第6話 共犯者兼同志

 あの驚愕に包まれた早朝の出来事の翌日。習慣通り早く登校したシエルは教室の扉を開けて立ち止まった。

「シエルおはよー!」

「お、おはよう、カイザス。サフィロ殿下もおはようございます。お早いですね」

「それはこっちの台詞だぜ。いつもこんな早く来てんのか?」

「つか、なんで俺には敬語なんだよ?」

「え? だって許可いただいてないですもん」

 驚いたのは一瞬で、すぐに自分の席に移動すれば、隣からちくちくとした視線が刺さる。案の定睥睨している彼に対して肩を竦めれば、確かにとカイザスが頷いた。

「俺は初日にみんなにお願いしたもんな」

「ぶっちゃけ戸惑ったけど、めちゃくちゃ気楽。改めてありがとな」

「礼を言うのは俺の方だって! 仲良くなってくれてありがとな!」

 そう言ってシエルとカイザスはカラカラと笑い合う。こんなに仲良くなったのは、シエルの順応性の高さと、カイザスの包容力のおかげというのもあるが、多分波長が合ったのだろう。

 これが本当の侯爵家次男なら、カイザスの側近としての地位を築けたかもしれない。そう思うとつきりと胸が痛みを発する。しかしそんなことはおくびにも出さず、ごくごく自然に視線を逸らすと、カイザスよりも青みを帯びた濃淡の違う双眸と目があった。

「……何か?」

「最後は普通に喋ってたじゃねぇか」

 それは昨日の朝の話だろう。構築論やら魔法について語る内に、どうしても体裁を保てなくなってしまった。あの後の後悔や反省は夜眠る前にも再び浮上し、布団の中で1人反省会を開催したほどだった。

「不躾なことをしたと反省しております。本当に申し訳ござ……」

「あれでいい。別に敬称もいらない」

 その言葉にシエルは目を丸くする。カイザスとサフィロの関係性を知った今なら、彼がそう言い出すのも理解できる。でも想像していなかったために虚を突かれた気分だった。

「んだよ? 俺とは仲良くしてくれねぇのか?」

「……友達になってくれるの?」

「友達っつーか、共犯者兼同志ってとこか?」

 共犯者兼同志とは一体どういう意味だろうか。シエルは思わず眉をひそめてサフィロを見つめた。すると彼はニッと口端を上げて笑った。

「俺とカイザスの関係をクラスの連中に黙っておく共犯と、魔法の常識を覆す同志。仲良くやろうぜ、シエル?」

 初めて呼ばれた名前と、差し出された右手。それは確かに彼からの友好だ。しかしそれこそ予想外で、シエルはすぐに反応できなかった。ゆるゆると差し出された手とサフィロの顔を交互に見やれば、段々と彼の顔が不機嫌になるのが判った。

「言いたいことでもあんのか?」

 表情とは裏腹に、どこか気遣うような声音に聞こえたのは気のせいだろうか。いや現実だと気づく。彼の色味の違う瞳がどこか不安げな雰囲気をまとっていることに気がついて、シエルは小さく首を振った。

「嬉しくて、びっくりしただけ。よろしく、サフィロ」

「お前の魔法の秘密、全部暴いてやるから覚悟しとけよ?」

「秘密も何もねぇって」

 自信満々に笑うサフィロに少し困ったように言葉を返すシエル。しかし右手は固くしっかりと絆を結んでいた。

 その2人のやり取りを見守っていたカイザスが、くつりと喉を鳴らした。口元に拳を当てて何とか堪えようとしているのか、肩が小刻みに揺れている。

「おい。何笑ってんだ?」

 ちょっとだけ怒りが滲んだ声音に、カイザスはひらひらと手を振って何でもないと告げる。

「サフィロにも友達ができてめちゃくちゃ嬉しいなぁって」

 入学して1ヶ月、クラスの中心にいるカイザスとの関係性を隠すために、サフィロは必要最低限の接触のみに留めていた。休み時間も教室の移動時もずっと1人だ。

 サフィロはそれを苦と思っていなかった。それどころか日常でさえある。身分の低い側室の息子で異才の持ち主は、いつだって遠巻きに見られるだけで、近くにいるのは母と、そして母に阿る大人たちだけだった。

 それでも卑屈にならずに済んだのは、今目の前で嬉しそうに笑う弟と、そして見た目はそっくりなのにもっと野蛮な笑い方をするあの男のおかげだろう。

「……父さんみたいなこと言ってんじゃねぇよ」

 ほとんど口の中で萎んで消えていった言葉は、なんとかカイザスの耳には届かなかったようだ。そのことに安堵し、取り繕うように溜め息を吐く。

「余計なお世話だっつの、ったく」

 あまりにも可愛げのない言葉に、思わずシエルは笑った。人よりも少しだけ耳のいい彼女は、先ほどのサフィロの呟きをかろうじて聞き取っていたのだ。

「そう言えば、2人の関係性を俺らに内緒にしてるのは、両妃殿下にバレないようにするため?」

「そういうこと!」

「察しがいいじゃねぇか」

 話の流れを変えるべく、そして何よりも昨日からずっと疑問だったことを口にすれば、2人の王子はまるで鏡のように同時に頷いた。離れていても、半分しか血が繋がっていなくとも、彼らは確かに兄弟なんだと思わず感心したのは内緒である。

