第12話 決意表明
それから程なくして一つのノックがサロンに響いた。リリアーナが扉を開けると、そこには侍女に連れられたカイザスの姿があった。
「お嬢様!? どこに行っていらっしゃったんですか?」
「あ、えっと……。ごめんなさい。着替えをしたくて部屋に戻っていたの。それよりお客様をお連れしてくれてありがとう。お茶の用意をお願いできる?」
「もちろんでございます」
リリアーナの言葉に頷いた侍女は、カイザスを先に通すために道を空けた。そこでようやく対峙した彼が、驚いたように目を丸くしている事に気がついたリリアーナは、こてんと首を傾げた。
「リリィ、だよな?」
「えぇ。こんにちは、カイザス。ようこそいらっしゃいませ」
「あ、うん……今日は招待ありがとう。えっと……その髪型すごく似合ってる。ワンピースも夏らしくて、明るい感じで、すごく……可愛い」
「え!? あ……ありが、とう」
部屋の入口のところで繰り広げられるやり取りを、シエルとサフィロが生暖かく見守っていることなど、彼らはきっと気づいていない。
シエルは隣に座るサフィロにちらりと目配せをして、そっと口を開いた。
「あれ、兄貴的にはどう思う?」
「面白くなってきたじゃねぇか」
「あ、そういう感想?」
仄かに目元を赤くしているカイザスと、髪を上げていることで隠れていない耳まで真っ赤にしているリリアーナ。
(なんか、世界が違う)
まるで舞台を観ているような気分だった。あそこにいるのは紛れもなく友人たちのはずで、目と鼻の先で起きている出来事だというのに、あまりにも遠く感じる。
その理由を正しく自覚しているシエルは、誰にも気づかれないように苦笑を一つ。そして心の中で呟いた。
(良いなぁ)
その後、ニヤニヤしながらサフィロが声をかけ、ようやく動き出した時間は、しかしなんともぎこちなかった。主にカイザスとリリアーナのせいで。シエルとサフィロはそんな彼らに苦笑しながらただただ動向を見守るだけだ。
そんな微妙な時間はすぐに終わりを告げた。昼餐の準備が整ったのだ。
侍女に連れられたのは庭園である。綺麗に整えられた低木に囲まれた道の先には大きめのガゼボが建っていた。シンプルだが手入れの行き届いた真っ白なガゼボの下にはすでに人影がある。
「そういえばカイザスを迎えに行ったのって誰だったの?」
暖かな陽気と慣れ親しんだ庭園に出たことで落ち着いたのか、リリアーナが問いかける。その口調はいつもと違って砕けていて、ちょっと聞き慣れない。でもカイザスは持ち前の順応性ですっかり馴染んだのだろう。それどころか、年頃の少年のような気安ささえ醸し出していた。
「んー? ベンダバール侯爵とエルヴィン殿だったぜ」
その瞬間、シエルはぴたりと足を止めた。自然と友人たちがシエルを見やれば、大きく目を見開いて固まっている。
「どうした?」
「……聞いてない」
「え? そうなのか? 俺てっきりベンダバール侯爵たちもそうなんだと思ってたけど」
「つーか、言ってんじゃねぇのか」
「言ってない!」
カイザスやサフィロについての相談はおろか、トルメンタ伯爵へ直談判をしたこと自体、シエルは独断で決行している。親にはもちろん兄にさえ打ち明けていない。
顔面を蒼白とさせるシエルを見て、サフィロは大きく溜め息を吐いた。
「なんで一番近いとこに相談してねぇんだよ」
トルメンタ伯爵のところに直接行ってきたと聞かされた時、それはベンダバール侯爵を介しているのだろうと、カイザスとサフィロは当然のように考えていた。だからきっと侯爵も同じように話を聞いていてくれて、だから『味方』なんだろうと勝手に信じていたほどだ。
それがどうやら違うらしい。しかもシエルとしてはこれは不測の事態で、明らかに動揺している。ここまで取り乱したシエルを見るのは初めてだった。
「腹括れ」
悶々と頭を悩ますシエルに届いた言葉。それは静かな一喝だった。
パッと顔を上げた先には、濃淡の違う紫の瞳が真っ直ぐに自分に向けられていた。
紫は代々王家の一族に受け継がれる高貴な色である。それをこれでもかと惜しげも無く見つめ、そして見つめ返されることのなんと栄誉なことか。だからこそ、シエルはこんなにも彼らに惹かれるのだ。
知らずのうちに背筋が伸びる。これは間違いなくサフィロからの命だ。従うのは自分の義務である。
