第5話 観測者選考試験

 王宮から観測者選考の最終試験日開始の花火が上がる。訓練場には筆記と実技の試験を合格してきた猛者たちが歓声をあげている。宰相アザミは壇上に立ち、拡声器により猛者たちに告げる。

「諸君、よくここまで来た。これより観測者選考の最終試験を行う。試験内容はバトルロワイヤル。諸君らには事前に配られた非殺傷の武器があるだろう」

 猛者たちの手には木で作られた武器が。

「未来ある諸君の命が失われるのはどうしても避けたい。殺しはなしのバトルロワイヤル。相手には節度ある殺意と優しさを持って気絶で済ましてほしい。もちろん国きっての医療班が準備万端の状態で待機しているため思う存分やってくれて構わないがね」

 十年前、幼き少年を育て上げることを誓った男は、自らの白髪を掻き上げながら年老いた腕で少年の手に木刀を渡す。

「いいかお前は筆記、実技を乗り越えた。最終試験だって今まで通り受かってこれるはずだ。俺が教えられることは全部お前に伝えた。あとはお前がこれを勝ち残り観測者になるだけだ」

 十年前、観測者になることを誓った幼き少年は、成長した腕で木刀を受け取る。

「ああ、わかってるよ。もう俺はあの時の弱い何もできないガキじゃない。ノショウ、俺をここまで育ててくれてありがとう。行ってくるよ」

「ああ、行って来い!」

 白髪の男は熱くなる目頭を押さえつつ、成長した赤髪の青年を見送った。


「役者は揃った! それでは私の合図で最終試験開始とする!」

 その言葉に会場は一気に静まり返る。人々は息を飲み、一世一代最高のイベント、観測者を決定するその瞬間に目を見張る。

「それでは観測者選考最終試験開始!!」

 その瞬間多くの猛者の雄たけびが上がった。


 巨大な斧が地面を抉り、石の礫が先に付いた矢が風を切る。剣と刀が重なり合い、槌と短剣が擦れ合う。拳で殴り、相手の隙を作る。脚で払い、相手を転ばせ止めを狙う。猛者たちは多くの猛者を無力化し、無力化されていった。

 しかし未だ服に土埃一つ付けていない者がいた。右手に木刀を携え、嬉々とした表情をして”戦場”を見つめる。

 振り下ろされる斧を刀で受け流し、矢を軽々と避ける。重なり合う剣を弾き飛ばし、巨大な槌を刀で叩き落とす。短剣を刀で捌き、剣同様弾き飛ばす。拳を受け止め、脚払いを側転で避ける。向かってきた男に脚払いを繰り出すが、その男はその脚払いを飛んで避ける。

「地から足を離すのは愚かな行為だ。飛んでいる最中は無防備、なにをされても避けようがないからね」

 飛び上がり無防備になった男の頭を木刀で殴打し気絶させる。そして歩を進め、”戦場”の中心へとたどり着く。

「樹力は人前では使うな。本当の意味は人の意識が向けられている元で使うな」

 木刀を持つ青年は向かってくる者を木刀で捌き切り、多くの者がいる中、一瞬自分を意識する者がいなくなった瞬間、辺りを包み込むほどの胞子をまき散らした。突如多くの者の目は遮られ、軽いパニック状態に陥る。その瞬間、様々なところから人の断末魔と地面に倒れ込む音が聞こえる。その胞子が晴れると訓練場の中心には赤髪の青年、昔観測者になることを誓ったベニがいた。


