第15話 平安 対 室町
「成程、成程。貴様が公方様の申しておった、剣豪将軍足利義輝の事」
「応よ。だが、その渾名は止めろ。蔑称なんだぞそれ。お前さんも知って・・・あ、いや、知らんか」
「相変わらず姦しいの、お主は」
呆れたような声を出す果心に対し、一切恥じることなく「だろ?」と返すこの男、確かに将軍に相応しい胆力の持ち主と伺える。
「ま、そんなことは良いんだ、どうでも」
良くない、と聞こえてくる声を再度無視して、
「孤は、この松永には少しばかり借りが有るのでな。この度は義に依って助太刀いたす、と。そんな所だ」
そう言ってニカと依り代の青年譲りの白い歯を輝かせたかと思うと、「それにな」と呟きスッと目を細めた。
「む」
「聞けば此度の惨事、義栄の馬鹿息子がしでかした、との話じゃあないか。ならば、それが無くとも孤が始末をつける事態よ、なあ」
言葉の調子は変わらないものの、その言葉と視線からくる殺気は只物では無い。
「その殺気・・・成程、公方様の方と貴殿の方、寝ても覚めても殺し合いとの事聞き及んだる由、尤もに候」
「一つ訂正、殺したかったのはそちらだけだ。孤としちゃ、島に逼塞した落ち公方なんざ眼中に無かったよ」
「ぬかしおる事。しかし、夥しき結構。果たせぬ恨みを果たしたとあれば、公方様の溜飲も少しは下がるであろう由!」
薙刀をぶうんと揮い、眼前で構える。いざ、と思った時には既に迫り来る1の影。
「おおう」
しかし、嘗ての主君の相手を散々やらされた御蔭か、<僧兵>にとってその程度の奇襲なぞは慣れたものだ。薙刀の背でこちらに迫る刀を跳ね上げると、そのまま義輝の腹へ蹴りかかる。
「おっと!」
しかし、敵も異名に違わず大したもので。刀を跳ね上げられた勢いそのまま、大きく横に跳んで此方の蹴りを躱す。
「ふん、近江の卑怯者は礼儀も知らぬ故、無様な事」
あからさまな嘲笑は挑発の意を込めたもの。しかし、それを察したかはたまた素か、義輝はしれとした顔で、
「知るか。勝つ為に切った張ったの戦場で、卑怯卑劣は褒め言葉だ」
アッサリとそう言い切った。武家の頂点に立つ将軍という身分からすれば、もう少し言い様を改める方が良いのは言うまでもない。が、
(左様)
と<僧兵>は心の中で同意した。嘗ての主を思い出すような言いっぷりはむしろ心地よい程で、鬱々とした現在の主と比べれば遥かに好感がもてる。
(兎に角、敵を倒せば勝ち。勝ちて首級を挙げれば即ち、兄上が喜ぶ。そう、仰っておられましたなあ・・・)
やはり自分も、斯様な人が本質的に好きなのかもしれぬ。少なくとも、ネチネチと暗い策を練る人よりはよっぽど・・・。
(いかぬいかぬ、今は戦場よ。気を抜いてはならぬ)
無論、頭を回しているからと言って呆としている訳では無い。と言うより、そんな余暇を与えて呉れるような生易しい敵ではとても無い。
1合、2合、3合と間断おかず仕掛けられる斬撃は鋭く、早い。その型と修練に裏打ちされた確かな動きと、それを可能にする精強な肉体に支えられた攻撃は<僧兵>を以てして尚、少しでも気を抜けば忽ちずんばらりとされかねないものだ。
「はっは。どうだ果心、孤の腕は!」
「黙ってやれ。儂は忙しいのじゃ」
軽口を叩きつつ、しかも果心の助力する素振り無しでこれである。むんむんと唸る彼女は恐らく、眼前の自身より他からの奇襲を警戒しておるのだろう。時折視界を過る符から考えるに、術を使っての周辺警戒に終始している模様だ。
「ヤアァ!!」
「おお!」
しかしつい、手練れとやりあうことに高揚したのが仇となったか。ほんの一瞬、ほんの少し力を入れ過ぎた振り切りは、手練れの相手からすれば大いなる隙だった。見逃されはせず、強烈な一突きが体の中央、心の臓が在るべき場所へと叩き込まれる。
「ぬおっく!」
辛うじて、薙刀を回転させ柄で受けることによりその必殺の一撃を受け止める。しかし、体を貫かんほどの勢いで放たれた一撃に、<僧兵>より先に薙刀の柄が白旗を上げた。みしゃりと嫌な音を聞き取った<僧兵>が薙刀を手放すのと突き入れられた一撃が柄を真っ二つに断ち割ったのは、ほぼ同時。
「むう」
あと1呼吸それが遅れていれば、恐らく義輝の一突きで<僧兵>は体にその刀身を受け敗北していただろう。その、命をあと1歩で失っていたという恐怖感が、流れる筈の無い脇の冷たさを思い出させた。
(だが・・・まだまだ)
それは<僧兵>流の強がり・・・では無い。確かに武器を失ったのは痛いが、結果としてその身に傷は1つも無く、まだ『因果妙』を破られた訳でもないのだから。
「はっは。まずは一本ってところだな、松永!」
「ま、そんなところじゃが・・・油断するでないぞ、義輝。あと、今の儂は果心と呼べ」
「果心だあ・・・?似合わねえが、仕方ねえなあ」
しかし、何故だろうか。明らかに果心も義輝も、<僧兵>の薙刀を破壊したことを殊の外上首尾と断じていた。
(武器を奪って、勝ったつもりか?)
