第17話 決戦 由井正雪
「うっ!」
ギシ、と堂舎に足を1歩踏み入れた途端、鼻腔を擽る瘴気に四郎丸は思わず呻き声を上げた。
「大丈夫かの?」
「あ、ああ」
ぎこちなく頷きつつ、玉のような汗が噴き出る額を拭う。この汗も、決して不快なまでの湿気だけに依るものでは無い筈だ。
「そうか。しかしまあ、邪な気で彼程の霊山をこのように汚しおって。あの罰当たりめが」
術士でない四郎丸にも存分に感じられるほどのおどろおどろしい気配に、流石の果心も顔を顰めたままだ。
「泣丸を外で待機させておいて、正解だったか」
その言葉に、果心もコクリと頷く。堂舎の中央に木床をくり抜いて設けたが如き大穴からは湯気のように瘴気がもうもうと立ち昇っており、そこが堂内に渦巻く禍々しい気の源であることは疑いようもない。
「しかし果心、本当にこんなところに居るのか?」
が、それと敵の根拠地がここのままかどうかは別問題。こんな気持ちの悪い場所で待ち受けるなぞ、正気の沙汰では無い。若しや、ここに果心たちを誘い込ませ、自爆でもさせる気では。そんな疑問が四郎丸の頭を過る。
「よくも戻って来たな、松永!!」
しかし、その疑問は次の瞬間、容易く吹き飛ばされた。穴の向こう、上座の位置でそう吠え立つ1人の男。
「果心、あれが?」
「うむ。敵の首魁、由井正雪に間違いは無い」
四郎丸はその男を一目見て確信した。この男は碌な男では無いと。そも、あんな禍々しい気を発する儀式をする以上、清廉潔白な男の訳が無いのは分かっていた。だが、天下万民の為なら汚い手に及ばなければならない場合があるも事実。
(だが・・・コイツは違う、気に入らぬ)
しかし、四郎丸には上座にて束帯姿でニマニマ笑うあの小男は、とても天下万民のことを憂慮する様な男には見えなかった。
「ぬかせ義弼。大言壮語しておった割には、お主自慢の式霊も品切れのようじゃの。武蔵坊は犬死、道峻には裏切られ、哀れ哀れ」
「ふん!そもそも、あのような道義の欠片も無い亡霊もどきに頼ったのが、孤の誤りだったのよ」
「誤りを認めるとは、馬鹿のくせに人並みに反省しよるか?」
ケラケラと嘲笑するように喉を鳴らす果心に、義弼はたちまち眦を吊り上げる。
「黙れ黙れ!貴様もそこな塵屑のようにしてやろうか!」
唾を飛ばしながら喚く義弼の指す堂舎の片隅、薄暗いそこに横たわるのは、
「・・・道峻!?」
そこには、どこかで見た色の衣がぐしゃぐしゃになって転がっていた。
「そう、そうよ。そ奴は恐れ多くも孤の算を乱し、孤に筒先を向けよったのよ」
だが、と義弼は一転、キュウと口角を捩じ上げる。
「やはり、下郎は下郎よ。己が身分すら弁えぬ行動は身を亡ぼす・・・叩き伏せられ、鉄砲放の宝であろう両腕を落とされあのザマよ」
怒りの感情が果心に湧いた事が、後ろから見ている四郎丸にも分かった。仲が良い訳では無かろうが、自分を結果として助けた旧知を罵倒されて平気でいられるほど彼女は無神経ではないのだ。
果たしてそれを把握しているのか、義弼はニマニマ笑いを崩すことなく、
「まあ良い、まあ良いそんな奴の事は。それより・・・それ、そこの下郎」
細く、とても刀を握った事があるとは思えない指でスッと果心の横を指さす。
「俺?」
「そうよ、そう。聞くところによれば貴様、彼の佞臣治部少輔の子孫との事ではないか」
「・・・だとしたら?」
下郎呼びと佞臣という言葉に、流石に四郎丸も少しムッとして答える。
「すればよ。貴様にとって、徳川の似非源氏は怨敵であっても尽くす義理なぞ無い筈、そうであろう」
『似非源氏』。義弼がその単語を発する響きに、血の滴るような憎悪がありありと伺えた。
「成程『似非源氏』か・・・それが、貴様が当世にて事を起こした理由かの」
