第八話 「フードの彼に恋してる」

ノラは宿に備え付けられている古い姿見に映る自分の顔を見て、感傷的なため息をついた。


(なぜいくら手入れをしてもゴワゴワとしたくすんだ縮れ毛にならないんだろうか……!)

窓から差し込む日の光に輝く自分の長い銀色に輝く髪を何度もかしながら、苛立ちを感じる。


(病的に白い肌、身体に比べて以上に小さいフェイスラインと図々しいほどに大きな目。せめてこの鼻が太くて大きかったら良かったのに)


己の顔面の醜さに絶望し全身鏡から距離を取ると、嫌でも鏡に己の肉体が反射して目に飛び込んでくる。


たわわに実った大きな胸、引き締まった腹、桃のような曲線美を描くおしり。クロダがその身体に激しい劣情を催していることをノラは勿論もちろん知らない。彼女にしてみれば自分のカラダは理想的な女性とは真逆そのもので、どうしたらこんなに醜くなるように肉がつくのかと乾いた笑いが出る。


「いったい、私は何をしているんだろうか」


影で冒険者たちや街の人々にどれほど醜女であると馬鹿にされても、美の女神、オモルフィアを主神と崇める月光教の司祭たちから汚れた存在だとどれほど執拗な嫌がらせを受けても、以前のように泣いたり怒ったりすることはない。


”あの日”から彼女の心は、自らへの悪意に完全に麻痺していたはずだった。

それが今はどうだろう。部屋の鏡にふと写った自分の姿にいちいち苛立ちを覚える様!子供の頃に散々無駄だと思い知らされているはずなのに、なんとか己の身を美しく見せようと滑稽な努力すらし始めている。


(歯車が狂い出したのはあの男に出会ってからだ…….!)

ノラが理不尽に八つ当たりしたいような気持ちをふつふつと湧き上がらせていると、窓の外から彼女の心を乱す元凶の声がする。


「そろそろ昼にしようぜ」

窓枠に両腕をおいて、そうクロダがそう声を掛けてきてくれた。ノラは漏れそうになる甘い笑顔を必死に噛み殺して何でも無いように向き合った。


〜〜〜

石畳の路地を進んだ先にあるエーアの市場マーケット。大陸中から集まった珍しい品々を売る商人たちの掛け声は威勢が良い。市場に併設するカフェやレストランでは、人々が楽しげに笑いながら食事を楽しんでいる姿が見受けられる。


人目がつくような店での食事を嫌がるノラのため、クロダは屋台でモツ肉の詰まったライスコロッケや搾りたてのフルーツジュースを購入していた。


目当ての物を購入出来た2人は海岸に向かって歩いていく。港町エーアの前を広がる蒼い海の波は、キラキラと真昼の太陽の光を浴びて輝いている。


(不思議な男だ……)

砂浜の近くに置かれた美しい石造りのベンチに腰掛け、ノラは真横で美味そうに揚げ物にかぶり付く男を見て改めてそう思った。


彼女にとってクロダはまさに大きな疑問符だった。


何度顔を見ようとしても顔立ちも表情も決して伺い知ることが出来ない男。


かつて貴族として魔導に関して全般的な教育を受けていたノラは、彼が身につける粗末な外套が見る者の認識阻害を起こすマジックアイテムである”隠者のフード”であることを既に見抜いていた。


“隠者のフード”は貴族や帝室に仕える高級官僚でも中々手に入れることの出来ない高価なマジックアイテムの1つだ。

(実際、醜女のノラにとって喉から手が出るほど欲しい魔道具ではあったものの、Aランク冒険者としてある程度以上の稼ぎのある彼女であったとしてもとても手が出せるような代物しろものではなかった)


そんな高価な物を身につけている彼が単なる低ランク冒険者なはずがないと彼女は踏んでいた。


(食事の場で慣れた手付きでカトラリー[ナイフやフォークのこと]を使う様子から考えても彼がどこか高貴な家の出身であることはまず間違いないだろう)


冒険者たちのほとんどは貧しい平民出身。彼らはほんの初歩的なテーブルマナーの類も身につけておらず、まともにナイフやフォークを使えるというだけでも一目置かれる。


そんな荒っぽい世界で生きる彼女にとって、現代日本で生活してきたクロダの食事の仕方は、貴族のそれとして写っていた。


何よりクロダの上品な振る舞いが逆に彼の一般常識の欠如を強調しているようにノラには感じられた。


例えば、美の女神オモルフィア。

大陸全土の大多数に進行される宗教の主神の存在はどんな辺境の寒村の子供でも知っているだろう。


それなのに彼はまるでこの世界に生まれ落ちたばかりの雛のような素朴さで、オモルフィアについて尋ねてきた。


そんなどこかチグハグとした彼の振舞や雰囲気にクロダというどこか異国情緒漂う名前。彼はどこか遠い国からやってきた王侯貴族のたぐいではないかとノラは推測していた。


しかしそんなことも、この男の存在が投げかけてくる疑問の数々に比べればとても些末なことのようにも彼女には思えた。


ノラは手に持ったライスボールに口をつけながら、商業都市カルマルからの商隊護衛クエストを思い出した。


彼女はクエストを受注する数日前から、片目に宿る呪いの力で魔神に連なる存在を感じ取り、カルマルに到着していた。ブリッゲン商会のヤングと名乗る青年からは、悪魔の気配を感じることはあったものの、その気配は小さく、確信を持つには至らなかった。