覚悟を決めた表情に、サフィロは口角を吊り上げた。
「お前には俺らがいんだろうが」
告げられた言葉に目を瞠る。するとサフィロの隣でカイザスも笑った。サフィロとは違う、力強く晴れやかな笑みだ。
「俺たちの一番の味方はシエルだもんな!」
一番――複数の意味をもつであろうその言葉に胸が熱くなる。
最初は共犯者兼同志というなんともいえない表現が、いつの間にかこんなにも簡単な、そしてより確かな関係になれたのだ。
だから胸を張ろう。そして意地も張ろう。
彼らを守るのが
ようやく着いたガゼボには、トルメンタ伯爵だけではなく、シエルの父ヴィクトル=ベンダバールと兄のエルヴィン=ベンダバールが待っていた。
彼らは到着した第一第二王子に向かってまずは挨拶を述べる。場所は違えど、それは変わらぬ王族と貴族の在り方だ。
「それにしてもこうしてサフィロ殿下とお言葉を交わすのはいつぶりでしょうな」
「母のせいで嫌な思いをさせて申し訳ない」
「殿下が謝ることではありません! だからどうかお気になさらず」
父とサフィロの間に何があったのかを知らないシエルは、そのやり取りに首を傾げるだけだ。カイザスはというと、伯爵と何やら盛り上がっている。シエルの知らない王城での関係性に、今はただ黙ってことの成り行きを見守るだけだ。
「……お二人が隣同士で並んで立っている。たったそれだけのことなのに、とても眩く感じます。こうしているとよく似ていらっしゃる。どちらも間違いなく陛下の御子ですね」
含みのあるその言葉の真意は、さすがのシエルも知っていた。あまりにも近しい時期の妊娠ということに、様々な憶測が貴族社会に広がったのだ。
どちらかは違うのではないかと。
しかし生まれた子らはその疑惑を一掃するほど、王家の、陛下の血縁を如実に示していた。だからこそ今、王宮内は二分されそうになっている。
「……侯爵は、今の俺達をどう思う?」
「殿下たち、ですか?」
「俺は今の生活は息苦しくて仕方ない。母さん達の監視を掻い潜ってカイザスやシエルたちと交流を取るのは、最初こそは出し抜いた感じがして面白かったが、今はただただ面倒で煩わしいだけだ。いつまでもこんなんじゃダメだって判ってるのに、情けねぇことに何のアイデアも浮かばねぇ」
サフィロと父の会話を、シエルはただ黙って聞いていた。聞くことしかできなかった。これこそが、シエルの願っていたことだ。
この問題はシエルが頼むのでは意味がない。カイザスとサフィロ、2人が助けを求めなくては意味がないのだ。
臣下を信じ頼ることもまた、王にとって必要な要素である。誰にも頼れない孤高の王の歴史は悲しく痛ましいものだったと、シエルは歴史書で学んでいた。
今が第一歩になる。
その瞬間に立ち会えたことが嬉しい。
ずっと覚えていられるように、記憶に刻み込むように、ただ黙ってじっと見つめる。先程まで伯爵と話していたはずのカイザスも、気づけばサフィロと一緒に、彼に寄り添うように隣に立っている。
「……父上や母上に相談すればいいのは判ってる。でもどうしてもそれが嫌で……。だからサフィロに我侭言っちゃった結果、サフィロにすげー迷惑かけちゃったし、シエルも気遣ってくれて。俺も今の状況を変えたい。だから……!」
カイザスが感情を吐露する。その勢いのままに頭を下げようとするのを、サフィロがやんわりと止めた。苦笑交じりのその表情はまさしく兄であり、それでいてカイザスを立てようとする側近のようでもあった。
「ベンダバール侯爵、それにトルメンタ伯爵。貴殿らの力を借りたい。この状況を変えるための方法を、一緒に考えてくれないだろうか? 頼む」
子供らしさのかけらもない口調で、でも真っ直ぐに助力を請うその姿はあまりに愚直で、少しの沈黙の後、ふっと空気が弛緩した気がした。
「お顔を上げてください、サフィロ殿下。殿下たちの願いとあれば、このヴィクトル=ベンダバール、最大限尽力いたしましょう」
一つしっかりと頷く侯爵の穏やかな、でも力強い眼差しに、シエルはほっと息を吐いた。その安堵は自分だけではない。誰よりもカイザスやサフィロが感じているはずだ。
「このクロード=トルメンタももちろん尽力いたします。ただの『逃げ場所』だけで収まる器ではないことをお見せしましょう」
「へ? 逃げ場所?」
「なんのことだ?」
