第8話 陰と陽

 合流した後、簡単に互いの無事を喜び合うと3人は再び先ほどの家へ戻って来た。

 未だ、夜明けには暫くある。樹海を追撃するのは余りにも危険性が大きかったし、休息するにしても藪の中よりは屋内の方が好ましいと判断したからだ。罠として残されていた家、というのはいささか懸念が残るが、

「今から、他の家の安全を確認して回るのは無理じゃろ」

 という果心の一言で決まった。まあ、必殺の罠が外れて直ぐに次の刺客、というのは現実的ではあるまい。

「しかし主殿、御無事で何よりでしたな」

「無事に決まっておろう、儂の加護があるのじゃぞ」

 そう言って、果心は「ふふん」と鼻高々に薄い胸を反らす。「我を褒めよ」とこれ見よがしの態度だ。

「・・・お前はもう少し心配しろ。まあ・・・それはそれとして、この護符の御蔭というのは否めんな。助かった」

 四郎丸としては果心の物言いは大変癪だったが、彼女の御蔭であるのは間違い無い。だから、そこには素直に礼を言った。

 つもりだったが、

「おおう・・・・・・そうかの」

肝心の果心はさっきとは打って変わって気まずげに視線を逸らすばかり。どうも様子がおかしいと四郎丸からもさっきまでの感謝の様子は何処へやら、キリキリと眉が吊り上がる。

「お前・・・若しやこの護符、只の気休めで、当たらなかったのは只の運、という訳じゃあ無いだろうな」

「違わい!違うが、その、相手が道峻じゃと・・・、まあ、他の要因もあってじゃなあ」

 ヒューヒューと、吹けぬ口笛を吹きつつそう述べる様は何とか誤魔化そうとしているのが丸見えだ。

「しどろもどろにも程がありますな。何とも分かり易い御人で」

「伝え聞く『松永久秀』とは全く違うな。それより果心、その道峻とはお前が術で吹き飛ばした射手か」

「ん?うむ、そうじゃ。杉谷善住坊道峻、根來を出奔し雇われの鉄砲放として名を馳せ、千草峠で先右府を狙撃しようとして果たせず、刑死した男よ。儂は奴とは顔見知りでな、間違いは無い」

 その名には四郎丸も覚えがある。手練れの鉄砲放としては、雑賀の鈴木や同じ根來の津田と並び聞く男だ。

「それとな、先に襲ってきた鎧武者、あれは恐らく長岡藤孝の小倅じゃ。本願寺攻めの折、天王寺砦で見た覚えがある」

「であれば、肥後細川家の祖、細川忠興と。中々の大物ですな」

「ふーん、善住坊だから『じゅうぼう』なのか・・・あれ、じゃあ何で『きょうしゃ』なんだ?」

「なんじゃ、それは?」

 その言葉に「そういえば、言って無かったな」と気付いた四郎丸は先の襲撃者が互いを呼び合っていた言葉について果心へと説明した。

「・・・・・・てな訳だ。何か分かるか?」

「ふむ。それは恐らく渾名法こんめいのほうじゃ」

「こんめいのうほう?何ですかな、それは」

 こんな場合にもかかわらず、泣丸の知識欲は相変わらずのようだ。前のめりとなる己の従者を見て、思わず四郎丸の口から笑みが零れる。

「式霊を操る術の一つでな、文字通り、渾名あだなを付ける事よ。名を与える、という行為は親か烏帽子親、主君により為される行為じゃからな。呼び出した霊に名を与えるという事は、即ちその者より上位であると因果付けることになる。勿論、その霊に相応しい渾名が好ましいのは言うまでも無いがの」

 そこまで一息に言い、先ほど泣丸が汲んで来た水で喉を軽く潤すと、

「またそれを逆手に、初めに渾名を定めておいて遷現の儀式を行い、その渾名に相応しい霊を呼び寄せるという方法もある。此度のはそのどちらかじゃろうて」

 恐らくこう書くのじゃろう、と言って土間に木の枝で書いて見せるが四郎丸は一瞥もせず、フンスと考え込んでいるよう見えた。

「何じゃ四郎丸、聞いておるのか」

「ん、ああすまん。少しな・・・。・・・なあ果心、その<狂者>が細川某、というのは間違い無いんだよな?」

「おう。大分顔相が崩れておったがあの顔の刀傷、まず間違い無かろう。そう考えれば、出会うた時のお主への執着も得心がいくものじゃ。何せ最愛の人の仇、その孫な訳じゃからの」

 そう、伝え聞く話が真ならば彼の細川忠興の妻ガラシャは関ヶ原の大戦の折、西軍の手によって殺害されたのだ。そして、その西軍の総大将こそ、四郎丸の祖父石田治部少輔三成。

「ああそうだな・・・・・・だからさ、ならばさ。少なくとも敵の式霊に、我が尊祖父は居らんだろう、と思ってな」

 敵の総大将が誰だろうが、怨敵を味方の中に抱えるようなヘマはすまい。

「ならさ・・・少なくとも、だ。俺が、俺の祖父と相戦う・・・そういうことは無い、で良いんだよな?」

 そう言ってほうと息を吐く四郎丸の肩へ、果心は労うかのようにポンと手を乗せる。

「成程の、昨夜からお主の調子がおかしく見えたが・・・合点がいったわい」

 主の独白に、泣丸も成程と先までの主の様子に合点がいった。出会った事は無いと言っても自らの祖父と、それも何らかの歪んだ形へ変えられて相対する、というのは耐えられぬ事柄だろう。

