第7話 ホームパーティへ行こう

 ある晴れた休日。シエルはシスティに誘われてラッフィカ商会の店舗を訪れていた。正確にはその店舗に隣接されているラッフィカ邸に招かれているのだが、予定よりも早く着いてしまったために商品を見ていながら時間を潰していた。

「なんかほしいもんあるなら買っとくぜ」

「んー。じゃあいつもの紅茶とこの焼き菓子と……あとこれ。この燻製肉も美味しそう」

「それ、俺の分もいいか?」

「もちろん。付き合ってくれたお礼にお酒も好きなの1本いいよ」

「……お前マジで飴と鞭の使い方秀逸」

「お褒め頂き光栄だな」

 あいも変わらず軽口を叩き合いながら店舗内をゆっくりと徘徊する。ただあまり多くは買えないため、少し申し訳なく思ってしまう。気になるものを厳選して手にとっていく。

「あら? もう来ていたの?」

 声が聞こえて振り返れば、店の入口のところに淡い黄色のワンピースを着た少女が立っている。彼女は後ろに控えている男性に一言何かを伝えてから、シエルに向かって歩み寄った。

「リリィ。こんにちは」

「ごきげんよう、シエル。貴方はいつでも早めに来るのね。私も見習わなくてはなりませんわ」

「俺はいつも早く来すぎなだけ。リリィくらいが丁度いいよ」

 今日誘われているのはシエルとリリアーナ、そしてライアンである。

 肩を竦めて自己評価するシエルに対して、リリアーナがお淑やかに笑う。そのやり取りを見守っていたイザークは、その長駆を折ってシエルの耳元に顔を寄せた。

「んじゃ、俺は先戻ってる。楽しんでこいよ」

「うん。ありがとう、イザーク」

 イザークはにっと笑って、軽くシエルの頭を叩いてから2人から離れていった。彼はこのまま馬車で待っていてくれるらしい。帰ってもいいよと伝えたら怒られた。なんだかんだ言いながらも、侍従としての職務を全うしてくれている。

「従者の方?」

「従者っていうより、剣の師匠かな。領地から王都に来る際に、従者になってもらうようにお願いしたの」

「そうだったんですの。だから仲が宜しいんですのね」

「小さい頃から面倒見てもらってるからね。もう一人の兄みたいな感じだねー」

 そんな話をしていると、店の奥からちょっと大きな声が飛び込んできた。

「わわっ! シエルもリリィもお待たせしちゃってごめんねー!」

「まぁ、システィ! その衣装とても素敵ですわ!」

「その格好で走ってきたのか? 危ないから慌てなくて大丈夫だよ」

 ちょっと息を切らせて現れたシスティは、いつもの印象とは全然違ってとても目を惹いた。彼女の瞳の色と同じ赤橙の鮮やかな布地が綺羅びやかだ。彼女の出身地であるセラフィランド公国の伝統衣装だとシエルは思い出す。

 リリアーナももちろん知っているようで興味深そうに、そしてテンション高く褒め称えている。その喜びようはもしかしたら知り合ってから初めて見るかもしれない。

「もし興味あるならリリィも着てみる?」

「よろしいんですの!?」

「うん。今日の目的の1つがそれ。リリィにセラフィランド公国の服を着てほしくって。男の服もあるからシエルも着替えてみる?」

「俺は遠慮しておくよ。ライアンまだ来てないからここで待ってる。リリィ連れて行ってあげて」

 リリアーナが期待でうずうずしていたため、シエルがそっと背中を押せば簡単に2人は店舗の奥へと消えていった。着替えをしなくて済んだことにほっと一息つく。

(それにしても、ライアン遅いな)

 店の外へと出て隣りにある馬車の停留所を覗いてみるが、停まっているのは2台だ。クリーム色の馬車にはトルメンタ家の紋章が飾られている。ちなみに奥にある焦げ茶の馬車はシエルが乗ってきたものだ。御者台ではイザークが腕を組んで目を瞑っている。

