第3話 クラスメイトとの出会い

 麗らかな春の日差しが降り注ぎ始めた春の一月目、リベル高等学院の新学期が始まった。

 入学式を終えて、配られた資料を元に教室へとたどり着けば、そこには3人の男女が席についている。

 その中の1人、鮮やかな緑色の瞳が特徴的な少女が早速声をかけてくれた。

「貴方もSクラスですの?」

「あ、はい。シエル=ベンダバールです。よろしくお願いします」

「まぁ! ベンダバールと言うことは、エルヴィン様の弟君でいらっしゃいますか?」

「兄をご存知なんですか?」

 年の離れた兄と目の前の少女の関係性が判らず首を傾げれば、自分の失態に気づいたのか、少女が口元に手を当ててその柳眉を垂れさせた。

「私ったら名乗りもせずに失礼致しました。リリアーナ=トルメンタと申します。エルヴィン様は私の父の補佐官として幾度かお会いしましたわ」

 その名を聞いてシエルはすぐに理解し、未だ申し訳無さそうにしているリリアーナに対して笑顔を見せた。

「トルメンタ伯爵のご令嬢でしたか。お父上の話は兄から聞いています。いつも兄がお世話になっています」

「私もエルヴィン様からシエル様のお話を聞いたことがありますわ。お会いできて嬉しいです」

「兄が俺の話を…? ちなみに一体どんな…?」

「本当に自慢の可愛い弟だと仰っていましたわ」

「今すぐ忘れてください、お願いします」

 かぁっと熱を宿した顔を半分隠して懇願するが、了承も否定も得られることはなかった。口元に手を当てて小さく笑うその仕草は、まさに貴族令嬢たるものである。

「もし無礼でなかったら、僕もご一緒させていただけませんか?」

 ちょうど会話が途切れたタイミングに割って入ってきたのは、ひょろりと背の高い少年だった。優しさや穏やかさが体全体を包んでいるような、そんな雰囲気をまとった彼は、胸元に手を当て軽く会釈をする。

「お初にお目にかかります。僕はミチエーリ伯爵家の三男、ライアンと申します。クラスメイトとして仲良くして頂けると嬉しいです」

「シエル=ベンダバールです。こちらこそぜひ、よろしくお願いします」

「リリアーナ=トルメンタですわ。ミチエーリ伯爵といえば、騎士団の……?」

「はい。この国の栄えある騎士団の副団長を務めているのは、我が父でございます」

 『騎士団』――その言葉に、シエルの心が動く。もっと彼の話を聞いてみたいと思ったが、ライアンの表情を見てその衝動は小さくしぼんでしまった。彼の表情に本当に微かだが負の感情を読み取ったからだ。嫌悪に近いけど明らかに違うその表情の例え方が判らずもやっとする。

「……ライアンって呼んでも構わないだろうか?」

 多分だが、ライアンはあまり生家にいい印象を持っていない。だから姓で呼ぶより、名前で呼んだ方が喜ばれるだろうと考えてそう問いかければ、彼は驚いたように目を瞠った。

「俺のこともシエルって呼んでほしい。これから一緒に学んでいく同朋なんだから、余所余所しいのはなしにしようぜ」

 イザークから学んだ貴族らしからぬ笑い方は、生意気ではあるが作り笑いなんかよりもずっと心に響く。特にライアンのような男には。その証拠に、見開かれた彼の瞳が微かに喜色ばんだような気がした。

「そう言って頂けるのなら、遠慮なく……。ぜひライアンって呼んで。これからよろしくねー、シエル」

 先程までの真面目くさった言動はすべて、貴族としての振る舞いだったのだろう。それを脱ぎ捨て現れた本当のライアンは、その見た目にそぐわぬどこか間延びした声音でふにゃりと笑った。

