第10話 一敗地

「しかしよ四郎丸、良かったのかの?」

「仕方ないだろう。<銃坊>とやらの反応があった以上、どこからか狙われているのを放っておく訳にもいかん」

 四郎丸はいつになく、そう強い言葉で断言する。

「こちらから相手の方へ向かうのならそいつの『因果妙』は働かんのだろう?なら、物見や探索なら泣丸が適任だ」

 万が一にも手抜かりはあるまい。その信頼からくる阿吽の呼吸は、流石に昨日会ったばかりの果心には無いものだ。

「体のいい押しつけかと思うたが・・・」

「ま、それもある。あるが・・・あんなのが相手だと分かってれば、俺が行けば良かったかと後悔しているところだ」

 そう言って視線を前へと向けると、その眼前には僧兵姿の巨躯がそびえ立っていた。身の丈6尺を越える、筋骨隆々たる大男だ。

「逃げ出したいのはわしも同じじゃ、諦めい」

「・・・しかしな。あのウドの大木は、お前ご自慢の探知には掛からなかったのか?」

 ジトリと恨みがましい口調で述べられる皮肉に、果心はあっさりと両腕を掲げた。

「あかなんだ。恐らく呪い避けの術か符じゃろうが、この位置でも反応が薄い。それに加えて、堂々と反応を示す<銃坊>が他におれば、まあ気付けんじゃろうて」

 つまり、現状の彼らを上手く表す言葉はただ1つ。

「つまり、俺たちの動きは敵の掌の上。言い方を変えれば『嵌められた』と」

 その四郎丸の言葉に、果心も無言で頷いた。

「しかし・・・であれば何故、こうも堂々と姿を現す。おいお主、何者じゃ!」

 その問いかけに、男は手に持つ薙刀の石突をずんと道に突き刺すと、その巨躯に似つかわしくない礼儀正しい動きで居住まいを正した。

「果心殿、初にお目にかかる故、名乗り申す事。拙僧は公方様の一の家臣、渾名を<僧兵>と申す者成」

 確かに、白い頭巾を被り古風な胴鎧を身に纏うさまは正に僧兵そのもの。分かり易い渾名もあったものである。

 しかし、僧兵らしいのは格好だけ。髭だらけの顔でニヤリと笑うさまは、どちらかと言えば野盗と言った方が似合いそうだ。捲った袖や手甲の間からもしゃもしゃとはみ出ている腕毛も、その野卑さを増長させている。

「顔に似合わず、以外にも礼儀正しいのじゃな、お主」

「拙僧は室町御世の礼儀知らずでは無き故。これでも拙僧、生前は由緒正しき平安武者の郎党にて候」

「平安武者で、僧兵とくれば・・・お主、名に聞こう武蔵坊か」

「御明察にて候」

 パンパンと柏手を打つ<僧兵>に、果心は面白くなさげに口を尖らす。

「ふざけるでない、自分から名乗ったのも同然じゃろう」

「これは失礼。しかし拙僧、平安産まれの古物にて、身分を隠す偽るは性に合いません故、何卒ご容赦の程。それに・・・拙僧の目的は争いでは有りませぬ故」

 「何?」と眉を顰める果心に対し、再度<僧兵>は姿勢をあらためると、

「これより、拙僧が主よりの命をお伝えさせていただきます事、御容赦の程」

 そう口調も丁寧に、深々と頭を下げた。しかし、その行動には一部の隙も感じられない。調子に乗って不意打ちでもしようなら、忽ち組み伏せられてしまうのは目に見えていた。

「ふむ・・・では武蔵坊、いやさ<僧兵>。許す、聞かせよ」

 だから、一先ず果心も符をしまうと、そう鷹揚に申し出る。

「では、公方様のお言葉をお伝え致しますと『果心居士を我が元へ連れて参れ』との事。拙僧としては、大人しく略取されて頂けると助かりて候。僧籍なれば、無用な殺生は好みません故」

 つまり、腕づくで連れて行く事も可能だが、それはしたくないと言うことらしい。あからさまにこちらを下に見たその言い草に、つい四郎丸も鯉口を鳴らしかけた。

「ふむ、公方様のう・・・そ奴がお主らの首班と。由井正雪とやらでは無いのかの?」

「お越し頂き、直接公方様へお尋ねになれば宜しいかと存します事。では果心殿、回答は如何」

 

