第14話 蘇る力
「駄目じゃ!嫌じゃ!反対じゃ!!」
術士の誇りは何処へやら。果心はまるで駄々っ子の様に手をブンブン振るって異を唱える。
「だが、俺の技量では奴には勝てん。なら、勝てる奴を呼ぶしかなかろう」
しかし、しんとした眼差しで彼女を見つめる四郎丸の眼は真剣そのものだ。そこに一片の雑念すら入り込む余地はないほどに。
「しかしなぁ・・・幾らなんぼ何でも・・・人の身を依り代に式霊を遷現させるなど、無鉄砲にもほどがあろう」
「しかし、出来る筈だろう?」
「それは・・・まあ、の」
理屈ではそうだ。専門的な説明は省くが、式霊の遷現とは魂を呼び起こし、導き出したカタチを依り代に被せるようなものだ。よって、その依り代そのものの質もまた、式霊の戦力としての質を左右する。敵が造った依り代も、見た目はあんな泥人形だがその中身は推して知るべきだ。敗死した<凶者>の依り代はぐずぐずと溶け砕けてしまって、とても再利用は出来そうに無い。
「だから、俺を使え。少なくとも理屈上は、あんな泥人形よりは良い依り代になるだろうさ」
しかし、飽く迄理屈は理屈だ。
「無理じゃ。それに、お主が誰に目算をたてておるのかは分からぬがな。前にも言ったように、何も無しに目当ての者を遷現させるのは至難の業よ」
じゃから、止めとけ。そう言おうとした果心の台詞を遮るように、
「それならあるぞ」
そう言って、刀を鞘ごと腰から抜き、その先で果心を指さす四郎丸。
(ふむ、刀と儂?・・・!?)
その2つから導き出された答えに、思わず果心は血相を変えて四郎丸の襟首へと掴みかかる。
「・・・四郎丸、貴様!?」
「そうだ、かつてお前の主君が仕えた足利将軍第十三代目。あの<僧兵>とやらの『因果妙』、あれを突破するなら彼の人こそ腕といい逸話といい最適解だ。確か・・・」
そう言って四郎丸は滔々とその『逸話」を語る。普段ならそれを言う筈の泣丸は木にもたれかかり、ただじっと黙って2人のやり取りを眺めている。彼は主人の声色から、嘴を挟むべきでは無いと悟ったのだ。勿論、時折恨めしそうな視線を果心が飛ばしてくるのも承知の上で。
「・・・・・・と、そんな話だったそうな。違うか?」
「いや、違いはせん。違いはせんが・・・しかし・・・しかしの・・・」
されど、果心の物言いはどこか奥歯にものが挟まったような、何とも歯切れの悪い。
「何か問題でも?」
「いや・・・あ奴、義輝は儂が殺したようなものじゃからな・・・」
実際に弑したのはバカ息子と能無しの跡取りだが、それをワザと見逃したのは誰でもない、この果心居士だ。
「だが、相手が十四代の子孫とあれば、彼の人にとっても敵だろう?」
「まあの。じゃし、目的はどうあれあ奴の弟を保護したのは儂じゃから、貸しもある」
果たして、どちらへの恨みが勝るか。そればかりは賭けになる。
「そんなことより・・・問題は、儀式のそれよ」
「儀式?式霊の遷現の儀式自体はそれ程手間のかかるものでは無い。そう言ってなかったか?」
「そうではない!」
こちらの気持ちも斟酌せず、一手ずつ丁寧に退路を消していく四郎丸に、とうとう果心は気持ちを爆発させた。
「遷現とは申せ、その実は狗神憑きや狐憑きと変わらぬ。最悪の場合、貴様の体はその魂に乗っ取られるのじゃ!分かっておるのか四郎丸!」
「そ、それは・・・」
「いや、分かっておらぬ!つまり、貴様という人間はこの世から消え失せるも同然となるのじゃぞ!そして、貴様が言うておるのは儂にその介添えをせよ、と言っておるに等しいということもな!」
果心は松永久秀として大和を支配してきた身、今更良い子ぶる気は無い。だが、だからこそ、果心は術による無益な殺生は厳に慎んできた。この男は、それをしろと言っているのだ。
「しかし、時間が無い。泣丸」
その想いを知ってか知らずか、四郎丸は感情の乗らぬ声音で言葉を続ける。
「はい」
「先に感じた気配式霊に間違いないな」
「はい、確かに」
「その気配は、麓の村へ行った。それも」
「はい。間違い御座いませぬ」
泣丸も感情の見えぬ声で、淡々とそう報告した。
