第7話 其々の戦い

 待つ、待つ。只管待つ。

「<狂者>の雄叫びも、敵の悲鳴も聞こえんという事は、一旦は逃げ延びたと。そういう事、か・・・」

 中々やる、と口先では称賛を述べたが、それも全ては算段の内。<銃坊>はニマとほくそ笑むと種子島を構えた。

 しかし、緩む表情とは裏腹に、構えた種子島も構える姿勢も、それこそ寸も動かない。

「さっき、一瞬走った光は忍びの閃光玉・・・か?」

 <狂者>は索敵に長けた式霊では無い。恐らく逃げるだけ、行方を眩ますだけなら対処は容易かろう。別れる、煙幕に紛れる、閃光玉にて眼晦まし・・・。どうとでも手はあろう、が。

「全ては無駄よ」

 その『逃げる』という行い自体が、自ずと自身の筒先に姿をさらす引き金となるのだ。この俺の『因果妙』、その通りに。

「・・・来たか」

 余程焦っているのか、バタバタと無様に走るような足音が近づいて来る。であれば、もうじき過たず自身の筒が狙う道へ姿を現すだろう。待つのはいい、大好きだ。待てば必ず、獲物は来る。そして来た。具足も着けず刀を抱え、不用心に自分へさらす背中は絶好の標的。距離は10町も無く、外しはしない。

「これで七人目・・・死ね」

 <銃坊>はそう呟くと、その背中目がけて引き金を引く。くぐもった砲火の音が闇夜に響いた。


「馬鹿な!」

 動揺と怒りで<銃坊>はダンダンと2度3度、大きく地面を踏みつけた。必中の筈の1発が掠りもせず、標的は何事も無く走り去って行ったのだから、憤懣やるかたないのは彼としては当然だった。

「有り得ぬ!」

 しかし、だからと言って彼は注意を怠るべきでは無かった。

「やれやれ、誰かと思えば。貴様か道峻」

「なっ!その口調にその態度、果心、貴様が!」

「応よ。儂の護符の力・・・ということにしておけ、道峻よ。ああ・・・その名は貴様が根來を出奔した時に、捨てたと言っておったか。確か今際の際は、杉谷善住坊と名乗っておったの」

「抜かせ!」

 咄嗟に種子島の筒先を果心へ向ける<銃坊>だったが、いくら弾込めの手が不要とてその動きは軽率で、

「遅い!」

 そして、何より遅すぎた。

「はあ!?」

 旧知とて敵とおしゃべりする趣味は果心には無い。故に、それはただの時間稼ぎに過ぎない。<銃坊>が引き金に指を掛けた時には時既に遅し、果心へと向けたその筒先に、ふわりと1枚の符が浮かんでいた。ある時は戦い、又ある時は共に仕事をしたこともある間柄だ。<銃坊>にはその符が何を為すのか、身に染みて理解している。

「かぁしぃん!」

 しかし、分かった時にはもう遅い。広がる大爆発から逃げる暇など有る筈無く、哀れな<銃坊>は爆風をその全身で受け止めた。

「こんのおおぉ、性悪があ!」

「やれやれ。さようなら、じゃの」

 そう呟く果心の背後へシュタと降り立つ影が1つ。忍び装束の不気味な能面、言うまでも無く泣丸である。

「お見事。して、仕留めましたか?」

「分からぬ。十数町は吹き飛んだ筈じゃが・・・道峻は昔より丈夫じゃったし、式霊の頑丈さというのは依代次第の面もあるからのう」

「では!」

 そう言って血気ばむ泣丸を、果心は「まあ待て」と手で制した。

「今は夜半、無暗に追手を掛けて返り討ちに遭っては、蛇に足を足すだけよ。それよりも、囮になった四郎丸と合流するが先決。違うか?」

「・・・御意」

 本音で言えば、手負いの敵を追うな、と言うのは泣丸にとって承服しかねるところはある。しかし『それよりも主との合流』という意見には従者としては逆らえず、不承不承、コクリと頷いた。

「良い良い、後で説明してやるわい。してもよ泣丸、お主の主君は中々じゃの。まさか自分が獲物役をすると言い出すとは儂も思わなんだぞ」

 そう、別れる間際に四郎丸は2人にこう告げた。「あれが勢子なら射手が居る、探せ」と。

 あの化物みたいな鎧武者の式霊は、確かに強い。しかし、ああも狂乱の体であれば今日の果心たちのように逃げる事も容易だろうし、第一、標的を見つけ出すのも一苦労だろう。

 だがそれは、標的がどこにいるか分からない場合の話。

「泊まる家に罠を仕掛けるのではなく、家に泊まること自体が罠であったか」

 標的のいるその場所さえ分かっていれば、探し出すのも容易であるし、そこから逃げ出す場合の経路予測も容易い。勿論、他にも家はあったが余程のへそ曲がりでも無い限り、普通は最も泊まり易い家を使うだろう。見てはいないが若しかしたら、他の家にはこれ見よがしな罠が仕掛けてあったかもしれない。

