第8話 意味不明な涙
共犯者兼同士というちょっとおかしな関係を結んでからというもの、シエルとカイザス、それにサフィロは心の距離を一気に縮めた。元々カイザスとの相性の良さを感じていたが、サフィロはそれ以上だった。
それはきっと彼の秘めたる魅力なのだろう。
カイザスは快活で誰とでもすぐに仲良くなるが、その実、王子としての在り方を心得ているためか、しっかりと線引を図っている。しかもそれを相手に気づかせないのがカイザスの凄いところだ。
それに比べてサフィロは相手にもはっきりと分かる線引というか、壁を作ってしまう。それはまるで城壁のような強固さを誇っている。だからこそ王宮での住心地の悪さや、魔法研究所で大人たちに囲まれた環境の中でも押し潰されることなく、己を保っていられるのだ。そして一度その城壁の中に入ることを許された者にはとても寛容で、言い換えればとても”甘く”なってしまうのである。カイザスだけだったそこに立ち入ることを許されたシエルは、その居心地の良さに驚き、そしてすっかり彼に絆されてしまった。
サフィロは王位継承に一切興味はないらしい。
それどころか、今以上に功績を積んで、この国の魔法体系を整える立場に就くことを目的としている。その根底には彼の学術的興味も理由の一つだが、それとは別にもう一つ――彼はカイザスこそが王であるべきと誰よりも強く願っているのだ。そして彼を支えられるよう、力をつけるのだと。
その決意を知っているのはこの世でただ1人、シエルだけと打ち明けられた時は本当に驚いた。そして自分が彼から認められたのだと判って、嬉しくもなった。そしてサフィロの力になりたいと、強く願うようになった。
それ以来、シエルとサフィロは時間を見つけては魔法研究に取り組んでいる。
「――いや、だから何でそんな時間かかるんだよ」
「構築式組んでたらこうなんだろ」
「必要な構築式は頭に叩き込んであるんだろ? ならいちいち意識しなくたって勝手にやってくれるって」
「その考え方がいまいち判らねぇんだっつの」
特に約束をしたわけではないが、今日もシエルとサフィロは朝早くから、あの廃小屋で魔法の練習をしていた。
今日はカイザスは休みらしい。
なんでも正妃の客人でもある国賓と食事会があるとのことだ。それを聞いた時は「あー、そういや王子様だったなぁ」となんとも失礼な感想を抱いたのは内緒である。
なので今日はサフィロと2人きりだ。いつもはカイザスへの講義もしているのだが、今日はその必要もないと、ここぞとばかりにサフィロはシエルの魔法の仕組みの攻略を試みている。
「うーん、そうだなぁ……。雪玉って作ったことある?」
「は? 雪玉?」
「うん。雪玉ってさ、転がしてくとどんどん大きくなっていくじゃん? でもそのためには手や体を使って雪玉を動かしていくしかないよな?」
ウラガーン王国は冬になると雪で覆われる。積もった雪を使った遊びは、普通のこどもなら誰でも一度は経験しているものである。王子である彼が体験しているのか少し不安に思いながらも説明すると、理解してくれたのか1つの首肯だけで続きを促された。
「でも坂道に転がせば、最初の一手だけであとは勝手に転がって大きくなってくれる。俺がやってるのはそんな感じ」
「……構築式っていう坂道に、魔力っていう雪玉を転がすってことか?」
「そのとおり!」
自分の若干意味不明な例え話を理解してくれたことが嬉しくて、シエルは満面の笑みで大きく頷いた。
サフィロは少しだけ眉をひそめて視線を俯けた。何か不快にさせてしまったかと心配になり覗き込もうとするが、その前に彼の方が顔を上げた。
一度天を仰いで一つ息をつくと、もう一度魔法を行使する。シエルの例え話を自分なりに解釈して、実行に移した。
しかしうまくいかずに途中で霧散してしまう。今度こそ盛大に顔を顰めて舌打ちをこぼすサフィロの肩を、シエルは慰めるように優しく叩いた。
「もう少し多めに魔力流していいよ」
「……っ⁉︎ お前、見えてんのか⁉︎」
「俺は魔眼じゃないから見えないよ。でも見える奴がそばにいる。そいつに言われたんだ。思いっきりやってみろって」
シエルの従者が魔眼持ちであることはサフィロも聞いていた。きっとその従者のことを言っているのだろう。
「無意識化で自動的に魔法を構築するのにも魔力が使われてる。だからその分多めに魔力を使用しないと途中で構築が保てずに霧散しちゃうんだって」