「そうよ果心、その通りよ!尾張の田舎領主や下賤の成り上がり者はまあ仕方ない。あ奴らはそも孤の敵で、しかも平家を自認しておった。そんな馬鹿共ならば高貴なる血の重さを解せんでも、まあ仕方無い。しかし、しかしよ!」
くわ、と見開いた両眼は血走り、ギリギリと噛み締める口の端からは泡が湧き出る。
「あの、松平とかいう田舎者!恐れ多くも縁も無い源氏を名乗るばかりか、鎌倉公方の裏切者を遇し、叔父殿の家が冷遇され家名すら変えさせられておるのに見て見ぬふり!これが許せるものか!!」
四郎丸はその言葉に、湧き出る妖気と同じ類の気配を感じ取れた。
「何と・・・まあ、小さき事よのう」
「喧しいわ!所詮、貴様の様な浮世の根無し草には分からぬ血の重さよ!」
唾を撒き散らしながらそこまで吠えると、一転して義弼は四郎丸へニンマリと微笑みかけてきた。
「・・・して、してよ。孤は、江戸の似非源氏を誅すべく儀式を行っておる。貴様にとっても奴らは怨敵、親の仇であろう?どうじゃ、孤に味方せぬか?」
「・・・・・・」
「ナニ、お主が苦労する事など何もない。ただ・・・そこの松永を殺さぬ程度に痛めつけ、孤に差し出せばそれでよい。どうじゃ?」
その言葉は何とも甘ったるく、猫なで声と称するのがピッタリの言い方である。先の呪詛のような言葉とは別の意味で気色悪く、百戦錬磨の果心にも思わず怖気が走るほどだ。
「・・・それで、その結果、あんたは何を成す?」
「ほほ。何を、じゃと?決まっておろう。関八州に地獄をもたらし、似非源氏と鎌倉公方の御世を汚しつくす。さすれば愚民どもも、真に傅くは真の源氏の血筋と気付くであろう、よ」
「下種め」
まるで汚物を見るような目で一瞥しそう吐き捨てた果心へ、義弼は不快そうに一瞬眉を顰めた。が、直ぐに気を取り直し四郎丸へと向き直る。
「果心、貴様には聞いてはおらぬよ。では、答えを聞こう」
「・・・確かに、仮に俺が、講釈本より伝え聞く石田三成であったなら、かつての遺恨を晴らさんと、そうするかもしれん」
その言葉に、義弼は目に見えて喜色ばんだ。対して、此方をちらと見る果心の目は少し不安そうに揺れていた。
「ほう、それならば―」
「だがな。俺は兄上より民草を愛せよ、民草こそが日の本の礎。それが家訓だとそう、教わった。ならばそれは即ち、俺の父君の考えであり祖父の考えなのだろうさ」
予想外の、埒外の言葉だったのだろう。義弼はスッと伸ばしかけた手を所在なさげに震えさせる。
「な、何を言っておる?」
上擦った声でそう言いつつ、チラリチラリと伺うように四郎丸の後ろの方を覗き見る様は、まるで意気地の無い童のようだ。
「講釈本と兄より伝え聞いた人柄となら、俺は後者を信じる。ならば我が祖父が、安寧を享受している民を地獄へ落とすことなぞ、考える筈は無い!」
しゃんと背筋を伸ばし、射通すような鋭い眼で言い放つ。第一、取り込もうという相手の父祖を愚弄するとはこの義弼とやら、何を考えているのか。
「故に俺は、南部家臣杉山家末子杉山成枚として、素浪人にして反乱を目論む稀代の大悪人『由井正雪』、貴様を討つ!」
「そうか・・・残念よのう」
俯いたまま、ポツリそう漏らす声に「む?」と果心が訝し気な声を上げ、こちらを仰ぎ見返して、
「四郎丸!」
血相を変えた果心の視線を追うように、四郎丸が振り向いたその先には刀を振り被る1人の鎧武者の姿が。
「ならば、そのまま死ぬが良い!」
四郎丸が腰の刀へ手を伸ばす暇も無く、ギラと光る刃はその首元へと振り下ろされた。
「「な!」」
ギャン、と金属が触れ合うような甲高い音が、堂舎の内へと響く。間一髪、手に現れた刀の錣で敵の一刀を受け止めると、そのまま四郎丸は刀を返し敵の刀を跳ね上げる。
「せい!」
そして、がら空きになった喉元へと切っ先を突き立てる。面覆の奥に見える眼は驚きで大きく見開かれていた。しかし、その目は直ぐに光を失い、ズビと切っ先を抜くと同時にドシャリとその場に崩れ落ちた。
