第3話 其の者の名

「善哉、善哉。あの天海坊主が寄越した者故、よもや手抜かりはあるまいとは思うたが・・・呵々。これ程までとは良き予想外れよ」

 ふうと心臓の早鐘を治めるべく吐いた大息の埒外から、相変わらずどこか揶揄い混じりの声が聞こえた。じっとりと額に浮かぶ気持ちの悪い汗を拭うと、四郎丸は木々の梢、その奥にいる筈の者へと声を掛ける。

「その言に先の物言い、お前があの坊主の言ってた、くだんの術士とやらで間違い無さそうだな。取り敢えず・・・いつまで、そこにそうしているつもりだ?」

「ほほう、腕は確かでも、褒められ慣れてはおらぬようじゃの。愛い奴め、照れるな照れるな」

 初めての経験に一杯一杯である四郎丸の感情を、まるで逆撫でするように転がされた言葉にビキリと2本、額に角のような血管が浮き出る。

「五月蠅い、黙らすぞ」

「ほう・・・貴様に出来得るか、そのような目に!儂を!」

 そんな他愛ないやり取りをする2人を尻目に戦いの跡を探っていた泣丸は、そのあちこちに何やら玉状の物が転がっているのを見咎めて主君へと声をかけた。

「主殿、これは何でしょうか?」

「どれだ?」

 と、気を取り直した四郎丸が振り向くより早く、

「ん?待て待て、無暗に触るでない!儂が行くから待っておれ」

 そう言って、さっきまでのやり取りは何だったのか。木の上から事も無げに「ようっ」と飛び降りた術士の姿を確認した四郎丸は、そこでまたも驚かされることとなった。

「何と、女子か」

「おお、何とも。声色で年嵩とは思いませんでしたが・・・まさかの連続で御座いますな、主殿」

 笠を目深に被っているため顔は判別できないが、その体付きや腰に届く程の黒々とした長い髪、四肢の動かし方から判断するに少なくとも女性であることに間違いは無かろう。髪の色艶や身のこなしから判断するに山姥の類でも無かろうその姿と『術士」という言葉との不整合さに、呆気に取られた2人は暫し呆と突っ立っていた。

「そうじゃ、それがどうした。・・・おお、泣丸とやら、コレじゃな」

 しかし、その術士の女はその反応を特に気にした風も無く、ずかずかと大股で戦場の跡へと向かう。若い女らしいとは言うものの、その所作と爺むさい言動に加え僧のような柿渋色の衣を纏い袈裟を着けているため、所謂女らしさは微塵も無い。

 ・・・もっとも、四郎丸も泣丸もその『所謂女らしい女』について、それ程馴染みがある訳では無いのだが。

「これは・・・数珠か?」

 そう言って、その女子が摘み上げた物を四郎丸もマジマジと視る。その言葉通り、木を丸く削って作られた朱塗りの玉に1本、糸を通すような穴が穿たれている。それが彼の倒した式霊とやらの数だけ点々と転がっていると考えれば、嘗て彼が幼少の砌に誤ってぶちまけたような、糸の切れた数珠そっくりだ。

 が、しかしその時、絹の幕を張っていない笠の下から術士の顔が覗けてしまった。目鼻立ちはすっきりと整っており、切り揃えられた前髪の下に乱れ無く走る眉はスッとした柳眉。目の大きいのと顎が下膨れで無くスッとしている所は一般的な美人番付からは外れていようが、それを含めてもなかなかの見目、と言っても過言では無いだろう。

