第13話 作戦会議

「まあ・・・まずは一つ、か」

 感傷はどうあれ、崩れ落ちた<凶者>が自身の障害であったことは間違いない。確かな達成感が徐々に四郎丸に湧き上がる。

「ふうーっ。おっと、とと」

 しかし、心とは裏腹に体は正直なものだ。大きな溜息を吐き出すと緊張の糸が切れたせいか、抑え込んでいた四肢の疲労、苦痛の訴えが四郎丸へと一斉に襲いかかった。いくら動きが読めたと言っても、式霊の攻撃自体は伊達ではない。体へ相当の無理をさせていたらしく、堪らずどうと背中から地面へと倒れ込んだ。満足感の元、ぐっすり眠りたいと脳が叫ぶ。

「っと、いかんいかん」

 しかし、四郎丸は被りを振ってその訴えを端に払いのけると、ふんすと腹に力を込め直して「せいや」と立ち上がった。成すべきことを為すまでは、戦士に休息は許されない。

「さてさて、泣丸には救出に向かうよう言ったが・・・如何するべきかな」

 後を追って敵の根拠地へ殴り込むべきか、それとも信じて待つべきか。そんな風に考えを巡らしていた四郎丸の頭の中に、不意に声が響いた。

(―四郎丸!―)

「うお、何だ!?」

 いきなり果心の声が頭に響き、近所でがなっているのかと辺りを見回せど誰も見当たらず、

「・・・気のせいか?」

 さっさと合流して一息つきたい心が聞かせた幻聴かと、呆れたように頭をポリポリと掻く。しかし、

(―おい、四郎丸!聞こえておるなら頭で念じよ―)

「うわ、またか?」

 再び響くのは間違いない、果心の声だ。何が何やら分からない四郎丸だったが、反射的に言われたことを試みる。

(―こうか?―)

「遅いわ!!」

「うお、吃驚した!」

 そして、今度は脳裏にではなく直接背後から果心の怒声が投げつけられた。これで都合三度、四郎丸は驚かされたことになる。あまりに驚きすぎたのが功を奏して小刀を投げつけなかったことを感謝して欲しい。