 従者の様子に苦笑していると、後ろから蹄の音が近づいてきた。ベンダバール家と同じ焦げ茶色の馬車がちょうどここを目指しているようだ。馬が停留所に身を入れたタイミングで一度止まり、馬車の扉が開いた。

「遅れてごめーん」

「謝んなくていいよ。こんにちは、ライアン」

「ありがとう。そしてこんにちは、シエル。リリィとシスティは?」

「女性陣だけで先にお楽しみ中。ゆっくり待ってようぜ」

 シエルの言葉に首を傾げながら馬車から降りてきたライアン。彼の挙動に、シエルは訝しげに眉をしかめた。しかしライアンはそれに気づかず、御者に指示を出している。

 馬車が停留所の中へと進んでいくのを見送って、シエルはライアンに声をかけた。どこか神妙な声音に再びライアンは首を傾げるが、構わずにシエルは彼を引き連れて、店の前を通り過ぎ細い路地へと入っていった。

「シエル?」

「いいからこっち」

 戸惑う友人を半ば無理やり路地に引き込む。人1人が通るのがやっとな場所に向かい合わせで立っているため距離が近い。シエルはどこか恐る恐るといった体で、彼の左腕に手を伸ばした。

「――ッ!」

「やっぱり怪我してんのか」

「……いつ気づいたの?」

「馬車から降りる時、動きがおかしいなって」

 答えながらもシエルは意識を集中させるために、一度目を瞑った。少しの間の沈黙。それを破ったのは小さく息を呑む音だった。

 ライアンの腕に触れていたシエルの手から微かな光が溢れ出す。彼女の瞳の色と同じ濃い青の光がライアンの腕――怪我の場所を優しく包み込んだ。

「まさかシエル、これって……!?」

「痛みはどう?」

「……痛くない」

「うまくいって良かった」

 満足げに笑うシエル。そんな彼女をライアンは信じられないという表情で見つめていた。彼が言わんとしていることを理解しているのか、ニッと口端を上げて人差し指を口元に当てた。

「まだまだ練習中で成功率も低いから、みんなには内緒な?」

 呆然としていたライアンだったが、シエルのその顔に少しずつ驚きから脱したのか、やがてくすりと笑った。

「僕たちだけの秘密?」

「そう! 俺たちだけの秘密!」

「なんか特別感があっていいねー」

「ライアンならそう言ってくれるって信じてたよ」

 そう言って2人はくすくすと笑いあった。実はこういうことは初めてではない。秘密だと口に出して約束したことはないけれど、シエルとライアンだけの秘密は他にもあるのだ。例えばお昼休みに学院を抜け出して近くの洋菓子店で買い食いをしていたり、下校途中に2人でカフェ巡りをしたり。

 実は彼らはそういう学生ならではのイケナイ事をする相棒的存在でもあるのだ。

「その怪我の理由は……お父上?」

「まさか今日に限って家にいるとは思わなくてねー。遊びに行くって言ったら怒られちゃったから、抜け出してきた」

「……大丈夫なのか?」

「へーきへーき。逃げるのはお手の物だから」

 半分自虐のこもった言葉に、シエルは何も言えずに顔を俯ける。するとぽんぽんっと頭を叩かれた。

「そんな顔、シエルには似合わないよー。みんなが心配しちゃうし笑って? それにしても、楽しみだな~。セラフィランド公国の郷土料理。ねぇ、シエル?」

「……だな」

 口の先まで出かかったわだかまりをなんとか飲み込んで頷くシエル。そして先に路地から出ていったライアンを追いかけ、一緒に店舗に入った。

 そこにはちょうど準備が終わったリリアーナとシスティがいて、そんな少女たちの姿にシエルは思わず言葉を失った。

「わぁ! 2人ともすっごく綺麗だねー!」

 彼女たちが身にまとうのはセラフィランド公国で広く普及している服装である。鮮やかな一枚布を巻いているように見えるが、あいにくシエルには見ただけではその構造を理解することはできなかった。多分それはライアンも同じだろう。持ち前の穏やかさを最大限に活かして、ただ純粋にリリアーナたちを褒めている。

