第4話 2人の王子
入学して1ヶ月。
シエルが通う特殊クラスは、少ない人数の割りには随分と賑やかな毎日を過ごしていた。
その中心はこの国の未来を背負っているであろう第一王子こと、カイザス=アーレ=ウラガーンだ。彼の底抜けの明るさはまるで春の温かな日差しの如く分け隔てなく降り注ぐ。
そう、それは本当に誰にでも平等に。
「なぁサフィロ。これってどう言う意味?」
「……それ昨日教わったばっかだろ」
「一回じゃ覚えきれないって」
「まだ序盤だぞ。そんなんで大丈夫か?」
「優しい兄貴が教えてくれるから大丈夫!」
ニカッと笑った腹違いの弟に、サフィロは大きな溜め息を吐いた。
カイザスとサフィロ。腹違い、そして1日違いでこの世に生を受けた2人の王子は、まるで双子の兄弟のように似通った容姿をしている。しかし性格はかなり違っていた。それはサフィロが母似と言うこともあるだろうが、育った環境も少なからず影響しているだろう。
同盟国との絆をより強固にするという目的で、セラフィランド公国より嫁いできた正妃と、当時王太子に立ったばかりだった今の国王との関係は冷め切ったものだった。対魔戦争で生じた傷跡はまだ全て癒えたわけではない。立太子してすぐの若き次期国王が忙しくしていたことも、夫婦関係に溝を作る原因の一端を担っていた。
そんな王太子が側室を迎えたのは、彼が正式に王位を継承した年だった。シェレグ子爵家の三女で、優秀な魔法師だった彼女は、国王からの寵愛を受けた。それはまるで聖女の伝承のようだと密かに期待されるほどに。
あの対魔戦争で人々に魔法を与えた聖女は、一つの言葉を遺していた。
――この先、私と同じ力を持つ者が《真実の愛》を知った時、再び精霊王がこの世に現れることでしょう
その言葉が指す、聖女と同じ力というものが一体どういうものなのか判らない。
対魔戦争時や、その後の王国復興への援助など、人前に姿を現す際、聖女はいつも1人だった。
聖女はいつもふらりとやってきては、魔法の使い方を教え、傷ついた土地を癒し、復興の助力をしては、またふらりと帰っていったという。彼女が生前暮らしていた場所も、それどころか出自も正体も知らなかった。
それでも彼女が精霊王の寵愛を受けていることを信じて疑わなかったのは、それまで存在しなかった『魔法』の力と、彼女が纏っていたという幸福感だと、当時の記録には記されている。
そして自分の役目は終わったと、聖女はあの言葉を残して、人々の前から姿を消した。
それから100年。
強く美しい魔法師に皆期待している。彼女こそが聖女なのではないかと。
そして生まれた王子が、精霊王なのではないかと――
期待を一身に背負った第二王子は、まるでそれに応えるかのように才能を開花させた。魔力が見える『魔眼』を持って生まれ、そしてまだまだ謎の多い魔法の仕組みのいくつかを広く伝わるように言語化したのだ。
この功績を元に、第二王子を王太子にと望む派閥がある。しかし正妃は同盟国の元姫君だ。その息子を蔑ろにはできないと声を上げる勢力もあり、今王宮内は激しい派閥争いが繰り広げられている。
そのせいで、この腹違いの兄弟が王宮内で交流を持つことはほとんどない。式典などで顔を合わせることはあっても、言葉を交わすことはできないのだ。だからこの2人は似ても似つかぬ性格に育ったと言える。
「学院にいるときしか教えてもらえないのが難点だよなぁ。そのせいでこんな早く来る羽目になってるし。我儘言ってごめんな…」
「……俺は構わねぇけど、マグノリア様にだけはバレないようにしろよ? 学院で俺と関わってるなんて知られたらまたうるせぇぞ」
「頑張ってるけど、そもそもの話同じ学校で同じクラスで、しかもクラスメイトが6人しかいないのに、喋るなって方が無理じゃね?」
「同感。せめて俺の進学をなしにしてくれりゃ、もう少し楽だったんだろうがな」
「そりゃアンシー様が許さないだろ」
「おかげさまでこんなめんどくせぇ偽装しなくちゃならねぇのまじ勘弁」