「主殿、お待たせを。しかし、拙者らの接近に気づかれぬとは・・・修行のやり直しですかな?」

「泣丸・・・。死闘を制した直後なんだよ、大目に見ろ」

 ガサリと熊笹を掻き分けて姿を現した己の従者の小言に、四郎丸は唇を尖らす。

「ところで果心は?声が聞こえたようだし、お前がいるなら無事なんだろうが」

「こちらに」

 そう言って泣丸がゆさゆさと肩を上下すると、たちまち「ぐえ」と無様な声。そちらに視線を向ければ、俵抱きとなった肉付きの薄い尻がこんにちはと顔を出す。

「・・・変わった趣味だな」

「んな訳無かろう四郎丸!泣丸も早う!早う降ろすのじゃ!」

 そう言われ、「はい」と泣丸が力を緩めたからお慰み。べしゃりと顔から落下した果心は「へげ」と、いささか優美では無い感嘆符と共に大地と濃厚な接吻を交わした。

「・・・随分とまあ、手慣れたもんだな」

「誰か様と似ておられますので、扱いは容易う御座いまして」

 その文句にひっかかるところを覚えた四郎丸だったが、「まあいいか」と独り言ちると泣丸の足下で呻き声を上げる果心へと目を移す。

「そんなことよりも果心、さっきのは何だ?」

「『そんなこと』ではな!あ、あだだだだ、首が・・・ふう、あれかの?あれは『念話ねんわ』と言うてな、術にて遠隔地にある者とも話が出来る、大層に便利な優れものじゃ」

「そうか?あれだけの近さでしか通じないんなら、言うほど便利でも・・・」

「し、仕方なかろう。本来は、予め符丁を定めて念を繋げるのが常道なのじゃ。寧ろ、あれだけぶつけ本番で何とかなったのがちょっとした奇跡よ」

 顔と首をさすりつつ弁明してくるが、こちらの不信感が顔に出ていたらしく、むうと不満に頬を膨らませて更に言い募って来た。

「なんじゃその訝し気な顔は!本当、本当なのじゃぞ。現にここまでの道中、江戸に居る天海と敵の正体とその狙いについて話をつけておったのじゃ、本当じゃぞ」

「果心殿、あまりそう本当を連呼されると嘘の如くですぞ」

「そうだなあ、っておい!敵の正体が割れたのならそれを一番に伝えろ!」

 血相を変える四郎丸に、それ以上の血相を抱えて果心が吠える。

「お主らが儂で遊ぶからじゃろうが!!」


「・・・かくかくしかじか、という事じゃ」

「まるまるうまうま、と。成程、嘗ての将軍の遺児とは拙者も思い至りませんで」

「まったくだ。徳川の世になってもう永いと言うに、執念深いこった」

 泣丸は勿論、四郎丸も応仁の乱以降における将軍任官のいざこざはよくご存じである。なので敵の正体とその動機、それらの点については合点がいったようだ。

「しかし果心殿、その義弼とやらが企む事態、遷現を目論む式霊とは真にそれで?」

「まったくだ」

 しかし、その義弼の企みとやらについて述べられた果心の予想についてはいささか得心しかねる様で、主従共々訝し気な表情を隠そうとしない。だが、果心は事も無げにそう思う根拠を述べる。

「そうじゃ、義弼の言い様から判断するにの。それに先ほど報告した折、天海の奴が言っておった」

「何を?」

「あ奴の手の者が江戸にて細工をしておった場所についてじゃな。酒井雅樂頭の上屋敷じゃと」

「また豪儀な所に忍び込んだもんだ。で、それがどうした?」

「確かの辺りですと・・・・・・ああ、成程」

 分からぬと首を傾げる四郎丸とは異なり、泣丸は合点がいったとばかりにポンと手を打った。

「そういう事じゃ。隣のとは違って流石に詳しいの、泣丸」

「煩い!しかしだ果心、仮にその男の身の上やその企みが正しいとして何故、行動を起こしたのが今になってなんだ?そいつが本来、恨みをぶつけるべき奴は皆死んでしまっているじゃないか」

 正確に言えば松永久秀であった果心は存命であるが、彼の者たちに比べ彼女はあまりに小物過ぎる。人の想いは人それぞれとは言え少なくとも、この時節に事を起こす理由としては弱いように感じられる。

「そこまでは分からん。あの語り口から察するに、儂への恨みは骨髄のようじゃが」

「しかし、果心殿が一の目標ならば、関八州が標的というのは解せませんな」

 そもそも、果心が長命を得ていることは術士の冥加とは言え只の結果に過ぎない。ここに至る前に死んでいても、本来の人間の寿命を勘案すれば何らおかしい事では無いし、戦乱の世の常として討死の恐れはいかな長命とて付きまとうのだ。

「だのう。富士の霊地一帯をあの時分に統治しておったのが義昭の同盟者、信玄坊主じゃった故に、その敵対者であった阿波公方の一党は立ち入れなんだからかもしれんが・・・」

 そう言うが、果心にもそれは理由として妥当性は感じられない。

「単純に、踏み切れなかっただけじゃないのか?」

「確かに。万全に万全を、そう言って機会を逸し続ける者は時偶おりますが・・・聞く限りにおいて、彼の義弼とやら、そういうたちでは」

「無いの。アレは・・・どちらかと言えば、感情で暴走する質じゃ。それにもう一つ、謎は残る」

 それは単純に、彼の力量について。

 いくら怨讐の念強いとは言え、義弼が陰陽の道へと入り込んだのは彼の生年から考えても数十年ばかりの筈。修行の年数や術の練度は果心の足下にも及ばぬであろうに。

「それほどまでに大掛かりな儀式を執り行うのは、儂でも手に余る」

 勿論、彼の才覚が天才的であれば別だが。

「・・・ん?遷現自体はそれ程難しい術式じゃ無いって」

 言ってたじゃないか、と口にする四郎丸に、果心は「ではなく」と首を振って答える。

「問題は、数よ」

 確かに、式霊の遷現自体はそれ程難しい術式では無い。しかし細川忠興、道峻、武蔵坊に加え、あの口ぶりではそれだけではあるまい。果心とて骨が折れるそれだけの数の遷現を、その程度の力量の術士がどうやって。

