第5話 秘密の共有
カイザスとサフィロにつれられて、シエルは小屋の中へと入った。いまだに頭の中は疑問符だらけで、正直現実味がない。もしかしたら自分はまだ夢の中にいるのかもしれない。
「シエル? 大丈夫か?」
「大丈夫じゃ…ない」
「何にそんな驚いてんだよ?」
この質問になら何とか答えることができそうだと、ようやく思考が動き出す。噛み締めるようにゆっくりと言葉を紡いだ。
「カイザス殿下とサフィロ殿下は不仲だと伺っていたので…」
「うーん。不仲っていうか、母上たちのせいで王宮内じゃまともにしゃべれないんだよなぁ」
「だからこんなところに隠れて?」
「まぁそんなとこだな」
顔を突き合わせて頷く2人に、なるほどそういうことかと得心がいった。
サフィロのことはよく知らないが、カイザスとはこの1ヶ月かなり交流を深めた。彼の長所でもある誠実さや柔軟性は、嫌われるより好かれる方が圧倒的に多いだろう。それを厭うほどサフィロの性格は歪んでいるのかと勘繰ってすらいたくらいだ。
しかし理由は別のところにあって、しかもその環境に置かれても、彼らはこうやって親交を深めていたのだ。先ほどの笑顔や今の会話にその一端が垣間見えて、シエルは心が暖かくなるのを感じた。そしてようやく冷静になることができた。
「そのような大事な逢瀬を邪魔して、申し訳ございませんでした」
「うわぁ、逢瀬って言われると途端に嫌になってきた。明日から辞めるか」
「えぇ⁉︎ じゃあ明日から誰に勉強教わればいいんだよ⁉︎」
「いや、自分で頑張れよ」
「頑張ってもわかんねーから頼ってんじゃん!」
白けたように言うサフィロに泣きつくカイザス。そんな弟に今度は揶揄うようにニヤニヤと笑うその表情は、あの
「あははは! お二人は本当に仲良しなんですね! サフィロ殿下がそんな顔されるなんて、想像もしていませんでした」
弾けた笑いに滲んだ涙を拭いながら、思わず本音を述べれば、サフィロに少し睨まれた気がした。そこでようやく、彼から投げかけられたままの質問を思い出す。
しかしどんなに考えても彼が望む答えじゃない気がして、だから素直に思ったことを告げることにした。
笑いの衝動を消し去って、真っ直ぐにサフィロを見つめる。そこで初めて、彼の青紫の瞳が左右で濃淡が違うことを知った。そんなことにも気づかなかったのは、多分無意識に彼を避けていたからだろう。
「俺はシエル=ベンダバールです。それ以外に何もありません」
隠していることがないわけではない。いや、隠し事だらけだと言ってもいいだろう。
性別の違いや呪いを受けている身だと言うこと、その全てが露見した場合、シエルだけはなく家族の人生まで狂ってしまう。それだけは何としても阻止しなければならない、最優先事項だ。
だから嘘をつく。
嘘を嘘と思わずに堂々と、それこそが当たり前だと胸を張って。
しかし青紫色の追求は止まることを知らないのか、透明にも近い左目が、自分を見透かすように細められる。
しかしその眼差しにも臆することなく凛と見つめ返せば、相手の方が先に根負けしたのか視線がふいっと外れた。そしてサフィロはぐしゃぐしゃと頭を掻きむしった。何かイラついているかのような乱雑な所作に、シエルはこてんと首を傾げる。
「だーっ、くそっ! やっぱ見えねぇ‼︎」
「はい?」
「おいお前! なんか魔法を使ってみろ!」
不躾にも指を指して命令する第二王子にますます困惑しながらも、シエルは先ほど作り出したのと同じ氷の剣を作り出して机の上に置いた。
研ぎ澄まされた薄青の刃は、見るものを凍てつかせる鋭利さが滲み出ているかのようだ。場の空気までも凍りついたのか、誰も何も発せず、剣へと食い入るように視線を向けている。
「えっ。はやっ! 今1秒くらいで展開しなかったか⁉︎」
「それでこの出来栄えかよ…。まじでありえねぇ」
魔法を生成するには、構築式で魔力に形を与え、魔法石を介して発現する。複雑な魔法であればその分構築に時間がかかるものだ。
それが魔法の基本だと誰もが思っている。だから彼らの驚きも理解できる。ただやっぱりシエルは納得できなかった。だからちょっとした悪戯を思いつき、にっと口端を釣り上げて笑った。
「サフィロ殿下の質問にちゃんと答えられなかった代わりに、お二人に面白いものをお見せ致しましょうか」
その提案に彼らから反応はないが、シエルは気にせずに剣を消してまず1つ目の魔法を展開した。
「これは…ガラス玉か?」
「正解です」
カイザスとサフィロの顔の前に、彼らの頭をすっぽり覆ってしまえるくらいの大きさの透明な球体が浮かび上がる。怪訝気なサフィロのつぶやきに、シエルは器用に片目を瞑って頷き、さらに2つ目、3つ目と新たに魔法を展開していく。
「……は?」
「え? どうなってんだ、これ!?」
サフィロの前に浮かぶガラス玉の中では、幾重にも火花が咲いては消えていく。小さな花火が次から次に広がっては散っていく様を、サフィロは唖然と見ているしかできなかった。
それと対となるようにカイザスの前にあるガラス玉の中では粉雪が舞っていた。それはまるでスノードームのようで、冷たいガラスの中に薄っすらと雪が積もっていく。