「あり得ぬ!奇襲だった筈ぞ!」
「なら、もう少し目のやり場を考えるこった。何かあると言ってたようなもんだったぞ」
飄々とそう放言する四郎丸に、今度は果心が蒼白となった顔で飛び込んできた。
「四郎丸、それは!?」
「ん?ああ、彼の剣豪の置き土産だろう。多分」
何事でも無いように言う四郎丸だったが、その実は義弼に負けず劣らず動揺していた。試行はしていたのだが、それと実際にやってみるのでは天と地ほどの違いがある。ましてやいきなりの実践で、出来なければ死んでいたとあれば無理は無かろう。バクバクと脈動する心臓は皮膚を突き破るかと思うほどだ。
「で?自信満々の奇襲が防がれた正雪サン?次はどんな醜態を見せていただけるので?」
だが、そんなことを馬鹿正直に言うほど四郎丸も愚かではない。むしろ「全ては予想通り」と言わんばかりの表情で義弼をここぞとばかりに煽り散らかす。この男には、こういう扱いがむしろ相応しい。
「との事じゃ、残念じゃったのう」
自分も驚いたことは棚に上げ、果心も鼻高々に仁王立ち。何故か自分の手柄の如く義弼へビシッと指を指す。・・・果心からは四郎丸の口の端がピクピクと引き攣っていることが見えるだろうから、凡その事は察しての上だろうが。
「とまあ、大見得は切ったがな。俺も無用な血は流したくない。多数に無勢でもあることだ、大人しく縛についてくれると助かる」
そう伝えつつも油断なく刀を構えたまま、目配せで果心へと合図を行う。コクリと頷いた果心は、そろりそろりとゆっくり、しかし確実な足取りにて、俯いたままの義弼へと近寄って行く。
そうして、中央の大穴へさしかかろうとしたその時、
「キィエエエエエエ!!」
それまで俯き肩を震わせていた義弼がいきなりがばあと、奇声と共に天を仰いだ。
「「!?」」
その何処から出したのか分からぬ、悪鬼羅刹が如き鳴声に、流石の果心と四郎丸も鼻白む。その奇声が血を吐いてもおかしくないぐらいに続いた後、義弼は憤怒の表情で四郎丸たちを睨め付けた。
「よ、よくも、よくも、よくも申したな!下賤の分際で、下民の分際で!おお、おお、おおおう!多数に無勢、よくも吐いたなあ!!」
ブルブルと怒りで震える手を懐に回し、取り出した『何か』をまるで子供の癇癪のように果心めがけて投げつけた。
「シャ!」
反射的に前に出た四郎丸は、その物体を一刀の元に切り捨てる。と、それは巾着袋だったようで、切られたそれからは数珠の玉のような物が床一面へぶちまけられる。
「っ!?しまった!」
術士に数珠、とくれば思い出されるのは麓の村の百姓たち。それに気付いた四郎丸が果心の襟首を掴んで飛び退る。
「これでも、かあ!!」
間一髪。跳ぶ退った次の瞬間、数珠から湧き出たのは数多もの黒い靄を纏った鎧武者たち。それらが投じた刀が、ドカドカと先まで2人が居た場所へと突き刺さった。
「これは果心、あの村の!?」
「うむ。式霊の出来損ない、それに相違無いが・・・武者じゃと!?」
驚きの声をあげる2人に満足したのか、義弼は上機嫌そうに口をすぼめ笑うと、
「何を驚くことがあろうよ。この日ノ本津々浦々、応仁の大戦より寝ても覚めても殺し合い。武辺者の魂なぞ、幾らでも転がっていよう」
そう、いけしゃあしゃあと嘯いた。
「流石に式霊とは至らぬが・・・いや、下手に意識なぞあっては使い物にならぬ。孤の道具としてはこれで十分よ」
「死した魂をここまで粗雑に扱うとは!やはり、貴様の足下になど下れるものか、正雪!」
<狂者>が倒された際に漏らした悲痛な想いを知る四郎丸としては、そのように彼らを嘲る義弼へ怒りが燃えた。
「落ち着くのじゃ馬鹿者。まずは状況への対処が先じゃ」
「っつ!済まん」
「構わぬ。それに・・・儂も思いは同じじゃ」
