第9話 各々の想い
(・・・義興殿が亡くなられたとは真か・・・)
(・・・真も真。病死と本家は宣うが、誰も信じておらぬと政勝殿が・・・)
(・・・風説では弾正が、ともな。あの物の怪ならさてもさて・・・)
(・・・左様。己が権勢に並ぶものは主の嫡子とて許さぬか。怖い怖い・・・)
嘘じゃ、嘘じゃ、嘘じゃ、嘘じゃ、嘘じゃ、嘘じゃ嘘じゃ嘘じゃ嘘じゃ嘘じゃ嘘じゃ。
ああ、ああ、ああ孫次郎、孫次郎、孫次郎孫次郎孫次郎。
殺した?誰が?儂がじゃと!?馬鹿な、馬鹿な馬鹿な馬鹿な、そんな馬鹿な話があるか!
誰が左様な妄言を、凶行を、友通か?政勝か?長逸か?ええい、誰じゃ!
ああ誰が、誰が、誰が、誰が誰が誰が誰が誰が誰が、
誰が、愛しき我が子を殺すものか。
「・・・しん、・・・果心、・・おい、果心!」
「うう、むきゅう。何じゃ騒々しいのう・・・あ痛!」
「日が昇れば起こせ、と言ったのはお前だろうに」
パシンと額を打たれ、渋々と重い目蓋を開けて寝ぼけ眼を凝らしてみれば、さんさんと差し込む日の光。それに「全くこいつは」といった体で憮然としている四郎丸の姿。
で、あれば先のは。
(夢、か・・・)
「よう眠っておいでで。余程お疲れのようですな」
「うむ。あれからお主の武具への付術をしたからの。じゃから、少しくらいの朝寝は許されるとは思わんかの?」
のう?と可愛く小首を傾げて見せる果心にお見舞いされたのは、
「それで寝過ごしてしまっては意味が無うなりますぞ」
純然たる正論であった。これには、流石の果心もぐうの音も出ない。
「むう・・・」
「さて、そんな事より顔を洗って食事となさいませ。拙者らはとうに済んでおりますので」
家宰のように調子よく、されど有無を言わさぬ泣丸の言い様に「仕方ないのう」といまだ閉じそうになる目蓋をぐしぐしと擦る。
「・・・分かったわい。ところで四郎丸よ」
「何だ?」
「お主、儂が寝ておる時に・・・・・・いや、何でも無い」
魘されていたかと聞きかけて、止めた。
「何だよ?気になるだろうが」
「何でも無いと言ったら何でも無いのじゃ。そんなことより四郎丸よ、お主・・・随分と変わった具足じゃのう」
「そうか?」
朝寝を貪った果心と異なり、四郎丸たちは具足を着込んで準備万端の装いだ。しかし、忍び装束の泣丸は兎も角、武士である筈の四郎丸が着込む具足は果心の目には当世具足とも鎌倉武者とも異なるように見えた。
手甲、脛宛、鎖帷子については通常の具足と変わりない。しかし心臓を守る位置に中くらいの覆いが在るだけで胴鎧は無く、従って肩鎧も無い。頭の鉢金と合わせて武者というより足軽や忍びに近い。
「昨夜も申しましたが、主殿は拙者らの郷で修練を積んでおりましたからな。動きが忍びのものに近い故、具足もそれ用に誂えておるのですよ」
「そうか、そうじゃったな。ではの」
若しや、寝言で何か言っておらんかと思ったが、あの様子なら問題は無さそうだ。後ろで「ちょっと待て、何を聞いた!?」と四郎丸が声を荒げるのを無視して果心は、何もないような顔をして表へ出た。
(そうじゃ、あの時分に、儂は死んだのじゃ)
そうあの時。義興が死に、長慶が病に倒れ、阿波本家に担がれた重存が後継となったその時に。
人の心を持つ『忠臣松永弾正久秀』は死んだのだ。
果心居士、こいつは変な女だ。
いや、そう言える程女性と関わってきた訳では無い。訂正しよう、変な奴だ。しかし、それが不愉快かと言えば、それがそうでも無いのが又不可解なのだ。
そもそも、この俺、四郎丸の17年近い人生において女性とは縁遠い存在であった。
俺の母親は、兄から聞くところ産後の肥立ちが悪く、俺を産んで直ぐ亡くなったらしい。だから、産まれて物心ついた時分より、俺の記憶の中に母というものは無かった。どうやら本妻で無いどころかお手付きに近かったらしく、父親の姿も見た記憶は無い。3人の兄上たちとも初めは疎遠で、長兄以外の兄については元服まで、いることすら知らなかった。
(今はまあ・・・上手くやってる、のか?)