「あらシエル? もしかして見惚れていらっしゃるんですの?」

 見惚れたのは間違いではない。ただそうではなくて、こういう時に貴族子息は言葉巧みに女性を褒めるべきだと学んでいた。しかしいざその局面が訪れたのに、何も思い浮かばないのだ。

 綺麗だと、似合っていると感じている。でもそれだけでは足りない。もっと何か別の表現をして女性たちを喜ばせるのが、貴族子息の役目である。

 こういう時に父なら、兄なら、なんて言うだろう。

 ぐるぐる考えこんでいたら、柔らかな温もりが握りしめていた手を優しく包み込んだ。

「……難しく考えなくてもよろしいですわ。思ったことをそのまま口にしてくださいまし」

 エメラルドのような鮮やかな翠眼がまっすぐにシエルを見つめる。宝石のような煌めきと右手を包む温もりに、シエルはふっと体を弛緩させた。

「……すっごい綺麗で、言葉を失った。気の利いたことが言えなくてごめん。リリィもシスティもとても似合ってるよ」

 それは何とも愚直で、でも心からの言葉だということが伝わった。低すぎず高すぎないシエルの声音も相まって、まるで優しく甘やかに少女たちの心に響いた。

「……言葉巧みに飾るより、よっぽど破壊力がありますわ」

「え?」

「無意識にやってるところがなおタチ悪いよねー」

「大人になったらすっごい女たらしになりそう」

「ちょっと待ってその評価何⁉︎」

 目の前には顔を赤らめたリリアーナ。そしてその奥には呆れたように笑うライアンとシスティ。友人たちの言葉が理解できなくて、シエルはあたふたとしたが、いまだに握られている右手を振り払ったりせずそのままにしている。そういった優しさもまた友人たちに変な評価をもらう原因だというのも、シエルは気づいていない。

「システィ。いつまでもお店にいないで上がってもらったら?」

 店の奥から顔を覗かせたのは、鮮やかな紫色の布を纏った美しい女性だ。システィと同じ褐色肌は、セラフィランド公国に多くみられる身体的特徴である。

「にゃ! そうだった! みんな上がって上がってー!」

 シエルたちは促されるまま奥へと入った。どうやら店舗と屋敷は内廊下で繋がっているらしい。2人は並んで歩ける程度の廊下にはいくつも扉があった。その様子をシエルたちは物珍しそうに眺めている。

「セラフィランド公国の建築様式だね」

「知ってるの⁉︎」

「実際に見たには初めてだけど、資料なら家にいっぱいあるから」

 ベンダバール侯爵家の本邸には本で埋められた一角が存在する。その蔵書量は個人所有の域を逸脱しており、王都の図書館にも匹敵するとも言われている程だ。それはまさに古くから王宮に仕える文官として名を馳せたベンダバール家の誇りであり、彼らの礎であった。

 シエルも幼い頃からその知識に触れる機会を与えられてきた。それも決して強制ではない。気になるものを自分で選び、深めていく楽しさを学んだと言っていい。

 その中でも他国の生活様式に関心を抱いたのは、外交官として活躍する父の影響が大きいだろう。諸外国の話を聞いては興味を持ち、それに関する本をたくさん読んだ。

 案内された一室はシエルたちが暮らす家よりも天井が低いのに、狭さを感じない不思議な空間だった。しかしその理由にすぐに気がつく。

「何だか……可愛らしいお部屋ですわね」

 リリアーナが見ているのは壁に沿って置かれた棚だ。圧迫感を感じさせない薄い色合いの背の低い飾り棚には愛らしい花が置かれている。

 調度品は少なく、そして一様に背が低い。だから目線を遮るものが少ないから、窮屈さを感じないのだ。それは壁周りの棚だけではない。

 普通であればテーブルや椅子が置かれるべき場所には、鮮やかな刺繍が特徴的な布が広げられ、そこに丸くて薄いクッションのようなものが置かれている。クッションが囲んでいるのは重厚な装飾が彫られた低めの机で、その上にウラガーン王国ではなかなかお目にかかれない料理の数々が並んでいた。

