第11話 女たらしの本領発揮

 暑さが最高潮に達する夏の二月目には、リベル高等学院の夏休みへと突入する。シエルは最初の1週間と、最後の1週間以外は領地に戻る予定だ。

「シエルは明日はどうするんだ?」

 夏休みに合わせて外交から帰ってきた父ヴィクトルを交えた、久方ぶりの家族勢揃いの晩餐。会えなかった間の報告も終え、優しい眼差しの父から訊ねられて、思わずシエルは小さく息を詰めた。

 夏休み全体の予定ではなく、明日1日の予定を訊かれたことが引っかかった。

 明日はカイザスとサフィロと一緒に、トルメンタ伯爵の邸を訪れる予定である。

 表向きはリリアーナからホームパーティに誘われたことになっているが、実情は両殿下がトルメンタ伯爵と直接会って話がしたいと言い出したのがきっかけだ。シエルとしては伯爵の立場悪化を懸念し拒否しようとしたのだが、カイザスたちは引き下がらなかったのだ。

 曰く「自分の味方は自分で見定める」とのことである。そこまで言われてしまえば、もう拒むことはできなかった。

「……明日は級友にホームパーティに誘われているんです」

「ホームパーティ?」

「確か先月も出かけていたわね。ラッフィカ商会のお屋敷だったかしら?」

「はい。ラッフィカ商会の息女、システィの生まれ故郷であるセラフィランド公国の慣習だそうで、それを聞いたトルメンタ伯爵令嬢が『今度はぜひ家で』と招待してくれたんです」

 母の言葉に助けられたように感じつつ答えれば、父ヴィクトルが顎に手を添えて一つ頷いた。

「なるほど。ならばいずれ我が家にも招待せねばな」

「……っ! 良いんですか!?」

「せっかくの交友の場は多いに越したことはない。学校生活の話をしている時の表情を見て思ったが、素敵な友人に恵まれたようだな、シエル」

「……はい!」

 父の優しい笑顔と真っ直ぐな言葉に、シエルは顔を綻ばせて大きく頷く。そこには先ほど感じた違和感など、もう何も残っていなかった。


◆  ◇  ◆


「いらっしゃい、シエル」

「こんにちは、リリィ。今日は招待してくれてありがとう。これ、家で作ったスコーンとマーマレードなんだけど、これも一緒に出してもらえるかな?」

「まぁ! わざわざありがとう。もちろんちゃんと用意致しますわ」

 ホームパーティは昼食会を兼ねている。トルメンタ伯爵家であれば一流のシェフが素晴らしい料理を披露してくれることは容易く想像できた。そんな中で手料理を持ち込むのは少し勇気がいるが、セラフィランド公国のホームパーティの習わしによれば、手料理を持ち寄るものだということだ。

 これは昨夜、父に教えてもらったことである。

 きっとシスティはその部分をあえて黙っていたのだろう。自分の知識不足を恥、今後は必ずなにか一品用意することを決意し、早速今日実行に移したのだ。

「……殿下たちはまだ?」

「えぇ。今父がサフィロ殿下をお迎えに上がっているわ。カインツ殿下は別の方がお迎えに行ってらっしゃるようですわ」

「別の方?」

「私も詳しくは聞いていないの。教えてもらえませんでしたわ」

 申し訳無さそうに眉尻を下げるリリアーナに、シエルはゆっくりと首を横に振った。

「伯爵には伯爵のお考えがあるんだよ」

 本心から告げれば、リリアーナの翠玉が微かに瞠った気がして、シエルはこてんと首を傾げた。

「……随分と父を信頼してくださっているのね」

「リリィはお父君を信じてないの?」

 驚く彼女に逆に問いかければ、その柳眉が少し顰められる。それは問いかけの肯定だろう。

 しかしシエルは何も言わない。

 少し眦を下げて優しく見つめれば、やがてリリアーナは観念したかのように小さく息を吐いた。

「信頼するには、私たちには対話が足りないわ」

 伯爵家の当主であり、魔法研究所の所長であるリリアーナの父クロードは、それはそれは多忙な生活を送っていることだろう。

 容易に想像できてしまった事柄に、シエルは困ったように閉口した。家族間の問題になんと声をかけていいか判らないのだ。

 微かな痛みを伴う沈黙は、リリアーナの苦笑を、その中に混じる諦観をまざまざと浮き彫りにさせた。

「おかしなことを言いましたわ。忘れてくださ……」

「忘れない」

 わざといつも通りに振る舞おうとするリリアーナの言葉を遮り凛と告げれば、今度こそ大きく翠玉が見開かれた。

「友達の言葉を俺は決して忘れない。だからリリィも覚えていて欲しい」

 鮮やかなエメラルドをまっすぐに見つめるその瞳は、冴え渡る夏の青空のように澄み切っていて、リリアーナの心を力強く照らしてくれる。

「俺はリリアーナの味方だ。だから俺の前では頑張らなくていいよ」

 最初から気づいていた。

 ずっと変わらなかった。

 彼女の一挙手一投足が、完璧な貴族令嬢であろうと緊張感を帯びていたことに。その緊張感に煽られて、自分までしっかりしなければと気を張ってしまうくらいには。

 確かに社交の場では大事なことだ。でも毎日ずっと続けていくことは大変な労力だろう。それを続けられる集中力に感服していたが、もういい加減解放させてあげるべきだとも思った。少なくとも自分の前では。