「トルメンタ伯爵やミチエーリ伯爵のことはよく判んないけど、うちは別によくね?」

「ベンダバール侯爵を信用してないわけじゃない」

「……もしかして、俺?」

 含みのある言葉に何となく嫌な予感がして訊ねれば、意味深に笑みを深められた。それこそが雄弁な肯定で、思わずシエルはぺしゃりと机に突っ伏した。

「……割と良い子で頑張ってたのになぁ」

「シエルはいい奴だって俺はちゃんと知ってるぞ⁉︎」

「ってかその言い方だと、『良い子を演じてた』って聞こえんだけど?」

 脱力ついでにこぼれた言葉は、半分は打算でもあった。何となくだが、サフィロにはこっち側を見せても良い気がしたからだ。イザークしか知らないシエルのもう一つの側面。

 しっかり者で従順で、でもユーモアも持った気さくな性格。多くの人がシエルに抱く印象はこうだろう。

 ただし普段は見せない一面を持ち合わせている。それはやんちゃで生意気で自信家で、好奇心のままに行動する無謀さと言ったところだ。

 男と偽装するためにこうなったのか、それとも天性のものかは知らないが、女として育てられていたら随分窮屈だっただろうなとすら考えている。

「別に無理に演じてるつもりはねぇけど、大人しくしてた自覚はあるなぁ」

「我慢してるってことか?」

「我慢ってほど押さえつけてはねぇよ? 言葉遣いは気をつけてたけど」

「ってかどこでそんな粗暴な言葉遣い身につけたんだよ」

「うちを守ってくれてる騎士団の半数は平民上がりだからなぁ。ってかそっくりそのまま返すぜ、王子様?」

 従者であるイザークは一応男爵家の出だが、領地守備を担う騎士団は平民からの登用を推奨している。平民たちの職の幅を増やすことは、国政の一環でもあった。

 机に片頬をつけたまま隣の席へと視線を向ければ、2人の王子は納得したようになるほどなぁと呟いた。

「騎士団仕込みか。それなら納得だわ」

「父上と同じだな」

「んでもって俺はそんな父さん仕込みってわけ」

「え? 陛下仕込み?」

 今代の国王陛下は、高等学院を17歳で卒業した後に3年間だけ騎士団に所属し、辺境に出征していた過去を持つ。そして戻ってきた翌年、21歳で立太子したのだ。その後も復興支援で現地を赴くことが多く、騎士団とは密な関係だったのだろう。どうやらそこですっかり豪気さを身につけたらしい。

 その話にシエルは興味津々だった。どこか前のめりに話を聞く彼女に、サフィロは最初怪訝そうだったが、何かを思いつきくすりと笑った。

「お前、騎士になりたいのか?」

 言葉遣いが馴染むほど、幼少期から自領の騎士たちと交流していたのだろう。それに昨日の一件でも、魔法そのもので攻撃ではなく、魔法で作り出した剣を使ったのもまた、その推測を裏付ける証拠でもあった。

 サフィロの何気ない言葉に、シエルは表情を変えた。それは本当に一瞬の変化だったが、それは確かに悲しげに見えて、サフィロは動揺のまま固まってしまった。

「騎士も憧れたけど、今は魔法研究の方が興味あるかな。魔法の常識を覆すって楽しそう!」

 パッと咲いた笑顔にカイザスが同意し、サフィロを置き去りのまま話が進んでいく。そのせいで浮かんだ疑念を消化できないまま、心の中で燻り続けるのだった。


     ◆  ◇  ◆


――コンコン


 控えめなノックの音が転がり込んできて、エルヴィンは書き物をしていた机から顔を上げ、入室の許可を出した。

「……お仕事中にごめんなさい。少しお時間もらえますか?」

 シエルが学院に通うために王都のタウンハウスで一緒に暮らすようになってからと言うもの、エルヴィンはできる限り早めに仕事を切り上げては、家で夕食を摂るようにしていた。今日も残った仕事を持ち帰ってまで、夕食を共にし、学院での話に耳を傾けた。その時は楽しげだったと言うのに、今はどこか神妙な表情をしていて、少し焦りながら彼女を迎え入れソファを勧めた。

 腰掛けたシエルの前に夜食用にと侍女が用意してくれたクッキーと紅茶を置くが、彼女はそれに手を伸ばすことなく膝の上で握りしめている。

「何かあったか?」

 問いかけるとシエルは一度口を開いて、それをまたすぐに閉じてしまった。それは彼女が何かお願いをしたい時に見せる癖だ。それくらい兄にはすぐに判る。

 そして彼女自身が困っているわけじゃないことも、なんとなく判った。こっちはただの勘だ。でも確信している。この10年シエルに対する勘が外れたことがないのだから。

 伊達にシエルの兄をやってきたわけじゃない。

 シエルのためなら心を砕くと、どんな無茶でもやってのけると決めている。

「兄様に任せとけ」

 だから自信満々に言ってのければ、強張っていたシエルの肩がふっと弛緩した。

「まだ何も説明してないですよ?」

「でも俺ならできるって思ったから、頼りに来てくれたんだろ?」

 シエルはそういう子だ。誰かを困らせることを嫌う。いつも良い子で我儘を言わないのは、自分の境遇をきちんと理解しているからだろう。

 彼女がどうしても叶えられないお願いをしたのは、まだ幼かった頃に一回だけだ。

 泣いて泣いて泣き続けて、それでも叶えてもらえないと悟ったのか、まだ幼かったはずのシエルは「わがまま言ってごめんなさい」と謝ったのだ。

 謝らせてしまった。

 諦めさせてしまった。

 だからその時に決めたのだ。彼女の願いを叶えられるように、強くなろうと。

「――力を貸してください」

 当たり前だ。

 そのために努力してきたんだから。

「兄様に任せとけ!」

 自信満々に笑って告げれば、シエルの顔に笑顔が咲いていく。


――兄様はいつだってお前の味方だから、いつまでもそうやって笑っててくれよ。

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