キッと真一文字に結んだ口から洩れ出たその言葉には、四郎丸と同じ、いやそれ以上かも知れぬ怒りが込められていた。
「・・・果心」
「話は後じゃ、来るぞ!」
その声より早く、四郎丸の足は動き出していた。四方より切りかかって来るのを忍びはだしの動きで寸で躱すが、その切り込みの速さに四郎丸は舌を巻いた。
(式霊には至らぬとか言ってたが、それとこれとは話が別か・・・)
確かにこのモドキ、言うように意識は無いらしく切り掛かる以外の攻撃はしては来ない。が、その代わりかは分からないが単純な剣技や力などは中の上といったところか。少なくとも、四郎丸のそれより上回ることは間違いない。
これまでの式霊との戦いを云わば敵の裏をかくことで潜り抜けてきた四郎丸にとって、力との純粋な正面対決の方がむしろ厄介に感じた。
「エェェェイ!」
しかし、たったそれだけで泣き言を言うようでは、それこそ鼎の軽重を問われよう。たちまちに同時に切りかかってきた2人を切り伏せる。霞と消えたことから、どうやら式霊としての質は初めの村にいた奴と同じらしい。
即ち、殺せば死ぬ。
「ふん、他愛ないの」
「お前が言うな!」
しかし、四郎丸も内心驚いていた。国元や上野で打ち合った時には、ここまで相手の動きが見えるようなことは無かったのだが。
(・・・経験、か?)
考えてみればこの数日で、四郎丸は武蔵坊や細川何某といったバケモノ紛いと仕合ってきたのだ。いくら在りし日の武者と言えど、それと比べればかわいいものだ。が、それは飽く迄1対1で相対した時の話。
「ええい、果心。これではキリが無いぞ」
「まったくじゃ。馬鹿の数頼みとはこのことかの!」
しかし、いくら謗ろうとも現実は非常である。互いの刀で自滅せぬよう2人がかりで次々と攻めて来る為、数的不利は多少軽減されてはいるが、切っても切っても次の攻め手が現れる。そして、いつしか2人の周囲全てを敵がぐるりと囲い、攻め筋はおろか逃げ道すら無くなってしまっていた。
「糞・・・囲まれたか。果心、お前はあとどれくらい戦える?」
「分からん!」
「分からん?」
「仕方なかろう!術の符はまだタンマリ有ることは有るから・・・あとは儂の霊力が如何程持つか、じゃが・・・こんな持久戦は流石に経験が無いからの」
しかし、そう答える果心の顔色は薄明りでも分かるほど色を失っている。長期戦は難しそうだ。四郎丸も、これほどまでに人を切り倒し続けたのは初めての経験だ。
「ハァ・・・お互いに、長丁場は不利か」
「体力もそうじゃが、気力もな。それに、お主のその『因果妙』こそ、まだ持ちそうかの?」
それこそ、四郎丸には分かりようがない。一応、出せなくなった時のために石田政宗は腰に温存しているが、そうなってしまえばこの物量相手に太刀打ちは出来まい。
「折れても次々新しい刀が出るって『因果妙』にゃあ、うってつけの舞台だな畜生め」
そんなことを言うから罰が当たったのか、1体の敵が真横から刀を叩くとパンと半ばから綺麗に折れた。
「クッ!」
苛立ち紛れに半分になったそれを囲いの向こうにいる義弼へと投げつけるが、刀は届くまで半ばの距離を残して消滅した。
「無駄よ、無駄。貴様が如き下郎の浅知恵が、この孤まで届く訳があるまい」
苛立たしい野郎だ。そんな罵り文句を吐く余裕すら、今の彼には無かった。先ほど刀を折った武者の切っ先が喉元へと迫る。
「っと!」
辛うじて、それを逆手に出した脇差で受け止める。蹴り飛ばし、ドタと転げる敵へ脇差を投げつけると、今度は消えずに額へと突き刺さった。
「手癖がわる・・・・・・ふむ、四郎丸よ。手から離れた刀が消えるまで、如何ほどじゃ?」
「ああ!?何だいきなり。さっき蹴飛ばした奴までくらいだろ。それがどうした?」
気を抜けぬ切り合いの最中、語調も自然と荒くなる。