 その変化にシエルも嬉しそうに笑い、差し出された手を優しく握る。同年代の人間と触れ合う機会などなかったシエルだが、上々の滑り出しに心のなかでガッツポーズをした。

 シエルとライアンのやり取りをいささか呆然と眺めていたリリアーナは、やがてくすりと笑った。

「シエル様もライアン様もとても素敵な方ですのね」

「ん? 今のやり取りのどこか素敵だった?」

「シエルは素敵だけど、僕は至って普通ですよー?」

 一度本性を出してしまったからか、まだ了承を得ていないリリアーナの前でも素の口調で問いかける。それが貴族社会ではあまり良くないことを、シエルはまだ把握していなかった。

 それもこの『子供の社交界』で学んでいくことである。そしてその学びはすでに始まっているのだ。

「私もぜひ仲間に加えていただきたいですわ。私のことはどうぞリリィとお呼びください」

「リリィね。了解」

「よろしくね〜」

「2人がいてくださって良かったですわ。実は少し不安だったんですの」

 貴族の子息令嬢はこの高等学校に入学するまで領地からあまり出ない。親戚づきあいくらいはあるかもしれないが、血縁関係のあるなしはやっぱり違う。

 くすくすと笑い合っていたらシエルたちのすぐ後ろにあった扉がバンっと勢いよく開いた。

 飛び込んできた少年が危うくリリアーナにぶつかりそうになる。そんな彼女を抱き寄せて、シエルは小さく安堵の息をついた。

「あ…ありがとうございます、シエル」

「気にしないで。強めに引っ張っちゃったけど、腕痛くなかった?」

「大丈夫ですわ」

「それなら良かった」

 あまり身長差がないため、お互い至近距離で顔を見合わせる。嬉しそうに誇らしげに笑うシエル。リリアーナはそんなシエルをまじまじと見つめていた。

「ぅおっ!? なんだなんだ!? こんなところで固まってたら危ないぞ?」

 大きく開いた扉の向こう側から現れたのは、黒みを帯びた赤髪が特徴の利発そうな少年だった。

 彼の顔を見たシエルたちが、驚愕で固まる。シエルたちは彼が何者なのか正しく理解していた。

「ここってSクラスで合ってるよな? ってことはみんなSクラスなのか?」

「あ、は、はい。そうです」

 まさかこんなにフレンドリーに声をかけられるとは思わなくて、シエルだけではなくリリアーナとライアンも呆然としている。赤髪の少年は一瞬きょとんとした後、シエルたちの反応の理由を理解したのかあぁと納得したように手を叩いた。

「俺はカイザスの方! カイザス=アーレ=ウラガーン! よろしくな!」

「……シエル=ベンダバールと申します。お目にかかれて光栄です、カイザス殿下」

 なんとか動揺を抑え込んでシエルがまずは挨拶する。爵位の順列からもそれが妥当だと考えたからだ。

 真面目くさった自己紹介に、カイザスが困ったように笑う。がりがりと後頭部を掻く様は、王子らしからぬものに思えたのは、イザークがよくその仕草を見せるからだろうか。

「学院にいる間くらい、身分とかそういうのなしにしないか?」

「……お気持ちはわかりますが、いいんですか、それ」

「俺がいいって言えばいいんじゃね?」

 その軽い口ぶりはまるで師匠と話している時にそっくりで、シエルは少し逡巡した後目を細めて笑みを浮かべた。

「……それならお言葉に甘えて。頼むから、陛下に告げ口だけは勘弁してくださいよ?」

「すっげぇ仲いい友だちができたって報告するぜ」

 イザークと話すときよりも明るいのはきっとカイザスの笑顔のおかげだろう。彼の笑顔は人を惹き付ける魅力がある。おかげであっさり受け入れることができた。

「それで? お前たちも友だちになってくれるか?」

「僕たちもよろしいんですか?」

「たった6人のクラスメイトなんだ。せっかくなら全員と仲良くしたいな」

「光栄でございますわ。私はリリアーナ=トルメンタと申します」

「僕は、ライアン=ミチエーリです。どうぞお見知りおきを」

「リリアーナにライアンだな。よろしく!」

 カイザスの興味が2人に向いている間に、シエルは軽く教室内を見回した。部屋の一番奥にはカイザスよりも少し鮮やかな夕日色の髪色をした少年が腰掛け、手元の本へと視線を落としている。

