第2話 エーデル連続殺人事件
彼――テディ・ウェルズ――が捜査局に入局したのは今から3年前。国立パルルド大学を優秀な成績で卒業した秀才である。捜査官として働いていた彼に辞令が出たのは突然の事だった。
特別捜査官の秘書に任命するという文字を見た時は驚いた。何故自分がと思わずにはいられない。秘書になる為の教育は受けていないにも関わらず。
テディは重厚な扉を前に深呼吸をした。鞄を持っていない方の手で扉を叩く。
ノックすると、中から可憐な女性の声が聞こえてくる。
「どうぞ」
その言葉を合図にテディは扉をゆっくりと開ける。視界に入り込んできたのは、美しい女性だった。
磁器のように白く透き通った肌、長い金の髪は日光に照らされ輝いている。濡れた桃色の瞳は興味深そうにテディを見ていた。形の良い唇は微笑を浮かべている。
彼女は玉座に座る女王のように車椅子に腰掛けていた。
「初めまして、本日付けでコンコルディア特別捜査官の秘書に任命されました、テディ・ウェルズと申します」
テディは胸元に手をやり、一礼する。すると、彼女は面白そうにくすくすと笑う。
「あなたがウェルズ捜査官ですね。あなたが入ってくる時には、かっこいい捜査官が局に入るって大騒ぎでしたよ。今ではファンクラブまであるなんてすごいですね」
「ぼ、僕のファンクラブですか? 何でそんなものが……」
「あら、ご自身の人気ぶりに興味ないのですね。珍しい事ですわ。あなたのような凄い方がわたくしの秘書だなんて恐れ多いですが、これからよろしくお願いします。どうぞ、わたくしの事はアリーヤとお呼びください」
彼女は手を差し出した。テディは手を握り返すと、アリーヤは微笑を向ける。彼は感じた。微笑を浮かべているはずなのに瞳が笑っていないような気がするのだ。
「ところであなたが来たという事は、捜査局本部から仕事を持ってきたのではありませんか? 捜査官の秘書です、単純にお世話だけが仕事ではないでしょう」
アリーヤの指摘にテディは頷くと、鞄から何十冊のファイルを机に並べた。ファイルの中には本部が知りたがる事件についての情報がぎっしりと詰まっている。
「今回の事件は名家の令息が3人殺されたものです。本部はこの事件を『エーデル連続殺人事件』と呼んでいます」
「成程、さっそく拝見します」
アリーヤはファイルを手に取ると、素早く文に目を通していく。テディが呆気にとられている間に彼女は全てを読み終わる。
「今回の事件をまとめましょう」
名家の令息だけを狙った殺人事件がこの半年間で3件発生。被害者はフェリクス・ル・アーヴル、ダニエル・ミュミュリール、ザック・マルティーグ。それぞれ伯爵家次男、化粧品会社の御曹司、軍務大臣の四男である。
フェリクスの死因は窒息死で首に縄が巻かれており、顔はうっ血。体には何十か所も刃物で刺された痕があった。司法解剖の結果、死後に刺されたとされる。
ダニエルの死因は刺殺。遺体には目、鼻、耳がなく生きたまま刃物でえぐり取られたとみられる。
ザックの死因は溺死。全身には殴られた痕がびっしりとあり、暴行を受け動けなくなったところを川に落とされたとみられている。
凶器の縄、刃物から指紋が検出、またザックの爪から容疑者の皮膚片が見つかった事から、ヴィンセント・グランツバッハが逮捕された。なお、ヴィンセントと被害者3人は社交界でのサロン『エーデル』に所属していた。
逮捕されたヴィンセントは殺害を認めたものの、動機について全く語ろうとしないという。
「そこでわたくしに考えて欲しいのは、ヴィンセントはどうして3人を殺したのか、動機を追及したいわけですね?」
「はい。ヴィンセントと被害者達は同じサロンに所属していたようですが、当時はほとんど関わりはなかったそうでして。顔見知り程度だったようです」
アリーヤは顎に手をやり、少し考えると、手に持っていたファイルとは違うものを取り出した。
「ヴィンセントの動機を考えるには、まずは彼の周りから考えないといけません。彼には半年前に結婚した妻がいるようですね」
オルテンシア・カルルク。カルルク侯爵家の三女である。
ヴィンセントの実家『グランツバッハ』は父が一代で富を築き上げたグランツバッハ商会である。家柄の古さと権力を重視する社交界では新参者扱いをされていただろう。
ヴィンセントとオルテンシアの出会いもサロン『エーデル』である。サロンに参加する令嬢の中で最も美しいと言われ、『エーデルワイス』の呼び名を持つオルテンシアに彼は一目ぼれをした。一か八か、オルテンシアに婚約の申し込みをし了承を得たのだ。
半年前に結婚したが式の2日後、オルテンシアはウイルス性脳炎を発症、その後遺症で過去の記憶を全て失ってしまったという。
そして、彼女の精神状態は幼子同然になってしまったが、ヴィンセントはそんな彼女を深く愛し、常に自分の傍においていたという。結婚式直後よりも深く愛する様子に、周りの者はどんな障害も彼らの愛を育む種に過ぎないと言っていた。
「どうやらこの事件、彼の妻への異常な執着が起こしたもののようですね」
「オルテンシアが関係しているという事ですか? ですが、ヴィンセントは被害者とあまり面識がないのでは」
「ヴィンセントは、ですね。被害者と面識があるのはオルテンシアの方ですよ。彼らは同じサロン『エーデル』に所属しています」
ルファルド国の社交界では有志の令嬢令息達が同じ志を持つ者を集めて、目的に近付く為の集まりがある。これをサロンと呼び、『エーデル』は気品を追求するためのサロンであった。
「同じサロンだからといって、ヴィンセントのように面識がない可能性もありませんか?」