「残ったのは俺を含めて四人か。あの中で息を潜めていられる。かなりの者だな」

 残った者たちは訓練場の中心ベニの元へ歩いてくる。

「おっとこれは的を絞られちゃったかな?」

 敵の敵は味方。三人は協力して強敵であるベニを倒しにかかろうとしている。そのうちの一人の男が剣を持ちベニに向かって走ってくる。

「具現で剣を腕に固定……。わかってるじゃないか。でもそれは効かないよ!」

 ベニは木刀を腰に差したような形にして、相手を待ち構える。ベニに剣を振り下ろした男に向かって、ベニは技を繰り出す。

「一閃!」

 強烈な抜刀により繰り出される木刀は木剣を捉え、甲高い音と共に剣を弾き飛ばした、男の蔓もろとも。

「グゥ……」

 激しく痛む腕を抑え、後ずさりする男の首筋を殴打し男を気絶させる。

「あと二人か。次はどっちが来る?」

 ベニのその言葉に二人の男はアイコンタクトを行った後、手斧を持った男が前に一歩踏み出した。その瞬間短剣を持った男は手斧を持った男の首筋を狙い気絶させる。

「いつから俺と仲間になったつもりでいた?」

 男は不気味に不敵に、手斧の男をあざ笑う。

「おっと、性格の悪い奴が残っちゃったね」

 ベニは軽く笑いながら木刀を構え、短剣の男の行動を見張る。

「随分と強いようだけど俺の事舐めてもらっちゃ困るぜ。そりゃ狡賢いって思うかもだけど地獄で生きていくのに狡猾さは必要だろ?」 

 ベニはその男の言葉を無視して、息を整える。

「無視して、英雄気取りか? 笑える」

 短剣の男は小さく不気味に笑う。短剣の男はベニに肉薄し、その短剣を使いトリッキーな動きでベニに斬撃を打ち込んでいった。短剣だけではなく脚や拳を使いベニに攻撃を繰り出していく。その細かく機敏な動きや気味の悪く見開いた眼は蛇の様。ベニは強打を放ち、男との距離を作った。そして一瞬で短剣の軌道を見極め、一閃を放つ。男の手を砕きそれと共に短剣を弾き飛ばした。

 男は苦しみながら後ずさりしつつも、不敵に笑う。どこか異様な自信があるように。ベニはゆっくりとその男に近づき、木刀を喉元に突きつけた。

「降参する?」

「だから言ったろ、舐めてもらっちゃ困るって」

 男は砕かれた手とは逆の手、左手で何かを引き抜きベニに攻撃を繰り出した。腕に鋭い痛みが走った瞬間にベニの頬に紅い鮮血がかかる。

「っ!!」

 ベニは斬り付けられた腕を触った後、赤く染まった手の平を見る。

「これルール違反なんじゃないの?」

 ベニは軽く笑いながら男の手で煌く鉄製の短剣を見つめる。

「バトルロワイヤルのルールは無し! 非殺傷の武器が配られただけで金属製の武器が使用不可とは言われていないだろうがぁ!!」

 男は勝ち誇ったような顔をして、絶叫する。

「そんなこと言うなら、俺だって考えがある」

 ベニは腰に付けていた水筒の口を開け、中に入った水を飲み干す。その後太陽の方を向き、手を広げる。

「相手に背を向けるとはなあ。馬鹿な野郎だぁ!!」

 背を向けたベニに肉薄する男、その眼はベニを殺さんと殺意に溢れている。が、刹那。その男の短剣を明るい緑に輝く木刀が弾き飛ばした。

「なにっ!?」

 吹き飛ばされた短剣は綺麗な弧を描きながら宙を舞い、地面に突き刺さる。男はその事態に驚愕し、何も握られていない左手を見つめる。ベニは木刀を腰に差すような形にした後、抜刀により男の顔の目の前を切り裂いた。風に煽られた男の前髪が木刀による斬撃で切り裂かれ力なく地面に落ちる。

「木刀だからって斬れないと思うなよ。強化を使えば木刀ですら斬れる」

 ベニの声音は静かで重い。その瞬間男の額にうっすらと傷ができ、血が滲んだ。男は成すすべなく、ベニに降参した。


 昔、自らで発現させた光剛生による強化。ノショウはベニの底知れぬポテンシャルに驚きを隠せなかった。今の時代、強化はそれを発動しやすくする促進剤を服用して光剛生を発現する。その力はお伽噺に出てくるものとは違う劣化版であったが、ベニは促進剤なしでそれを発現して見せた。英雄が発現して見せたオリジナルの強化を。

 オリジナルと促進剤の大きな違いは剣が明るく光るかどうか。促進剤なしに強化を発現した者は数少ない。それは強化を使ったベニに勝てる者はいないという事実を表している。最後に残ったベニは会場中の人々の歓声に包まれた。アザミが壇上に立ち、辺りを見回す。