 そんな気のおけない友達になりたいから。

 沈黙が再び訪れる。でもさっきとは異質のそれを破ったのは、小さな呟きだった。

「……ずるい」

 微かに震えるその声に、シエルは口端に笑みを浮かべた。それは泣き出す子を見守るような慈愛に満ちた微笑みだった。

「……そんなふうに言われたら、断れないじゃない」

「うん。ごめんね」

「悪いなんて思ってないくせにっ」

「うん。だって嬉しいもん」

 シエルとリリアーナの背丈はほぼ同じくらいだ。でも俯いているせいで、手を伸ばせば簡単に彼女の頭頂部に届く。まるで子供をあやすように優しく撫でれば、彼女の肩がびくりと震えた。

「わたし、貴方と同い年よ?」

「うん。そうだね」

「っ。子供扱い、しないでよ……っ!」

「だって可愛いんだもん」

「っこの女たらし……!」

「えぇ? その評価は酷くね?」

 それでも払われないことをいいことにシエルの手は止まらない。ゆっくりゆっくりと優しく撫でるその手つきは、母や侍女が自分にしてくれたことを真似てみた。そうされると不安定だった心が少しずつ凪いでいくのを何度も経験したものだ。

 やがて落ち着きを取り戻したリリアーナが、両手で包むようにシエルの腕を掴む。逆らわずに腕を下ろすと、ギュッと手を握られた。

「わたし、このままでもいい……?」

 その問いの本当の意味を汲み取ったシエルは、ニッと口端を上げて笑った。

「今までのリリィももちろん素敵だったけど、本当のリリィは親しみやすくて可愛いから大丈夫! 俺が保証するよ!」

 その言葉にリリアーナはまるで真夏の空に向かって花開く向日葵のように、大輪の笑みを咲かせるのだった。


 それからリリアーナはシエルを伴って、サロンから自室へと向かった。何をするのかと問いかければ「着替えたい」と返ってきて、慌てて引き留めた。

「シエルは部屋の前で待っててくれればいいのよ。1番に見てもらいたいの。ダメだったら遠慮なくダメ出ししてね?」

「……了解」

 客人に対しての扱いでは決してないが、遠慮のなくなった彼女はさも当然とばかりに言ってのけた。多分これが本来の彼女なのだろう。

 自由奔放で気まぐれで、でも清々しさを感じる年相応の明るい笑顔。

 それは彼女が得意とする魔法属性に類似していた。

 草原を駆け抜ける一陣の風。彼女が放つ魔法から、いつもそんな印象を抱いていたのだ。

 それから待つこと少し。ようやく開いた扉からおずおずと姿を現した彼女に、シエルは少し目を瞠り、そして破顔した。

「めちゃくちゃ可愛い」

 ラッフィカ商会ではうまく言葉にできなかった賞賛がすんなりと転がり出たのは、侯爵家次男としてではなく、ただのシエルとしていられたからだ。だって今目の前にいるのは、伯爵家令嬢としての矜持ドレスを脱いだ、ただのリリアーナだったから。

 先程までは彼女の瞳の色に合わせた深い緑色の落ち着きのあるロングワンピースを纏っていたが、今の装いはまるきり反対である。優しい色合いのオレンジの膝丈ワンピースに合わせて、髪型もハーフアップから高い位置で一つに結い上げる、いわゆるポニーテールに変わったためか、活発さが全面に推し出されている。

(女の子ってすげぇ)

 リリアーナがこうやって髪を上げているのを見るのは、実はこれが初めてだった。髪型一つでここまで印象が変わるのかと驚くシエルに気づくことなく、リリアーナはどこか落ち着かないのか前髪をいじっている。

「この格好で、失礼じゃないかしら……?」

 そういえばすっかり忘れていたが、これから会うのはこの国の王子たちである。しかしシエルは彼女の不安を笑い飛ばした。

「心配しなくて大丈夫! あの2人は気にしないどころか、多分こっちの方が好きだと思うよ!」

「本当に?」

「俺を信じて」

 そう言って手を差し出す。リリアーナはまだどこか落ち着かないのか、でも意を決してその手を握り返した。

 それは初めて会ったあの日のような貴族子息と令嬢の所作とは程遠い、ただの年頃の子供の姿だった。


◆  ◇  ◆


 シエルとリリアーナがサロンを出て少しして到着したのはサフィロが先だった。部屋がもぬけの殻だったことに、案内してくれたトルメンタ伯爵や侍女たちが慌てている。探してくると謝る彼らを見送って、サフィロはとりあえず適当に席についた。