通常、式霊の武具はその魂のカタチと共にあるものだから、いくら砕かれようと元のカタチに戻る。それは、弾切れも弾込めも無い<銃坊>の種子島が良い証だ。しかし、こと<僧兵>の薙刀は別だ。彼の『因果妙』は素手で行うものだから、式霊としての彼には武具は無く、あの薙刀も公方様に用意してもらったものだ。
「おろ?何だ<僧兵>、これはもう要らんのか?」
「喧しい事。その心根は罠を仕掛けるに向かぬ様」
確かに、折れたとはいえ刀身のある方は長巻として使えなくも無いだろう。しかし、それは今、義輝の足下に転がっている。無思慮に手を伸ばすのはうかうかと敵の懐に落ちるようなものだ。それに、手慣れていない武器でこの手練れ相手に勝ちが拾えると思える程、<僧兵>は楽観的でも自信家でも無かった。
(拙僧は最早徒手空拳。そう、傍目には見えようが・・・しかし、先の敗因を忘れる程、果心とやらも愚かではあるまい)
口舌で誘う、と言うのはつまり警戒を解いてはいない、と言うこと。それは表情硬く、優勢の勢いそのまま切りかかるで無しに様子見に終始していることからも伺えた。
「どうした、拙僧はこれ此の通り丸腰の由。如何で切りかかれぬ事?」
「ぬかせ」
その吐き捨てつつも油断無くこちらを伺う様から、やはり知っておるようだ。そもそもの話、果心が先にあの若武者へと放った『因果妙』を眼前の義輝に伝えていないと考えない方がどうかしている。
しかし、このままこうして時間が流れれば公方様の儀式は無事、完遂できる。万一しびれを切らして切りかかってくれば『因果妙』で刀を奪い無力化出来る。
(どちらにせよ、最早負けは無いな)
それを「少し残念だ」と思えるくらいには、今の<僧兵>の心には余裕があった。
「どうした、静かの事?」
「ッ・・・・・・・・・」
嘲る余裕すらある<僧兵>とは対照的に、義輝は先ほどの口舌以降は苦々しくギリギリと歯を食いしばっている。仕掛けたいのに仕掛けられぬ歯がゆさに苛々しているらしい様子がありありと伺え、やはり眼前の式霊は公方とは言えその心根は武辺者らしい。
「ック!」
「来るか、良き也!!」
成程、『因果妙』を躱すのには刀へと触れられなければ良い、と考えたのか。依代となった若武者の身体能力を存分に生かした足さばき腕さばきにて陽動をかまし、幾重にも重なった太刀筋が<僧兵>へと襲い掛かる。そこには「何とか一太刀」と彼が目論んでいるのが透けて見えた。
(だが、無駄な事)
『因果妙』はこの世の理では無い。つまり、どんな動きで来ようとも『それが刀であれば即ちそれはすべからく我が手に来るべき』と、そういう
「取った!」
見ずとも分かる、その手に感じる柄の心地。事実、刀は<僧兵>の手の中。
「駄目か!」
耳朶を打つ悲痛な声を愉しみながら、<僧兵>は奪い取ったその勢いのまま刀を弊履の如く投げ捨てる。
後は、先と同じだ。先の彼と同じように徒手空拳となった義輝の、そのどてっ腹へ拳を叩き込み、しかる後に御首を頂く―
―その筈であった、が、
「何い!」
