第9話 バレてしまっては仕方がない
季節は巡って夏真っ盛り。
もはや定例と化した始業前の秘密の練習会は牛歩並みではあるが少しずつ形になっている。
何よりも変わったのは、今まで基礎知識が2人に比べて圧倒的に足りなかったカイザスが実践にも参加するようになったことだ。
今日は水鏡を使った通信魔法の模索である。
任意の地点に水鏡を設置することによって、その場所の映像を離れた場所からでも見ることはできる。だがこれはかなり高難度の魔法なため、使用できる人間はウラガーン王国の中でもほんの一握りだ。
その構築式の簡略化、そして音声の伝達がシエルたちの狙いである。
ちなみにシエルはこの水鏡の魔法を高確率で成功させている。最近は寝ても覚めてもこの魔法の練習に費やしているからこその成功率だ。
失敗を恐れず繰り返し繰り返し挑戦することによって練度を上げる。この方法は時間と労力を必要とするが、構築式を理解し噛み砕いて自分が得意とする手法に変換するより、何倍も簡単だと自負している。
「――っ⁉︎ また間違えた」
サフィロは構築式を理解はしているが、それの変換が思うようにいかず、構築途中で魔力が霧散してしまう。
その悪戦苦闘を眺めていると、構築式に必要な知識を読み込んでいたカイザスがシエルに声をかけた。
「なぁシエル。この『鏡面化』ってどういうこと?」
「んーっと、そうだなぁ。…大きな池とかで顔を映したことない?」
「そんなことできんの?」
「水面がちょっとでも動いちゃうと歪んじゃって綺麗に映らないけどな」
「あー。だから難しいのか」
一つ納得してカイザスは集中するために目を閉じた。その様子をシエルは黙って見守る。
しばらくの間静かな時間が2人の間に過ぎ去った。
しかし明らかな変化が訪れる。カイザスの目の前に円盤状の水が浮かび上がった。まるで目には見えない平たいお盆に張られたようなそれは水鏡の魔法で最もポピュラーな現象である。
閉じていた目を開けたカイザスは、それを見て嬉しそうに笑みを浮かべた。彼は今までこれを発現することさえできなかったのだ。
あとはこの水面に任意の場所が映れば成功である。期待を込めて覗き込んだカイザスとシエルは、しかし何とも言えない表情で水面を見つめていた。
「おぉ! 成功させてんじゃねぇか!」
1人黙々と練習をしていたサフィロが気がついたのは、少し経ってからだった。しかし彼の声にシエルたちは反応を見せずに、水鏡を凝視している。
そこに映っているのはSクラスの教室だ。授業開始まではまだまだ余裕のあるこの時間帯に、シエル以外に登校してきた者は過去いない。それは経験談としてカイザスたちにも共有していた。
「やばい! 今すぐ消せ!」
訝しんだサフィロも彼らに倣って覗き込み、はっと息を呑んだ。慌てて叫ぶが時すでに遅く、まるで今の声が聞こえていたかのように彼女が振り返る。そして彼女の声がシエルたちの場所まで届いた。
『おはようございます、シエルにカイザス……それにサフィロ殿下も。3人で一つの水鏡を覗くなんて、ずいぶん仲がよろしいんですのね?』
風が運んできた伝達魔法に、シエルたちは瞬時に悟った。
自分たちの関係がバレてしまったのだと――
青い顔のまま教室へとやってきた3人を迎えたリリアーナは、そのかんばせに優しい笑みを浮かべていた。しかし彼女のエメラルド色の瞳の輝きは、自分たちの真髄を見抜こうと力強い光を放っている。
『トルメンタ伯爵は母さんと繋がっている。その令嬢である彼女に俺らの動向を探らせいている可能性がある』
いつだったかサフィロが危惧していたことが、今ここで明らかになる。鬼が出るか蛇が出るか。誰かがごくりと喉を鳴らした音が聞こえた気がした。
「顔色が悪いようですけど、何か後ろめたいことでもあるのかしら?」
「……判ってて訊いてんだろ」
苦々しく吐き出された言葉はまるで地を這うように低く、それを浴びせられたリリアーナは驚いたように口元に手を当てた。
「サフィロ殿下は大人顔負けの冷静さをお持ちでいらっしゃると伺っていましたわ」
「悪かったな、こっちが素だ」
苛立ちを隠しもせずに呻るように言葉を返すサフィロ。子供とは思えない威圧感だが、生憎リリアーナには効いていないようだ。
「……リリィ。これは…えっと……」
自分たちの関係性を隠していた後ろめたさに釈明しようとするも、うまいこと説明できないのかカイザスが口籠る。リリアーナの口から追及の言葉が出ればいいのだが、それもない。ただ黙って自分たちを見つめている。その沈黙が何よりも自分たちを苛むと、理解しているのだろう。
