ペダル先生の弁当箱

@kam10250429

第1話

「随筆」

   主題 「ペダル先生の弁当箱」

   


 午前中の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。教鞭を取る英語教師は授業に区切りをつけたいのだろう、一行の英文を朗読したが生徒たちの耳には届かない。彼らの集中力はチャイムの音と同時に霧散して関心の全ては昼食の弁当箱に向けられていた。

 


早くも机の上から教科書、筆記用具の撤去を始めている子もいる。

小さく溜息をつくと教師は机上の教本類を重ね纏めた。絶妙のタイミングで級長は起立の号令をかける。目的を共有する生徒は一糸乱れぬシンクロを見せて立ち上がった。



まもなく教室中に至福の時が流れる。母親が丹精を込めた昼食の弁当箱を開く瞬間がくる。

しかし、私はいつもの様にさりげなく机を離れて教室を出て行くことになる。

 谷間に実在する数カ所の村の子供たちが通う中学校があった。昭和の風雪を吸収した木造、平屋造りの学舎は過去に幾度か廃校の危機もあったが、団塊の世代と云われる戦後のベビーラッシュのおかげで百名程の学童が在学する様になっていた。繁華な町から隔たれた山間の地であったが、セメントの原料である石灰岩の採掘会社が山麓にあり、過疎から免れていた。私は個の地で少年期を過ごした。両親と兄弟三人が平凡に暮らす一家だったが、私が十三歳のとき、親の離婚により家族離散の憂き目となり、私は遠い親戚に預けられた。母方の縁者であった当所は、けっして居心地の良い所ではなく寧ろ粗大ゴミの如き扱いを受ける。義務教育の中途であった私は辛うじて学校に通うことだけは許されていた。



早朝から近所の豆腐屋の手伝に行かされ、それで得た僅かなお金は下宿代の様に取り上げられていた。学校の昼食の弁当は私には贅沢品になるらしく与えられることはなかった。

 

 今日も私はさりげなく教室を出ると、校舎の裏のゴミ焼却炉の側で時間を潰していた。

背後から私を呼ぶ声がする

 振り返ると四角い顔の担任教師の顔があった。自転車のペダルを連想させる顔の輪郭から、ペダルの渾名を命名された先生である。

 手に風呂敷包みを下げている。



「今日は腹の具合が悪いんじゃ、弁当を喰わんで帰るとな、儂のよめさんが怒りよる。替わりに喰うてくれや」

ペダル先生は風呂敷包みを私に押し付けた。

褐色の染みがあり、醤油の匂いが微かにする菜の煮汁の染みまでが私の空腹を刺激する。

「先生が助かる云うんなら喰わせてもらうわ」 空腹の私に遠慮なんて言葉は浮かばない。

 ペダル先生は「玉子焼は美味いぞ」の言葉を残して職員室へと戻っていった。

 私は焼却炉の側に積み上げてあった煉瓦の山に腰を下ろすと包みを解いた。

菜入れのゴムパッキンの具合が悪く、煮物の汁が零れ出ている。ペダル先生が自慢した玉子焼の姿もある。久しぶりの昼食に私の味覚センサーは壊れたらしく味わいを省略して、あっと云う間に洗い終わった弁当箱の如くになった。

 


それから卒業するまでの暫くの間、ペダル先生の腹の具合は度々悪くなった。

卒業後の進路は集団就職組の一員だった私にペダル先生は進学を熱心に勧めてくれたが、私の状況からは叶わぬ夢であった。

思うに私は子供の頃から将来は医者になりたいと云う夢があった。

高校、大学へと進学したい、しかし、その様な胸の内を明らかにすることは母親の心を痛めることになるので私は勉強嫌いの悪餓鬼ぶっていたが、ペダル先生はどうも私の心情を分かっていたらしく、家庭の事情から夢に向かって進めない私を不憫に思っていたのだろう。

 先生の心持ちが弁当となって現れていたと思われる


 私の子供の頃の記憶を隅々まで探しても、楽しい思い出などひとつも思い浮かび上がってこないが、ペダル先生の弁当箱が

 子供の頃の思い出のド真ん中にしっかりと鎮座している。

 

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