「つまり、敵は俺たちの退路を断った。逃げ出したとも考えられるが・・・お前の言う敵の心根から考えれば、その可能性は薄いだろう。助けを請えなくなった以上、今できる手を打つしかない」
違うか?と。ふるふると身を震わせ俯く果心に投げつけられる主張。その主張はよく分かる、分かってしまう。式霊2人がかりを相手に取るのは幾ら四郎丸の策が成ったとしても厳しいものがあろう。
「それにな、果心。俺の身を案じてくれるのは有り難いが、俺も武士の端くれ。目的の為、守るべきものの為に命を賭す覚悟なぞはとうに出来ている」
その言葉で、果心の癇癪に火が付いた。
「それじゃ!!」
急に荒げた声に「何だ!?」と驚きつつも訝し気な声を出す四郎丸に、彼女の神経は更にそばだたせられた。
「それじゃ!それじゃ、それじゃ、それじゃ!貴様ら男どもは皆、いつもいつもそうじゃ!」
「な?なに・・・」
「いつもいつも、目的の為だの守るべきものの為だのお題目を弄び、己の命を粗雑に扱いおって!!自分だけは満足して!!そして、そして・・・・・・・・・誰も、戻って来ん・・・・・・残された者の事も考えず・・・」
主を失って100年余り、抑えて来たものが溢れるが如く、言葉と共に目頭からも温いものが零れる。
(そうだ、長慶の奴もそうだ)
機内の平穏の為、禁中の安定の為、民草の為と嘯き、阿波本家の意向に逆らってまで融和に動いた結果がアレだった。愛息と2人の弟を失い、失意のうちに没した。あんなものが男の本懐ならば、そんなもの、何の価値がある!
「もう良い、付き合いきれぬ、好きにせよ!!」
そう言って、果心は堪忍出来ぬと立ち上がる。そしてそのまま立ち去るべくプイと四郎丸に背を向けるが、
「頼む!」
背後からかけられた言葉、その語調の強さに無視して立ち去るのは気が引けたので「何じゃ!?」と、少し胡乱気に振り向けば、
「な、何を!?」
がばと、大小を前に置き、平伏している四郎丸の姿。ご丁寧にも刀の柄は果心から見て右手側になるよう置かれており、その意図するところは明白である。
「お主、その姿勢の意味、理解しておろうな」
しかし尚、彼女の口から出た言葉は冷たい響きのままだ。
「無論だ。しかし俺には先の手以外に思いつくものは無い。お前が去るなら尚更だ。だから果心、もしお前がせぬ、と言うならこの刀で―」
「馬鹿モン!!お主・・・それは・・・・・・卑怯じゃ」
しかし、その意味するところは1つ。四郎丸は『果心になら殺されてもいい」と、そう言っているのだ。
「そうだ、卑怯な申し出なのは重々承知の上だ。でもな、お前がいくらそれを嫌おうと、いくら忌避しようと。俺は・・・俺は、武家の男なんだ」
「その為なら、命も惜しくないと?」
「そうだ」
きっぱりと、そう言い切る。
「それに例えここから逃げて生きて帰ったとして、敵に背を向け帰ったとあればどの道、立つ瀬なぞ無い。だからこれは初めから最後まで俺の我儘だ。だから果心、頼む、力を貸してくれ」
頭を下げたまま、一息にそこまで言い切ると後は返答を待つ無言の時間。ひょう、と冷ややかに風が通り過ぎる。じっとりと苛まれる側からすれば、両手で数えられる時の数が数刻にも感じられた。
「・・・んでやれ、か・・・」
ポツリ、と頭の上で果心が何事か呟いた。
「?」
それに四郎丸が思わず、といった体で覗き仰ぐと、
「む、何じゃ?」
と、不満げに頬を膨らましながらこちらを見降ろす彼女と目が合った。
「いや、別に。何か聞こえた気がして・・・」
「ナニ?ああ、独り言じゃ。・・・それよりお主の・・・ええい、ああもう!!」
思いが上手く言葉にならないのか果心はがりがり、がりがりと形の良い指で頭をしきりに掻きむしりつつブツブツと言葉を口の中で転がしていたが、
「もう良い、ええい四郎丸、面を上げい!!」
「おう!」
もうすでに上げていたようなものだが、茶々を入れてまた臍を曲げられてはかなわない。心変わりは謎だが、兎も角機を逃してはならじと真剣な面持ちとなって果心を見据える。