(成程・・・流石は九郎判官の一の郎党だ)

 言うだけ言った後、<僧兵>はピシリと姿勢を正したまま答えを待っている。相変わらず、腹が立つ程の丁寧さだが、その顔に張り付いているのは傲岸不遜と言って良い。提案か、それとも己の腕か、或いは両方に相当な自信があると見える。

 しかし、しかしだ。

「・・・確かに。どうせ儂らとしても、その公方とやらの元へは行かねばならぬ、だ―」

「だが、しかし」

 果心が言いかけた次の句をスイと1歩前に出た四郎丸が強引に次ぐ。あからさまに不満げな表情の果心だが、知った事か。

「されど、それは、虜囚としてでは無く討伐者として。貴殿が名にし負う武蔵坊だとしても、邪魔立てするとあらば、推して参る!」

 チャキと鯉口を鳴らし、スラリと抜いて構えた刀、それが回答。それが、武門の立つ瀬だろうさ。


(成程・・・腕は良い。大見得を切るだけのことはある)

 <僧兵>は、胸中にて感心を素直に述べた。四郎丸と呼ばれたこの男、型の少なさから判断するに恐らく刀捌きは我流であろう。が、忍び紛いの足の軽さと動きの速さがその型の少なさと動きの単調さを補っている。ぴょんぴょんと跳び回るその動きに、<僧兵>はかつての主を重ねた。

(あの足さばき、五条の橋を思い出す・・・)

 それに度胸も良い。こちらが薙刀を振り切る際や、突いた戻りなど寸の隙を突いてはそこを狙い飛び込んでくる。その為こちらも動作に力を乗せきれず、中途半端な攻撃になってしまう。むしろ、そうしてこちらに全力を出させないのが本願であろうか。

 加えて、後方では果心居士が術を使う隙を虎視眈々と狙っている。少しでも位置取りを間違えれば、たちまち昨日<銃坊>を吹き飛ばしたような一撃をお見舞いされる事だろう。昨日今日に会ったばかりだろうに、何という連携の上手さ。

(成程、<狂者>の腕を奪えたのも頷ける)

 しかし、しかし、しかしだ。尚の事。

「勿体無き事」

 九郎判官様とは違う。あの方が奇策に頼られたのは体躯の乏しさ故のこと。この男ほどの体躯が有れば、このような奇道奇策に頼らずとも存分に戦場を駆けられよう。

(良き師に巡り合っておれば・・・或いは)

 真面な剣術家に弟子入るか、道場に入門し真っ当な剣術家と成っておれば、恐らく今以上に拙僧を苦戦せしめたであろうに。否、その習熟具合によっては既に拙僧を寸断せしめたやもしれぬ。それ程の潜在能力を、眼前の若武者は持っている筈だ。持っていた筈だ。

 しかし、どのような理由かは分からぬが、小手先の軽業に長じるばかりに、結果的に時間を無為にし、正道へと費やす事を捨ててしまったように見える。故に、至高の領域へは届かなかった。

 結果、忍びと剣豪、どっちつかずの三流武者。せめて拙僧に遭い見えなければと思うがもう遅い。敵は倒さねばならず、既に癖は見切れた。後は、仕掛けるのみ。

「真、勿体無き事」


「は?」

 果心は、眼前で起こった出来事が理解できなかった。確かにその眼で見ていた筈なのに、まるで頭がそれを拒んでいるかのようだった。

 直前までは逆に鮮明に思い出せる。<僧兵>が何やら呟いた後、今までに無い力強さで大きく薙刀を振るい、勢いそのままに切っ先は地面へと突き刺さった。

 その隙を逃す四郎丸では無い。切り掛かられた一撃を薙刀を放すことで辛うじて躱した<僧兵>は、その代償に姿勢が崩れ、それまで果心からの攻撃を防ぐよう立ち回っていた、完璧だった四郎丸との位置取りがずれた。