突然飛び出した謎の単語に、2人の王子は首を傾げている。しかし当の伯爵はそんな王子たちの背後に立つシエルへとニヤリと笑みを浮かべるだけだった。
そうすればみんなの視線が自然とシエルに集まるのは当然のことである。突然の注目と伯爵の言葉に動揺したシエルは、しかしカイザスとサフィロの不思議そうな顔になんとか落ち着いて苦笑をこぼす。
「万が一億が一にも伯爵様のお立場に悪影響を及ぼすようなお願いをするのは躊躇われ、最小限のお願いしか自分にはできなかったのです。決して伯爵様を侮っていたわけではございません」
「単身乗り込む度胸はあるのに、変なところで意気地なしだな」
「害を被るのが己のみなら、俺は何だって致します」
告げられた言葉に込められた決意が伝わったのか、先ほどまでどこか揶揄うようだった伯爵の表情に真剣さが帯びる。まるで値踏みするように眇められた目を、シエルはまっすぐに見つめ返した。
これで終わりではない。むしろこれが第一歩だ。
腹は括った。これから王子のために全てを懸ける。そのための最後の勇気は、先ほど貰ったばかりだ。
無言の決意が伝わったのか、伯爵と、その隣に立つ父双方から深い溜め息を頂戴する。その反応にシエルはきょとんと目を丸くした。
「……育て方を間違えたか」
「いや、息子ならばむしろ百点満点だろ」
「うちは文官の家系なんだがなぁ」
「武官の素質もありとなれば、ベンダバール家はますます王家から重宝されるな」
「と、父様?」
肩を落とす侯爵と、それを励ます伯爵。彼らの気安さも気にはなったが、それ以上に会話内容が気になってシエルは声を発した。それは先ほどまでの凜と芯の通ったものではなく、なんとも情けないものでみんなの笑いを誘う。ガゼボの空気が和らいだ瞬間だった。
一区切りついたとばかりに、みんながガーデンテーブルへと向かう。1人シエルだけが尚も戸惑い続けていたが、みんなそれをただただ笑うだけだった。
円形のガーデンテーブルの上には、たくさんの料理が用意されていた。大人と子供に分かれて卓に着けば、今までずっと控えてくれていた侍女たちが飲み物を用意してくれる。
いまだにどこか納得していない表情のシエルに、カイザスが声をかける。その手には瑞々しいレタスやトマト、そしてたっぷりの蒸し鶏が詰められたバケットサンドが握られていた。
「さっきのシエルかっこよかったぜ!」
まるで労うように献上されたそのバケットサンドを受け取り、シエルは苦笑いを浮かべた。
いつ芽吹いたかも覚えていない、それでも確かな自身の決意を、彼らに告げるつもりはまだなかった。拒絶が怖かったからだ。でも彼の笑顔を見たらそれが杞憂だと安堵した。
「やっぱお前、騎士になりたいんだろ?」
出会ってすぐの頃に抱いた疑問と、そのときに感じた違和感を確かめるために再び問いかければ、シエルは今度はあからさまに表情を変化させた。しかしあの時とは違い、どこか照れているようなはにかんだ笑みだった。
「……俺が目指してるのはただの騎士じゃない。魔法と剣技の融合……便宜上、魔法剣士って言ってるけど……。うん。俺は魔法の実戦登用を目指してるんだ」
その夢が確かなものになったのは、サフィロと手を結んだあの日。魔法の常識を覆すことはサフィロから提案されたことではあったが、それはシエルにとっての光明でもあったのだ。
シエルの言葉を聞いたサフィロが驚いたように目を見開いた。かと思えば、口端がこれでもかと吊り上がっていく。
「おもしれぇじゃねぇか……!」
「サフィロならそう言ってくれるって信じてたぜ」
まるで鏡写しかのように、シエルも笑う。それは好戦的な獰猛な笑みだったと、後にカイザスとリリアーナから都度都度話題にされるくらいほどだ。
「俺にも手伝わせてくれ!」
「むしろこっちからお願いしたいよ」
「んじゃ、今日から俺とお前は相棒だな!」
差し出された右手。
最初は『共犯者兼同志』だったのが、『相棒』へと昇格した。仕えるべき主君からの言葉に、畏れよりも誇りが先立ち、シエルは力強くその手を握り返す。
きっとこの先、咎められる日が来るかもしれない。それでも今は、今だからこそ許されるこの行為を、この先ずっと忘れない。
「よろしく頼むぜ、相棒」
今だけは対等でいよう。
それを彼が望んでくれるのだから――
◆ ◇ ◆
「さてそれでは緊急家族会議を開きます」
「……はい」