「済まんな。しかし、駄目だよな、こんな惰弱な考えは」

「駄目なものか馬鹿者」

 そう、少し窘めるように言うと果心はそっとその頭を後ろから抱き寄せる。

「親を想う、というのはそういうものじゃろう」

 その果心の言葉は、それまで四郎丸へ投じられていた何処か小馬鹿にしたような物言いとは一線を画すような、それこそ母が子に向けるような慈愛の響がある。

 少なくとも、傍で聞く泣丸にはそのように感じられた。


 一方その頃。


 パシリ・・・パシリ・・・パシリ・・・ 

 扇の音が、まるで東寺の金堂が如く広い堂舎に響き渡る。

 そこは本来、霊地を守る術士たちが宿直や修行に使用していた物だった。そして今は彼らを鏖殺した者たちが占拠し、負傷した<狂者>以外が一堂に会している。にもかかわらず、そこで聞こえるのは上座に座る1人の男が打つ扇の音ばかり。

 パシリ、パシリと扇を打ちつつ、皆が集まってしばらくしてから、ようやく男は口を開いた。

「で?<銃坊>、お主と<狂者>の負傷、之は如何な次第ぞ」

 その声音は追及ということを加味しても、只管冷たい。

「も、申し訳御座いませぬ公方様。敵に裏を掛かれてしまいました」

 がばと平伏してそう答える<銃坊>であったが、それを見る周りの視線は冷ややかだ。少なくとも、仲間意識や同情の類は微塵も伺えない。

「そうか、そうか。しかして<僧兵>、<狂者>の具合は如何か」

「右腕を一太刀で落とされまして候。今は岩室に放り込んでありますが何分すっぱりといかれております故、元通りに動くまでは半日はかかる事」

 公方様と呼ばれる扇の男の傍に控えている、僧兵姿の男がそう答える声も淡々としており、温情のような感情は全く伺えない。

「事の経過につきましては・・・<銃坊>、貴様が不覚を取ったその戦の次第についての事。先ほど既に拙僧は聞いたが、やはり当人の口から語るが良い故。今一度、公方様の御前で申し出でん事」

 その言に<銃坊>はちらと<僧兵>へ恨みがましい目を送る。しかし、再び扇を打つ音が急かすかのように響いたため、渋々と重い口を開いた。

「は、はあ。私が見たところ敵は侍が一人、術士が一人にて。侍を狙い撃つのに気を取られ術士の接近を許してしまいまして、斯様な事態に。・・・また、公方様におかれましては信じられぬ事とは思われましょうが、私の『因果妙』を以て尚、弾が外れましたことも報告いたします」

 何せ、理由はどうあれ自分の失敗談を話すのだ。かつては鉄砲放の腕一本で立つ男であった<銃坊>にとって、これほどの恥辱は無い。

「あらあら、日ノ本一の腕と豪語した割に情けない体たらくねぇ」

 そこで初めて、末席に控えていた女が姦しい口を開く。

「その程度の兵しか居ないのに、よくも大唐国へ攻め入ろう、なんてぇ。まあまあ、大それた事を企んだ事よねぇ。蛮族は蛮族らしくあれば良いのに、身の程を知らないのは困るわぁ」

「日ノ本を侮蔑する様な混ぜ返しをせぬ事<唐琵琶とうびわ>、公方様とて日ノ本の武士故、左様の軽口は公方様への侮辱ともなる由」

 ギラと、それこそ射殺せそうな一睨みであったが、<唐琵琶>と呼ばれた女子は気にする風でもなく手に持つ琵琶をかき鳴らすと、

「あらあら、そちらこそお忘れかしらねぇ。妾の主は隆基様のみ、機会をくれた事には感謝するけど、公方様だろうとあの人だろうと、蛮族の王統如きに平伏する気は無いわぁ」

 そう述べつつチラリと飛ばされた横目には、芳しい色気に紛れた一片の殺意が伺えた。

「さすれども、此度の戦においては貴様にとっても主将である由。余りな無礼は拙僧も許容せん事」

「はぁ~い」

 その気の抜けた返答に<僧兵>も眉間の皺を増々深くする。しかし、幾ら言ってもこの女には馬耳東風なのもまた事実。

(それに、これ以上戯れに付き合って話を逸らしては、それこそ公方様へ申し訳が立たぬか・・・)

 せめてもの反抗としてフンと大きく鼻を鳴らすと、<僧兵>は話を戻すべく平伏する<銃坊>へ視線を向け直した。

「しかし、<唐琵琶>の言も的外れとまでは言えぬ由。要は不覚をとって返り討ちにあったという事」

 仲間からの容赦ない指摘に<銃坊>の手は震え、顔は赤らむ。自らの恥を晒し、ほじくり返されていようなものであるからそれも当然だ。時折ベンベンと小馬鹿にするかの如く弾く<唐琵琶>の琵琶の音もいつもより耳障りだ。そして何より、上座より自身を見下ろす、自分を日ノ本一の鉄砲撃ちと見込んでくれた公方様に申し訳が立たない。

 せめて、何か収穫があった事を示さねば。

「しかし、しかし公方様。この<銃坊>、敵の正体は掴んでおります。あの術士は間違い無く、我が既知であり恨み重なる『果心居士』、又の名を『松永久秀』と申す者にて御座います。これに、嘘偽りは御座いませぬ!」

 パンッと、扇を打つ音が、止まった。

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