第七話 「港湾都市エーアでの穏やかなる日々」

猿の悪魔バナルフィンと、その手下であるボス猿のカーズが倒されたことで、生き残りのウッドモンキーたちは恐怖を感じたのか蜘蛛くもの子を散らすように、俺達の元から逃げ出した。


だが、黒いの森の中にはウッドモンキー以外にも数え切れないほどの危険なモンスターが巣くっているだろうことを考えれば、この森で一晩を明かすという選択肢は命懸けすぎるだろう。だから俺達は(あの激戦の余波で疲労困憊の状態に陥っていたが)すぐにその場から再び足を進めることにした。


俺とノラが以前にウッドモンキーたちに襲撃された地点に戻ると1頭生き残りの馬を見つけることが出来た。馬は襲撃の恐怖に怯えきっていたが、何とかなだめ、信頼を取り戻すことができた。その馬に乗って、俺とノラは暗黒の森を突破した。


その後、森を抜けてからも2日ほど馬を駆け続け、遂に港湾都市エーアに辿り着いた。旅の途中で遭遇した危険と疲労が吹き飛ぶほど、エーアの光景は心地よかった。エーアは再び命の安全を感じ、息をつくことができる場所だった。


〜〜〜

「それじゃ、これが仲介金の一部振り戻しの分だよ。あんたも災難だったねぇ」

「まじか、1人たったの150クルナぽっち……」


俺は冒険者ギルドで商隊護衛ギルドに失敗してしまったこと、依頼主の中に悪魔が潜り込んでいたことを報告した。


報告を信用してもらえるのかいささか不安があったのだが、事前に押印していた契約書を提出するすぐに事務的な手続きがなされ、規定通り事前に依頼者から預かっていたという契約仲介料の一部が渡された。


どうやら冒険者ギルドを介して行われる契約の際に使われる書類には古代魔術のたぐいが使われているらしく、俺の報告が正しいと判定してくれたようだった。


俺はギルドの外に待たせているノラ(港湾都市内への入場の際の手続きや、ギルド職員とのやり取りの類がどうにも嫌らしく俺に任せきりにしてくる)になけなしの報奨金を分けるためにギルドの建物から外に出る。


寂しいふところ事情に思わず深いため息をつきそうになるが、街の一番高台の位置にある冒険者ギルドの建物の外から見える、元の世界で言えば地中海を思わせるような港湾都市の美しい風景は気分を晴れ晴れとしたものにしてくれた。


エーア、この美しい港湾都市は、まるで絵画から取り出してきたような風景を持つ。険しく続く坂道とその独特の地形は、美しい景観を一望できる絶好の眺望ちょうぼうを提供してくれている。


坂道を上り下りするたびに、視界が変わり、その度に新たな美景が広がる。広大な青い海、無数の船の動き、そして遠く水平線に沈む夕日の光景は、息を飲むほどの美しさだ。遠くに見える山々と海岸線が交錯する様は、見る者の心が清らかになるような清々しさを感じさせてくれた。


街は、青い屋根と白い壁の家々が密集して立ち並び、まばゆい真昼の太陽の下でサファイアと真珠が散りばめられた宝箱のように煌びやかに輝いていた。エーアは美しさと落ち着きが見事に調和した、何とも魅力的な場所だった。


ノラと共にエーアの冒険者ギルドからの坂道を下りる間、俺は報奨金の分配という口実で彼女を食事に誘った。


この世界に来る前の俺なら女性を誘うなんてことは決してしなかっただろう。あの黒い森での死闘がいつもの俺の羞恥しゅうちの感覚を鈍らせてくれたおかげか、それとも彼女ノラのあまりの美しさに脳が酔っ払ってしまっているのか。


俺の提案に対して彼女はいぶかしげな顔をしつつ近くの居酒屋へ案内してくれることになった。


彼女は道すがら「変わったやつだな、お前は」「迷惑をかけることになる」「不快な思いをするぞ、今なら引き返せる」となんとも不思議なことを言ってくるし、その割にフードの隙間から見える顔はしかめっ面のようなそれでいて笑顔が漏れ出るのに必死なような不思議な表情をしていてとらえどころがない。


彼女はこの街に何度か足を運んだことがあるらしく、周囲をお上りさんのようにキョロキョロと好奇心旺盛に見回す俺とは対照的に、よそ見をすることなく確実な足取りで道を進んでいった。


坂道を下りて街の中心部に足を踏み入れると、目の前には大きな噴水のある人工の泉が広がっていた。噴水は水面から鮮やかに水を吹き上げ、その水滴が日差しを受けてまばゆく輝いていた。


その美しい泉の背後には、大理石で造られた壮大な白い建物が立っていた。建物には、森林族エルフ竜人族ドラゴニュート獣人族ビースト鉱山族ドワーフといったこの世界に生きる様々な種族の女性の姿が細かく彫り込まれており、それぞれが自分たちの物語を語りかけてくるかのようだった。しかし、俺はその彫像たちに何とも言えない違和感を覚える。


彫像たちは、なんとも奇妙な特徴を持っていた。細い目や、過度な肥満体型、胸が腹周りよりも小さいこと、肌にシミやシワが多くとても美しいとは言えなかった。


(随分とユニークな造形だな……)


建物の中央部に目を向けると、そこには一体の剣を持った女神の彫像が立っていた。その女神像は他の彫像たちと比べて一際大きく、中心に位置するだけあって圧倒的な存在感を放っていた。


その足元には、美しい顔とプロポーションを持つエルフやドワーフなど多くの種族の彫像の女たちが散らばり、女神像はこれらを踏みつけていた。その様子は力強く、同時に冷酷さも感じさせる。更に、その右手の剣は、美しい顔の女の悪魔の彫像を突き刺している様子を描いていた。その刺された女悪魔の顔は痛みで歪んでおり、一方で女神像の顔は無情な顔をしていた。


女神像の傍らには、腰に剣をさした地味な男性の彫像が立っていた。彫像の男はどちらかといえばブサイクではあったものの、特に印象に残るような特徴もなく、女神像の存在感に比べてはるかに控えめだった。だが、女神像と彫像の男性はまるで恋人のように腕を絡ませて立っていて、それが俺にはどうにも気色悪く思えた。


「ノラ、あの像はなんなの?」


俺が女神像を指差してノラにそう聞くと、彼女は明らかに驚いた様子だった。

ノラは一瞬、困惑したように一瞬眉をひそめた後に口を開いた。


「あれは美の女神、オモルフィアとその騎士にして配偶者のアポロだ」

「そうなんだ……」


あれが美の女神??いったいどこに美しさがあるというんだろうか?どちらかと言えば美の女神に刺されている悪魔の像の女の方がよっぽど魅力的な女性の姿をしているが。


ノラは仏頂面ぶっちょうづらで彫像たちを見上げていたが、「腹が減った」とつぶやくと目的の居酒屋へと歩みを進めた。


エーアの街の風景は、まるで絵画のように美しい。しかし、この中心街にある彫像はどうにも不気味でそのことが俺の心に大きな疑問符を残したのだった。


〜〜〜

噴水広場からしばらく歩いた先にある小路を抜けると、暖かな光が溢れる大きな居酒屋バルが現れる。目的の店、「ディオニュソスの唄い場」だ。


大きな窓からは冒険者たちの歓談の声と弦楽器の奏でる音が溢れ、そのハーモニーが近くの小路にも響き渡っている。


二階部分はどうやら宿になっているらしくこの店は食事と宿泊設備の両方を提供してくれるみたいだ。


店の中に足を踏み入れると、厨房から焼ける肉の芳香ほうこうとフレッシュなオリーブオイルの匂いが広がり、それらが混ざり合った食欲をそそる良い香りがする。これは期待できそうだ!


この世界に降りてから目立たないようにつつましやかな生活を送っていた俺は久々に美味うまい食事にありつけるかもしれないという期待に胸をふくらませていた。


「マスター。例のノラですよ……。」


厨房のスタッフに声を掛けられてノラの存在に気づいたこの店の女主人は、それまで笑顔のあふれる表情だったのを急に歪ませると、カウンターテーブルからでっぷりと太った体を揺らしながら慌てて抜け出してきた。


「あんた困るよ。いつも言ってるだろ、裏からコッソリ来てくれないと」

「分かったからさっさと案内しろ」


ノラは懐から金貨を数枚取り出すと店主に乱暴に放って投げる。店主はそれは布切れで受け取ると俺達を外へと連れ出した。


「あんた、まさかコイツ《ノラ》の連れかい?」

「えーと、はい、そうですけど。クエストで一緒になって」

「随分と変わった御仁ごじんだね、あんた…….」


女店主はノラのすぐそばに立つ俺を奇想天外な生き物を見るかのようにシゲシゲと眺めてくるが、すぐに肩をすくめて歩み始めた。


1分ほど歩くと海辺の近くにある粗末な物置小屋のような建物に到着した。壁は街の中にある他の建物と同じく石灰か何かで白く塗られてはいるが所々剥げていた。屋根には細かなひび割れが入っているようだった。


「飯は連れの分もこみで半刻(30分)ほどで召使いが届ける。チェックアウトは7日後。最終日にはいつも通り教会堂の鐘3つ目の刻までに裏口の郵便受けに鍵を入れておいてくれ。さっきみたいにまた堂々と正面からは来てくれるなよ」


店主はそう早口で言うと小屋の鍵を放り投げるようにこちらに渡すと、1秒たりとも同じ空間で息を吸いたくないとばかりに足早あしばやに元いた道を戻っていった。


〜〜〜

「いったいなんなんだ!あいつのさっきの態度は!」


俺がプリプリと怒りつつも料理に舌鼓したつづみをうっていると、ノラは不思議そうにこちらを眺めてくる。


俺は冷製スープの小皿をすすりながら、皿のふちから彼女を盗み見る。


ツギハギだらけになったフードの隙間から垣間かいま見えるプラチナ色の髪はティアラを想起させる。強い意志を持ったルビーのような瞳と真っ黒な野暮ったい眼帯とのコントラストは、少女のセクシーさと可憐さを際立たせていた。


顔をじっと眺めているのがバレないように少し下に視線を移すとマントと一体になった外套がいとうの隙間から漏れ出る2つの大きな膨らみが目に入る。豊満な胸部はメロンほどはあるだろうか。思わず視線を奪われてしまう。


彼女の体を無意識にマジマジと見つめてしまう自分に気付き、見ているのがバレないうちになんとか視線をそらす。心の中で自分を制しつつ、本題の報奨金の分配について話を始めた。


彼女は何度も「巻き込んでしまったからいらない」や「ウッドモンキーロードとの戦いはお前がメインだった」などと、報奨金を受け取るのを遠慮する言い訳をするが、半ば強引に分け前を受け取ってもらうことが出来た。


150クルナ、銅貨1枚に青銅貨5枚。この小さな重みが手から消えていくと、まるで彼女との繋がりも一緒に消えていくかのように思われて心がふさぐ。こんな美少女と知り合えてラッキーと思ったのも束の間、短いお付き合いでした…….。


その一瞬、俺の頭は悲しみでボーッとしてしまっていた。彼女の手にコインを載せるつもりが、思わず手が触れてしまい、そのまま時間が止まるような感覚に陥った。一瞬のようにも永遠のようにも思われる気まずい沈黙。これでは彼女にキモがられてしまうだろうと、モテない男特有の焦りと恐怖が心を駆け巡る。


そんな不安を抱きつつ、俺はゆっくりと手を引こうとしたその瞬間、彼女が口を開いた。


「お前はその……不快じゃないのか?」


ノラの声は小さく、まるで躊躇とまどっているようだった。

黒い森での戦いで彼女が示した勇気に比べれば、その声は驚くほどにか細かった。


《不快……?いったい何が》


ノラのその言葉に虚をつかれた俺はコインを渡す手を彼女の手から引く機会を失っていた。


彼女の手はとても無骨な武器を扱う者とは思えないくらいに白く柔らかで、ほんの少し触れる指先からでもキメの細かい肌のスベスベ具合が伝わってくるので俺の気持ちは高ぶりっぱなしだった。


「えーと、その不快って言うのは具体的に言うとどういう…….」

「……例えば私のような女と食事の場を共にしたり……手に触れたり…….とかそんなことだ」


ノラはそう言うと俺から受け取った報奨金を懐へとしまう。ほほわずかに紅潮こうちょうしているものの、赤い瞳にはなぜか深い悲しみが隠れているように俺は思えてならなかった。


いったいどういうことなんだろうか。元の世界のアイドルが裸足で逃げ出してしまうようなこんな美少女と食事の席を共に出来て嫌な男がいったいどこにいるというだろう?


頭の中の疑問が泡のように膨らむ中、俺は1つの可能性を思いつきそれを確かめるべく、”能力透視”のスキルを発動する。


ー能力透視ー


ーーーーーーーーーー

名前 :ノラ(アウネーテ・フィン・レイブン)

性別 :女

種族 :人間 [獣人族じゅうじんぞく/神狼種フェンリル]

レベル:68

HP:6990

MP:11,800

パッシブスキル-

身体強化

不屈の精神

HP自動回復

- アクティブスキル-

槍斧術Lev.6

武術Lev.6

剣術Lev.3

風魔法Lev.5

- 呪い-

魔神の傷跡

ーーーーーーーーーー


前回の激戦の影響か彼女のレベルは3つ上がっていた。しかし今そのことは重要ではない。

俺は瞳に最大出力の魔力負荷をかけて彼女の”呪い”の正体を見極めようとした。


ーーーーーーーーーー

-呪い-

[魔神の傷跡]

魔神アモンとその眷属たちにつけられた呪いの傷跡。この呪いの影響でフェンリルとしての力の発現が抑えられている。また呪いの力により魔神アモンの眷属の存在を感じ取ることが出来る。

ーーーーーーーーーー


(魔神?!)


魔の神という毒々しい言葉に衝撃を受けつつも俺は今までの彼女の態度や、周りの人々の彼女への冷たい振る舞いにようやく合点がてんがいった。


この呪いの存在こそが、彼女を皆から遠ざけていたのではないだろうか?


高ランクの冒険者ともなれば、同業者の間だけではなく市井しせいの人にもある程度は名が知られているという。ましてやAランクのソロ冒険者であるノラの名も既に売れているに違いない。(実際、商隊護衛任務で他の冒険者たちは皆ノラのことを知っていた)


そんな有名な彼女にかかるの呪いの存在が何かの弾みで露見ろけんしてしまい、その醜聞と共にこれまで生活してきたのだろう。


この場の気まずさを誤魔化すように、空になったスープ皿の中でスプーンをかき回しているノラのちぢこまった姿を見て、俺はこれまで彼女が受けてきた苦難を想像してしまい憐憫れんびんの気持ちに胸が痛くなる。


(勇気を出せ!クロダ!チート能力があってもここで声を掛けられないようじゃ一生冴えない人生のままだぞ!こんな女の子を救ってこその異世界召喚じゃないのか?!)


俺はそう心の中で喝を入れ、恐る恐るノラの手を握る。


「不快じゃ……ない」


俺は緊張のあまり詰まりそうになる気管から何とか力ずくで空気を出してそう声を掛ける。

彼女は驚いた表情を覗かせるがその紅の瞳には真珠のような涙が溢れそうになっていた。


〜〜〜

「すまない、少し取り乱してしまった」


そう彼女は恥ずかしさを笑いで誤魔化しながら目尻をささくれだったマントでぬぐう。


「私はしばらくこの港町を拠点にしようかと思っているんだ。お前はどうだ?」


彼女は何でも無いように俺に言う。しかし顔はりんごのように真っ赤になっており、机の下に隠した手は緊張を誤魔化すためか、子供のように手遊びをしているのがわかった。


ノラの勇気に応えねば。心臓が高鳴りながら、俺は口を開いた。


「俺も今回のクエストの失敗で船賃を稼ぎ損ねたから、しばらく一緒にパーティーを組まないか?もちろん、ノラが嫌じゃなければだけど」


彼女は火花がぜるようにパッと顔を上げると、ゆっくりとうなずいた。


窓辺から外を眺めると、夕日がゆっくりと水平線に向かって沈み始め、空は鮮やかなオレンジと紅に色づき始めた。もうこんな時間なのか。


名残惜しいがそろそろ自分の宿を探すか、と俺が席を立つとノラが真っ赤な顔を明後日の方角に向けて俺に声をかけてくれた。


「もしお前が良ければなんだが、今日ここに泊まっていってもいいぞ」

「え?」

「いや、今回のクエストの報奨金は少なかったし、お前は武器も新調しないといけないだろ。それにこの街は物価も高いしだな、いや。もし良ければと思って言っただけで無理にとはもちろん言わない、まぁ迷惑だよな?そっか、そうだよな、いや忘れてくれ」


彼女は俺が返事をする間もなくすごい汗をかきながら言い訳をするように早口でまくしたてる。


「あ、いや泊めてくれるならすごくありがたい」

「そ、そうか。泊まるか!な、なら遠慮せず私のことなど何も気にせずくつろいでくれ!」


その夜、彼女が俺を自分の部屋に泊めてくれることになった。彼女は何度も自分は備え付けのソファで寝るからと強引にベットを勧めてきたが、流石に女性をベッドから追いやるのは悪いと何とか説得して俺がソファで寝ることを渋々了承してもらった。


ソファに寝転がるとすぐそばの窓辺から夜空を眺めることが出来た。太陽が完全に海の下に隠れたことで星々が現れ、それぞれが小さな金細工のように輝き始める。俺は粗末なソファを床にシミのついた布切れをまといながらその景色の美しさに惚れ惚れとした。


元の世界に比べれば格段に寝心地の悪い環境にあっても、彼女ノラとの時間はまだ続く。そんなことを考えて、俺の心は外の星のようにキラキラと期待に胸を輝かすのだった。

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