昔イザークに教えてもらったことを思い出しながら伝えれば、サフィロの表情がどんどん苦々しいものに変わっていった。そのことにシエルはこてんと首を傾げる。判りづらかっただろうかと、自分の言葉を反芻して噛み砕こうとしたが、それは彼の大きな溜め息によって遮られた。
「つまり構築式を省く分、魔力消費が大きくなるってことか。簡略化は簡単じゃねぇな」
「でも魔力炉は使えば使うだけ成長するよ」
「……できるまで、魔力を消費し続けろって?」
「極論を言えばそうだね」
シエルは一つしっかりと頷くと、あのガラス玉の魔法を再び発現させた。二つのガラス玉の中でそれぞれ異なる現象が煌めいている。
「この魔法だってできるようになるまで、何日も何日も練習したよ。魔力が尽きたら回復させて、回復したらまたできるまで使って……。1ヶ月近くかかったんじゃないかなぁ」
懐かしそうに語るシエル。
その幻想的な雰囲気に魅了されるよりも以前に、サフィロが気になったのは使われている魔力量だ。どうして見ることができないのかと歯噛みする。
魔眼にも魔力消費が行われる。つまり魔力を集中させればもっとよく見えるかもしれない。
それこそシエルから教わった雪玉の原理を応用すれば――
「――ッ⁉︎」
「サフィロ⁉︎ 大丈夫か⁉︎」
突然左目を抑えて蹲ったサフィロに、シエルは慌てて駆け寄った。彼が自分を注視していたことには気づいていた。見えないと言っていた魔力を見ようと奮闘していたのだろう。
「……シエル、お前……」
しかしそれ以上言葉が続かない。彼が何を言いたいのか判らず、シエルはただただ不安げに彼の肩にそっと手を置いた。
ぽたり。
雫が一つ地面を跳ねた。
ぱたぱたと幾つもの雫が、地面に降り注いだ。
驚いて彼の顔を覗き見れば、青紫色の瞳から止めどなく涙がこぼれ落ちていく。
「……な…っんだよ……これ……っ」
サフィロも混乱しているようだった。無意識に流れる涙を乱暴に拭っている。
気づけばシエルはそんなサフィロの頭を抱きかかえていた。
それはシエルの意思ではなく、何かに掻き立てられたような気がしなくもないが、そんな疑念を今だけは押し留めて茜色の髪を優しく撫で梳く。
両親や兄がそうしてくれるように。
彼の涙の原因がどこかに流れていくように願いながら。
――チリリッ
胸の痣が焼けるように痛んだことに、気付かない振りをしながら――
◆ ◇ ◆
翌日、シエルとカイザス、それにサフィロはまたいつものようにあの廃小屋に集まっていた。しかしいつもと違う雰囲気を敏感に察したカイザスがどこか居心地悪そうに縮こまっている。
何かあったことは明白だが、シエルもサフィロも何も言わないから判らない。気遣いのできる男――カイザスは、息を潜めて成り行きを見守ることにした。
「……シエル」
「……ん? なに?」
「昨日はその……悪かった」
「謝るのは俺の方だよ。急に変なことしてごめん」
(……何があったんだ!?)
わけが判らずモヤモヤとしている間に、どうやらシエルたちはお互いに折り合いをつけたのだろう。いつの間にか話題は魔力についてに変わっていた。
すでにすっかりいつもどおりである。
実は彼らが議論しているのを見るのが、カイザスは好きだった。うまく言い表せないが、一番近い表現としては落ち着くのだ。まるで2人が一緒にいるのが当たり前なように、見ていると穏やかな気持になる。どうしてそう思うのかは判らないけど、とにかく2人が一緒にいてくれるのが、本当に嬉しいのだ。
(いつか、人目を気にせず2人が一緒にいられるようになると良いな。……そのためにも、頑張らないと!)
サフィロがシエルにしか伝えていない決意があるように、カイザスにもまだ誰にも伝えていない目標があった。
そのために毎日、勉強も魔法練習も、そして王子としての仕事も頑張っているのだった。
◆ ◇ ◆
闇の奥で影が揺らめいた。
『見つけた』
声とも言えない音が空気を震わせる。
『見つけタ。見つケタ。見ツケタ。ミツケタミツケタミツケタミツケタ……!』
哄笑が闇の中を響き渡る。
それに合わせて闇全体が大きく脈打ったような気配さえした。
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