 飲みかけのお茶のカップへと手を伸ばしかけて慌てて引っ込める。どうやら無意識に緊張しているのだろう。こうやって誰かの邸に招待された経験などサフィロは持ち合わせていない。彼が知っているのは王城の一部分と、魔法研究所、そして学院だけだった。

(ったく、なんでいねぇんだよ)

 今の状況で彼が信頼を寄せるのは、カイザスを除けばシエルだけだ。出迎えてくれた侍女からシエルが先に到着していると聞いた時は、無意識に安堵したほどだ。

 それは今日に限った話ではない。

 シエルと知り合ったのは春の二月目だが、毎日のように早朝の魔法練習をしていたからか、その関係性はクラスメイトの中で誰よりも深い。

 しかもサフィロとシエルは、その気質がよく似ているのだ。話していてとても気楽で、その心地はもしかしたらカイザスを超えるかもしれないとさえ思い始めている。

 だからこそ、今この場にシエルがいないことが気に食わなかった。

 しかしそれはすぐに解消される。扉の向こうから軽やかな足音が聞こえてきた。

「……あれ? サフィロ着いてたんだ。こんにちは」

「こんにちは、じゃねぇんだよ。仮にもこの国の王子を放ったらかして逢引か?」

 手を繋いでサロンに入ってきたシエルとリリアーナ。その姿にサフィロは揶揄うようにニヤニヤと笑った。

 すると揶揄われた2人はまるきり真逆の反応を示した。

 シエルはきょとんと首を傾げ、そしてリリアーナにバッと手を振りほどかれて驚いたように目を見開いている。

 そんなリリアーナは顔を真っ赤にさせて肩を震わせている。

「あ、あああ逢引なんてしてないわよっ!」

 予想外の大きな声にシエルに加えてサフィロも驚愕を示した。しかし焦燥に駆られたリリアーナは気づいていないのか、そのまま早口で弁解を続けている。その内容は簡単にまとめれば「シエルを伴って着替えに行っていた」というもので、驚愕と困惑で動揺しながら、サフィロはシエルに視線を向ける。

「着替えについてくって、やっぱお前らそういう関係か?」

「俺は部屋の外で待ってただけだっつの」

 リリアーナの焦り方で逆に冷静さを取り戻したのか、シエルは苦笑一つでサフィの問いかけを一蹴すると、空いた席に腰掛け飲みかけのカップを手にとった。

「そういやカイザスは?」

「あいつとは別行動だよ。流石に一緒に来れねぇからな」

「それもそうか。ところで第二王妃殿下にはなんて言ってきたんだ?」

「あ? 魔法研究所の所長と出かけてくるってだけだぜ。探知魔法も封じてるし、問題ねぇよ」

 シエルはあまり興味もなさそうに納得の言葉を一つ吐いて、置いてあった茶菓子に手を伸ばした。

「ちょ、ちょっと! わたしの話聞いてないでしょ!?」

「聞いてたっつの。……つーかなんか雰囲気変わったな?」

「お、おかしい…ですか? 元に戻した方がよろしいでしょうか!?」

「いや、今の方がいい。無理に戻す必要はねぇよ?」

 再び焦り出したリリアーナに少し驚き目を丸くしつつもそう返せば、リリアーナが息を飲んだのが判った。そのまま様子を窺っていれば、少女の顔がみるみる赤くなっていく。

 その反応に、サフィロは驚くとともにどこか納得した。これこそが本来のリリアーナなのだろう。今までの令嬢然とした姿に違和感を感じていたのだ。大人しい彼女の性格と、そんな彼女が発現させる『魔力の色』が合わないと感じていたのだ。

 彼女は由緒ある伯爵家の長子だ。そしてクラスメイトには王子や侯爵家の次男など、自家よりも位の高い者が揃っている。いくら子どもと言えど、礼儀作法を弁えて大人しくしていたのだろう。

 しかし今目の前にいる彼女は、それを辞めたようだ。どこか恥ずかしげに、でも肩の荷が下りたのか、無理やり抑えていた本来の彼女の纏う雰囲気まりょくが彼女を穏やかに包み込んでいる。

「……綺麗だな」

「え?」

「えぇ!?」

 思わずぽつりと呟いたのは、彼女の周りを取り巻く魔力の輝きに対してだった。今の時期に咲き誇るマリーゴールドのような鮮やかなオレンジ色が、きらきらと燦めいている。

 でもそれが見えるのは自分だけだ。それが残念だけども、どこか優越感も感じていて、思わず口角が上がる。

「なんでもねぇよ」

 そう嘯けば、シエルが呆れたように溜め息を吐いた。顔を赤くしてわたわたするリリアーナよりもそっちの方が気になって、サフィロは思わずシエルに向かってツッコミを入れるのだった。

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