに笑ってる。


 ……お金で縛られたら逃れられない。そういう言葉を言い訳にして、鈴木くんに寄生している。言い方は悪いけど、まぁ、真実だと思う。


 美舞は日収3万円から4万円は割と簡単にできるって言ってた。それって実は月収100万円で、年収1200万円なんだけどな? それが鈴木メソッドなら放課後の約3時間で達成できる金額だ。土日を含めて考えたらどうなるの……?


 日本八百万神聖国だと、年収1千万円超えのアタッカーはだいたいフォースの6000位台くらいからで、中堅以上のアタッカーのポジションだ。

 中堅アタッカーは、魔石の価値が跳ね上がる4層以降で活動できることが最低条件で、7層クラスの7千円、8層クラスの8千円の魔石を毎日普通に集められるのなら、達成できる。戦闘制限回数に従って、4人パーティー5回ずつ合計20回ほど戦って戻ったとして、最低でも魔石は一人あたり5個の分配で、3万5千円から4万円の日収だ。実際はそこから所属クランに抜かれていくんだろうけど……。


 それを鈴木メソッドで走って戦い、ポーションを使って、もっとたくさん集められたら……? 鈴木メソッドは今の中堅アタッカーが7層や8層で稼ぐ金額を小鬼ダンの3層で達成できてる。そこで満足したとしても、フォースなのだ。つまり、より安全にフォースになれるのが驚異の鈴木メソッド。


 これはもう、フォースどころか、3ケタ順位のトリプルが見えてくるなぁ……。


 時は金なり。至言だった。本当に正しい真実の言葉だ。


「あれ? ヒロちゃん? 鈴木先生、いないね?」

「鈴木さんは、7時の開門から走ってダンジョンに入って、待ち合わせ時間の45分に戻ってきて、ダンジョンの中から来てくれます」

「……え? それ、マジで?」


 思わず、酒田さんと岡山さんの会話に割り込んでしまったあたし。いや、これはつい口から出ると思う。しょうがないだろ。待ち合わせで7時45分を指示したクセに、それより早く自分だけダンジョンに入ってるとか、鈴木くんって……。


「はい」


 曇りのない表情で、シンプルにそれが事実だと伝わる一言を岡山さんは口にする。


 ……そりゃ、言ってるだけあって、誰よりも実践してるよなぁ。まさに時は金なりで生きてる。鈴木くんは。


「あ、鈴木先生だね! ホントにダンジョンから……あれ?」


 その酒田さんの反応に、小鬼ダンジョンの出口ゲートに目を向けた瞬間――。


「えっ? モモ⁉」

「なんでモモが鈴木くんと⁉」


 ――思わず叫んだのは、美舞とあたし。


 そこには中学の頃からの友人で、附中出身者の首席、かつ現1組の学級代表の平坂桃花――モモがいたのだ。


 ……いやなんで? 鈴木くん何やってんだ、これ? あのモモが男子とペアでダンジョン? しかもこんな朝っぱらから⁉ ええ? どういう関係?


「それじゃ、さっそく入ろうか。平坂さん、また、今度」

「あ、はい」


 あたしたちの混乱など気にするでもなく、あっさりダンジョンへと回れ右をする鈴木くん。あたしと美舞は視線をモモと鈴木くんとの間でいったりきたりさせてしまう。


 ……いや、そこは説明とか、ないかな? いや、ないか、鈴木くんだし。そうだった、鈴木くんだった。あたしも少し、鈴木くんが何か、わかってきたかも。


「モモ、それじゃ」

「今度、話そうね」

「うん。気をつけてねー、ミマちゃん、スズちゃん」


 モモがにこやかに手を振って、あたしと美舞を見送ってくれる。


 ものすごく気になる。気になるから聞こうと思うんだけど、ダンジョンに入ったら鈴木くんはすぐに走り始めて、インターバルトレーニング方式ダンジョンアタックがスタートしてしまう。これも、もう、この前と比べたらペースは随分と早い。

 気になって中学の時の保健体育の教科書でインターバルトレーニングを調べてみたけど、ジョグアンドダッシュで、ジョグはかなりゆっくりな感じで書かれてた。

 でも、今、鈴木くんにやらされてるこれは、1500メートル走と50メートル走の組み合わせみたいな感じだから! 絶対もうインターバルトレーニングって呼べないと思う!