(いや、富士の霊地であれば・・・否、それでも遷現時は自らの霊力でなんとかするしか無い・・・では他に・・・・・・では・・・いやいや、まさか・・・・・・)

 果心が顎に手を当て、ブツブツと独り言ちる、

「あだ!!」

 のを差し止めるように、コンという高い音と甲高い悲鳴が響いた。

「お。良い音」

「良い音、で無い!何をす―」

 鞘で頭を打たれ、涙目で抗議する果心を四郎丸はもう一度、今度は先より少し強めに叩く。悲鳴を上げることも出来ず、頭を押さえて顔を伏せる様を見るに思った以上に痛かったようだ。

「まったく。思考するのは大切だが、周りを疎かにするのはどうかと思うぞ」

 そう言って、ぐしゃぐしゃと果心の頭を掻き回す。

「それだけ考えてケリが着かないのなら、考えるだけ無駄だ。取り敢えず敵の狙いと正体は分かったんだろう」

 ならばさ、と四郎丸はニカと気持ちよい笑顔を見せて、

「原因究明はさておき、取り敢えず動こう。そうすれば、見えてくるものもあるさ」

 今度は、優しく頭を撫でる。落としてから持ち上げる、まるで祖父の主君の如き人たらし振りだが、彼の人とは異なり醸す雰囲気が嫌味さを感じさせない。それどころか、どこか爽やかさすら感じる振舞いだ。

「四郎丸、お主・・・」

「なに、主殿もよく思考の迷宮へ迷い込まれますからな。同類相哀れむ、といったところでしょう」

「余計なことを言うな、泣丸」

 どうやら図星だったようで、四郎丸はフンと鼻を鳴らした。

「そんなことより・・・果心殿」

「何じゃ?」

「その予想が正しければ、拙者らの手にはいささか以上に余る事態と言えましょう。ここは一度引き江戸へ帰し、手勢を整えるのも一考では?」

 確かにそれも一考に値する。孫子曰く、三十六計逃げるに如かずと言うし、待ち受ける敵に攻めかかるは下策とも言う。しかし、果心はその考えを切り捨てる。

「否、それは拙い」

「何故でしょうか」

「儂の見立てではあるがの。奴の企む儀式の成就までどれだけ時間をゆるりと使っても一日二日、突貫でやれば一昼夜もかかるまいて」

 つまり、課題は単純明快。江戸まで引いていては間に合わぬ。単純にして、ある意味最も融通の利かない理由だ。

「念話で援兵を請うたとしても、甲斐の近国でこの手の事態へ対応出来そうなのは・・・上田の仙石家くらいじゃが、儂から天海へ申して、そこから依頼を回していては・・・早飛脚でも流石に間に合わぬじゃろうしなあ」

 仮に間に合ったとして、対処できるか未知数と考えると、それに時間を浪費するのは憚られる。

「では、拙者らでその阿波公方を討つしか無いと」

「そうじゃ。この事態を収拾するには最早、それしかあるまい。あ奴はまあ、儂が本気でかかれば物の数ではないとして・・・問題は奴の式霊、最低でもあの武蔵坊を突破せねばそれも画餅よ。如何な手のあるものか・・・」