(じゃああの方が、サフィロ殿下)

 実は最初から彼の存在は認識していた。なぜなら入学式でカイザスとサフィロは壇上で紹介があったからだ。しかしその時は距離が離れていたために、どちらがどちらか判別ができなかったのだ。

 兄を唸らせる研究論文を書いたこの国の第二王子。しかしシエルの興味を引いたのはその後に調べた彼の特徴だった。

(イザークと同じ魔眼の持ち主。……多分、バレてんだろうな)

 魔眼によって見えるものは魔力だけではなく呪力と呼ばれる呪いの力も見えてしまう。そのせいでイザークとは出会った瞬間にバレたのだ。できることなら呪われていることは隠しておきたかったが、その希望は入学前にすでに打ち砕かれたと思うべきだろう。

「……あれ? あと1人足りなくね?」

 確かに今教室にいるのは5人である。6人だということは事前に全員が知るところなので、あと1人足りないことにカイザスが心配の声を上げた。

 シエルは入口の扉を開いて廊下を見渡した。すると扉の直ぐ側にしゃがみこんでいる女生徒を見つけ、思わず首を傾げた。

「……気分悪いの?」

「ふぇ!? はわわわわ! だ、だ、大丈夫です!」

 声をかければ、うずくまっていた少女が勢いよく立ち上がる。その少女の容姿に、シエルは微かに目を瞠った。

「キミもSクラス?」

「ははははい! せ、僭越ながらSクラスに入学しました、システィ=ラッフィカといいます! よ、よよ……よろしくお願いいたします!」

 小さな顔にくりくりした赤橙の大きな瞳、ウラガーン王国では珍しい褐色肌は、少し判りにくいが赤く色づいている。多分これが色白だったらもう真っ赤に染まっていることだろう。その姿にどこか幼さを感じて、シエルは思わず笑ってしまった。

「シエル=ベンダバールだ。ってかなんでそんなに緊張してるの? 俺らそんなに怖い?」

「こ、こわ!? いえ、怖いわけじゃなくって……みんな貴族……だから……」

「ラッフィカってことはラッフィカ商会の娘さん?」

「え? あ、はい」

「母様がお気に入りの紅茶、ラッフィカ商会から購入してるんだ。いつもありがとう」

「そ、そうなんですか? こちらこそ、ご購入ありがとうございます」

「あと先月の新作にあったじゃがいもとかナスとかお肉とかを重ねて焼いたやつ、ホワイトソースとかミートソースとか使ってて……。あれも美味しかった」

「ムサカですね! あれはイーティス島の郷土料理で凄くボリュームがあるんですけど、野菜もお肉もしっかり摂れる素晴らしい料理なんです!」

 胸の前で手を組んでシエルに向かって一歩詰め寄るシスティ。その表情からは先程までの不安げな感じは消え去り、それどころかきらきらと輝く瞳はまっすぐにシエルに向けられている。シエルより背が低いからか、下から見上げてくるそのアングルは、シエルの庇護欲をくすぐるものだった。

「ムサカ、ね。うん、覚えた。また今度仕入れたら教えて。買いに行く」

「ぜひ!」

 ほぼ無意識の内に彼女の頭を撫でれば、システィは恥ずかしげに目を逸らして数歩後ろに下がった。しかしそれを嫌がられたと勘違いしたシエルは、慌てて右手を背中の裏に隠して頭を下げる。