 それでも、このアタック方法で、今からなら他の生徒たちが集まってくる9時までに、小鬼ダンを2周、ボス戦はパーティーを分けて3周を2回で6周、それだけできてしまう。1周あたり魔石の換金額は一人7千円から8千円だから、それだけで1万5千円は確保だ。時は金なり。


 今日はこれを、昼食休憩以外は、1日中やるつもりらしい、鈴木くんは。ちょっと頭がおかしいとしか思えない。


「鈴木先生、さっきの人って、あの平坂さんですよね?」


 そこに踏み込んだのは酒田さんだった! よし、いいぞ、酒田さん! あたしはまだ、このペースで走りながら、鈴木くんに話しかける余裕がない。


「あの? まあ、平坂さんだな、確かに」

「え、まさか鈴木先生? ヒロちゃんがいるのに、平坂さんと付き合ってるとか?」

「あ、あああ、あぶみさんっ⁉」


 ああ、流れ弾が岡山さんに⁉

 あと、さらっとゴブリンを倒しながらこんな会話できるのもある意味すごい……。


「……付き合ってる? まさか。ただのクラスメイ……あれ? クラスメイトだけど、教室で話した記憶がほとんどないな? そういえば? 入学式のあとくらい?」

「なんでそんなうっすーい関係性で一緒にダンジョンに入ってるんですか、鈴木先生!」

「……いや、クラスメイトというより、近所に住んでる同じ小学校だった人、って感じかな?」

「あ……なんか、そんな話、記憶にあるような気がしますね……でも、クラスメイトよりそっちが優先されるっておかしいよね、たぶん……」


 ……いや、あたしは初耳⁉ え、鈴木くん、モモと同小なんだ? ていうか、何それ? 附中首席と学年首席が一緒にいた小学校って何? あり得ないな? どんな学校だ?


「……ということは、朝から一緒に登校してるんですね?」

「うん。家を出て、3分から5分くらいの交差点で、だいたいいつも平坂さんがいるかな。あ、何曜日だったか……火曜日は見てない気が……」

「それ、いるんじゃなくて、待ってるよね、たぶん……鈴木先生、待ち合わせですよね?」

「待ち合わせ? ……うーん。ダンジョンに入る約束はした記憶があるけど? その交差点って僕の家から学校までのルートと、平坂さんの家から学校までのルートが合流するところだな」

「ええ? 家も知ってるんですね⁉ いえ、同じ小学校ならフツー、だよね? あれ? フツーじゃない気も……」


 ……いやいや、それは普通じゃないと思う。親しい友達で行き来がないと、相手の家なんてわかんないだろ。つまり、鈴木くんとモモは実は幼馴染的な関係とか⁉ うわあ!


「いや、知ってるのはたまたま。僕、中学校の時、新聞配達、やってたから。たぶん、そこが平坂さんの家だって場所は、配達してたから、それで知ってる」

「……それ、衝撃の新情報です、鈴木先生」


 確かに⁉ 新聞配達とか本当にやってる人、いたんだ! いや、中学生で、って意味で。


「そうかな? ここのダン科に入ってすぐ強くなれるように、できるだけお金を貯めてただけなんだけど。親に大金を出させるのはなんか違うと思って」

「……鈴木先生がガチ過ぎて、さすがにちょっとドン引きです……いえ、だからあの強さと思えばそこも尊敬できますけどね」


 珍しく酒田さんが一瞬だけブレた? でもすぐに戻った?


「酒田さん、そろそろ集中しよう」

「あ、はい」


 美舞が小言をプレゼントして、酒田さんが集中し始める。でも――。


「……岡山さんだけじゃなくて、モモまで……?」


 ――あたしにだけ聞こえた美舞のつぶやき。そこに含まれた意味。それに気づいて。


 ……頑張れ、美舞。


 あたしは心の中で美舞を応援したのだった。


 あと、モモはライバルだけどライバルじゃないと思う。

 さっきまでの話だと、鈴木くん、モモとクラスで会話してないみたいだし、モモの家も新聞配達で知っただけだし、なんか全然興味なさそう。

 でも、モモの方は……あの男嫌いのモモが、男子と二人でダンジョンに入るっていうのは、もう、間違いないと思う。


 モモはもちろん超美少女で、それにお風呂とかで見たけど、眼鏡を外した岡山さんがこれまた驚愕の美少女だったし、ライバルの二人はかなり強力だけど、それでも、頑張れ、美舞。


 あたしは心の奥底から親友の恋を応援したのだ。鈴木くんは、ちょっと? 変わってるけど、性格も悪くないし、将来的にも、優良物件だと、この時点でもう思ってたから。特に収入。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る