「ある」

「「何?」」

 四郎丸がぽつりと、しかしハッキリと発した予想外の言葉に2人の視線が集まる。

「主殿、何と?」

「対応策はある、と言ったんだ」

 真剣な顔で一旦はそう言い切った四郎丸だったが、

「まあ、十全の手では無いと思うがな」

 そう言って小鬢を掻くと、照れ臭そうに笑った。


「ただいまぁ。で、この国ではよかったのよねぇ。

 本拠地へと舞い戻った<唐琵琶>は、堂内の変わり様に愉快そうに目を剥いた。

「あらあら荒れ放題、大変ねぇ」

 そう彼女が言うのも無理はない。床や壁には銃弾の打ち当たったような傷がそこかしこに出来ており、<唐琵琶>が堂舎へ足を踏み入れた際も、まるで打ち捨てられて数十年もたった建物の如き軋み音が発せられた程である。

 そして見渡せば、憮然と腕を組んで立つ<僧兵>・・・は何時も通りとして、<銃坊>は襤褸雑巾の様に堂舎の隅に転っており、

「<唐琵琶>!!果心はどうした!!」

 そして、今の主である阿波公方義弼はこちらの挨拶にキッと睨みつけ、追及の言を吐く始末。

「何よぉ。せっかく戻ってきてあげたのに、酷い物言いねぇ」

 しかし、どれほど義弼の怒りが暴風雨だろうと、柳の枝は風に折れない。

「それにぃ・・・探せと言われたってぇ」

「馬鹿者!逃げた果心は貴様たちが相手しておった連中と合流しようと動くに違い無い。だに、だに、なのに!捕まえもせず、オメオメと!」

「そう言われてもぉ・・・・・・会わなかったんだからぁ」

 仕方ないじゃない、と不満顔で身を捩じらすが、そんな動きすら艶めかしいのは傾国の美女の面目躍如か。

「公方様、その辺りで止します事。それより、<狂者>にも戻るよう命じては如何?」

「無駄よ、既に念じておるが反応は無い。さては彼の若武者にやられたか、それとも逃げ出したか」

 貴重な手駒を2つも失ったという事実に、流石の義弼も肩を落とした。

「孤の正体も果心にバレた以上、あ奴の口を通じて江戸にも孤の目論見は露見していよう。さて・・・<僧兵>、奴らはどう動くと思う?」

 ふむ、と<僧兵>は顎に手を当て考えると、

「恐らく、向かって来るかと思い候」

「ほう、如何でそう思う?果心の連れの腕ではお主に勝てぬと、そう述べたのは他ならぬお主であろうに。それとも、その男は己との実力差すら分からぬ凡愚とでも?」

 意外な回答に、義弼はヒクと眉を動かしつつそう問いた。

「それは無いでしょう事。しかりて左様に申し上げるは簡単な理屈故。彼の若武者では万に一つの勝ち目はありますまいが、公方様を放置しては間違い無く江戸にとって好ましからぬ事態へとなるのは明白の事。ならば、幾ら少なかろうと、勝ちの目のある方へ賭けるが武家の本領にて候」

 その言葉に、今度は<唐琵琶>が「ふふ」と揶揄するように鼻で笑う。

「あらあらぁ?この国の武門の者は、命が惜しく無いのねぇ」

「・・・何が大切か、その違いであろう由。貴女の国は漢の太祖が如く、無様に逃げ回るだけが勝利への道では無い故」

 そのあからさまな当て擦りに<唐琵琶>もほんの少し、ピクリと眉を動かすが、

「・・・・・・ふぅん」

直ぐに何時もの愚者を見る様な目つきで<僧兵>をじっとりと見つめた。

「どうした事?」

「いーえ、何でもぉ。ただ、そう言えば貴方もその、武門の者の端くれでしたものねぇ」

「その辺りにしておけ、二人とも。さて・・・しかしよ、<僧兵>の予測が正しいのかもしれんが、果心が音頭を取って一旦退く、という事も考えられる。あ奴は、武士の在り方然というものを嫌っておったからな。・・・・・・<唐琵琶>よ、ここから麓の村まで如何程かかろう?」