 そう、果心には見えた。

「しめた、行けい!」

「応!」

 敵は徒手空拳、肩鎧も手甲も盾も無い。隙ありと術の援護も乗せ切り掛かった四郎丸の一刀を防ぐ術は無い。仮に仕留められずとも、腕の1本は頂けるだろう、そう思った。

「ふん!」

 ドウム、という何とも嫌な音が果心の耳朶を打ち、自身の横に突風が吹いたのを感じた。見れば自身の眼前、先ほどまで自分の前で切り合っていた四郎丸は忽然と消えている。キョロキョロと辺りを見回しても、どこにもさっきまで眼前にあった背中は影も形もない。

 それでは、先程感じた風は、四郎丸が―

「しろ・・・」

「さて、では果心殿、ご同行を候」

 突然ヒヤリ、と首元に感じる冷たさ。反射的に下を見た果心の目に映ったのは、自分の首元に突き付けられていた<僧兵>の薙刀。

「・・・何時の間に」

 というよりは余りの衝撃で呆けていた間にだろう。紡がれた言葉は丁寧であるが突き付けられた刃先からは如何なる慈愛も感じられない。

「何故、という顔をしておられます事。理屈は単純、拙僧の『因果妙』故。拙僧が武蔵坊と気付いておいでなら、警戒して然るべきでした由」

 そこまで聞いて気付いた果心は、自身の間の抜けようにギリと臍を噛んだ。

「成程、成程。五条大橋、刀狩りか・・・」

 武蔵坊弁慶の大逸話、九郎判官との出会いの場面。百本の刀を集めるあと一本の弁慶を打ち倒したのが若き日の源義経、幼名牛若丸だ。であれば逆説的に、『因果妙』の摂理を考えれば、この男に立ち向かったその他の刀は全て、この男の掌の中。

「・・・そして、刀を奪ってぶん殴った、か?」

「左様の事。では、果心殿?」

「儂が貴様の虜囚と・・・・・・この儂が大人しく、はいそうですかと従うとでも?」

「空元気は大概にし候。足も声も、震えております事。それとも・・・もう一人の仲間に賭けるという心算?それも無駄な事、少し前より断続的に聞こえていた<銃坊>の銃声が止んでおります故。即ち<銃坊>が其方の斥候を始末した、という事。拙僧も略取誘拐は望むところではありません故、助勢の見込みのない以上は無駄な抵抗はお止しの上、どうか大人しくご同行を候」

 理屈は分かる。しかし、それでもと手を真っ白になるまで固く握り、口を一文字にきゅっと結ぶ果心へ<僧兵>は長息すると、少し口調を変え告げた。

「・・・・・・ああ、それにしても果心殿、また『貴殿に関わった者は皆死んでしまいました』な」

 

『関わった者は皆死んでしまいました』

 <僧兵>のその言葉に、果心の目から光が消えた。動揺からだろうか、明らかに語調の異なる事にも気付かずに、地面に落ちそうな膝を何とか気力で支えているようである。

 が、しかし。ゆらゆらと揺れ、幼子の如く泣き出しそうなその眼からは最早、反抗の気概の無い事は明白に伺い知れる。

(公方様より、この言葉で攻めれば果心は容易に落ちる、と聞いてはいたが・・・まさかこれ程とは。幼子を虐めているようで何とも気分の悪い事よ)

 公方様。この現世における主君として忠を尽くす事に不満のある御人では無い、と思う。その血筋を考えれば、自分が仕えることを九郎判官様も許してはくれるだろう。しかし、こういった不必要に心を抉るような真似をする所業は<僧兵>の好むところでは無く、ついつい憮然とした表情をしてしまう。

 しかし、何時までもこうしている訳にもいかない。

「では、果心殿・・・御失礼の事」

 震え、最早抵抗すら出来ない果心を米俵のように抱き抱える。ゆっくりとした動きにもかかわらず、抵抗もせず小刻みに震えるばかりの幼子に憐憫を覚えつつ帰路につこうとしたその時、藪を掻き分け<銃坊>が何故だか姿を現した。更に不可解なことに、その眦は吊り上がり殺気すら満ち満ちている