「俺もその魔法早く習得しないとなぁ」
「練習あるのみ。できるまで付き合ってやるから頑張ろうぜ」
「おぅ!」
快活な性質のカイザスと、物静かな印象のサフィロ。例えるなら火と水とでも言えばいいだろうか。彼らと少しでも交流を持ったことのある人間なら、皆同じような評価を下す。
でもそれだけが彼らの本質ではない。
いつだって明るくまっすぐ、誰にでも分け隔てなく接するカイザスは、その実しっかり周りを見て物事を考える冷静さを持ち合わせている。
そしてサフィロは秀でた才で早くから大人と対等に話すことも多く、こと魔法学において誰よりも情熱を注ぎ、誰にも負けないと闘志すら燃やしている。
彼らはそう言った面では、他人からの評価とは正反対で、だからこそ噛み合った。母親や臣下の目を盗んでは、幼少期から交流を深めてきた。
主にサフィロが会得した魔法を使って。
今もそれは変わらず、彼らの接触を厭う母親たちがかけた探知魔法に、サフィロは毎日妨害の魔法を重ねがけしている。これは実はかなりの高等魔法なのだが、サフィロはそれを若干6歳で習得していた。
「そういやさ……。みんなにはそろそろ教えても良くね?」
「あー、それなぁ」
2人がこんなに仲がいいことは、クラスメイトですら知らない正真正銘2人だけの秘密だ。侯爵や伯爵の子息令嬢、そして国一番の大商会の跡取り娘である彼ら彼女らの親が王妃たちとどんな関係を持っているかわからない。たとえ本人たちにその気はなくても、彼らの何気ない話から自分たちの関係がバレたらたまらない。
「事情も全部説明すればいいんじゃね?」
「ラッフィカとミチエーリは100歩譲って信用してもいい。だけどベンダバールとトルメンタはダメだ」
「なんで?」
「トルメンタ伯爵は母さんに傾倒してる。娘に何か命じてる可能性がある」
「シエルは? ベンダバール侯爵は中立っていうか、父上の腹心だから派閥争いには関係ないだろ?」
「侯爵家じゃなくて、アイツ本人が信用ならねぇ」
「は?」
ここにはいないシエルを睨んでいるかのように眉間に皺を寄せるサフィロ。彼の言っている意味が判らなくて、カイザスはこてんと首を傾げた。
「アイツは何か隠してやがる。見えねぇんだよ、何も」
「え? 見えないって、魔眼でってことか?」
「そうだ。普通なら魔力の流れだったり、構築式だったりが見えるはずなのに、それが全然見えねぇ」
「いや、でもアイツめちゃくちゃ魔法使ってるぞ」
「知ってる。だから信用できねぇんだよ」
サフィロが魔法学を得意としているのは、彼が持つ魔眼の能力があるからだ。母親をはじめとした周囲の魔法師たちが使う魔法の構築式を読み、習得してきたからである。もちろん彼の理解力があったからこその芸当ではあるが、それでも魔眼がなければ扱い方を身につけるのにもっと時間がかかったことだろう。
「シエルが故意でやってるのか、それとも何か他の理由があるのか。どっちだろうな」
「俺らも隠し事してるから、別にアイツを責め立てる気はねぇよ。ただ見極めるまではこっちの事情を明かすつもりはねぇ」
「……ん。判った。リリアーナ嬢の件もあるし、ちょっと心苦しいけどもうちょっとこのままで行くか」
「悪ぃな、我儘言って」
クラスメイトたちに打ち明けたいという話は、なにも今日が初めてではない。最初は入学式の翌日。そして10日ほど前にも一度カイザスから提案されている。
彼はシエルたちクラスメイトと交流を深めている分、友人たちへの隠し事を心苦しく思っていることには気づいていた。
だからこの1ヶ月、サフィロは注意深くクラスメイトたちを観察してきた。その結果、ライアンとシスティの2人は大丈夫だと結論づけることができたし、逆にシエルとリリアーナが信用ならないことに気がついたのだ。
カイザスの期待に沿えないことが申し訳なくて、サフィロは肩を落として小さく頭を下げた。するとカイザスがぷっと吹き出す。
「俺の方がいっぱい我儘言ってるし、お互い様だ!」