「この国の単位なら・・・四半刻も掛からない、と思うわぁ」

 その回答に、義弼はパンと扇を打つと、

「そうか・・・よし、ならば<唐琵琶>は即刻村へと向かい、その地で待機せよ。して、果心が来れば今度こそ捕らえ、<僧兵>の予測通りに動いたとあれば孤から念を飛ばすので直ぐに戻って参れ」

 名案を思い付いたかのような顔で、そう命じた。この一帯から江戸へ戻るにはその村を通るしかなく、そこで網を張っておれば逃しようはない。そう考えたのだ。

「ふぅん、そうしたならば・・・仮に逃げなかったとしても、挟み撃ちの形になるわねぇ」

 でもぉ、と<僧兵>へ視線を移すと、

「この人1人で、大丈夫なのぉ?初めから2人掛かりの方が万全で無くてぇ?」

「大丈夫だ。問題無い故、公方様の言葉通りにせん事」

 揶揄うような<唐琵琶>の鼻柱を打つように、ピシャリと<僧兵>は言い切った。 それに対し、「ふぅん」と小馬鹿にしたような言い様が増々<僧兵>の癇に障る。

(この売女、何を考えておる)

 無論<僧兵>とて八幡大菩薩の化身と謳われた武者の従者、<唐琵琶>が懸念しているようなことくらいは分かっている。が、この女の言葉尻に乗っかることはどうしても許容出来無かったのだ。

 そもそも、この<唐琵琶>がまともな提言をすること自体珍しいのだ。その裏で何を企んでいるか、分かったものでは無い。

「そぅお。分かったわ、じゃあ・・・行ってくるわねぇ」

 そんな<僧兵>の思いを知ってか知らずか、いつも通りしゃなりしゃなりと艶めかしい歩き方で堂舎を出て行く<唐琵琶>。

 己の命通りに動いてくれて満悦の義弼と、乱れた精神を整えるべく瞑想を行う<僧兵>は気付かなかった。

「・・・・・・・・・じゃあ、ね」

 堂舎を出る瞬間、<唐琵琶>は意味あり気にそう呟くと、恐ろしく蠱惑的に、笑った。


「おお・・・これは」 

 心を落ち着けた<僧兵>が板戸より表に出れば、吹きすさび木々をざあざあと鳴らす程の風がバシバシと顔を打った。果心を連れて戻ってきた折にはどんよりと曇る程度だったのだが、何時の間にやら轟々と荒れすさんでいるではないか。

(これも、公方様の行おうとしている儀式の影響か・・・)

 そもそも、この場は神聖なる霊地。故に<僧兵>らがこの地を制圧した際には空気も澄み渡り涼々としていたものだが、今はどうか。じっとりと、それこそ蒸風呂が如き不快さと禍々しさすら感じられる嫌な空気に満ち満ちていた。

 そんな空気から逃れるかの如く速足で<僧兵>はしばし歩を進めると、広場へと辿り着いた。

「ふむ・・・ここで良いか」

 じろりと見渡せば、堂舎へと続く石畳以外は仕合の邪魔になるような障害物は無く、周りを囲むのも低木ばかり。<僧兵>の目を逃れて堂舎へと向かうのはまず不可能と、待ち受けるには絶好の地だ。勿論、戦うにしても。

「では、暫し休息と」

 そう言いつつも、<僧兵>は座り込んだりせず、ただ眼だけをそっと閉じる。

 そもそも、<僧兵>に現世や生前のあれやこれやに対して女々しい恨みつらみは存在しない。

(遷現した際に公方様へそうお伝えしたら、大層驚かれたな)

 そうして公方様より当世に伝わる九郎判官様や武蔵坊らの逸話や悲劇ぶりを聞かされ、逆に大層驚かされたものだ。琵琶法師の語る物語としてはそう言った筋の方が聴衆の受けがいいのは分かるが、あそこまで『良い人』ぶっていたと思われると何やら嬉しいやら照れくさいやら誉高いやら。

(そもそも、あそこまで品性方向な人間が他家を滅ぼしたりするものか)