だから俺に、家族との思い出は存在しない。唯一長兄が父親の代わりにと、今思えばお手付きの子供としては不釣り合いな屋敷へと来ていたくらい。それ以外の家族らしい付き合いはこの方無かったように思う。
話を女性関係に戻そう。
早道之者の郷へ預けられた時も、不思議と郷長は俺を郷の女子と関わらせようとはしなかった。大きくなってから郷長に聞いたところ、長兄が郷長や大人衆に言いつけておいたらしい。何でも「万に一つも間違いがあっては困る」と言われたとか。長兄から、とのことだったが、病とは言え存命中だった父の意向に違いあるまい。
(だが、それを訊く前に父も、俺の元服を見届ける遥か前に涅槃へ旅立ってしまった)
だから、俺は俺について何も知らない。何故、家族が俺に対してあそこまで疎遠だったのかも。何故、女子衆と関わりをもってはならなかったのかも、全て。
勿論、今は違う。上野へ奇遇し、御役目を果たす上で人との関わりは避けられないし、そもそも町で暮らす以上は、女性を見ないという事は無理難題にも程がある。そうした中で見てきた女性たちを『普通』とするならば、この果心居士は間違いなく変わり者である。
(・・・そもそも、女性という自意識があるのかすら怪しいものだ)
無論、術士としては優秀なのだろう。昨夜の戦闘もそうだし、泣丸の武具への付術を苦も無く施したのはそれを証明して余りある。しかししかし、僧の袈裟を着、胡坐をかいて酒を飲む様は一般的に良しとされる女性像とは悪い意味で余りにも異なる。若しかすると戦国の世では許されたのかもしれないが、徳川の世ではとても許容されるものでは無い。
(されど。何だろうな、これは・・・)
間違いなく、女性としては異端。だのに、何故か、四郎丸は果心へ言い知れぬ親近感を覚えていた。無論、今まで関わった女性の内、これ程までに親しく話した者は無いという事も関係するかもしれない。しかし、果心に感じるのは普通の他人とは異なる、何とも不思議な・・・。
「なあ、果心」
気付けば、何故だかそう口を吐いて出ていた。
「ん?おおう、呼んだかの?」
いきなり声を掛けられ、果心は初め自分が呼ばれたと気付かなかった。しかし、それも宜なるかな、前方を歩く四郎丸が振り向かずに前触れなく呼んだのだから。
現在、果心たちは由井正雪ら一党が占拠したと思しき霊地守護の堂舎へと向かうべく、そこへと通ずる大道を通って向かっていた。何故そこだと分かるかと言えば、昨夜果心が<銃坊>に仕掛けた術の御蔭だ。
「昨夜、儂が吹き飛ばす前に探索用の術をあ奴に仕込んでおいた。どこに居るかは掌の上よ」
「成程・・・・・・よって、あのようなことを申された、と。そう言って頂ければ・・・」
「仕方無かろう。敵が居るかもしれん場所で、策をべらべら言う訳にもいくまい」
どうやらあの時のことが余程に不服だった様子。「むう」と唸る泣丸は四郎丸を以て「珍しいな」と言わしめたほどだ。
その方角と、予め天海坊主から四郎丸が借り受けていた地図とをにらめっこしたところ、どうやらその堂舎の辺りだと分かった。その手際には舌を巻いた四郎丸だったが、そこに行くのに大通りを使う、と果心が言ったことには反駁してきた。
「お仕着せの道なんて、どんな罠が仕掛けられているか分かったもんじゃないぞ」
故に危険だ、と。
「じゃがの、罠が仕掛けられているかもしれん、と言うのは結局のところ、どの経路を利用しても本陣に近づくなら同じじゃろう」
よって、迂回しようとどうしようと、どの道警戒は必要になる。若し仮に樹海の道無き道を進んだ場合は行軍に疲労した上で警戒行動を取らねばならず、畢竟警戒の漏れも多くなる。
「ならばいっそ、進みやすい大道を利用し、万全に警戒しつつ多少の罠は踏みつぶして行く方が結果的に効率は良かろう?」
そう説明すれば得心がいったと見えた四郎丸は、実戦経験こそ乏しいもののやはり利発な男らしい。