如何なる手妻か、義輝の手にはきらりと光る刀が一振り。それは義輝の腕によって振り抜かれんとこちらを狙う。対して、こちらも『因果妙』からの流れで右腕が振り抜かれようとしていた。しかし、刀と拳がかち合うのなら、後者の勝つ見込みは殆ど無い。
「ええぃ!!」
何とか、といった体で右腕の軌道を変えて刃筋との正対は避け、手甲で受ける。ギヤッと鉄と鉄がぶつかり合い、火花が散る。その音と当たる感触から、義輝がその手に握るものが真の刀剣であることに疑いようは無い。しかし、彼が奪って捨てたものもまた、間違いなく刀であったことも間違いない。
「どうだ!」
ならば、残された答えは1つだ。
「くう・・・義輝、それが貴様の『因果妙』か!?」
(その通り)
後ろで見ていた果心が、義輝の代わりに心の中で答える。四郎丸の「刀が奪われるのなら、無限に刀が出せる様な逸話のある魂を遷現すれば突破出来るんじゃないか」などという力技の考え。聞いた時は頭を疑ったが、単純な道理程やってみれば存外上手くいくらしい。
(しかし、まあ・・・『倉一つ埋まりて候』となぞ書いた儂が悪いのかもしれんが、何とも酔狂な逸話が残ったものよな)
又、運も味方しているようである。久通から聞いたが、義輝公の敗因は薙刀で足を掬われた事だとか。運良くか、はたまた彼が狙って壊しにいったのかは聞いてみないと分からないが、結果として因果に縛られし式霊の身からすれば自身の死因を損壊せしめたことは有利に働いている、筈だ。
「後は双方、どちらが先に転ぶか、じゃな」
状況は云わば千日手。武蔵坊の勝ちの手である『因果妙』は最早有用に働くまい。また武蔵坊としての逸話が『因果妙』をもたらす以上、牛若丸から百振目を奪えず配下となったという逸話がある以上、その通算で<僧兵>が奪える本数は九十九が限度の筈。
しかし、義輝の側としても『因果妙』を使うのが初めてな以上、刀を出すのがどれほどまで可能なのかは不明だ。つまるところ、上限がありそれが<僧兵>のそれより少なければ全てがお終い、元の木阿弥。そもそも奪える数に上限がある、というのも果心たちの勝手な予想に過ぎない。
即ち、義輝が刀をどれだけ出せるか、武蔵坊が奪える上限まで粘れるか。あとはその底を競う耐久勝負。
「ここから、いよいよ正念場、か」
「せい!」
「お、おう!」
しかし、そんな果心の想定と見せかけの状況は裏腹に、感覚では<僧兵>が己の不利を自覚していた。
(糞う、これでは)
何度目か、振り下ろされる刀を掴み取る。が、次の瞬間には刀は手の中には無く、振りかぶられた新たな刀が白刃を煌めかせる。
「キリが、無い!」
最早、余裕ぶった口調も、僧侶らしい振舞いもうち捨てた。それで尚<僧兵>は、この男に勝てる見込みが見いだせないままだ。
「諦めろ、武蔵坊!」
「五月蠅い、拙僧は、もう!」
そうだ。拙僧は、武蔵坊弁慶は、もう2度と、主君を死に至らしめてなるものか。
「ふうん!」
力を両腕に込め、筋肉を浮かび上がらせる。ミシミシと軋む肉体は式霊なればこそ悲鳴を上げずに戦える。
(最早、守りは捨てる!)