「・・・<銃坊>、お主、何故に公方様の策に従わぬ由。結果として主の銃声は役に立ったが故に責めはせぬが、主の役目は唯引き付ける事。何故そのように反骨する事有?」

「黙れい!」

 その余りの権幕にか、担がれている果心もぶるりと体を震わせたようだった。<銃坊>の目は血走り肩を戦慄く震えさせ、全身でその怒りを表現させている。

「どうした<銃坊>、何故そのように・・・」

「煩いわ!貴様、余計な差し出口をしよってからに!」

 <僧兵>としては何とも解せない話だ。第一、意味が分からない。が、<銃坊>はそんなことは知った事では無いと口に泡して更にまくし立てる。

「俺はなあ、公方殿に己が腕を示さねばならん。俺を呼んだことは誤りで無いと証明せねばならんのだ、それを貴様!」

「落ち着き候。何があったという事?」

「とぼけるのもいい加減にしろ!」

 ついに、<銃坊>は癇癪を爆発させた。

「いいわ、教えてやろう。俺の弾丸がなあ、悉く当たらぬのだ!!普段であれば十中十九は当たる距離で、ぞ!大方、貴様が公方殿へ讒言してこの銃か俺か、両方か!何か細工をしたのであろう、ふざけるなア!!」

 癇癪を爆発させ、<銃坊>は種ケ島を地面に叩きつける。

 勿論、<僧兵>には一寸も思い当たる節は無い。しかし、ここまで言うのだからよもや勘違いでは無かろう、「何とも分からぬ」と呟く他無かった。

 だがその時、<僧兵>の胸の辺りからくつくつと笑い声がしだし、やがてそれは割れんばかりの大音声となった。

「はあーっはっはっは、道峻、お主使うたな『因果妙』を!いや、使う使わぬというのものでは無いか、『因果妙』は!はっはっはあ」

「なあ!?果心、貴様も我を嘲るかあ!」

 血相を変えて自身の抱く果心に掴みかかろうとする<銃坊>を残った右腕で押し留めつつ、<僧兵>は内心「しまった」と臍を嚙んだ。肩の上で「ひいひい」と呼吸を整えている果心は、どうやら平常を取り戻してしまったに違いない。

「はあ、はあ。いやいや、落ち着け道峻よ。教えてやろう、貴様の弾が外れたのは細工でも手抜かりでも無い。全てはお主の『因果妙』、それ故よ」

 その言葉に、<銃坊>は血走った眼を大きく剥いた。

「何い!」

「そもそも、お主の『因果妙』は千草峠で先右府を狙撃した、その事実からもたらされたものじゃ。しかしよ、その時あの男は儂が加護を与えておった故に助かった、というのはまあ、知っておろう」

「そ、それが・・・それが、何だと言うのだ!?」

「何がも何も、それが全てよ。即ち、お主の弾丸は儂や、儂の加護を受けし者へは絶対に当たらん。そういう理屈になったのじゃろうて」

「な、なん・・・だとぉ・・・」

 勿論それが事実とは限らない。が、その状況に能う理屈は自身の気負いを無に帰すもの。<銃坊>はガシャリと種ケ島を取り落とし、がっくりと膝をついた。

「・・・・・・・・・良かった・・・本当に良かった」

 抱えられたまま果心はその音に紛れるような小さな声で呟いた。

「・・・それ程気にする必要はあるまいて」

 そして、今度は眠る梟も目覚めよと言わんばかりの大声で叫んだ。

「さて、泣丸よ!道峻がここに居るということはお主も何処かに居ろうな!よいか、儂はこ奴らと行く。敵の大将に心当たりが出来たでな、確かめねばならん。よって、努々助けようとはするな!それより四郎丸が殴り飛ばされておる、探して儂が持たせた治癒の符で治してやってくれい、頼んだぞ・・・お・・・・・・」

 思わず首を絞めて意識を失わせたが、<僧兵>は<銃坊>のやらかしに思わず天を仰いだ。自分からは見えなかったが、どこかにいるであろう仲間へと吠えたった果心の眼は、先ほどのか弱き幼子のそれでは、最早あるまい。せめてその仲間とやらを打ち倒せれば良いのだろうが、敵もなまなかの者で無し、木々の梢も草むらもざわりとも動かない。

(我慢比べの余裕は・・・無いな)

 公方様の本願を思えば、無為に使う時間は一刻も無い。

「仕方なし・・・おい、置いて行くぞ」

 <僧兵>は捜索を諦めると苛立たし気に元凶たる<銃坊>の背を蹴とばし、主の元へと急いだ。しかし、その心のどこかに安堵する自分がいたことに、今はまだ、気づいてはいない。

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