じりじりと焼けるような焦燥感に、シエルは一つ息をついた。
ここまで来てしまったのであれば、腹を括ろう。
大丈夫。多分彼女は信頼できる。その調べはほとんどついていた。
「まずは黙っていたことを謝らせてほしい。本当にごめん」
言葉を飾ることは悪手であると、シエルは真摯に頭を下げた。そしてゆっくりと顔を上げ、彼女の緑眼をまっすぐに見つめた。
「この国の未来である両殿下が不仲でいるのは、民の不安を煽るだけ。……侯爵家次男としてお二人にそう進言し、2人の仲を取り持った。学校にいる間に関係を修復してもらうつもりでいる」
「それは侯爵家の判断である、と?」
「いや、俺の一存だ」
「その成果は上々のようですわね」
「お陰様で」
全てが出鱈目だが、まさにそれが真実であるかのように語るシエル。そのやり取りをカイザスとサフィロが目を見開いて見つめていた。
その表情は紛れもない驚愕で、結果としてシエルの嘘が際立ってしまう。だからかシエルは呆れたように苦笑した。
リリアーナもそれに気がついたのか、口元に手を当てくすくすと笑い出す始末である。
「シエルは嘘をつくのがお上手ですわね」
「一対一なら騙されてもらえたかな?」
「相手が私じゃなくて、システィだったら騙されたんじゃないかしら?」
「システィにはわざわざ嘘をつく必要ねぇだろ」
「ということはミチエーリ伯爵家(あちら)は信用していないということ?」
「トルメンタ伯爵は信用に値すると判断したまでだ」
王子たちを置いてけぼりのまま話は進む。状況が一切理解できず、困惑のままに先に根を上げたのはサフィロだった。
「……どういうことだ?」
先ほどの威圧感とは打って変わって弱々しい声に、シエルはしてやったりと片目を瞑る。
「トルメンタ伯爵について探ってもらうようにお願いしたんだ。で、その調査結果をもとに直談判してきたのが昨日の話」
「それで早速今日、お二方にもお話ししようと早めに登校したんですのよ。というか、みんないつもこの時間に来ていらっしゃるの?」
サフィロの問いにふんわりと答えたまま、シエルたちはまた別の話題に盛り上がろうとしていた。それこそ世間話が始まりそうな勢いに、慌ててカイザスが追求する。
「ちょ、ちょっと待って⁉︎ 探るって……直談判ってどういうことだ⁉︎」
そんなこと頼んでいない。彼らがシエルに頼んだのは、自分たちの関係を内緒にしておくことと、魔法の指導である。それ以上を頼んだつもりもなければ、この先も頼む予定はなかった。
今のところは。
カイザスやサフィロが学院に通っているのは、信頼できる側付きを自ら選ぶのが目的の一つである。だからこそ、特にカイザスは熱心に交友関係を広めていた。
もちろん貴族の子息たちもそれは承知である。これがこの国の暗黙のルールでもあった。中には虎視眈々とその座を狙う人間だっているほどで、だからカイザスは一際、人を見る目というものを養うよう、幼い頃から訓練を受けている。
今のところ、シエルはカイザスとサフィロ双方にとって一番の候補者でもあった。だからこそ、シエルだけはその対象から外してさえいた。今の自分たちを取り巻く環境が改善された暁には、自分たち2人を支える役目を担ってほしいと考えているからだ。
「俺の兄様は魔法研究所で所長補佐の任に就いてる。つまりトルメンタ伯爵の補佐役なんだよ」
「それでエルヴィン様にお父様のことを探らせていたのよね?」
「うん。そしたら伯爵が俺と同じ考え方な感じがしたから、本人に直接会って聞いてきた」
「突然父に会いたいと言われた時は驚きましたわ」
「リリアーナへの求愛かって?」
「っもう! その話はやめてくださいまし!」
実際訪問を打診したところ、伯爵家は大騒ぎだったらしい。侯爵家の次男と伯爵家の長女。家格から見ても釣り合いは取れている。今はそうでもないが、昔はこの年齢での貴族間の婚約話はよくあったものだ。
だから訪れたのがシエルとその従者だけだと知った時、トルメンタ親子はかなり動揺していた。
その時ことを思い出して、シエルはくすりと笑った。
◆ ◇ ◆
トルメンタ伯爵家の応接室へと通されたシエルは、向かい側に座る伯爵とリリアーナを真っ直ぐに見つめ、口を開いた。
「単刀直入にお伺い致します。今の王家…特にカイザス殿下とサフィロ殿下について、トルメンタ伯爵様はどうお考えでいらっしゃいますか?」