守っていては勝てない。ならば、攻め続けて相手を押し込めば良い。そうすれば、如何な『因果妙』であろうとも―。
「あ」
押し込め、閉じ込め、攻め落とす。
(それはまるで、あの衣川の藤原どもと同じ・・・)
「隙あり」
ほんの一瞬、そんな考えが頭を過り、大きく広げたまま両腕が止まる。それを見過ごすほど、眼前の男は戦士として2流では無い。彼が<僧兵>の薙刀を壊した時と同じように、勢いのまま突き入れる。咄嗟に<僧兵>が両腕を胸の前で組んで防ごうとしたが、あの暴風のような一撃がそんなもので止まる訳もなく。
「か、はあ」
突き入れられた必殺の一撃は、人間であれば心の臓のある位置を今度こそ、違い無く貫いていた。
「全力では無かったかもしれんが、孤の、我々の勝利だ武蔵坊」
「そして、拙僧の・・・俺の敗北、という事か」
無論式霊であるから洪水が如く鮮血が吹き出すようなことは無く、只黒い靄の様なものがゆらゆらと傷口から立ち上っていたに過ぎない。しかしそれが致命の一撃であることは、急に足腰に力が入らなくなったことからも明らかだ。
そのまま、ふんぬと切り裂かれた刀の切っ先には遷現の折に用いられた人形の木札が突き刺さっており、自身を現世に留める要石を失った<僧兵>の体はうぞうぞと崩れだす。
「ふ、ふふ。気にするな、手など抜いてはおらぬ・・・ただ、そのように感じられたとあるならば・・・やはり、守るべき主君としてはあの方は力不足であった・・・からかもしれんな」
火事場の後の賢者顔ではあろうが、あの時に折れた薙刀を全力で拾いに行って戦った方がまだ、勝ちの目は有ったのだろう。そうしようと決断できなかったのは、そこまで身を危険にさらしてまで、あの公方様を守りたいと思わなかったからか。
(いや、そうであっても、あの奴ばらと同じ手は・・・まったく、俺も<銃坊>を笑えんな・・・)
苦笑が漏れそうになるがとまれ、そういった判断も勝負の一部。言い訳がましく、くどくどと述べる事は<僧兵>の美意識からも外れた行いであるし、勝者の側としても喜ばしいものでは無かろう。
故に、送る言葉は、1つだけ。
「義輝、それに果心。勝ったからには誇れ。正道たると胸を張り、己が悪と断じる阿波公方の野望を止めよ。それが、殺せし者への唯一の手向けぞ」
それだけを言い残し、<僧兵>武蔵坊弁慶は霧となって消えた。ドロドロに溶けた泥人形の残骸と、義輝の持つ刀の中程に貫かれた人形のみを残して。
「ふう・・・疲れた、疲れた」
消えていった武蔵坊の気配が無くなった途端、義輝は大きく息を吐いた。式霊とは人の魂がカタチになったものであるから、人間離れした存在だからと言っても緊張と無縁という訳にはいかないのだ。
「はあ・・・。まったく、孤だってこんな鬼気迫る仕合は初めてだってのに。よくも生き残ったもんだ」
「その割には、自信たっぷりじゃったがの」
じっとこちらを見たままそう呟いた果心に、義輝は「当たり前だ」とプイと顔を反らす。
「彼の松永弾正からの依頼だぞ?果たさなきゃ、男が廃るってもんだろ」
「そうかの。儂は・・・儂は正直、殺されることも覚悟しておったがな」
その言葉に、反らした顔を直ぐにグンと戻して、
「殺す?」
と問いかけた義輝だったが、その時には逆に果心が体ごと顔を反らしていた。
「何で・・・孤が、お前を?」
「何故も何も、お主を殺したのは儂じゃろ?」
「いや、違う。アレは・・・」
「違わぬ。殺したのはあの馬鹿どもじゃが、けしかけたのは儂じゃ。じゃから、儂が殺したようなものじゃ」
淡々と、明日の天気でも述べるような調子で紡がれる言葉。それを発する果心の表情を伺おうとするも、残念ながら義輝の位置からは後頭部しか伺えない。
「儂が唆した。儂が暗示した。儂が嗾けた。儂が―おう!」
「だから違うって」
コン、と遮るように義輝は鞘でその頭を叩く。
「何をする!」
思わず振り向き、涙目で抗議してくる果心を、義輝は軽く押し留めると、
「その理屈を言うならな松永、長慶の奴を殺したのは孤だ」
真剣な顔で、そう吐露した。
「な・・・な、なあ?馬鹿者!あ奴は病死じゃろう!?」
「勿論。だがな、その病を与えたのは孤の不手際だ。孤が協調の手を取らなかった。孤が公家衆を嫌いで対応しなかった。孤に金が無かった」