「つまり、義弼の奴までは届かんのじゃな!」
「だろうな!ってか、だからそれが一体どうし・・・うわ!」
訳の分からぬ問い掛けへの追及を深めようとした、その時だ。何を考えているのか、果心がいきなり負ぶさって来たのだ、驚かぬ道理は無い。
「馬鹿かお前、死にたいのか!」
「煩い、耳を貸せ・・・・・・・儂に良い考えがある」
「むふっ」
目の前の光景に、義弼は独りほくそ笑んだ。確かに式霊モドキどもはバタバタと倒されてはいる。今のところ、残りは数名といった具合だ。しかし、それは初めから想定の範囲内。
「おお、足を滑らせたなあ。愉快愉快」
疲れからか、気が保てなくたったからか、あの下郎の動きは初めより雑になってきている。果心も無傷とは言え、動きから見るに疲労の色が濃いことは疑いようも無い。
(さらに、さらによ)
懐をまさぐれば先程ばら撒いたのと同じ袋の感触が2つ3つと触る。それを投じれば再び果心らは十重二十重の囲みの中、1度目でこれ、再度行えば疲労も倍付け、とても囲みを突破するどころでは無くなり、歯向かうことなぞ覚束なくなるだろう。
(これであれば、あの下郎を懐柔する必要も無かったか・・・)
そうして下郎を殺してしまえば、あとは果心独り。いくら腕利きの術士と言えども体力気力霊力が持つはずも無く、直に限界は来る。
(動けなくなった果心を捕えれば・・・後は果心と<銃坊>を贄にして、彼の者を遷現して・・・)
しかし、腹立たしいのはあの下郎だ。高貴なる者が合力せよと提言するのに、恐れ多くも反駁するとは。
(そうよ、あれは果心の連れ合いよなあ)
であれば、ただ殺すのではなく、果心の目の前で惨たらしく殺してやろう。それを見て悲嘆に暮れる様を見れば、きっと胸もすくことだろう。悲しむ果心の歪んだ顔を想像し「むふふ」と再び下卑た笑みが漏れた。
と、その時、包囲の中よりひょお、と1振の刀が真上に投じられた。
「はて?」
犬槍の心算だろうか。しかしその心算にしても、その刀はどこをどう狙ったのか義弼の遥か前、丁度包囲の外周辺りに真っ逆さまに突き刺さる。
(若しや、上から越して投じれば届くとでも?)
であれば何たる無様な博打。むしろ大穴に落ちなかったことが僥倖とも言える。
(もう破れかぶれくらいしか打つ手が無い、か。であれば、終わりも近い・・・)
そう、青写真を描いていた義弼は次の瞬間、大きく目を引ん剝いた。
「そおい!」
と、先程刀が投じられたのと同じ軌道で、今度は果心が飛び出したのだ。
「な!?」
「博打には、違いない」
踏み台にされた背中の持ち主がそう苦笑するのも無理は無い。何せ、今投げた刀は『因果妙』で出したものに非ず、腰に差していた石田政宗。消えない以上奪われる恐れはあるし、第一挑戦出来るのはたった1度ときたものだ。
「だが・・・勝った」
しかし、勝った博打は智謀の賜物。跳び出した果心の落下する足先には、しっかりと刀が突き刺さっていた。そして果心は、その刀の柄をはっしと踏みつけ、新たな跳躍の為の踏み台に。
「跳べ、果心!」
「応さ!」
ここでしくじっては元の木阿弥以下。迷いなく柄を踏みしめて跳躍した果心は一躍、大穴を越えて義弼の眼前へ躍り出る。
「ぬう!?」
出来た本人が驚いているのだ。された義弼が驚かぬ訳が無い。慌てて懐より何やら取り出そうとするが、
「遅いわ、たわけ」
予期せぬ事態に1手も2手も遅れた行動に譲ってやる義理は無い。果心の縛の術が義弼へと襲い掛かり、「ぎにゃ」という高貴さの欠片も無い悲鳴と共に、ばったりと倒れ伏す。薄れゆく意識で尚も取り出そうとしたらしき小袋はしかし、その勢いのまま宙に放たれそのまま床へと落着した。
「そい」
それへ果心は自身の符を叩き付けると、たちまちその巾着は中身ごと燃え尽きた。
「殺ったか?」
「殺っとらん。こ奴にはまだ聞くことが残っておる」