「……質問の意図を教えてもらえるか?」
脈絡のない質問にそう訊き返されるのは当然だった。シエルは動揺することなく、夏空を思わせる強い輝きを伯爵へと注ぐ。その光に気圧されたのか、伯爵の喉元が少し動いたように思えた。
「リベル高等学院に入学してから3ヶ月が経とうとしています。その間、カイザス殿下とサフィロ殿下はほとんど交流しておりません。そのことを不思議に思い父に訊ね、王宮内の派閥争いを知りました。王宮内は今、二分されていると」
「……つまりキミは、私がどちらの派閥に所属しているか確かめに来た…と?」
「いえ。伯爵様がどちらの派閥でもないことは、兄から聞いています」
力強く告げると、伯爵は目を見開いた。しかしそれはすぐに眇められる。室内の空気が少し怪しく渦巻いたような気がしたが、それでもシエルは顔色一つ変えなかった。
シエルとともに訪れたイザークは、従者ということでソファには座らず扉の直ぐ側に待機している。だから室内の様子が俯瞰できた。
険しさが増していく伯爵と、それを真っ向から受けるシエル。一人リリアーナだけが困惑の表情で父親と友人へと交互に視線を彷徨わせるのがあまりにも憐れに思えて、イザークは内心で苦笑し、そして同時に舌を巻く。
(これが10歳の子供のすることかよ)
自分がシエルと同じくらいの頃を思い出し、今度は幼い頃の自分自身が憐れに見えてきた。
シエル=ベンダバールは物心着く頃から、物分かりのいい子だった。
自身の境遇を受け入れ、それを嘆いたところをイザークは見たことがない。聞けば一度だけ大泣きをしたことがあったようだが、それ以来幼児特有の我儘さえ言わなくなったとのことだ。
しかしイザークは知っている。シエルが誰よりも自身の境遇に憤り、そのためにこれまで血の滲むような努力をしてきたことを。
誰よりも貪欲に、力を求めていることを。
そうして育った結果がこれである。
(女にしておくのが勿体無いぜ、マジで)
男に生まれさえしていれば、悪魔に狙われることもなかったかもしれない。そしてあの呪いがなければ、シエルはこうはならなかったかもしれない。
それでも思ってしまう。シエルが本当に男だったら、きっとこの国をより良い国へと導く、導き手となれただろうと。
そんな詮無いことを考えている間、室内はいまだに無言の探り合いが続いていた。
居た堪れない空気にリリアーナの顔色が青を通り越して土色になりかけた頃、ようやく室内の雰囲気がふっと弛緩した。
「……キミこそ、どう思うのだ。今の王子たちについて」
シエルは目の前に扉が現れたような気がした。この問いかけの答え如何によって、その扉が開くかが決まる。決して間違えるわけにはいかないと、膝上で静かに拳を握りしめた。
「2人は手を取り合うべきです。今、王宮内を二分してはいけない。聖女様の結界が弱まっている今、王宮は……王国はより一層の結束を求められていると考えます…!」
それは王宮内でもごく一部の人間しか知らない最重要機密事項だ。国王が心から信頼を寄せる数名。その中にはシエルの父ベンダバール侯爵も含まれているが、彼の人となりは伯爵もよく知っている。いくら家族愛に溢れた親バカだとしても、その線引きはしっかりしている奴である。そうでなければ、外交官など務まるはずがないのだ。
ならばどうやってシエルはその機密を知ったのだろうか。
トルメンタ伯爵は今度は見定めるようにじっくりとシエルを見つめた。その視線に先程までの敵意はない。だというのに、シエルは今の方が緊張しているようだ。
ごくりと生唾を呑み込み、それでも決して逸らされない紺碧の瞳。父親譲りのその瞳は力強い輝きを放ちながらも、その中に一抹の不安を滲ませていた。
(……あぁ本当にヴィクトルそっくりだ)
先程までの飄々とした態度は全て仮面であり、鎧だったのだろう。ようやく見えた本当のシエル=ベンダバールという人間。その面影は親友にそっくりだった。
「私もキミと同意見だ」
シエルは一つしっかりと首肯した。ただの子供であれば、同意を得られて喜ぶ場面だが、シエルはそうしなかった。この後に続く伯爵の言葉を固唾を飲んで待ち構える。
「それで? キミは私に何を望む?」
「……殿下たちが仲良くなるよう、間を取り持ちます。伯爵様には、それが両妃殿下にバレないよう、ご助力いただきたいのです」
「取り持つも何も、あのお二方は充分仲が良いはずだが?」
この期に及んで手の内を隠そうとするその抜け目のなさに、伯爵はくつりと喉を鳴らす。するとシエルは観念したかのように肩をすくめた。