一言一言、己の無能を吐露していく。それは胸に針を1本1本刺していくかの如き苦行で。
「だから、何もしなかった孤の代わりに長慶や義興の奴が身を削って、その結果があれだ」
「じゃが・・・じゃが、それでも。それでも儂は、あ奴をお主が殺したとは思わぬ」
「だろ?」
いきなり軽い口調に戻った義輝に、思わず果心も「ふぇ?」と素っ頓狂な声を漏らす。
「それと同じだ。例えどれだけ暗躍してようと、孤はお前が孤を殺したとは思わん。それで良いだろう?」
それにな、とくしゃくしゃと頭を掻き回しながら、
「お前は孤の弟を保護し、征夷大将軍に就けてくれた。なら、それでいいさ」
「ふん・・・相変わらず、お主は単純じゃの」
「応よ。それが孤だからな」
乱れた髪を整えつつ恨みがましい目を送る果心と、屈託のない顔で笑う義輝。そこに先までの緊迫した空気は、とうに弛緩し無くなっていた。
「ま、後は義栄の馬鹿息子をしばき倒して一件落着・・・・・・と、やりたかったんだがな」
もの惜しそうしそう呟く義輝の指先からは、しゅうしゅうと黒い煙が立ち昇る。
「どうやら、時間切れのようだな」
「じゃの。そもそもがその場しのぎに近い儀式じゃったから、むしろ良く保ったと褒めてやりたいくらいじゃ」
「孤をか?」
「儂を、じゃ」
名残惜しそうにぎゅっと果心は義輝の手を握る。その行為に「おや?」と意外そうに義輝は目を瞬かせる。
「なに、他意は無い。ただ・・・少し懐かしくての」
「懐かしいって・・・ああ、そうか。あれからもう」
そう。義輝はついさっきに蘇ったばかりだから何ということもない別れだが、果心にとっては久方ぶりにあった旧知と再び分かれるのだ。感慨の1つもあろう。
「他の奴は・・・なんだ、その」
「他?ああ・・・藤孝も、貞孝も、昌山公も皆死んだ。生きておるのは儂と、十兵衛くらいのものじゃ」
「十兵衛・・・ああ、アイツもお前と同じく面白い奴だった。たしか・・・」
「ほう。じゃが、あ奴もあれから・・・」
もやもやと、体から立ち昇る靄がだんだんと強くなる中で交わされたのは、何と言うこともない昔話。しかし、今の彼女たちにはそれが、正しく百金の価値がある時間の使い方だった。
「・・・はあ。さて、もう終いか」
だんだんと、体の感覚が無くなっていく。さっきまで感じていた掴まれている感覚も、今では見て掴まれていると分かる程度だ。
「じゃろうの。しかしお主、よく呼ばれたものよな」
それは、果心にとって解決しない疑問の1つだ。
「確かに、お主にとって儂は要石の一つ足りうるかもしれんがの。それにしても都合の良くいったものじゃ」
半ば感心したような口調でそう言う果心に、義輝は「ん?」と意外そうに大きく目を剥いた。
「まったく、儂の
「いや・・・その・・・気付いてないのか?」
「何にじゃ?」
一切の曇りのない、ポカンとした顔。
「いや、何でも無い」
だから、義輝は決めた。言わないでおこうと。
「いやいや、何でも無い訳無かろう。言え」
「言わぬ。まあ・・・でも・・・」
だが、隠したまま死ぬのは夢見が悪い。なので、
「そうだな、一つ。孤がここに呼ばれたことも、この依り代の青年がいることも全て、お前の行いの結果だ」
せめて、手掛かりの1つでも伝えておこう。そこから答えを導き出せるかどうか、それは果心の心根次第と言っておこう。
「だから、果心」
「何じゃ?」
「誇っていいんだ、お前は、お前の行為を」
ゆっくりと、腰を下ろす。今のまま天に召されて、依り代の青年が怪我をしてしまっては、それこそ果心や今は亡き弟に顔向けできない。
「ま、それだけ言えりゃあ、死にゆく身としちゃあ満足だ」
「馬鹿者めが。・・・・・・相変わらず武家の男というのは勝手に満足して、勝手に死んでしまうの。馬鹿めが」
「はは。最期に・・・懐かしい・・・口汚いのが聞けた。じゃあ・・・な」
最早、体を包む靄のせいで果心の顔も見えない。何か発しているらしい言葉も聞こえない。ただ、魂が依り代から離れる直前、頬に1滴2滴と滴った液体。その熱さが義輝が最期に感じた感覚で。
果心が最期に送った手向けであった。
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