「まして、逃げる者がアレを撒こうとするなら、見晴らしの良い街道や八幡の藪知らずの如き樹海へは逃げぬ筈。そこまでいけば因果妙が無くとも予想は出来ような」

 その為、果心と泣丸は四郎丸を囮として、逃げる彼を狙う存在を探していたという訳だ。敵がこちらの逃げる方向を誘導しようとしているのならば、逆にそれを以てこちらが敵の位置を推察することも出来る。

 そして、結果としてはその予想通りに、そういう話だ。

「しかしのう・・・確かに狙われておったあ奴が獲物に丁度良いとは言え、咄嗟に自分からそう言いだせる者はそうそうおらんぞ」

 そう感心した風な口ぶりだが、その表情はそれとは程遠く、暗い。

「じゃが・・・追いつかれておらねば良いがのう」

 その独り言のような呟きに込められた感情を察せぬ程、泣丸も木鶏では無い。そして、それと同時に先程果心の命令に反駁しかけた自分を恥じた。

「なに、仮に追いつかれたとしても、あの程度なら主殿にとっては窮余の内に入りますまい。それより、心配なら急ぎ合流致しましょう」

 だからこそ、そんな素振りはおくびにも出さず、いつもの調子でそう述べる。

「そうじゃの・・・・・・いや、そうでは無いが!無いぞ!」

 思わぬ茶々に果心は顔を真っ赤にしつつ、先行した泣丸の背中が見えなくなった瞬間にポツリと呟く。

「・・・無事でおれよ、四郎丸」


 その頃、従者に買いかぶられた四郎丸は、立ち竦んでいた。

「いやあ・・・困った、困った」

 状況は大凡、四郎丸の思惑通りに進んだ。ワザと足音を殺さず移動したのは、自分を狙うであろう射手を誘う為である。算段通り。

 撃たれた際は流石に冷汗が流れたものの、身を捻ったのが功を奏したか、はたまた果心から渡された護符の御蔭か傷1つ無い。算段通り。

 その後、後ろより感じた爆発は果心が射手を攻撃したものだろう。成否は分からぬが何やら罵声が飛んで行った事から、少なくとも完全な失敗では無かろう。算段通り。

 唯1つの算段違いは・・・。

「まさか、回り込まれるとは思わなかったな」

 そう、途中までは確かに背後に殺気を感じられていた。しかし、途中よりそれが無くなったので撒いたか、と思ったのだがあにはからんや。開けた所に出たと思えば、眼前に立ちはだかるのは件の式霊とあっては流石の四郎丸も驚いた。

 といってもそれを四郎丸の不明、と断じるのは気の毒と言うものだ。いくらある程度は追えるよう足音を殺さず走ったといっても、鎧を着込んだ武者が忍びの薫陶を受けた四郎丸よりも素早く山野を移動できるとはとても思うまい。

「見付ケタゾ」

 しかし、現実は非情である、想定外であったことなど汲んではくれない。

 目の前には殺気で目を爛々と輝かす化け物が、シュウシュウと相変わらず蛇の様な息を吐いている。逃げようにも後ろは来た道、回り込んだ素早さを勘案すれば、逃げられる可能性は那由他の彼方だ。

「!」

 瞬間、四郎丸が逡巡する暇も与えぬ勢いでその式霊は、それこそ弾丸のような速さで突っ込んできた。人間を越えたその突撃を、四郎丸は辛うじて身を捩って躱す。

 しかし、その怪物は器用にも背後にあった木を器用に利用して跳躍し、再び四郎丸の方へと飛び込んでくる。

「くっ!」

 避ける暇などありはしない。鞘を繰り上げる事で首筋に迫った刃を防ぐギリギリの攻防、一瞬たりと気は抜けない。

 その後も人間離れした勢いで、骨をも砕けよとばかりに打ち出される強撃は真面に受け止めてしまえばそのまま刀を弾き飛ばされてしまうだろうことは明白で、何とか抜いた刀の鎬で受け反らし回避に専念するので手一杯。

 とても逆襲に転じて切りかかるような余裕は無い。野獣の如き強打をかわしつつ、鬱蒼と茂る森の中に注ぐ仄かな月明かりで動きを追うので辛うじてだ。

(チィ、何という一撃、まるで怒り狂った猛獣だ。待てよ、獣?)