「おおう、もう・・・ええい。四郎丸よ、お主の言わんとすることも分からんでも無い。よって一つ、確認するぞ」
「何だ?」
「若しじゃ、儂がお主の意に沿って遷現の儀式を行ったとしてじゃ。若しもお主に危害が加わった場合・・・」
ごくり、と生唾を飲んだのは果たしてどちらだったか。
「その場合・・・・・・儂は死ぬぞ、間違いなく」
「待ってくれ!失敗したのがお前の責とは・・・」
「待たぬ。要は、お主が言うておることはそれくらい危険の大きい、というより何が起こるか分からんことなのじゃ。最悪の場合、お主と言う人格そのものが涅槃の彼方へと去ってしまうこともあり得る・・・いくら本人の希望でとはいえ、お主がそうなってしまっては、儂ものうのうと生きては帰れぬ。その事、重々承知で―」
「ああ、大丈夫だ」
あんまりにもあっけらかんと言い切り過ぎたのか、果心は目を丸くすると、
「お主、人の話を―」
「聞いているさ。しかし、どうせ手を貸してくれないのなら俺は死ぬんだ。なら、お前を信じるさ」
「・・・儂が失敗するとは思うとらんのか?」
「するのか、失敗」
「いや万一というものをな・・・」
「なら大丈夫だ、お前が全力でやって失敗したなら悔いは無い」
そう言う四郎丸の目にも心にも、曇りは一切無い。
「まったくもう、これじゃから武門の男は始末におえん・・・。良かろう、主がそこまで言うのであれば儂も腹を括ろうぞ」
「そうか!ならば泣丸、お前は麓の村へと斥候だ。若しそれが<僧兵>なら一目散に逃げろ」
「は!」
先ほどまでの愁嘆場は何だったか。直ぐに主の顔に戻った四郎丸はそう、テキパキと己の従者に命を下す。泣丸もそれに右顧左眄することなく、次の瞬間にはいなくなっていた。それを見ていた果心は思わず、呆れたような声を漏らす。
「・・・本当にもう」
「良し。じゃあ果心、早速・・・って、危な!」
いざっと両手を広げた四郎丸に見舞われたのは石礫。それを寸で躱した彼に、今度は正拳が鳩尾付近にお見舞いされた。
「う!」
「急くな馬鹿者。いくら簡単な儀式と言えど準備はあるのじゃ。確か・・・この先、少し行った所から石畳になっておったの。行くぞ!」
まったく、とブツブツ文句を言う果心だが、その語調に先ほどまでの狭隘さは無い。
「はいはい、分かりました・・・よっと」
であれば、こちらも普段通りの対応で。そう思った四郎丸は前を歩く果心をひょいと担ぐと自身の左肩へと座らせた。
「わわ、何をするのじゃ!?」
「ん?急ぐんだろ?この方が速い」
勿論、幾ばくかの悪戯心があったことは否定しないが。
「ば、馬鹿者!若し敵が来たら・・・」
「なあに、問題無いさ。右腕は空いているから咄嗟の折には対応は出来るし、お前は行李より軽いしな」
「そういう問題では無いのじゃが・・・もう良いか、どうでも。落とすでないぞ」
「応よ!」
その言葉は意気に満ち、足取りは自身にも不思議なほど軽い。まるで未知の儀式に身を任せ死地に向かうとは思えぬほどに。
(『ここまでして男が頼んでいるのじゃ、汲んでやれ』か・・・なつかしいのう・・・)
石筆にてがりがりと石畳へ儀式の為の文様を描きつつ思い出すのは先ほどの、そして以前、未だ長慶の片腕として活動していた時分の話。
(あの時もそうじゃ、こちらと膝突き合わせた途端にがばと平伏しおったか)
自然と思い出しが止まらない。
(・・・あれは確か永禄に替わったばかりの初夏であったか)
最早何度目か分からぬ挙兵に対して、将軍山に布陣した義輝を包囲した時の話であった。「和議を結びたい」
そう伊勢を仲介に申し出てきた義輝に、長慶の奴も何を考えておったか。その提案を受け入れたのだ。
(そうそう、その会談の場で・・・)
無論、思い出に思いをはせながらも手は休めてはおらず、迷い無く、それでいて寸分の狂い無く描き進める。
(・・・あ奴がそうじゃ、先の四郎丸と同じようにいきなり平伏しよった。あれには儂も長慶も目を丸くしたわい)
