第4話 戦い終わって日も暮れて
「兎も角、この場は既に敵の領域。そう分かった以上、これ以上の行軍は止めてこの村にて一夜を明かしましょう。夜半の樹海に突入するは愚策ですし、ここから駿河との国境まで戻る、というのは手間が掛かり過ぎましょう」
という泣丸の提案に、四郎丸も果心も是非は無かった。
「しかし・・・ここで良いのか?」
そう四郎丸が目を光らせつつ眉を顰めたのは、その恐らく元は村長の物であったであろう村の中で唯一、それなりの造りの家の状態を見てのこと。埃も少なく、屋根の茅葺も腐っておらず、囲炉裏の状態も申し分ない。
「おや?ご不満で」
「不満と言うかな、泣丸。何と言うか、その・・・おあつらえ向き過ぎないか?」
それはまるで、どうぞここでお休み下さいとばかりに用意されていたように思えてならない。もっとも、例の村を徘徊していた式霊モドキとやらが人と同じ営みを送っていたのなら、不思議でも何でも無いのだろうが。
「確かに。ですが、仮にそうだとしても有り難いことに代わりはありませぬ。それに・・・主殿は、折角の拠点を差し置いて、地べたでの野営がお望みで?」
「それを言われるとな・・・」
「それに、どこを休息の場としようとここが敵地であることに代わりはありませぬ。どうせ警戒しなければならぬのなら、過ごしやすい方が良いではありませんかな?」
「・・・ううむ」
矢継ぎ早に繰り出される正論に、ぐうの音も出ない。
当然、四郎丸は勿論泣丸も果心も素人では無い。全員の眼と果心の術で、この家に罠なんかが仕掛けられていない事は確認済みである。ならば屋根があり、板間敷きで、火が不自由なく使えるという心身の楽さを取るのは人の習い。少なくとも野営とは雲泥の差だろう。
「ふい、疲れたわい」
そんな風に眉間に皴寄せる四郎丸とは対照的に、果心はだらけきった声を出す。そう言って、唯一存在した畳の間にゴロリと寝転がる様子はまるで、ここが自分の家のような寛ぎようだ。確かに、危険性は今のところ無い。だが、だからと言ってこの敵地でそこまで堂々とくつろげるのは、それこそ戦国の梟雄故か、それともタダの呑気者だからか。
そんなことを考えながら眺めていると、果心はやおら起き上がり、
「・・・・・・何とも、不埒な視線を感じるのう」
そう、恨めしいような眼を向けるので、四郎丸は咄嗟に目線を反らす。
「気のせいだろう。そんなことより・・・・・・・・・ああそうだ。果心と松永、どちらの名で呼べばいいんだ?」
「果心、で良い。松永の姓は所詮借り物の名でな、儂としては果心の方が座りが良いのでの」
「借り物?じゃあ、伝え聞くあんたの弟や息子は術士じゃ無いのか」
その『息子』という言葉に果心は何故だか少し、ほんの少し眉を顰め、顔に影が差したように見えた。
「息子・・・ああ、久通のことか?そうじゃ。三好の世話をする際に当世の名が必要とかで、摂津の土豪へ術をちょちょいとかけてな」
しかし、それも一瞬のこと。直ぐに老練な笑顔に戻ると、事も無げにそう語った。
「ほう。では、お歴々は?」
「儂の血縁では無いの。その久通も、子が居らんのは外聞が悪いと言われたから長頼の子を貰い受けただけじゃ」
しかし、やはりそう吐き捨てるように紡がれた言葉の端々には、何とも言えぬ棘が垣間見える。どうやら、家族については触れるべきではないようだ。
「じゃから、儂を呼ぶなら果心と呼べ。勿論父母から与えられた名は別にあるがの、それは内緒じゃ」
だから、それを無暗に指摘する程は四郎丸も子供では無かった。第一、時間が惜しい。
「しかしな、糞坊主の話にあった術士というのがお前、というのは最早疑わんが・・・にしても、だ。あんた本当にあの果心居士か?そんな長生きにはとても見えんぞ」
だが、それは何も指摘しない、ということでは無い。
確かにこの果心と名乗る少女。口調は年寄りのそれだが、四郎丸の前で悪戯っ子のように笑う女子はどう贔屓目に見ても齢16~15程にしか見えない。伸びやかな四肢や程よく焼けた肌も貴人と言うには程遠く、その辺りの村の娘子と言った方が通る位だ。
しかしそのしつこい疑念に、果心は愚か者を見るような哀れみを隠そうともせず、
「はあ~。なんじゃ、まだ疑っておったのか」
そう、ワザとらしい溜息と共に「やれやれ」と肩を竦める。南蛮人めいたその仕草が不思議と似合って見えるのも『術士』という言葉から自身を外して見せている一因ではあるのだが、それに果心は気付かないでいた。
「古来より、仙術や道術を極めたものは不老長寿に近しい力を得るものじゃ。常識じゃろう」
「本当か?」
信じられんと言わんばかりにそう言って、胡乱気な視線を送ったのは、その当本人へでは無く己の従者へ。しかし、その従者も彼の意に沿うことは無く、ただ静かに首肯した。
「・・・・・・確かに、そんな話も御座いますな」
「じゃからそう言っておろうに・・・まったく、物を知らん奴じゃよの」
そう嘯く果心に対し、馬鹿にされたような心地を感じたかブスリと黙り込んだ主の肩に、泣丸がポンと手を置いた。
「まあまあ主殿、仮に名乗りが謀りであってもですぞ。味方であり腕が確かとあれば、一先ず問題はありますまい」
しかし、その言葉は慰めでも説得でも無く、むしろ割り切りのそれだった。
「・・・泣丸、お主も中々な物の見方をするのう」
その『味方であれば何でも良いだろう』と言わんばかりのあんまりな言い方。その言葉に、大和太守としても術士としても、いささかの自負のあった果心は思わず肩を落とした。
だが当然、そんな果心の心の機微を斟酌するような泣丸では無い。
「忍びの端くれですからな。さあて、そんなことは兎も角、夕餉といたしましょう!・・・と言っても、あるのは拙者らが持ち寄った携行食ですが」
そう言ってザッと並べられたのは、四郎丸も見慣れた乾物の数々。唯一瑞々しいのは桶になみなみと揺らぐ水くらいだ。
「ああ、水については外の井戸より汲みましたが、拙者と果心殿で確認いたしました。毒の類はありませぬ、問題無いかと」
「味気ないが・・・まあ、是非も無いの」
いくらくつろげるからと言って、家の中にあった保存食や野菜類に手を出す程、流石に果心も恐れ知らずでは無い。
「申し訳ありませんが、流石に湯呑は持ち寄っておりませんで。こんな物で失礼を」
そう言って泣丸が差し出した水の入った竹筒を手で制すると、
「儂はこれがあるでの、水はよい」
そう言って果心は腰から瓢を取り出して揺らし、勢いよく呷った。「ぷはあ」と吐く息からは間違いなく、酒の匂いがする。
「・・・こんな敵陣で酒盛りとは、桶狭間に遭うぞ」
「儂は今川治部では無いし、敵も先右府では無かろう。そもそも、お主らが素面なら問題無いじゃろ。おい泣丸とやら、何か肴は無いかの」
「肴とあれば・・・ふむ。溶かして汁にする味噌玉と、乾燥させた猪肉くらいですな」
「善哉、善哉。両方頼む」
こちらの当惑を余所に、すっかり馴染んでいるように見える己の従者と術士のやり取り。
「・・・・・・はあ」
それを見ながら、何とも言えない複雑な気分で啜る汁は、冷たいからか何とも塩辛く感じた。
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