朗らかに言うカイザスの心からの笑顔に、サフィロも自然と笑顔になるのだった。
◆ ◇ ◆
リベル高等学院Sクラスの教室に一番最初に登校するのは、実はシエルである。早起きが習慣と化している彼女は、この1ヶ月でどんどん早く来るようになってしまった。
まだ誰もいない静かな教室のこの雰囲気が好きなのだ。
ある日システィが持ってきたセラフィランド公国で品種改良されたという室内用の小さなチューリップの球根を植えた鉢に水をやり、教室の窓を開けて空気の入れ替えをしながら、自席で教科書を開く。
実はシエルは魔法構築学が少し苦手だ。領地にいた頃にももちろん学んでいたが、それは基礎的なことだったし、それもテキストをほぼ丸暗記していたにすぎない。
理解できないのだ。なんでここまで小難しく考えるのか。
魔法は魔力に形を与え、魔法石を介して表出される現象である。その形を与える過程を構築と称するから、構築式という言葉が生まれた。だがそれは計算式のように共通の形態をなしていない。
ある人は積み木だと言った。自分の望む事象に到達するために魔力を積み重ねていくのだと。
ある人は絵画だと言った。まるで絵の具のように魔力を塗り重ねていくのだと。
ある人は作文だと言った。魔力という単語を使って文章を完成させるのだと。
構築式は一人ひとり違う。結局のところ、魔力を形作るための過程であり、それは一部例外を除き本来目に見えるものではない。その例外とは、サフィロやイザークといった魔眼保有者のことで、事実シエルも魔力そのものを見たことはなかった。
だからそれを学問にすること自体が、摩訶不思議で仕方がなかった。
(ダメだ。さっぱりわかんねぇ)
テキストを読む目が滑る。一切頭に入ってこない内容に負けて、パタリと机に突っ伏した。テキストに額を擦り付けて、このまま脳に流れ込んでこないかとそんな非現実的なことを考えてしまうくらいにはやる気がなかった。
(……走りにいこうかなぁ)
ベンダバール侯爵家は古くから文官として王家に仕えてきた一族である。
父は昔から文化史に深い興味を持ち、それを学ぶうちに複数の言語を習得し、外交官や通訳として国王から重宝されている。
母は頭の回転が早く、経済学や政治学の知識が豊富で、社交場では多くの貴族子息にもてはやされたまさに社交界の花だった。
そして兄はこのリベル高等学院を首席で卒業し、若干20歳で魔法研究所の所長補佐を担っている秀才である。
そんな優秀な家族に囲まれて育ったシエルだったが、彼女はどちらかというと体を動かす方が好きだった。もちろん勉学を疎かにしているわけではない。だが実際に魔法を扱ったり、剣を握ったり、体を鍛えるためのトレーニングの方がより集中できるのだ。
思い立ったら即実行も、彼女の気質の一つだ。他のクラスメイトたちが登校してくるまでまだまだ時間はある。机の上に広げた教科書をしまい、シエルは教室を飛び出した。
各種スポーツを行える芝生スペースの向こうに、ちょっとした緑地帯がある。涼しげな木陰や池が点在しており、鮮やかな花々が植えられた花壇が目を楽しませてくれる、生徒たちの憩いに場である。昼休憩はもちろん多くの人がいるが、始業時間よりもかなり早いこの時間は、虫や鳥の鳴き声が聞こえるほど静かだ。
この1ヶ月でシエルが見つけたお気に入りスポットである。いつものんびりとジョギングをしながら、この景色を満喫している。奥に行くと鬱蒼としてしまうので、いつもは手前の拓けたスペースだけにとどめていた。
しかし今日はまるで何かに導かれるように、奥へ奥へと足を進める。舗装された遊歩道から一歩逸れた獣道はジョギングには不向きだ。でもそれでも、なぜか足は止まらなかった。
やがて視界の向こうに小さな小屋を発見する。まるで山奥の作業小屋のようなそれは、たぶん昔はこの場所の管理に使われていたのだろう。木々を整える柄の長い鋏やハシゴなんかが置き去りにされている。
(人がいる…?)