しかしその分、罠の仕掛けてある可能性は高く、警戒は厳にしなければならない。本来の果心の腕ならば遥か前方、時間さえあれば甲斐の国中まで術にて斥候することも出来るのだが、霊山たるからなのか敵の望外かははてさて、自身より2町も離れると符が言う事を聞かなくなった。
そのため行軍時は前方を四郎丸が、後方を泣丸が目視と気配で探り、果心は中央で符を使い自分を中心に2町以内の様子を探る。所謂単縦陣の形だ。
「何じゃ、話があるなら鞘で小突けと言うたであろう。何か、見付けたのかの」
「あ?ああ、ええと・・・そうだな・・・。ああ!そうだ、昨日の式霊の話だ!」
「何じゃそれは」
今聞くことか?果心の言葉にはその意が存分に込められていた。
「いや、あれだよ。そう・・・そう!敵を知り、己を知れば百戦錬磨って言うだろう?」
「・・・百戦危うからず、じゃ。馬鹿者」
後ろで泣丸が「相変わらず、誤魔化すのが下手ですなぁ」と四郎丸に聞こえない声で言ってきたが同感である。
(まあ、若者の愚昧には目を瞑ってやるのが年長者の務めかの)
それに、気を張りっぱなしというのも宜しくない。気晴らしを兼ねて四郎丸の下手な言い訳に付き合ってやるとしよう。
「まあ、良い。それで・・・何が聞きたいのじゃ?」
「え?ああ、そうそう・・・・・・あの<狂者>についてなんだがな。細川家の祖なんて、どうやって遷現するんだ?」
「しかし主殿、それは昨夜果心殿が」
ああ、と四郎丸は軽く頷くが、
「でもなあ泣丸。<銃坊>って渾名から杉谷善住坊ってのは分かるが、<狂者>なんて渾名からそいつを持ってくるのは難しいんじゃないか?」
「
ポンと投げ入れるように発せられたその言葉に、思わずだろう、四郎丸が怪訝な顔で振り向いた。
「おい、今何と・・・あ、痛!」
しかし、彼の役目は前方を見る目である。果心は拾った木の枝で軽くその尻を突くと「前を見よ」との意を込めて、その棒で前を指す。
「分かったよ。・・・・・・で?」
「じゃから、縁じゃと言うておる」
「ふむ。詳しくお聞かせ頂いても?」
再び振り向きそうになった主の機先を制するかたちで、泣丸がそう尋ねる。
「難しい話では無い。親しき者同士、親しき品と愛用者には目に見えぬ縁が生まれる。お主の大小がよい例じゃな、四郎丸」
その言葉に、ハッとした四郎丸が柄を撫でるように触る。彼自身も感じていたように、何故かしっくりくるのだこの刀は。その理由が父祖の品であるからならば、
「反対に、この刀を持って式霊を遷現すれば、この刀に引き摺られた魂が・・・」
では、数多の名刀ならばどうなるのか。有り得て欲しく無い想像に、四郎丸はブルリと身を震わした。
「ま、そこまで簡単にはいかぬがの。ただの愛用品くらいのか細い縁では、まあ五分五分以下と言ったところじゃ」
「ふむ。では果心殿、逆にどのような品であれば?」
「確実に目当ての魂を、と?そうじゃな・・・先ず、その魂の遺族。そして、その本人が死ぬ際に身に着けていた武具や装束、それに遺骸そのものや遺骨くらいかの。そして、それらにも増して効果が高いといえるのが・・・墓じゃな」
「墓あ?」
あまりに予想外だったのか、四郎丸の素っ頓狂な声が閑静な樹海に響く。
「うむ。そもそも墓とは盆に死者の魂が還る道標、即ち魂を呼び寄せるのには格好の存在、という訳じゃ」
「なんと。では、三戸に伴天連の聖人の墓があると聞きますが、其処で儀式を行えば彼の聖人も遷現出来得ると?」
「・・・・・・まあ、応えてくれれば、の」
昨日も思ったがこの泣丸という男、落ち着いた話し方や態度からは想像出来んが、そういった風聞や風説が好きなようだ。仕事柄、で無いのは四郎丸が呆れ半分諦め半分の気配をしている事から分かる。
「こほん。それで、じゃ。まあ藤孝の倅の遺品は大事に収蔵されておろう。墓所に忍び込む方がまだ容易かろうから、墓の可能性が高いの。道峻は・・・まあ処刑の後に埋葬された地くらいはあるじゃろうし、案外、撃ち損じた種子島とかからかもしれんの」