しかし、結果としてはそれが奏功したのだから大したものだったのだろう。最早密議の内容までは覚えていない。が、果心も交渉ということを忘れて思わず「ここまでして男が頼んでいるのじゃ、汲んでやれ」と肩を持ってしまうくらいには真剣味があった。
と、そこまで思い出した所で石筆は切れ、文様は描き終った。ちらと文様の中心を見れば流石に緊張の面持ちで、それでいてそれをおくびにも出さぬようにしようと試みる四郎丸の姿。
まあ見て分かる以上、激しく無駄な努力な訳であるが。
(流石に偶然とは思うが・・・まあ、儂がああ言うて肩を持ったのと同じ動きをされて、それを無下にしては長慶に顔が立たぬ、か・・・)
思わず、「ふふ」と笑みが零れた。それに勘づいた四郎丸が「な、何だお」と、緊張からか語尾もおかしくどもりつつ抗議してくるのを見て。更に笑みが漏れた。
「ふふふ。何でも無いわ、たわけ」
「・・・んだよ」
そして、その手にしっかと掴んでいるのはここまでの道中に果心が編んだ術を封じた符が3枚。
(まったく、思えば儂も過保護になったものじゃて)
その符自体はここまでの道中、肩に乗せられている間暇だったから作ったものだ。本来は無くても構わないものなので、余計な手間と言えば、それ以外の何物でもない。無論、儀式が失敗すれば儂も死ぬ、と四郎丸へと豪語した手前というのもあるが、
(何故かのう・・・こうも捨て置けんのは)
長慶が死に、公には『松永久秀が死んで』以降、果心は術士としてどこかに肩入れせず生きてきた。だから今回も、今までと同じく貸せる範囲で力を貸し、無残に終わってもそれはその者の責、気にすることなく御山に帰る。今回もそうなる筈だったのだが。
(分からぬものじゃ、なあ長慶・・・)
「待たせたの」
パンと軽く手を叩き、真剣な面持ちで四郎丸へと向き直る。
「やっとか」
それに応えるべくか、同じく真剣な面持ちでこちらを見つめる四郎丸であったが、
「声が震えておる、無理をするでない」
それ以外にも、カクカクと上下する膝でその面持ちも台無しだ。
「するに決まっているだろう。俺と、お前の命が賭かっているんだからな」
「・・・勝手に賭けたのはお主じゃろうに。まったく・・・心配せんでも、ここから後は儂の力量次第じゃ。お主はただそこに居ればよいだけじゃて、心配せずとも良い」
始めるぞ、と彼女が言った言葉に四郎丸が無言で頷いたのを確認し、
「・・・・・・では」
パンパンと2度柏手を打ち、記憶より遷現の儀式に用いる
「~※※※※※※※※※※※、※※※※※※※※※※※※※※※※※※※、※※~」
と、日ノ本の言葉では無い言葉の列が果心の口より発せられる。一度述べ出せば残りの行程には果心の意思は最早介在せず、滔々とした調子で、まるで自動の絡繰機械の如く述べられていく。そして、宣唱が進むにつれて先ほど果心が描いた文様からは黒い靄の様なものが染み出すように湧き出ると、次第に量を増すそれが四郎丸の体をもうもうと包み込んでいった。
「~※※※※※※、※※※※※※、※※※※※※※※※※※※※!!」
されど、儀式は進む。寧ろここからが肝要、渾名法を用いるとしても望む魂が果たして遷現出来るかどうか、いよいよここが正念場。
「~さてもさて、今一度の御幸賜るは渾名<剣豪>、真名『足利菊幢丸義輝』!いざさ、いざさ、参られよ!!」
パンっと今一度、果心が柏手を打つ。すると、それまでもうもうと四郎丸を覆っていた靄もそれと同じくしてパアと霧散した。そして、そこに直立しているのは紛うことなく四郎丸、少なくともその姿形は。
しかし果心は感じていた。その身から立ち上る霊気は間違いなく、四郎丸のものでは無い、式霊のそれと。
「・・・ひとまず、遷現は成ったか・・・。して貴公、名を何と申す」
ごくりと生唾を飲む果心に対し、その問い掛けに式霊はすうっと目を開けると少し驚いた様な表情を見せた。が、それを直ぐに打ち消すと、ぼりぼりと頭を掻く素振りをし、
「今更、名乗り合う間柄でも無いだろ。久しいな、久秀」
そう言って、ニッと笑った。
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