その幻想的なガラス玉を通して見える2人の表情に、シエルは笑いを抑えるのに必死だった。それは決して惚ける彼らを笑っているのではない。悪戯が成功したことへの満足感からくる感情だ。
「……意味わかんねぇ」
ガラス玉に釘付けになりながら、ポツリと呟かれた声はもしかしたら無意識だったのかもしれない。それだけ小さく、この静寂じゃなければ聞き逃していただろう。
それもそのはずだ。
だって今起きている現象は、この100年で何人もの人間が挑戦し、その結果不可能だと実証されたものなのだから。
「俺は2歳で初めて魔法を発現させたらしいです」
それは物心つく前のことだ。感情のままに発現させた魔法の威力は凄まじかったらしく、兄から愚痴混じりにその話を聞かされた時は申し訳なくなって泣いてしまったほどである。それを思い出して、くすりと笑えば、痛みを感じるほどの視線を感じた。
二対の瞳が大きく見開かれ、そしてまっすぐにシエルに向けられている。
そんな彼らに少ししてやったりと小首をかしげて笑いかけ、そのまま言葉を紡いだ。
「3歳の誕生日に魔法石のピアスをもらいました。父の守護石でもあったアクアマリンです。あいにく自分には相性が良くなくって大きな力は使えなかったんですが、周りに被害を与えることなく練習するにはピッタリでした」
魔法石とは8色で分類され、同系色のものであれば扉として使うことが可能である。逆に全く違う色の魔法石ではどんなに強い魔法師でも魔法を発現させるのは不可能なのだ。
魔法師に貴族が多い理由は、この魔法石を入手できる財力があるかどうかが要因となっている。魔力があるかどうか確認するのも、魔法石が必要となるのだ。
「それ以来、毎日魔法の練習をしました。母は魔法が使えないし、父と兄は王都にいたのでほぼ自己流です。失敗しても諦めずに何度も繰り返し練習しました。その結果が、これです」
自信に満ちた表情で笑うシエル。
シエルの言葉が何を指しているのか、カイザスもサフィロも察しているのだろう。ごくりと音が聞こえた気がした。
「できるはずがねぇ……できるはずがねぇんだよ、こんなの」
「でもできてる。火の魔法と水の魔法、それにガラス玉は…?」
「ガラス玉は土魔法だね」
魔法には属性が存在する。最初に属性を指定し、それを基準に構成していくのが構築式の基本である。だから同じ属性であれば、複数の現象に枝分かれさせることは可能だ。
だが今シエルが行っているのは違う。それがカイザスたちの驚愕の理由である。
「どういう原理か……説明してもらえるか?」
「原理も何も魔法石を3つ使ってるだけですよ」
「……は?」
「結局魔法って、魔力炉で作った魔力を構築式っていう道に流して、魔法石の扉から外に出すってだけじゃないですか」
「だけって……それが大変なんじゃね?」
「ん? どの辺が?」
「一つの魔法を作り上げるのがそもそも大変じゃん!」
それは確かに共通認識だ。だがシエルには当てはまらない。だってシエルはその域をとうの昔に脱しているからだ。
「学院に入って改めて構築論を学んで思ったけどさぁ。みんな難しく考えすぎじゃね?」
積み木にしろ、絵画にしろ、文章にしろ、自分でこうすると考えて形作る。重ね方や色合い、使う単語が違えば、まったく別の代物が出来上がってしまう。
だからみんな慎重に丁寧に作り上げようとするのだ。
まだみんな魔法に慣れていないから。
「こんなやり方してるから、未だ実戦登用出来ねぇんだよ」
まるで嘲るような言葉は、隠しもしない侮蔑で、繕うことをやめた本音である。
「魔法は使えば使うほど練度が上がる。
今までとは明らかに違う雰囲気に、カイザスたちはただただ圧倒されていた。彼女の考え方はこの100年で培われてきた常識と何もかもが違う。でもどこか正解のように感じるのは、心の奥底に同じ思いがあるからだろう。
――魔法は精霊王からの贈り物。
それは聖女が遺した言葉の一つだ。それまでの人間は、魔法を扱うことなんてできなくて、魔獣と呼ばれる存在に怯え、ひたすら守りに徹してきた。魔獣を倒すなんて夢のまた夢だった。
幾つもの命が散った。
人類の歴史は長いがとても細く、下手をすれば簡単に途切れてしまう糸のようだった。
今も決してその脅威が去ったわけではない。100年前に聖女が築いた結界が、今もこの地を守っているからの繁栄である。でもそれがいつ失われるかもわからない不安の日々を生きているのも事実だ。
だから国王は魔法研究に力を注いでいる。しかしいまだにその結果は芳しくない。
「シエルにとって構築式って……いや、違うな。魔法ってどんなもの?」
カイザスの問いかけにシエルは少し考えるように視線を彷徨わせた。しかしすぐに答えを見つけたのか、真っ直ぐ2人の王子を見つめ返す。真夏の晴天を思わせる紺碧の瞳は、それに似合う太陽のような強い光を宿していた。
「どんな願いでも叶えてくれる奇跡の力、かな」
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