時たま悪魔が地上に降り立った際にすれ違った人間に”残り香”が付くことがある。

そうした悪魔の残り香から勘違いして無辜むこの人を首を切ることになってはいけない。


ノラは慎重にヤングの跡を追い、疑われないように彼の所属する商隊からクエストを受注しその正体を見極めようとしていた。

(実際は、ヤングは"残り香"のついた人間ではなく猿の悪魔であったのだが、ノラの判断がつかない程にあまりにも低級であったのだ。)


そのクエストで初めて出会ったクロダに対するノラの最初の印象は、決して良いものではなかった。


顔が見えないフードからでも分かるくらいにジロジロと自分の身体を眺めてくる彼の存在に気づいたのはクエスト3日目の夜。


(自分に近づいてくるのは大抵の場合、寝首をかこうとしてくるアモンの手先の悪魔か悪魔崇拝者のどちらかだ)これまでの経験上からそう警戒している彼女が少しすごんで睨むと、クロダはオロオロと離れていった。


モンスターたちの襲撃の際にも、彼は恐怖に震えていた。剣の腕は悪くないようだったが、荒事に慣れていないことがすぐに分かった。


(呪われた右目が全く反応しないことからとっくに分かってはいたが、こんな情けない奴が悪魔の手先なわけないか)

その時の彼女は内心、クロダを見下していた。周りからいつも醜いと馬鹿にされるノラにとって、己の戦闘技能と勇気は数少ない自信を持てる"美点"であった。なので彼のような弱い存在に対するあざけりの気持ちは人一倍強く、心の中で馬鹿にすることに歪んだ心地よさを感じていた。


しかし彼は猿の悪魔バナルフィンとその手下のウッドモンキーロードとの戦いで覚醒した。それまで見せていた剣の腕とは次元のことなる剣戟けんげきを彼は見せてくれた。


何よりノラが驚いたのは土壇場で見せた彼の輝くような勇気だった。


周りの冒険者たちが命おしさに次々と逃げていく中、残ってノラの身体を唯一気遣ってくれたのは彼だった。彼はノラと共に最後まで共に剣を振るい格上の相手であっても最後まで引くことはなく、極限状態の中であっても諦めずに生き残るための策を巡らせていた。


「真の勇者とは恐怖を感じない者ではない。恐怖に耐えて戦う者だ」

苦闘するクロダの姿に、厳しくも優しかった軍人貴族の父の言葉をノラは思い出していた。


〜〜〜

昼食を済ました二人は海べりを歩いていた。蒼い海には色とりどりのカラフルな帆を広げる船が浮かび、陽光に照らされて輝いていた。


自分の少し前を歩くクロダが、港に停泊する船体を子供のようにキョロキョロと眺めているのを見て、ノラは自分の幼少期のことを思い出していた。


子供の時のノラの世界には”地獄”と"天国"が同居していた。


幼い頃からいくら食べても腹に肉はつかず、代わりに胸や尻ばかり大きくなる。貴族の子弟が通う幼年学校に入ってからは毎日風呂に入り、身奇麗にしていても、「汚い」「臭い」と同級生たちから陰口を叩かれる日々。少し身体がぶつかっただけで「菌が伝染る」と大騒ぎ。


見目麗しい者が何をしても周りは笑顔なのに、醜い自分がほんの少しの粗相そそうをしただけでまるで盗みでもしたかのように激しく罵られる。


彼女の周りには悪意が満ちていていた。そんな彼女にとって唯一の救いは家族とごく少数の友人である妖精フェアリーたちの存在だった。


そんな過去の思い出にノラがふけっていると、向こうから数匹の妖精猫ケットシーが歩いてくるのが見えた。


ケットシーは人語を話す二本足で歩く元の世界の猫のような姿をしている妖精種だ。


「クロダしゃん!ちょうど良かったニャ!エールの森で取れたキノコや輝石が余ってるから分けるニャ!」

「いやさすがにいつも悪いよ。どれも市場マーケットで売れば結構な金になるやつじゃない」

「遠慮しないで欲しいのニャ、クロダしゃんは僕の息子の命の恩人なんだから!」


彼らはかつてクロダに救われたことに恩義を感じて、妖精族しか入れない魔法の森から取ってきた貴重な品々をこうして無償で分けてくれるようになった。


ケットシーはノラが横にいても特に気にした様子はなくそれが彼女にとっては有り難かった。


妖精族は獣人や森林族エルフのような人間たちの美醜に頓着しない、というより毛むくじゃらな彼らに取って人間の顔は皆同じように見えていた。


そんな彼らだからこの大陸では珍しく美の女神、オモルフィアへの信仰を持っていなかった。


そのため、月光教の司教たちはもちろん市井の人々たちからもあまり好かれてはいなかった。貴重なマジックアイテムを売ってくれる商売相手として重要ではあったから迫害こそ受けないものの彼らは人族未満の扱いを受けることが多かった。