 結局のところ、九郎判官様にそれ程大それた考えなど端から無かった。あったのはただ兄上に認めて欲しい、喜んで欲しいの一念のみ。それを理解し尚従った<僧兵>らも、当然に鎌倉方や藤原の愚息、鎌倉方への恨みなどは持ち合わせてはいない。

(まあ、梶原などの佞臣を討てば良い結果になる、というのは流石に短慮すぎたが・・・しかし、ああは言ったものの、こうして遷現したということは拙僧、やはり何か恨みがあるのかもしれんな)

 フッと自嘲的な笑みが漏れる。それこそ意味の無い話、再び生を得た理由探しなぞこの時に考える事では無い。

 しかし、思考は止まらない。

(若しかすると拙僧は、対等の状態、九郎判官様の策での奇襲や衣川館での絶望的な戦力差では無い、五分に近しい状態で戦いたかっただけかもしれぬ)

 だから先ほど、<唐琵琶>の提案を無下にしたのだろうか。

(成程、これでは寺からも追い出される筈よ)

 今になって、嘗ての師である叡山の和尚の言葉が蘇る。「お主は仏門に入るには性根が悉く向いとらぬ」と言って拙僧を寺から出るよう命じたそれは、1度死んだからこそ分かる。何という慧眼だろう。

 結果として彼は仏では無く寧ろそれの真逆に位置する戦の申し子に心酔し、その悪行を止める事無く助長し、結果、死ぬ時も最後まで仏に祈らず敵を殺し続けたのだから。


 じゃり、じゃりと小石を踏み近づく足音が聞こえる。それは吹きすさぶ風の音に紛れるくらいに小さな音であったが、待ち望んでいたそれを<僧兵>が聞き逃す道理は無かった。

「来たか」

 口の中でそう転がし、すうと目を開けると予想通り、果心居士と先の若武者がこちらへと歩み寄って来ていた。

「そうだ、そうで無ければな」

 目先の脅威に背を向けるので無く寧ろ立ち向かおうとする、そうで無ければ武門としての意味が無い。しかし、歩み来るさまに一欠片、何とも分からぬ違和感が芽生えた。

「待たせたの」

 しかし、それについて考えるより前に、言葉をかける果心への対応に頭が動いた。

「果心殿にその従者とお見受けする事」

「応よ。しかし・・・まさか、馬鹿正直に待ち構えておるとはの。また迎えに来ると思うておったが」

「公方様は大層用心ぶかきお方故。両者が共に許を離れ、手薄を討たれる事を案じられた由」

「・・・相変わらず、小さい男じゃ。愚かな上にそれでは救いが無いの」

 呆れたような物言いに、思わず<僧兵>の口も意趣返しに動く。

「そちらこそ、今度は三人がかりと思いましたが先と同じく二人がかりとは如何。手が無いとしても愚策につきよう事」

 その言葉に、果心が何とも言えぬ表情を見せる。「それはどうかな」と言いたげで、それでいて本意では無いと言わんばかりの苦汁の表情。

「?」

 思わず<僧兵>が首を傾げると、先ほどより俯き加減でいた若武者が押し退けるように前に出てすっと構えを取る。先とは違い、正段に構えるその動きは毫程の乱れも無く、まるで免許皆伝の腕を思わせる身のこなし。

「ほう、まともな剣術も学んでおった・・・いや、否!断じて否!」

 違う。その時にやっと、先の違和感の正体が掴めた。目の前で刀を構える男の発する気や気配、それは前に倒した男のモノとはまるで違う。確かに姿形はあの若武者と寸分も違い無い、しかし、間違い無く、目の前にいる男は別の存在だ。それは理屈では無く、勘に類するものなれど、間違い無いと心が警告を発する。

「貴様、何奴!名を申せ」

 後ろにいる果心が思わず身震いする程の権幕で詰問する。しかし、男はそんなものは意に介さずと言わんばかりに顔を上げ、涼しい顔でこちらを見据える。

「名か?ならば名乗ろう、孤は―」


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