思わず無意識に使った探知魔法に、シエルは息を潜めて身を屈めた。
リベル高等学院は王都でも屈指のセキュリティに守られている。王侯貴族の子息令嬢が通うのだから当たり前だ。しかしそれを掻い潜る強者がいてもおかしくはない。
――だってここの防護陣を破る手立てをシエルは知っているから。
今年は第一、第二王子がこの学校に入学している。ここのセキュリティを食い破り、侵入を目論む奴がいないとも限らない。
足音を立てないように慎重に、シエルはゆっくりと小屋に近づいた。備え付けられた窓は埃で薄汚れていたが、全く見えないわけではない。
(2人、か? 普通の人間ならなんとかなるけど…)
人間以外の場合、勝機は薄い。それでもここで逃げ出すなんて考えすら起きないのは、彼女が志す一つの目標のためだ。
瞬時に複数の作戦を練り上げ、そこではたと気づく。腰付近を探った手が空を掴んだのだ。ここは学院で、自分が通うのは騎士コースではない。だから帯剣していなかったことに今になってようやく気がつき、胸中で盛大に舌を打つ。
その時、中の人影が動いたのが見えた。どうやら移動を開始するのか、一つしかない小屋の扉に向かっている。
シエルは足音を殺して駆け出した。ほぼ裏手側にいたがなんとか間に合い、扉から出てきたその人影に向かって跳びかかった。
構築から展開までほぼタイムラグなしで発現させた氷の剣を握りしめて。
「――ッ、カイザス‼︎」
小屋の奥から響いた声と、目の前に広がる茜色にシエルは振り下ろしていた腕を慌てて捻った。その際に鈍い痛みが走ったが、とりあえず無視だ。
何とか攻撃を逸らすことができてほっと一息つく。しかし安堵も束の間、今度は冷や汗が吹き出して慌ててその場に膝をついた。
「も、申し訳ございません…!」
取り繕うこともできず、ただただ平伏するシエル。まさか第一王子を賊と勘違いし、あまつさえ刃を向けたとなれば不敬罪待ったなしだろう。弑逆罪を問われても致し方ないとまで覚悟し、きつく目を閉じて咎めを待った。
「い、いや……確かにびっくりしたけど……とりあえず顔上げてよ」
動揺を隠しきれない声音に促されても、シエルは頑なに伏したままだ。気まずい沈黙が辺りを包む。それでもシエルは待ち続けた。主の命令を待ち続ける騎士のように、片膝を立てて跪く。
静寂を破ったのは一つの溜め息だった。
「……ベンダバール。お前はなぜこんなことをした?」
言い知れない威圧感にシエルは思わず肩を揺らす。はくりと思わず無音で喘いだが、俯いていたおかげで彼らには見えなかったようだ。
「……学院に侵入した賊と、勘違いしました」
言い繕うことを悪手と考え素直に自供すれば、また再び沈黙が訪れた。先ほどまでは覚悟を決めていたため止まっていた冷や汗が、またじんわりと滲み出るのを感じる。しかしそれを拭いもせず、尚も待ち続ける。彼らが下す判決がどんなものであろうと、自分はそれを甘んじて受け入れるだけだ。
「……っふ」
我慢していたものが漏れ出たようなそんな息漏れがかすかに耳に届き、思わずシエルは顔を上げた。そして自分の疑念が間違いでなかったことに気がつく。
「なんで笑ってるんですか…?」
お腹を抑えて肩を揺らす2人の王子。そんな彼らに呆然と声を掛けると、まるでそれが合図だったかのように笑い声が弾けた。
「っく、あははは! だからこんな廃墟やめようって言ったんだよ!」
「くくっ……ははっ! だって他にいい場所なかったじゃねぇか! あー、腹いてぇ! ははははっ!」
何がそんなにおかしいのかわからなくて、それ以前に今目の前に広がっている光景が現実かわからなくて、シエルはぽかんと口を開けてただただそれを眺めていた。
たっぷり5分は笑っていただろうか。息も絶え絶えに肩を大きく動かす少年たちは、ようやくもう一度シエルへと向き合った。
「で? どうする兄貴?」
「バレちまったもんはしょうがねぇ。……だから単刀直入に訊く。ベンダバール。お前は一体何者だ?」
あまりの驚愕にぼんやりとした脳ではその問いかけの意味がわからず、シエルはただただ首を傾げるだけだった。
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