2週間ほど前。エーアの歓楽街の娼館から出た火事が広がったことがあった。


火元の近くにあったケットシーの営む道具屋「ねこまんま」にも火は燃え移り始めていた。


ノラはちょうど妖精猫の売っているポーションを買い求めに店に訪れていたところだった。


(あの時、なんで彼はあんなところにいたんだろう?)


ノラは歓楽街入口で街の真反対にあるギルドに行くと言っていたはずのクロダとぱったり出会ったことを思い出す。


しどろもどろになる彼に不信を覚えたノラだったが、大火から息子が取り残されているというケットシーの夫婦の助けを求める声にすぐ注意が向いた。


火事の消火と人族の救出には熱心な街の人々も妖精のこととなると冷たいものだった。

それを苦々しく見るノラも水魔法に心得はなく、どうすることも出来ないでいた。


水霊法衣アクア・ロバァ


いつのまにかクロダが水の上級魔法を使いこなして、その身に水の羽衣をまとうと颯爽と燃え盛る火に侵される道具屋の建物に飛び込んでいった。それからケットシーの赤ちゃんを連れてきたのはわずか5分後だった。


「お前、火魔法だけじゃなく水魔法も扱えたのか」

「あー......実はそうなんだ。アハハ......」


命がけの行動をしたというのになんでもないように周りに接するクロダを見て、ノラは胸の高鳴りを止められないでいた。


〜〜〜

港でケットシーと別れて数刻後、新作の妖精武器を見たいというクロダに付き合ってケットシーたちの営む武器屋を出たのは夕刻。


日が西へと落ちるにつれ、紫とオレンジと蒼のグラデーションが空へと広がっていった。

魔石灯の黄色い光は港町エーアの家々の白い壁に映える。


その息を飲むような美しい景色に目を奪われながら、ノラは気付いた。

顔さえ見たことない、謎に包まれた男、クロダへの心の揺れが、恋心へと成長していたことを。


クロダがどんな顔をしているかは未だにノラは知らない。


(でも彼はモテるだろうな)


彼女は心の中で彼が美人に囲まれ愛される姿を思い描いては胸を痛めた。


(クロダはどんな苦境にも立ち向かえる男だ。それに人の痛みに気を配り、こんな醜女の私にも優しくしてくれる.......)

ノラは一月ほど前、自分の手をじっと握ってくれた彼の手の暖かさを思い出す。


ノラにとってのクロダという存在の一番大きな疑問。それは彼が自分のような人間のことを気遣い時間を共にしてくれることだった。


その一方で、心の奥底には確かな予感がよぎった。この恋が決して実ることはないだろうという、避けられない現実が。


(それにそもそもこんなバケモノ女、どこの誰が好きになってくれるだろうか.......)


自嘲的に笑いながらも彼女の胸の内部には深い悲しみが波立っていた。恋の喜びと同時に、叶わぬ恋の重さが彼女の心を握りしめていた。


彼は困っている人を放っておけない。ケットシーのときも自分のときも彼のその美しい性分が出たのだろう。


そう考えると彼女は感傷的な思いに心を沈める。


ノラは黒い眼帯に手をやる。そうすると額にジグジグとした鈍痛が走る。

痛みはこの街に強力な悪魔がいることを示していた。そしてその痛みが浮ついた気持ちを切り替えてくれた。


(この一月の間に調べはついている。この街の市長は文字通り人の皮を被った悪魔だ)


彼女は市庁舎のある噴水広場の方に鋭い視線を向ける。赤い瞳にはマグマのような激しい怒りを宿らせていた。


”あの日”.......両親と友人たちを殺された時から続く怒り。


アモンとその系譜の者を根絶やしにすることだけ事を考えて生き抜いてきた。

その怒りこそが彼女の生きる力となり、生来傷つきやすかったガラスのような心を他人の悪意から麻痺させていた。


(この一月、これほど穏やかで幸せな時間はこれまでなかった)


自分の心を一時いっときでも暖めてくれた彼を巻き込むわけにはいかない。


ノラはそう決意するとクロダとの別れの日が近いことを覚悟して、何も知らず早く帰ろうと手を降る彼の元に小走りにかけていった。

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