 打ち反らしながらも巡らした思考で、ふと四郎丸は1つの可能性に行きついた。

(そう言えばさっき、果心は・・・)

 どの道、このままでは埒が明かない。泣丸たちが追いつければ勝負の行方は未だ分からないが、それより先にこちらの体力が尽き、殺られてしまえばそれまで。護衛の仕事も、国元への沙汰も、何より『やる』と言った自分に任せてくれた果心の信用も。

「失う訳にはいかん・・・博打は嫌いなんだがな」

 幸か不幸か、それをやる瞬間は直ぐに来た。敵が突撃の勢いそのままで、貫手の要領で突き入れてきた必殺の一撃。それを四郎丸は敢えて躱さず、刀の腹で受け止める。

「ふん!」

 そして、受け止めた勢いのまま大きく後ろに跳んだ。無論、後方に着地を邪魔する障害の無いことは確認済みだ。

 難なく着地すると予想通りに、その式霊は我武者羅に突っ込んで来た。ここまでは四郎丸の予想通り。

「ツェイ!」

 あと数歩まで近づいたソレへ、四郎丸が掛け声と供に投じたのは礫の一撃。付術も何もないその攻撃が式霊に通じる見込みは端から無いし、期待してもいない。

 期待したのは、その動き。獣の思考で動くのならば至近距離で、自分目がけて飛んでくる脅威を、例え効かぬとしても無視出来るだろうか。

(答えは・・・否、だ)

 四郎丸のその予想は的中する。敵は飛び来る礫を避けるために両足にて無理やり制動をかけると、無理くり跳躍することで軌道から体を躱した。だが、その回避に全振りしたその動き、それにより生じた隙は、四郎丸が切り掛かるには十分過ぎた。

「ツィェェェエイ!」

 キラリと輝く白刃の一閃が、薄闇の中に走る。

「グギャラワ」

 しかし敵もさるもの、切り掛かかられる一瞬で体を反らし命を危機から躱す。首を狙って切り上げられた一撃は的を外れ、代わりにその右腕へと吸い込まれる。

「チィ、外したか」

 しかれどもその一撃は、ソレの右腕を肩口から寸断せしめていた。どちゃりと湿った音を立てて落着した右腕と肩口の両方からは、何やらブスブスと黒い靄が溢れだす。

 普通の人間であれば血をまき散らして死ぬか、少なくとも再起不能の大怪我である。しかし、眼前のソレは人間では無い、化物だ。現に腕の切断面から黒い靄を出しながらもフーフーと呼吸荒く此方を見据える眼差しからは衰える事のない殺気を未だに感じる。

「まだ・・・やる気か」

 未だ一触即発の状況、であったがその時、藪を掻き分け乱入した者がその均衡を崩した。

「こんな所に居ったか<狂者>。撤退だ!」

 その者の装束はあちこち焼け焦げたようになっており、恐らく果心が先ほど攻撃したのはこいつだろう。

「ンン、<銃坊>。シカシ、コレェハ玉ノ・・・」

「駄目だ、今にこいつの仲間が来よる。俺は戦えんし貴様もそのザマ、如何しようも無いわい」

 見れば、その『じゅうぼう』と呼ばれた男。恐らく式霊だろうが体中に木々の葉っぱを纏った姿は兎も角、その右腕は不自然な方向へ曲がっていた。担ぐように左手で持つ種子島も、その腕では満足に撃てないことは容易に見て取れる。

「フムウ、癪ダア!シカシ、シカシィ!・・・・・・エエイ、貴様ア!」

 その『きょうしゃ』とやら、大層苛立たしげであったがしかし、その『じゅうぼう』とか言う仲間の言葉を理解する程度の知能はあるらしい。四郎丸へと指を差し、怒り狂った目で捨て台詞を残すと落ちた左腕をひょいと拾い上げ、『じゅうぼう』共々藪の向こうへ消えて行った。

「やれやれ。・・・『じゅうぼう』に『きょうしゃ』、ね。一先ず助かったが・・・また、分からん事が増えたな」

 そんなことを独り言ちつつ、ようやく助かったと四郎丸は地面にドッカと腰を下ろして大きな溜息を吐く。果心たちが四郎丸を見つけて合流できたのは、正にその時であった。

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