「諸君! 新たな英雄の誕生だ! この青年に今一度大きな拍手を!!」

 訓練場を包み込む大きな拍手は町中にその音を轟かせる。それこそ唯一ノ木が揺れるているのではと錯覚するほど。


 観測者に選ばれたベニは王宮の一室でアザミと話をしている。

「やはり君が勝ち残ると思っていたよ」

「アザミ様、ありがとうございます。絶対になると意気込んでおりましたが本当にここまで来られるとは少し驚きです」

 アザミは大きく笑った後、ベニの肩を叩く。

「でもここまで勝ち上がったのも君の実力だ。だが君をここまで育ててくれたノショウへの感謝を忘れてはいけないぞ」

「はい、わかっております。今日はノショウの元に帰ろうと思います」

「そうだ、それがいい。観測者についての説明や訓練はまた明日から始める。今日はゆっくり休み、楽しみたまえ」

「はい、ありがとうございます」

 部屋から出ようとするベニを一度引き止め、アザミはもう一度口を開く。

「ベニ君、君が観測者に選ばれたこと大いに喜ばしく思うよ」

「有り難きお言葉」

 ベニはアザミに一礼した後王宮を後にした。その部屋に残されたアザミは静かに不敵な笑いを浮かべた。


「ああ、この道を歩くのもあと何回なんだろう」

 ベニは一人途方もなく続いていそうなこの道を、歩きなれた王宮までのこの道を静かに優しい目で見つめていた。地上に降りてしまえばもうこの木城都市に帰ってくることはできない。観測者に選ばれたということは、これからの一生を地上で過ごすということ。自らの目標と決めたあの時からこの日のために全力を尽くしてきた。しかしこれから数多に待ち構えているであろう困難。それらに対する恐怖がどうしようもなくベニの心を包み込んでいた。

 やはり故郷であるこの町から離れるのは心苦しい。十年の歳月が流れた今、あの時よりこの町への思い入れは強くなっている。それがベニの足に強く絡みついていた。


 ノショウの家の扉を小さくたたき少し待つ。すると中から白髪の中年の男、ノショウが現れた。ベニを実の息子のように育て、見守り続けたノショウの十年。それはとても色鮮やかでとても楽しいものであった。しかしそのノショウの父親としての生活もあと少し終わりを告げる。立派に育った少年は自らの種族の代表としてこの地から巣立っていく。そのために時間を費やしてきた十年、だがノショウの心にも何か痛みとは違う違和感が引っ掛かっていた。

 しかしその違和感を強く押し込み、ベニを強く温かく迎える。

「ベニ! よくやったぞ! これでお前も観測者だ」

 しかしベニの表情はどこか晴れない。それを察したノショウはそのままベニを家に招き入れた。

 卓には豪華な食事が並べられ、ベニが自らの元に来たあの日に買っておいた酒が真ん中に。この日のために買っておいた酒。観測者になった時、この小さき少年と共に飲みたいと思った酒。盃は二つ。年老いた自分と立派に成長した少年の分。ノショウは席に着くようベニに促す。暗い顔でベニは静かに席に座る。

「ベニ、どうした。念願の目標が達成できたじゃないか。なんでそんな湿気た面してる?」

「ノショウ。やっぱり俺不安だよ。やっていけるかどうか」

 ベニのその言葉にノショウは机を叩き、ベニを怒鳴りつける。

「馬鹿言うんじゃねえ! 俺がなんでお前を育てると決めたかわかるか? お前は大事な友人をなくした次の日に晴れ渡った顔で俺に観測者になりたいって言ったんだ! あの時の強いお前はどこに行った!」

 その言葉を受けてもベニの表情は晴れない。

「あの時はまだ何もわかっていなかったというか」

 ノショウは大きなため息をつき、ベニの肩に手を置く。怒鳴りつけてはだめだと思ったノショウは静かに話す。

「お前はあの時より頭も良くなった、体も大きくなった。剣術も武術も国一番だ。今のお前は国の代表として選ばれた。お前より強く、頭のいい人間はこの都市には誰一人いない。でもな、昔から誰にも負けない物をお前は持っていた。覚えているか?」

 ベニは驚いたような、不思議そうな顔でノショウを見る。

「心だ。誰よりも観測者になりたいと強く思う心だ。友を助けたいと強く思った心だ。大事な友人が生きていると信じる心だ。お前はいつそれを忘れた? 思い出せ、あの時の自分を。もうお前を止めるモノは何もない。あとは、お前が頼むなら皆がお前の背中を押してくれる。もちろん俺もだ。お前はでっかく胸張って地上を楽しんでくればいいんだ」

 ノショウの言葉は恐怖に縛られるベニの心をゆっくりと温かく解いていった。ベニの顔にだんだんと光が灯ってくる。

「そうだな、何を悩んでたんだろ。やっとここまで来た。いや違う、やっとスタート地点だ。これから、これからだよね」

「ああ。お前はまだ本当の目標は何一つ達成できてない。これからもっと気合い入れていけ」

「ああ! わかってるさ、カブトを見つけて、あの時の真相を。絶対に!」

「そうだその意気だ!! さあ今日は飲むって決めたんだ! 早く酒開けろ!!」

 ノショウは席に着き、酒が満ち満ちたグラスを打ち付けあった。


 ベニの言った通り、観測者に選ばれたのはスタート地点に過ぎなかった。今までノショウと行ってきたのは観測者になるための訓練であり、ベニはこれから観測者としての訓練を受けることになる。そんなベニが最初に受けた訓練は、パラシュート降下訓練だった。何にしても地上に着地できなければ元も子もない。パラシュートの開き方、操作の仕方、風の読み方などなど。木城都市の一番上から”世界の端”へパラシュートを使って降りる訓練を。