フルフルと首を左右する果心の後ろでは、四郎丸が残った式霊モドキを全て切り伏せていた。
「しかし・・・生かしておいて大丈夫なのか?」
そう言って心配そうにチラと大穴を覗き込めば、そこには相変わらず邪な気がグラグラとしている。
「問題無かろう。儀式と言っても恐らくは遷現の儀。未だ誰も贄に捧げとらんようじゃし、これ以上手出しさせねば悪化はせぬ」
そう、これで終わった筈だ。堂内には他に式霊は居らぬようだし、首魁の義弼は果心の術にて身体の動きは封じてあり、指1本たりとて自由はきかない。
後は天海坊主へ連絡を送り、この儀式の後始末をつけて貰えば、万事解決だ。
(心残りは、泣丸の言ってたもう一体の式霊、か)
まさか、あの不意打ちをさせようとしていたモドキではあるまい。事ここに至って加勢が無い以上問題は無いだろうが、気が緩んだところに不意打ちは困る。自然と、果心と四郎丸の注意は義弼から堂舎の入口へと注がれる。
見捨てられた果心の足下、そこで封じられた筈の腕がピクリと動いた。
「う、ううううう、うぐぐぐぐう」
くぐもった声が微かに漏れるが、最早果心も下郎も此方を気にもしておらぬ様子。聞こえてすらいないのか、こちらへ視線を向けようともしない。
(おのれ、おのれ、おのれ、おのれぇ!!)
何故、何故ぞと、ぐるぐる、ぐるぐると心の中に憤怒が渦巻く。孤が這いつくばり倒れ伏すなぞ、あるべからざる事なり。あり得べからざる事なり。あああああああ。
(あ奴が、あ奴が!性懲りも無く孤の、孤たちの理想を、野望を砕きおるのか!)
そうしておいて、こちらを見ようともしない。仇敵でも無い、好敵手でも無い、対手ですら無いと。ただの障害物、ただ使われた道具に過ぎんと言わんばかりの所業。
(許せぬ!)
許せぬ、許せぬ、断じて許せぬ。高邁なる一族を、源氏将軍家の正嫡を軽んずる所業、断じて許せぬ。
(動け、動け、何をしておる我が手足。お主らまで孤を裏切るのか、動け!)
無論、術にて封じられている以上、そもそも自由になるものですら無い。正しく無駄な努力。の、筈だった、が―
「ぬうわあああああぁ!」
正しく、意志の力が身体を凌駕した、と言えよう。不格好な動きで立ち上がった義弼はその勢いのままに果心へと掴み掛った。
「くはぁ!」
「果心!?」
その細腕のどこにそんな力があるのか。果心の喉元を掴んだ義弼は、そのまま腕1本で吊り上げると、大穴の直上へと掲げたのだ。
「くっふふふふう。どうよ松永、これで形勢逆転よなあ」
こうなってしまえば果心は勿論の事、四郎丸も不用意には動けない。義弼が手を緩めるだけで果心は大穴へと真っ逆さまで、それが決して良くない事態をもたらすことは考えるまでも無い。
「お、おのれ正雪!諦めの悪い」
「ふふふ、何とでも言うが良いて。しかし、今こ奴の生殺与奪は孤の手の中故にある、言葉には気を付けるがよいぞ」
ギリと奥歯を砕けんばかりに噛み締めるしかない四郎丸を、義弼は愉快そうに眺める。果心も喉元を掴まれている為か頭に血が回らず、か細く息を保つのがやっとの有様。とても逆転の手を考えるような余裕は無い。
「ふーふふ、はあっはっはっはぁ。愉快愉快、愉快千万。いつまでもこうして、苦痛に歪む顔を見続けていたいが・・・時間が無い」
そう言って腰の辺りを弄り、取り出したるは1丁の短筒。
「残念だがなあ、これでお別れよのう」
「それはまさか、馬上筒だと!?」
義弼はそれを聞き、満足そうに四郎丸へと見せびらかすと半歩下がって筒先を果心の腹へと押し当てる。
「そう、そのまさかよ。おお動くで無いぞ、別に孤はこのまま松永を贄にしてやってもよいのだからのう」
だが、そうしないのはひとえに、
「そうしてはそこな下郎、孤を愚弄しおったお主の苦しむ顔が見れぬからよ。さあ、とくと見よ、こ奴が臓腑をまき散らして死んでいく様をよお!」