 しかし、不慮の沙汰でも無礼の沙汰には違いない。四郎丸はハッと顔を逸らすと、直ちに謝罪の言葉を口にした。

「おっと済まん。誓って、顔を覗こうなんて、そんな心算じゃあ無い」

 過ちに対して「相手の装束が悪いから」などと責を相手に押し付けるような言い訳をすることは、彼の美意識にそぐわない。

 それが、例え気に食わない、遭ったばかりの人物だろうと、だ。

 しかし、その術士は何でも無いようなキョトンとした顔で、

「なんじゃ?ああ、気にせずとも良い。それとも何か、惚れたか?」

 そう事も無げに紡がれた言葉に、四郎丸はホッとしつつ強張った顔を元に戻す。

「馬鹿言え。それよりお前、名は何と言うんだ?」

「そう言えば名乗っておらなんだの。しかし・・・何じゃ?そんなに知りたいのかの、儂の名が」

 ニンマリと揶揄うような顔でそう嘯く術士の笠の縁を、四郎丸は遠慮なく、パンと腰から抜いた脇差の鞘で下から弾く。弾かれた勢いで耳に結わえていた紐が引っ張れたか、痛そうに耳を押さえて蹲る術士の女。どうやら、この短期間で扱いの是非については大凡理解出来たらしい。

「ふざけてる場合か。術士では座りも悪いし、相手に別の術士がいた時に判別が困る。分かるだろう、それくらい」

「うう・・・酷い男じゃ。まあ、そうじゃな」

 痛みが治まったか、耳を抑えながらもゆるりと立ち上がった術士は、合点とばかりにポンと手を打った。そして何の意味が有るのか、肩の高さで腕を広げてくるりくるりとその場で2周3周と回る。それを見て、今日何度目か四郎丸と泣丸は顔を見合わせた。

「「?」」

 茫然とする四郎丸たちを余所に、術士はタッと止まると足を肩幅に広げ、腰に手を当て薄い胸を誇らしげに反らす。そうして告げられたその名前は、驚き続きだった四郎丸の今日の中でも最大級の衝撃を与えるものであった。

「儂の名は果心、果心居士と申す。お主らには松永弾正忠久秀の方が通りが良いかの」


 パシリ・・・パシリ・・・パシリ・・・

 薄暗い1室に男が独り、無心に扇を打つ音が響く。未だ夜半には程遠い時間なれどどうやらその部屋には窓が無いようで、屋根の隙間から漏れる夕日が僅かに差し込むばかりでとても顔貌は把握出来ぬ。

「ふん」

 と、男がそう呟くと扇を打つその音はピタリと止み、見計らったかのように閉め切っていた木戸をゴンゴンと、武骨に叩く音がした。

「公方様、何用の由」

「・・・<僧兵そうへい>か?」

 是、と短い返事が返ってきたことに鷹揚に男は頷くと、

「先程、麓の村に配した式霊の気配が消えた。全員とあれば事故ではあるまい」

「では、敵方からの襲撃に候・・・然らば、先と同じように<銃坊じゅうぼう>と<狂者きょうしゃ>に御役目の事?」

「うむ。くれぐれも手違いの無い様にな」

「御意。それと、その<銃坊>より言伝にて候。曰く、いつまでこのような沙汰を続ければ良いのか、との事」

 その言葉に、今までの静かな調子は何処へやら。男はたちまちくしゃくしゃと顔を不機嫌そうに歪めると、

「儀式の完遂まで、と申した筈よ。しかし・・・文句とは身の程知らずも甚だしい振る舞いよ。幾ら過去に栄光功名あろうと、今はわたしの手駒の一つと述べたであろうに」

 そう伝えよ、と吐き捨てるように告げた男に、自身もその<銃坊>と同質の身である<僧兵>はそれでも、

「・・・・・・・・・御意」

 と、絞り出すようにして答えた。

「しかし、言の葉は拙僧が選ばせていただく由、御容赦の事」

「構わぬ。あ奴も貴様のように、己が立場を弁えれば良いのに・・・」

 その言い草から、どうやら男は<僧兵>の心持ちに気付いた様子は無いようだ。

「それと、その<銃坊>への仕置きは任せるが、くれぐれも敵襲への備えも・・・」

「御安心の事。重ねて申されずとも分かっております故」

「うむ。よく、申し伝えておくように」

 その命令に再び「是」と返した<僧兵>が音も無く立ち去ったことを気配で察し、従順な振る舞いに機嫌を戻した男は再び扇を打ち始める。

「来るにしても、来ぬにしても・・・・・・もう直ぐ。もう直ぐでありますぞ、父上。偽りの御世に、正統なる裁きを」

 沸き立つ感情を抑えつつ男は、どこか恍惚とした表情でそう独りごちた。

 パシリ・・・パシリ・・・パシリ・・・

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