 失敗し、木城から落ちそうになったが念のために作っておいた落下防止のネットに引っ掛かって、一命を取り留めたことが何回かあった。

 観測者になった後もベニはひたすら勉強した。その合間にもノショウと実践訓練を行い、剣の技術の底上げを行った。それから地上の知識、魔獣の生態。現存する文献からありとあらゆる地上に関することを頭に叩き込んでいった。

 いつしかベニは木城より地上のことに詳しくなり、立派な観測者への道を歩んでいった。


 ベニはポーチを身に着け水筒の中身を確認し、家の扉を開ける。ベニを照らす朝日は温かく、ベニの緊張していた心をゆっくりと溶かしていく。ベニは”世界の端”へ歩を進める。国中の人々は家から外に出て、英雄たる観測者ベニを称えた。

 ”世界の端”では国の重鎮、それとベニの関係者が集まっていた。

「ベニ……」

「レナ……」

 レナは静かにベニを見つめ笑顔を作る。昔ここで大事な人を失った。そこから大事な人をまた見送らなければならない。レナの心の中にはベニが英雄になった嬉しさと心配という気持ちが入り混じっていた。

「大丈夫だよ。地上をちょっくら見てくるだけだ」

 そしてベニはレナに耳打ちをする。

「カブトも探して、二人で帰ってくる道を探すよ。だから……待ってて」

 レナは驚き顔を上げる。そこにある明るいベニの笑顔は静かに優しくレナを包み込んだ。微かに残る希望をベニに、成長した可愛い自分の弟に託す。

「ベニ、頑張って。いってらっしゃい」

 レナは今まで見たことない一番の笑顔をベニに送った。先ほどの不安や恐怖はいつの間にかなくなっていたからこそ、この笑顔が送れたのだろう。

 ノショウがベニの前に歩いてくる。

「ベニ、見ろ」

 ノショウは手に持った剣を鞘から引き抜く。高い剣と鞘がこすれる音と同時に太陽を反射し煌びやかに輝く直剣が顔を見せた。

「これは……?」

「お前のために最上級の玉鋼をかき集め、国一番の鍛冶師に作らせた直剣だ。何年もかけて作られ磨かれた剣だ。切れ味は申し分ない。地上に降りたお前を守ってくれるだろう」

 竜の剣、剣の柄には赤い宝玉が付けられ、竜の爪を模した装飾が施されている。あのお伽噺に登場した剣。それを参考に最大の力を結集し作った最大の剣。ノショウはその剣を鞘に入れベニに手渡した。

「重っ」

 ベニは剣を抜き、刃を確認しつつ少しの素振りを行う。

「凄い……。こんな良い剣初めてだ。ノショウありがとう」

「まあお前が行っちまえばしてやれることはもうない。最後の餞別だ」

 そう言ったノショウの目には涙がたまっている。最後の。自分がベニにやってきたことは万全であっただろうか。上手くいかないときベニを怒りのまま殴りつけたこともあった。昔の嫌な思い出が後悔としてノショウを包み始める。

「最後なんて言うなよ。まだ地上に行っても通信で助けてもらうこともあるだろうからさ。本当に感謝してる。ノショウがいなかったら俺は観測者どころか大人としてもまともな奴になれなかったと思う。本当にありがとう」

 溜まりに溜まった涙が堰を切ったようにノショウの目から溢れ出した。ノショウとベニは静かに抱き合い、別れの挨拶を済ませる。

 レナが一つベニに尋ねる。

「そういえばお母さんは?」

「ああ、別れるのが辛くなるから家にいるってさ。昨日、ずっと話してたよ。だから大丈夫だ」

「そうなの?」

「ああ。もう行ってくるよ」

「うん」

 ベニの手をつかんでいたレナの手が緩み、そこからベニの手はゆっくりと抜け出す。”世界の端”に立つベニを見つめ、多くの国民は歓声を上げる。ベニは”世界の端”の端へ歩いていき、一度こちらを振り向く。目に焼き付けるように木城を見つめた後、手を広げ重力に身を任せようとした瞬間。

「ベニ! しっかりやりなさい!」

 ベニの母の声が世界に響いた。ベニの目から涙が溢れ出そうになるがそれを拭い去り、母に向かってピースを送る。そしてベニは国民全員の前で堕ちて行った。


 木城都市最大の英雄、観測者ベニの物語が今、ここから始まる。

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