 どこか恥ずかしそうにもじもじしながらシスティが友人たちを振り返る。その姿に出会った日のことを思い出したシエルは、くすりと小さく笑った。

『セラフィランド公国に招かれたみたいだ。夢みたい。ありがとう』

 辿々しく紡いだのは、ウラガーン語ではなく、セラフィランド公国の共用語である。

 発音がなかなかに難しいためうまく伝わるかは不安だったが、どうにか通じたことがシスティの表情から理解できた。驚きから、徐々に徐々に花開くように咲いた笑顔に、シエルはしてやったりと口角を上げる。

『我が家へようこそ! 今日は楽しんで行ってね!』

 それはセラフィランド公国で広く親しまれているホームパーティ開催の定番句だった。



「これすっごく美味しい~!」

「ほんと? ならきっとこっちも好きだと思うから食べてみて!」

 ちょうど昼ということもあり、シエルたちは早速用意された食事に舌鼓を打っていた。布やクッションがあるとはいえ、普段とは全く違う食卓ではあったが、それさえも楽しんでいる。

「それにしても私、セラフィランド語を聞いたのは初めてですわ。シエルはお父様から学ばれたの?」

「父様と母様と、あとセラフィランド公国出身のメイドにも教えてもらったけど、発音が難しくって会話を続けるのはまだきついかな」

「さっきのは完璧だったよ」

「あれだけ昨日めちゃくちゃ練習してきたからな。そう考えるとシスティって本当にすごいよ。セラフィランド語もウラガーン語もどっちも普通に喋れるんだもん」

「お父さんがいっぱい教えてくれたの! いつか一緒にウラガーン王国に行くからって。だから生まれた時からどっちも聞いて覚えたんだけど、たまに混ざっちゃうんだよねぇ」

 苦笑まじりの言葉に思い出すのは、特に彼女が驚いたときのシーンである。まるで猫の鳴き声みたいな声が漏れ出るのだ。

「あぁ、システィの口からたまに出るネコ語ってセラフィランド語なんだー」

 ライアンのからかい混じりの言葉に皆一様に納得する。システィはというとよほど恥ずかしいのか、褐色肌でも判るほど顔を赤くしていた。

「だ、だってしょうがないじゃん! セラフィランド語って“な”とか“に”がやたら多いんだもん‼︎」

「可愛くって僕は好きだよー」

 にこにこ顔の言葉は全くフォローになっていなかった。余計にシスティの顔が色付いていく。その様子に今度はシエルとリリアーナが呆れた視線をその原因へと送っていた。

「何?」

「いや追い打ちかけといて何涼しい顔で飯食ってんだよ」

「確信犯な分、シエルよりはまだマシなのかしら……?」

「僕なんてシエルと比べたら足元にも及ばないでしょー」

「何でそこで俺が引き合いに出るんだ?」

 いつもの休憩時間の延長線のようで、でもそれとは比べ物にならないくらい長く濃密な時間は、とても穏やかだった。セラフィランド公国の郷土料理は最初から一口サイズで作られているものが多く、話をしながら口にするのにもちょうど良かった。

「セラフィランド公国ではホームパーティって一般的なんだよな」

「そうなの! お休みの日はご近所さんや親戚の家、学校の友達の家とかによく行ってたなぁ」

 セラフィランド公国は6歳から学校に通う。そこで字の読み書きや計算と言った基礎学問や、生きていく上で必要な教養などを身につけるのだ。

 最初こそ緊張のせいで教室に入ることすらできなかったシスティだったが、その後はむしろ彼女のおかげでうまくまとまったことも多かったと思う。Sクラスの中心はカイザスだが、個性豊かなメンバーの潤滑剤となっているのは間違いなくシスティだった。

「それなら、今度は私がみんなをお招きしようかしら。私の家だったら、もしかしたら殿下たちもお招きできるかもしれませんわ」

「あ、いいね。俺も父様たちに相談してみようかな」

「ご招待頂けるのは嬉しいけど、伯爵家や侯爵家に行くの緊張しそぉ……」

 困ったように頭を抱えるシスティに笑い声が弾ける。

 今後、Sクラスのホームパーティは不定期に開催され、彼ら彼女らの絆を深める重要な機会となるのだった。

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