「そうか。しかし先の<狂者>とやら、えらく俺に敵意を向けてきたが。あんなのを手勢に選ぶとは・・・まさか、由井正雪とやらの狙いはこの俺か?」
「それは無いでしょうな。主殿がこの件に関わることは如何な術士と申せ流石に予期出来んでしょう。それに、主殿が標的なら、初めから上野へ攻め入れば済む話です」
そうだ、問題はそこ。由井正雪とやらが何故彼らを遷現したのか、である。
(・・・そうじゃ、それが分からぬ)
確かに道峻は腕の立つ鉄砲放だが、もっと著名で、腕の立つ者はごまんと居よう。では逆に、渾名からの逆引きか。
(いや、無いな・・・。<狂者>は兎も角、<銃坊>とは道峻以外にはあたらぬであろう。少なくとも道峻を呼ぶ意図が無ければそんな渾名を付けはすまい。ならば『因果妙』目当てか・・・しかし・・・であれば・・・)
無論、年代物の種ケ島を名のある人物と目して、出てきた道峻に合った渾名とした可能性もある。それに、当たるが幸い、誰でもよいと初めから当て推量で儀式を行った可能性も勿論、考えられ得る。しかし、ここまでの大事を成す人物が、そんな杜撰な手口を行うとは果心も考え辛い。
(ふむ・・・狙いなあ・・・四郎丸、では無い・・・)
その時、果心の思考に雷が走る。
(ならば・・・儂か!)
しかし同じこと。殺す目的なら大和へ直接来ればよいし、捕縛にしても同様。それに昨夜の道峻の殺気は偽りでは無いし、生前の奴はそういった小刀細工が器用に出来る人間では無かった筈だ。
(・・・いや待て、あ奴もそれを、知らされておらんとすれば・・・・・・ほう?)
思考が袋小路に入り込もうとした正にその時、その回答をもたらすかもしれない人物の反応が索敵の網に掛かった。
「喜べ、四郎丸。その疑問の答え手が来たぞ。道峻の反応じゃ」
「糞、なぜ俺がこのような役目を」
<銃坊>、杉谷善住坊道峻は此度の采配に大いに不満を抱えていた。思わず不平が口を吐いたとして誰が咎められよう、と考えるほどには。
「確かに俺はしくじった、それは認めるが・・・・・・ええい、近づくだけで一発も撃つなとは!馬鹿にされておるのか!」
そう、此の度<銃坊>へ与えられた命令は単純明快な代物。移動中の果心たちへ接近し、相手が物見を出せば釣り出し、全員でくれば逃げ出し、引き付けろ。但し、釣り出されたのが果心なら捕らえろ。色々条件は煩いが、結局のところ彼に与えられた仕事は様子窺い、ただそれだけ。
勿論、昨夜に弾が当たらなかったのは果心の術のせいかもしれない以上、今日当たるという保証は確かに無い。しかし、端からアテにされていないような命令に、<銃坊>の鉄砲放としての矜持は大きく傷付けられた。
(きっと<僧兵>あたりの差し出口だろうが・・・ええい!)
彼とて馬鹿では無い、道理は分かる。分かるが、それでも公方殿へ自分の腕を証明し、自分を呼んだことは間違いでないと示したい<銃坊>にとって、その命令は甚だ不本意であった。
(そもよ。捕らえるのが目的ならば、昨夜そう言い含めてくれていたなら・・・)
あんな無様は晒さなかった。数多の不平不満に導かれ、<僧兵>へは勿論、それに従う公方様への不信感が胸中にぐるぐると渦巻く。
「・・・見ておれよ、生臭坊主め」
よって、<銃坊>は決めていた。ある程度引き離し、仕事を成した暁には此方に来た奴を撃ち御首を挙げ、その腕の証とすると。命令違反など、知った事か。
と、そうこうしていると公方様より預かった符に反応が1つ。浮かび上がった文様の形から果心では無い。であれば、この策の第1段階は成就、という事になろうか。
「ふん、取り敢えず策は成った、か」
では後の成否は<僧兵>次第、という事。
「それならば・・・・・・後は、俺のやりたいようにやらせて貰うとしよう」
そう嘯く<銃坊>に抱かれて、唯一無二の相棒たる種子島は鈍い輝きを放っていた。
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