そんな怒りと高揚で、ギリギリと果心を掴む手は強さを増していく。血が回らずに意識も遠ざかっているのか、先までは四郎丸を見ていた視線もだんたんと定まらなくなっている。
「くっ、済まん!」
猶予は無い。義弼の腕が如何ほどかは分からないが、例えド下手糞だろうがあの撃ち方では外しようは無い。刀を投げ、跳び掛かるべく動き出す四郎丸は走り出す。その苦悩した顔を見たのが余程嬉しいか、義弼の顔は歓喜に溢れる。
「間に合うか、阿保め!」
グリグリと筒先を捻じ込み、苦痛に歪む果心の顔を堪能しつつ、その指に力を込める。
「止めろお!!」
バンと乾いた音が1発、堂内に響いた。
「ぐふっ」
大穴を飛び越える直前、不思議なことが起こった。
「な、ん、だああああああああ!」
最悪の事態を想像し、思わず目を瞑った四郎丸が目を開けた次の瞬間だ。
「・・・・・・え?」
ガチャリと落着した馬上筒を拾うことも忘れ、絶叫する義弼の姿。驚愕で顔を歪め叫ぶその有様から、それが予想外なことは明白だった。
「かはっ!・・・ええい!」
そして、実戦経験の差、というものはやはり大きい。いくら意識が薄れ半ば朦朧としていようが自身を掴む手の緩みを見逃す果心では無く、自らを掴む腕を掴み返した。
「ぬううあ!?」
義弼としては支えていた果心から逆に引っぱられたのだから堪らない。予想外の事態に半ば狂騒の体であった彼は『このまま引かれれば諸共穴へと落ちる』という恐怖から反射的に体を穴から退いた。
が、それは即ち、掴んでいる果心ごと穴から離れるという事であり、
「セエイ!」
それを見逃す四郎丸でも無い。脇差を出現させると、それを回転を付けて投じた。穴の近くまで寄っていたのでどうにか届いたそれは、スカンと肘あたりから義弼の右腕を切り落とした。
「!、!?、!!?。ギ、ギィヤアアアァァァッア!?腕、腕が!?孤の腕があっはぁ!?」
「ふう、ふう。・・・ここまでじゃな、義弼」
その声に上を見上げれば、そこには自分を見下ろす果心の姿。
「な、は、はあ?ええ?」
どうやら、先ほど果心に腕を引かれた際にぐるりと回った、否、回らされたらしい。切られた右腕を押さえる義弼の目の前には果心と回り込んできた四郎丸、中腰の尻に感じる霊気から背後には儀式の大穴と、義弼は自身が袋の鼠と理解した。
「か、かぁしぃん!きぃさまぁ!!」
しかし、何故だろう。見下ろすその目に、さっきまで向けてきていた嘲りや怒りの色は無い。
そこにあったのは限りなき憐憫の情だけだった。
「さて、もう無駄な抵抗はしてくれるで無いぞ。お主には聞きたいことが増えたからの」
「殺さなくていいのか?こいつは・・・」
「たわけ、言うでない。それに・・・何であろうと、こ奴にもうこれ以上打てる手は残されておらぬ」
そう言って果心が見せつけたのは、拾った義弼の馬上筒。さっきのいざこざで火縄が吹き消えたそれは1発も放たれておらず、きれいなままだ。
「・・・が、そうは言っても何があるか分からぬ。先の事もあるしの、術での捕縛より身体を物理的に捕らえた方がよかろう」
「・・・ま、分かった」
四郎丸はいまだ納得のいかぬような顔でそう言いつつも注意して、ゆっくりと大穴を回り込む。が、そこに先ほどまでの張りつめた様子は無い。そこに漂っていたのは「もう終わった」という感慨深さ。
それも当然だろう。義弼は右腕と術の触媒、隠手の馬上筒と全てを失ったのだ。果心の言う通り、彼が打てる手は最早無い。
そう、早合点した彼らを誰が咎められよう。
ただ唯一。そう唯一見誤ったとすれば、それは怨念返しの化身と化した阿波公方義弼、その執念であったか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます