第2話 シエルの秘密

 シエル=ベンダバールは女の子である。

 しかし世間には男として公表され、ベンダバール家の家臣たちの中でさえその事実を知る者はほんの一握りだ。

 シシリアの年齢を慮って、シエルの出産は大掛かりなものだった。多くの産婆や医師が傍に控え、長い時間をかけてようやく聞こえた元気な産声にホッとしたのもつかの間、その小さな体に痛々しく刻まれたソレに、誰もが息を呑んだ。

 赤子の泣き声が静寂をつんざく。火が付いたように泣き叫ぶ子へと、ヴィクトルは恐る恐る手を伸ばした。触れたその体はまるで燃えているかのように熱い。尋常ではないその体温は、明らかな異常をヴィクトルへと伝えてきた。

 慌てて掻き抱き、呆然とする産婆や医師に指示を出す。彼らはようやく動き方を思い出したかのようにぎこちなく作業を始めたが、しかしそれはすぐに不気味な声によって遮られた。

 

『この赤子に呪いをかけた。この呪いを解きたければこの赤子は男児として育てよ』

 

 脳内に直接響くその声に殴られたかのような衝撃がヴィクトルを襲う。眩んだ頭を振って顔を上げると、目の前に先程までにはいなかった黒い塊があった。

 出産の疲労と生まれた子供の状態に、寝台の上で茫然自失としていたシシリアが悲鳴を上げる。

「あ、あなたっ……だ、だめよ! その子を守って……!!」

 妻の言葉に、ヴィクトルはぎゅっと腕の中の子供を抱きしめた。未だに泣き止まない赤子を隠すように、その黒い塊に背中を向けて距離を置く。

 ヴィクトルよりも魔力の強いシシリアは、アレが何なのか理解しているのだろう。ちなみに自分たち以外の産婆や医師は魔力がないため、戸惑いの表情で部屋の隅に固まっている。


『この赤子は男児として育てよ。破れば……殺す』


 黒い塊から放たれたであろう言葉に、殺気に、戦慄する。魔法を使うなんて考えも及ばず、ただただ腕の中の愛し子を守ることしかできない。

 シシリアはどうにか抗おうと魔法を構築しているが、出産直後の体力では無理だ。

 黒い塊が腕と思われるものをヴィクトルに向かって伸ばす。いや、ヴィクトルの腕に包まれる赤ん坊に向かって。その瞬間、生まれながらに刻まれていた胸の痣が赤黒い光を発し、痛みを感じているのか赤子が一層激しく泣き叫んだ。


『これは呪いだ。解きたければ、男児として育てよ』


 言い聞かせるように再び脳に声が響く。ぐらぐらと襲いくる目眩を払うように頭を振って顔を上げれば、あの黒い塊は跡形もなく消え去っていた。

「……なんだったんだ」

 夢でも見ていたのだろうか。

 半ば願望に近い予想は、しかし腕の中の温もりが否定してくる。いつの間にか泣き止みぐったりとしている愛し子の胸元には、炎のようにも見える禍々しい痣が黒々とその存在を誇示していた。



 シエルの出産に立ち会った医師や産婆には、巻き込んでしまったことへの詫びも込めて、多くの謝礼金を渡した。それには口止め料も含まれていることは、暗黙の了解だったのだろう。

 おかげで、ベンダバール家の新しい家族は次男として役所にも登録されている。公的な届け出の詐称となればそれは罪だが、馬鹿正直に女として届を出せば呪いによって生まれたばかりの命は奪われてしまう。

 待ち望んだ愛しい我が子を守るためなら、どんなことだってしよう。

 ヴィクトルの決意は、彼だけのものではなかった。妻のシシリアも、息子のエルヴィンも、そしてベンダバール家に古くから仕えてくれる信頼できる幾人かの家臣も、みなシエルのために最善を尽くした。

 秘密が漏れないよう堅く口を閉ざし、呪いを解くための方法を今も探ってくれている。

 シエルを中心にベンダバール家の絆はより強固なものとなったのだった。


     ◆  ◇  ◆


「リベル高等学院Sクラスへの入学者は、今年は6名だそうだ」

 貴族の子供はよっぽどの理由がない限り、必ず高等学院への入学が義務付けられている。というよりも、高等学院への入学そのものがステータスであり、子息令嬢関係なく、高等学院に入学していない者は貴族としての責務を放棄したとみなされるのだ。

 その中でも最高峰と言われるリベル高等学院には特別クラスが存在する。そのクラスへの入学条件は『魔力を有している』ことだ。

 人類にもたらされた新しい奇跡の力、魔法。彼らがそれを得てまだ100年しか経っておらず、しかも全ての人間がその能力を開花させるわけではない。

 だからリベル高等学院の特別クラスに求められているのは、魔法の能力の上達と、そしてその能力の解明である。Sクラスと名付けられたその特別クラスの卒業者の殆どは、王城敷地内の一角に新設された魔法研究所へと就職し、研究職に就いている。エルヴィンもその一人だ。

「6名、ですか」

「しかもその内2人は、第一、第二王子殿下だ」

 先ほどのエルヴィンとの会話から、第二王子のSクラス入学はある程度予想していたが、まさか第一王子も一緒だと思わず、シエルは息を呑んだ。

 生まれてまもなくかけられた悪魔の呪い。その印は今もなお左胸と鎖骨の間に刻まれている。何も障りはないが、その禍々しさが、いつ何をするか判らない。

 無意識にその場所を掌で覆うシエル。そこにさらに大きく温かな優しさが重なった。

「怖がらず、堂々としてれば大丈夫だ。俺たちはいつだってシエルの味方だしな」

「えぇ。なにか困ったことがあったら遠慮なく相談するのよ。一緒に解決方法を見つけましょ」

「……エルヴィンとシシリアに全て言われてしまったな」

 父ヴィクトルの苦笑交じりの言葉に、シエルは思わずぷっと吹き出した。母や兄の言葉に安堵したのも相まって、口元に手を当てて笑えば、やがてその笑い声はみんなに伝播していく。

「確かに不安なこともあります。でも、楽しみでもあるんです。だから大丈夫。怖くないです!」

 にっと口角を上げて笑うその表情は、とてもじゃないが貴族のご令嬢のお淑やかなものなんかではなかった。



 エルヴィンから学校の話を聞いたり、ヴィクトルから今回の外交先の話を聞いたり、その間家で何をしていたのかを語ったりしたシエルは、お茶会の後片付けを終えて裏庭へと向かっていた。

 ヴィクトルとエルヴィン、それにシシリアはこの後、執事長を交えて領地運営について会議があるらしい。

 外交官のヴィクトルと魔法研究員のエルヴィンは一年の大半を王都のタウンハウスで暮らしている。

 しかし侯爵家当主として一番の仕事は領地経営だ。領民たちの幸せを考え、領地管理をすることが求められている。

 ベンダバール領は王都に近いこと、そして治安が安定していることから、代理統治が許可されていた。ヴィクトルたちが留守の間は、シシリアと執事長が領地を統括している。

 シエルはまだその会議に参加する許可が降りていない。そのためシエルは一人別行動なのだ。

「お待たせ師匠!」

「お茶会はもう終わっちまったのか?」

「うん。みんな会議だって」

「帰ってきたばっかりだってのに、お忙しいこって」

 シエルが師匠と呼んだのは、この屋敷の護衛騎士の1人――イザーク=オラージュである。まるでナイフを思わせる鋭い目つきと、ニヒルな笑み、そしてどこか気だるげな雰囲気は、騎士というより傭兵に近い。しかし、一応彼も男爵位を持つ貴族の出である。イザーク本人にその矜持は一切ないが。

「お、なんか上等なモン付けてるじゃねぇか。お父上からのお土産か?」

「ピアスは父様から、兄様からはバングルを頂いたんだ! どう? 似合う?」

「そういうの付けてると、お前も上級貴族なんだなって思い出すわ」

「どういう意味だコラ」

 半眼で睨めつけるが、あいにく相手には一切通用しなかった。涼しげな顔でさらりと流すイザークに、シエルは小さく息を吐く。

「なんかめちゃくちゃ相性いいみたいでさ、だから色々試してみたいんだけど、付き合ってくんね?」

「それは構わねぇけどお前さん……まさかとは思うがヴィクトル様の前でその口調で喋ってねぇよな?」

「どっかの男爵家の三男坊じゃねぇんだから、そんなマナー知らずするわけねぇだろ」

「俺の首のためにも頼むから隠し通してくれよ」

「善処するよ」

 シエルは肩を竦めると男から数歩距離をとって対峙した。腰に差した剣を引き抜き構える様は貴族令嬢のものではない。そして10歳のものとは思えない気迫である。

 シエルのその姿に、イザークはくつくつと溢れる笑みを止められなかった。

 乞われるがままに剣技を教え、そして魔法の修行に付き合った。イザーク本人は魔法を使えないが、魔法耐性が高いために練習台にはもってこいだったのだ。

 時間を見つけてはこうやって修行を繰り返してきた。しかしこの時間ももう終わりだろう。来月にはシエルは高等学院への通学のために王都に行ってしまう。それを少し寂しく思うのは、この幼い弟子を可愛く思っているからだろう。

 炎をまとった剣で斬りかかるシエルを、イザークは軽やかなステップで避ける。しかし負けじとシエルは追いすがった。逃げる彼の動きを止めるために、剣にかけた炎の魔法を解除し、新たな魔法を構築する。

「――氷よ。彼の者の動きを止めよ!」

 詠唱とともにイザークの足元が凍りつく。それはすぐに蹴り破られたが、それでも確かに一瞬の隙きを与えてくれた。


―― キィィィィイン!


 思い切り大地を蹴って高い位置から振り下ろした剣は、後少しのところで防がれてしまった。金属同士がぶつかる音の裏側で、シエルは思わず舌打ちする。それに比べてイザークの表情は余裕たっぷりだった。

 振り払うかのように横薙ぎにされ、宙に浮いていたシエルの体が軽々と吹き飛ばされる。しかし慌てることなく魔法を発動させられたのは、今までの修行の賜物だろう。

「今のは惜しかったなぁ、シエル」

「今度は足だけじゃなくって太腿までの凍らせてやる」

「凍傷にする気か。……つーかマジで相性がいいんだな。構築から展開までのスピードが今までと段違いじゃねぇか」

 イザークは魔法の才能はないが、魔力の流れを見ることができる『魔眼』の持ち主である。だからシエルは彼に師事したのだ。

 おかげでその腕前は10歳の域を軽く超えているのだが、あいにく比べる人間がいないためにシエルはそのことを知らない。

 今日はこのあたりで止めておこうと、シエルは剣を鞘に納める。そんなシエルに倣って同じように得物をしまったイザークは、空いた手を頭に当てて遠い目をした。

「リベル高等学院で更に腕を上げんだろうなぁ。帰ってきたら今度こそ俺負けんじゃね?」

「あ、そのことなんだけど」

 まるで他人事のようなイザークに向かって、シエルは満面の笑みを浮かべた。

「イザークも一緒に行くことになったから」

「……は?」

「だぁかぁらぁ、イザークも来月からタウンハウス勤め。俺の侍従として、ね?」

「はぁぁぁ!? んだよ、それ! アマリアがいんだろうが!」

「貴族子息が公共の場に侍女連れていくわけにはいかねぇから、侍従が必要なんだよ。だからよろしくね、師匠?」

「俺みたいな礼儀知らずに務まるわけねぇだろ!」

「それ自分で言うか? そこはこれから1ヶ月みっちり習得してもらうから」

 あぁ言えばこう言うをひたすら繰り返していたが、これは2人のいつも通りである。そしていつも言い負けるのはイザークだ。剣技ではまだ及ばないが、それ以外はシエルが強い。それは決して元来の主従関係だけが理由ではなかった。

 その処遇に納得がいかないのか、ずっとぶつぶつ文句を言い続ける彼にシエルは思わず苦笑した。

「ごめん。でも侍従を付けるって言われた時、イザーク以外考えられなかったんだ。だから、俺と一緒に来てほしい」

 静かに手を伸ばして、真っ直ぐに彼を見つめる。真夏の晴天を思わせる紺碧の眼差しを迷いなく注げば、しばらくして大きな溜め息が彼の口から吐き出された。

「お前マジでずりぃわ」

 イザークがシエルに勝てない理由はこれだ。幼い頃から変わらないこの真っ直ぐな、そして強い瞳の輝きにイザークはすっかり惚れ込んでいた。

 だから手をとれば、シエルの顔が眩しいくらいに輝いた。

「お褒め頂き光栄だな」

「仕方ねぇからついていってやるぜ。その代わり好待遇頼むぜ、ご主人様?」

「それはお前の働き次第じゃね?」

「お気に入りなら贔屓してくれよな」

「残念ながら、一番のお気に入りはアマリアなので」

 軽快な言葉のキャッチボールを繰り返しながら、2人は休憩のために護衛騎士の宿舎へと向かった。本邸内ではこんな軽口を叩き合えないから、修練の後は必ずイザークの私室で休憩をしているのだ。

 家族と接するときのシエルと、イザークの前でのみ見せるシエル。そのどちらも、演技でもなく本心からのシエルである。果たして学校でどちらが出るのか、イザークはこっそりと想像してはニヤニヤと笑みを浮かべるのだった。



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