The side of fiance
場所は赤坂見附駅近くのバー。 カウンターにスーツ姿の男女が席を並べている。2人が日中に流した汗はとうに乾き、繰り返される明日への倦怠を紛らわすために、ゆっくりとウィスキーを体に流し込んでいた。 男が女に向かって言った。
「あいつとは、どうだったの?」 女は即座に返した。 「なにもないよ。」
男は女の瞳の焦点が何処にも定まっていないことに気がついていたが、不必要に女を追求するつもりがないことを示すために、すぐさま前を向いて店内音楽に意識を集中させた。
*
男の名前は深瀬悠介。福岡に生まれ、都内の国公立大学を卒業した後メーカーの総合職として就職した。
深瀬は比較的裕福な家庭に生まれ育ち、特にこれといった問題もなく、文字通り順風満帆に成長していった。深瀬は学生時代からバスケットボールに打ち込み、高校時代はキャプテンを務め、県大会でベスト4の成績を収めた。少なくない女子生徒が深瀬に好意を寄せていたが、深瀬には一学年うえの彼女がおり、女子生徒たちは深瀬に告げることなくひそかに初恋を終わらせた。
フィアンセである山本明里とは、職場の上司から紹介され交際を始めたことになっているが、その紹介の前に既に深瀬は明里を知っていた。明里を始めてみたのは、彼が新入社員の頃、他部署との合同研修に参加したときのことであった。
昼休みに同僚と会社の食堂に向かうと、女子社員と楽し気に食事をしている明里の姿が目に映った。
わずか数秒の出来事であったが、明里の持つ独特な美しさは、ときに月のような柔らかな光を放ったり、澄んだ海水が見せる鮮やかな光のようでもあった。
これが一目ぼれなのだと深瀬は確信した。
しかし同時に深瀬は、今の自分が何者でもなく、無力であるということを客観的な事実として理解していた。彼が考えた今できる最も最善な行動は、仮に明里が自分を知ったとき、少しでもプラスの印象から自分を見てもらえるよう、今手掛けている仕事に打ち込み、可能な限り社内での評判を高めておくことであった。
深瀬は今までの経験から、物事を望んだ結末へ運びたいのであれば、まず始める前の準備を丁寧に行う必要があることを知っていた。
-今いっときの感情に身を委ねてはいけない。いつか来る時を待つべきだ。-
深瀬は激しい情熱を内に秘めながら、冷静に機を伺うことのできる男だった。
そうして日々を過ごすうち、偶然上司から冗談混じりに明里を紹介する話があった。深瀬にとってはまたとない好機だった。
「僕でよかったら」深瀬は迷いなく答えた。それからの深瀬と明里の関係はトントンと進んでいき、気が付けば婚約にまで至っていた。
*
明里の様子に変化が見られたのは、彼女の母親であろう人物から連絡がきたあとのことだった。
そしてそのことから、明里の過去や故郷にまつわる何かが起きており何らかの事情でまだその点について整理ができていないのであろう。というのが深瀬の見立てだった。
かぐや姫 だ @daishikawa
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