第2話 もしもし、誰?


「――え……っ?」


 紗菜の喉がひきつる。


『もしもし? 誰?』


 電話口から聞こえる、ぶっきらぼうな問いかけ。

 間違いなく成人だろう。低く冷たく、かすれたような声だった。どう考えても少女のものではない。


「すっ、すみません!」


 一方的に叫び、通話終了のボタンを押す。ぶつ切れになった通信、スピーカーからはプープーと無機質な電子音がする。胸を抑えながら息を吐いた。


「……びっくりした。なにか失敗したんだわ」


 紗菜は改めて操作した。

 電話帳から教わった通りに発信したはずである。おかしいなあと首をかしげながら、もう一度同じように。今度は四コール目でつながった。


『もしもし。ヒュウガだけども、誰がかけてきてんだ?』

「わ! え!」


 また男の声だった。紗菜はそのまま無言で切った。

 今度は電話帳の画面から、紙にメモして写し取る。横に並べて間違いがないかしっかり確認。そしてメモを片手に直接プッシュして、三度目の発信ボタンを押した。


『――あのさ――』

「どうして! あなた誰!?」


 とうとう紗菜は叫んだ。男がムッ、と小さく唸る。


『なんだその言い方。そっちから何度もかけてきたんだろ』


 言われて、初めて己が礼を欠いていたことに気が付いた。携帯電話を持ったまま頭を下げる。


「ごめんなさい、失礼しました。あの……夜分遅くにすみません。こちら峰岸紗菜と申しますが、原田さんのおたくでしょうか」


『……はあ?』


「あの、あたし怪しいものじゃありません。営業販売とかそういうのじゃないんです。ただの女子高生で、特に売れそうなものは持ってませんし」


 男はしばらく言葉を失った。やがて返ってきた声は若干かすれていた。


『いや、この番号は俺のもので……っていうか番号で分かる通りコレ家電(イエデン)じゃないからさ』

「あっ、そうでしたか。たびたびごめんなさい。じゃあまた操作を間違えたみたいです」

『操作?』

「穂波ちゃんが登録してくれたんだもん、番号が間違ってるはずがないし。ほんとにすみませんでした。失礼します」


 今度こそちゃんと礼をして、紗菜は電話を切った。

 まじまじと画面をにらむ。


「おかしいなあ。これをこうして……でもまたあのひとに繋がっちゃうよね。どうしよう。もしかして壊れた?」


 せっかく買ってもらったばかりなのに、まさかそんなと思いつつそれしか思い当らない。いよいよ諦めかけたとき、着信音がなった。あわてて画面を見ると、『原田穂波』と表示されている。


「もしもし穂波ちゃんっ?」


『……いや、期待してるトコごめん。ヒュウガですけど……』


 また、あの男の声だった。


「さっきのひと。どうしてあたしの番号がわかったんですか」

『着信履歴からに決まってるだろう。なんだ君、コドモなのか?』


 ムッ、と今度は紗菜が唸る。わかりやすく不機嫌な声で答えてやった。


「失礼ね、高校二年生です。携帯電話を初めて使ったから機能がよくわかってないの。仕方ないでしょう」

『だからコドモかって聞いたんだよ、イマドキ高ニで携帯デビューなんて珍しいから。買ってもらったばかりだっていうのは、ここまでの会話でわかってる』

「すみませんね、流行おくれの世間知らずで。あなた、なんで電話してきたの? ごめんなさいって言ったでしょう。お詫びが足りませんでしたか」

『そういうわけじゃ――あのさ』


 男はしばらく、モゴモゴと言葉を濁した。紗菜が聞き返すと、かなり言いにくそうに返事が来る。


『あのな……あんた多分、意地悪をされているよ』


「……えっ?」


『なんにせよ、何回かけてもお友達にはつながらない。これは俺の電話番号だから』

「……どういうこと。どうして……?」

『いや……たぶん、たいした悪気はなかったんだろう。でもちゃんと怒ったほうがいい。こういうことされたら嫌だって、ちゃんと伝えな。そしたらもう、普通に教えてくれるはずだよ』


 言葉が出てこない。

 彼はそれ以上、説教じみたことなどはせず、それじゃあおやすみと短く言って、電話は切れた。


 紗菜は、携帯電話のことを何も知らない。

 だが物のわからない人間ではなかった。


 男の言ったことを呑みこみ、胸に入れて、反芻し、ゆっくりと消化する。

 そして少しだけ泣いた。



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