「不躾に撫でてごめん」

「ふぇ!? ち、違うんです! 嫌だったんじゃなくて、恥ずかしかっただけで……。あ、あの……あ、あたし」

 言いたいことがうまく表現できないのか、もじもじと手指を動かし視線を泳がせているその仕草に、シエルは訝しげに首を傾げた。

 同年代のこと触れ合う機会がほぼなかったのはシエルもシスティも同じだ。だからお互いこういう時にどうしたらいいのか判らない。

 シエルはどうにか目の前の少女の気持ちを量ろうと頑張って思案したが、その助け舟は別のところからやってきた。

「シエル? 一体何をしているんですの?」

「あ、リリィ、ちょうど良かった。俺よりも同性の方が話しやすいと思うし、一緒にどう?」

 エスコートするかのように手を差し出せば、どこか不思議そうにぱちくりと瞬きしながらも、ほぼ無意識に右手を重ねてくる。貴族の令嬢としてそれは最早息を吸うのと同じくらい自然なことなのだろう。

 そして侯爵家の次男としてマナーを叩き込まれたシエルも、なんの違和感もなく完璧な所作で彼女の手を引いた。

「あら? もしかしてラッフィカ商会の方じゃないかしら?」

「え!? どど、どこかでお会いしましたでしょうか?」

「いいえ、貴女とは初めてお会いしますわ。でも貴女のご両親とは何度か。私、他国の民族衣装に目がないんですの。先日もイーティス島のお祭りの際に用いられる鮮やかなドレスを紹介して頂いて……」

「イーティス島の民族衣装は素敵ですよね! あの大きな刺繍はひとつひとつ手作業で丁寧に縫われていて、スカートはふんわりと軽やかで、くるりと回ればまるでお花が開いたみたいに広がって……!」

 先ほどムサカの話をしたときと同じように、再びシスティの瞳がきらきらと光を放つ。しかも今度はリリアーナの言葉を遮るように共感を顕にしたことからも、彼女の熱意が伝わってきた。システィもまた衣装や装飾品といった類が好きなのだろう。そのまま女性ならではの話に花が咲いていく。

 あいにくと男として育てられたシエルはそう言った類の話には疎い。静かに聞き役に徹していると、廊下の奥から教師が向かっていることに気がついた。

「……先生が来たみたいだから教室に入ろうか」

 会話の区切りがついたタイミングを見計らって、シエルは穏やかに少女たちを促す。

 最初はこの場所で怯えていたシスティもリリアーナと一緒ならば大丈夫だろう。それどころか明るい笑顔を見せて自分の方から話しかけている。

(……良かった)

 無邪気な笑顔を浮かべるシスティはやはりどこか幼さを感じさせる。しかしリリアーナが大人びているため、うまい具合に調和しているのだろう。それに思い返せば初めにシエルに声をかけてきたのはリリアーナだ。彼女の人見知りしない性格も功を奏したのだ。

 教室に戻れば、カイザスとライアンがすっかり意気投合している。話の内容を聞けば、王都のおいしいパン屋をライアンがカイザスに教示していた。

「入学早々寄り道はやめといた方がいいんじゃね?」

 今日はこの後クラスごとのホームルームの時間になっている。多分自己紹介や学校生活についてのレクチャーが目的だろう。それが終われば放課後だ。本格的な授業開始は明日からである。だからだろうか、ライアンの勧めるパン屋が気になって仕方ないであろうカイザスがウズウズしているのを感じ取り、シエルは呆れ混じりに先手を打った。

「と言うか、殿下を連れて買い食いなんかしたら僕怒られちゃうよー」

「別に大丈夫だと思うぞ? 父上からも楽しんでこいと言われているしな」

「多分それ、構内の話だろ」

 教室内には少し横に長い机が6卓。本来は2人がけのそれが教卓に向かって前後2列で並べられている。教卓の真正面の席にはカイザスが腰掛け、その左隣にライアン、右にはリリアーナが着席した。

 リリアーナの後ろにはシスティが座り、窓際の席はすでにサフィロが陣取っている。

 シエルが残った後列真ん中の席へと腰を下ろすのと、教師が入室してくるのはほぼ同時だった。


 こうしてリベル高等学院Sクラスは、いい滑り出しを見せたのだった。

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