「……やっぱりご存じだったんですね」
「王宮は広くて狭い。サフィロ殿下は巧妙に隠していたようだが、敏い者は気づいていたさ。逆にどうして気づいていないと思ったのだ?」
「リリアーナ嬢がその事実を知らないようでしたので」
くすりと笑ったシエルに倣ってトルメンタ伯爵はようやく隣に座る娘を見た。正直、半ば彼女の存在を忘れかけていた。それだけシエルとの会話に集中していたと気付かされ、微苦笑をこぼす。
知られざる事実にリリアーナは言葉も出ないほど驚いているようだった。それはなんとも子供らしい反応で、だからこそ、正面に座るシエルという存在の異質さが際立った。
しかしそれを嫌悪するどころか、好感を持っていることに伯爵は再び苦笑する。
末恐ろしい子供である。だがこの存在の手綱をしっかりと扱うことができれば、この国の将来は安泰だろうとも考えてしまうのは、人の上に立つことに慣れてしまったからだろう。
「助力と言ったが、それは王子たちの関係改善を進言すればよろしいのか?」
「いえ、しなくて結構です」
さてどうやってあの高飛車な側室を黙らせるかと策を練ろうとした伯爵は、キッパリと告げられた言葉に思わず「は?」と疑問符を溢した。取り繕うことを忘れた素の声音に、シエルはようやく警戒を解いたのか、にっと口端を上げて笑った。
「そんなことをして、万が一億が一にも伯爵様のお立場が悪くなってしまっては困ります。王宮内の心強い味方を失うのは得策ではありません」
「ではどうしろと?」
「伯爵様にはあの2人の『逃げ場所』になって欲しいんです」
側室の息子である彼に王宮内の味方は少ない。心を許しているのは父王と腹違いの弟だけと言っても過言ではないだろう。それはカイザスから聞いた話である。
魔法研究所所長であるトルメンタ伯爵は、サフィロとの接点も多いはずだ。そんな彼がサフィロにとって『信頼できる味方』であれば、それはなんとも心強いことである。
「伯爵様のことを2人に打ち明けます。何かがあった時に……いや、違うな……。ほんの些細なことでも相談できる存在になってもらいたいんです」
王子という特別な存在でも、彼らはまだまだ子供で、大人の助力を必要としている。それこそ親ともまた違う忌憚ない存在が。
シエルにはイザークがいた。両親に対して無意識にはってしまう見栄や体裁も彼の前では一切出ない。そんな人物が、彼らには必要だ。子供でいられる場所が。
「見守って欲しいんです。あの2人は全部を手助けしなければいけないほど弱くはない。それどころか、苦難を乗り越えて更に強くなれる方たちです。でもやっぱり、まだまだままならないこともあると思う。そんな時にはどうか手を貸していただけたら嬉しいです」
カイザスとサフィロは今まで自分たちの力で活路を見出してきた。それはトルメンタ伯爵も知るところである。だからシエルの言いたいことを正しく理解してくれたのだろう。少し表情を和らげ、そしてしっかりと頷いた。
「殿下たちはいい友を得たようだな」
「……恐縮です」
シエルの目的は達成された。ほっと一息ついたその表情は年相応のもので、クロード=トルメンタはシエルに見えないようにひっそりと笑った。
脳裏に赤子の声が呼び起こされる。火が付いたように泣く赤子の胸元に刻まれた呪いの印。親友に解呪を請われたが、自分の力量では終ぞ叶わなかった。
あれから10年。
その呪いのことを忘れたことはなかった。己の補佐になった若き魔法師とともに今も尚その解呪の方法を探っていることを、きっとこの少女は知らないのだろう。
だから全く関係のないところでこうやって相見える日が来るとは思わなかった。
トルメンタ伯爵はシエルの正体を知っている。
そして今日こうやって対面して、彼女が背負う運命を激しく恨んだ。
(呪いが解かれた暁には、ぜひとも殿下のどちらかと)
女性が政に関わる一番簡単な方法は王家に名を連ねることである。逆にそれ以外はまだまだ難しいのだ。
しかしシエルの能力は中枢政治にぜひともほしい逸材である。
(ヴィクトルとエルヴィンには報告するか)
今日のことはきっとシエルの独断だろう。ほぼ初対面に近いが、それでも確信しているのは、彼女に親友を重ねているからだ。
だが彼女とてまだ見守られるべき子供だ。だから自分も協力を仰ごう。
彼女を見守るべき存在に――
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