「普通はそうですね、ですが、オルテンシアの評判を考えるとあり得るのですよ。オルテンシアは美貌を讃えられ、エーデルワイスと呼ばれるまでにサロン参加者から尊敬や憧れを抱かれています。ですが、彼女の評判は男女差があるのです」
アリーヤはとある資料を指差す。
「男性からは『素晴らしいお人柄で誰に対しても分け隔てなく接してくださる女神のような方』と。女性からは『同性と過ごしているのを見たことがなかった、一度お茶会に誘ったが断られた。いつも男性の取り巻きがいた。夜に男性と密会している噂があった』と。男女でオルテンシアへの印象が大きく違うのです。男性の印象のように誰にでも分け隔てなく接するなら、同性からの誘いも受けるのではないでしょうか」
アリーヤは微笑を崩さない。
「つまり、オルテンシアは『男好き』なのです。被害者も全員男性です、きっと面識はあったでしょう」
その証拠にと彼女は続ける。
「ヴィンセントと婚約した後も男性が言い寄ってきているみたいですね。オルテンシアはそんな彼らを拒絶していない。同じサロンに参加しているヴィンセントの心中は穏やかではなかったでしょうね」
「その時の嫉妬で彼らを殺害した可能性はありませんか?」
テディが聞くと彼女は首を横に振った。細い髪がさらさらと揺れる。
「いいえ、ならば今頃殺さないでしょう。今から半年前、何があったか覚えていますか?」
「2人の結婚式ですか?」
「そうです。事件はその後に起きているのです。ところでテディ、サロンにはいつまで参加出来ると思いますか?」
「すみません、社交界自体顔を出した事がないので分からないです」
テディの言葉にアリーヤは意外そうに眉を上げるが、表情は変わらず話し続ける。
「成人するまでです。彼らが成人したのは2年前。成人した後はそれぞれ家業を継いだり勉学に集中したり、花嫁修業とかなり忙しい日々を送るので友人に会う時間はなかなかありません。サロンを卒業後、ヴィンセント夫妻と被害者は顔を合わす機会はなかったのです。ですが、久しい友人と会える少ない機会……それが結婚式です。夫妻の結婚式に被害者も参加していたのでしょう。そこで動機の火種が生まれたと考えられます。3人は結婚式後に殺されているのですから」
アリーヤは細い指を唇に当てた。浮かべる微笑が冷たく感じられてテディは思わず後ずさった。
「相当恨みがあったようですね。死体をこれでもかと痛めつけていますから」
ぞくっとするような微笑を浮かべながら話を続けた。
「ヴィンセントが犯行に及ぶまでの火種は2つ、1つは結婚式で被害者達と再会したこと。もう1つは妻が病に倒れた事です」
「ウイルス性脳炎への感染ですか?」
「はい。ウイルス性脳炎は何らかのウイルスが脳に侵入し脳炎を引き起こす病気です。予後は様々ですが、オルテンシアは後遺症に過去の記憶を全て失ってしまった事や精神状態が退行している事から重症だったのでしょう。それでも、死の淵から生還した事をヴィンセントは喜んだはずです。そして、幼子同然になってしまった事も歓迎したでしょう」
「な、何故ですか? 彼の愛した人はその人であってその人でない状態なのに」
「幼子同然となったオルテンシアを深く愛したのです、どこへ行くにも傍に置くくらいです。きっと男を知らない純粋なオルテンシアを愛おしいと思ったのでしょう。過去の彼女はどんな男をも受け入れていたでしょうから、結婚式直後よりも彼女を愛おしいと思ったのでしょうね。そして、被害者とオルテンシアには肉体関係があったかもしれません。サロンで彼女は取り巻きに男を連れていた。男性と夜密会している噂も流れるくらいです。婚約者のいる身であるにも関わらず、そんな噂や印象を抱かれるほど、男性との距離が年頃の女性にしては密接だったのでしょう」
この辺りはわたくしの予想ですが、と付け加えるもテディはありえそうだと思う。
「過去の記憶を失ったオルテンシアは、ヴィンセントという男しか知らないように出来る。関係を持っていた被害者3人を消すことで、自分の中のオルテンシアを綺麗な状態にしようと考えたのかもしれません。今の彼女を自分の理想に変えようとしたのでしょう。これがヴィンセントの動機です」
だから病から復活した彼女に深い愛情を向けていたのでしょう、と彼女は続けた。
「もし、その予想が正しかったとしてオルテンシアと関係がある男性は他にも居たのではないでしょうか? なぜ、被害者達が殺されたのでしょう」
「きっと結婚式でヴィンセントに喧嘩を売ったのでしょう。おそらく、オルテンシアと関係を持っていた事を暴露したとか。3人とも素行は良くなかったようですから、もしかしたら過去の事を脅迫のネタにしたかもしれませんね。それに、グランツバッハは新人とはいえ、多額の資産を持っています。アーヴェル伯爵は家柄は古いですが、領地の経営がうまくいっていないようですし、化粧品会社『ミュミュリール』も最近、商品に異物が混入していたと話題になっています。業績も悪化してきているのでしょう。ザックはマルティーグ軍務大臣の息子ですが、四男ともなると、父から残される財産は少ないですし、みんなお金に困っていそうです。ヴィンセントに妻の事でお金をたかったのかも」
アリーヤはふわぁとあくびをする。
「積もった恨みの導火線にあっという間に火がついてしまったのでしょうね。出来事というのは要因が混ざり合って起きるものです。ヴィンセントの動悸はそんなところでしょうか。わたくし達は他人に恨まれないようひっそりと生きるべきですね」
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