トルメンタ邸で開かれたホームパーティは、終始穏やかに行われた。子供と大人に席が分かれていたことも幸いしたのだろう。シエルとサフィロが思いの外盛り上がってしまったせいで、子供は子供、大人は大人で交流を深めるに留まったのだ。
「どうして俺や父様を頼らず、一人で所長のところに行ったんだ?」
普段とは違う少し硬い声音に、シエルは肩をすくめて縮こまる。
普段優しいだけに、凄みを感じて少し恐ろしかった。
「シエル」
緊張で口を閉ざしてしまったシエルに、父ヴィクトルが優しく声をかける。その声音に誘われて、シエルはそろそろと顔を上げて父を見た。
「あのとき語った言葉に嘘偽りはないね」
ヴィクトルが指している言葉とは一体なんだろうか。そんなこと考えるまでもなかった。
シエルの瞳に力強さが戻ってくる。背筋を伸ばし、真っ直ぐに父親を見つめ返し、しっかりと首肯した。
「……ッ! お前、自分のことちゃんと判ってんのか!?」
エルヴィンが声を荒げる。それはシエルの身を案じてのことだということは、すぐに判った。だからシエルはもう恐れない。夏の青空を思わせる澄んだ瞳は、清々しさを感じさせた。
「心配してくれてありがとうございます」
兄を落ち着かせるように静かに、それでいて芯の通った声は、今まで家族に向けて発したことのない大人びたものだった。しかしヴィクトルもエルヴィンも一度目の当たりにしている。
今日の昼にトルメンタ伯爵に向けて発したものだったのだ。
「トルメンタ伯爵に向けて言ったことは、嘘偽りない俺の気持ちです。殿下たちのために、俺は何だってします。そのためにもっともっと強くなる。そしてこの呪いを解いてやる。呪いから解放された清らかな魂で、ウラガーン王家に忠誠を尽くしたいと考えています」
言い切れば、隣に座る兄が息を呑んだのを視界の端で捉えた。しかしシエルは真っ直ぐに父を見つめる。自分と同じ澄んだ濃い青の瞳が、自分を見定めているようだ。
永遠に続くかと思えた沈黙を破ったのは、父でも兄でも、ましてやシエルでもなかった。
「ふふっ。すっかりかっこよくなったわね、シエル」
「母様」
「自分のしたいことを自分で見つけ、そしてそのために成すべきことを成している。そんな貴方が誇らしいわ」
学校や仕事のために領地を離れていた兄と父とちがって、母はいつも見守ってくれていた。シエルが幼い頃から沢山学び、自ら鍛錬を課していたことも見ていてくれたのだろう。
母の評価がくすぐったく、でも嬉しくて、シエルははにかみながら小さく礼を溢す。胸が熱くて、ともすれば泣き出してしまいそうだった。
「私は貴方を応援するわ。そしていつだって味方でいてあげる。だからね、シエル。……頼りたいときはいつでも頼ってきて良いのだからね」
そのことにシエルは少し潤んだ瞳を丸くさせた。その反応に、シシリアはくすくすと愉快そうに笑う。お淑やかなその笑みとは裏腹に、その瞳はどこか悪戯っ子のような光を湛えながら、隣に座る夫に顔を向けた。
「貴方もそうお考えでしょう?」
「……シシリアに全て言われてしまったな」
父の口をついた苦笑交じりの言葉。その時ふとある日の情景を思い出す。そして申し訳無さからふにゃりと眉尻を下げて、頭を下げた。
「相談せずに勝手に行動して、申し訳ございませんでした」
いつだって味方だと、兄が言った。
遠慮なく相談するのよと、母が言った。
そして父はそれに苦笑交じりに同意していた。
そのことを思い出して素直に謝れば、下げた頭に温かい重みが乗せられる。そしていささか乱暴に撫ぜられた。
「そんな急ぎ足で成長するなよなぁ。兄様がびっくりするだろう」
「あら? 貴方もそうだったわよ、エルヴィン。シエルが生まれてから貴方は急に大人びたんだもの。10歳ってそういう齢なのかもしれないわね」
「学院に入って社交界デビューもある。確かに10歳は一つの区切りなのかもしれんな。これを機に妹離れしたらどうだ?」
「そんな寂しいこと言わないでくださいよー」
兄に撫でられているせいで顔を上げることができなかったが、それでも聞こえてきた揶揄いと情けない声。家族の表情がありありと想像できて、シエルは俯きながらも明るく笑ったのだった。
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