第六話「猿の悪魔」

深い闇が支配する黒い森の中、一匹のウッドモンキーが巧妙こうみょうに木々の間を飛び移る。その背中には1人の男が乗っている。


彼は猿の悪魔、バナルフィン、悪魔と言っても最下級で、どちらかといえば悪霊に近い存在だ。


ただし彼には”猿真似”というスキルがあった。他者の姿に成り代わり、振る舞いや言動も完全にコピーしてしまうというものだ。姿かたちを人のように見せる能力を持つ悪魔はたくさんいるが、バナルフィンのように完全に行動様式までコピーしてしまう者はまれであった。


バナルフィンはこの力を活かして商隊の中のリーダーや有力人物を裏でコッソリと殺し、その人物に成り代わることを幾度いくども繰り返してきた。


そうして毎度いくばくかの護衛の冒険者たちを募っては森へと誘い込んだ。配下の化け猿たちに襲撃の場所を知らせる香料を炊くための魔道具を「魔物避けの松明」であると偽装し、何十もの冒険者たちをウッドモンキーの腹に入れて、猿たちの力を高めてきた。


そのような人喰いをさせる中で生み出した彼の最高傑作こそがネームドモンスターのウッドモンキーロード、カーズだった。


今回も彼はヤングという商隊の顔役として知られる青年を数日前に暗殺し、その立場に成り代わっていた。


またいつものように騙された冒険者や商人たちを配下のウッドモンキーたちに喰わせる。そんなお決まりのルーチンをするだけのはずだった。


バナルフィンは化け猿の襲撃で死んだかのように見せかけた後、木の上からずっと商隊が襲われるのを観察していた。


ノラと名乗るハルバード使いの銀髪の女冒険者、彼女は強かったが、ネームドモンスターであるカーズの敵ではなかった。ノラによって数十のウッドモンキーがほふられたとしても、彼女のような強者をカーズに喰わせてより強く出来るなら十分に算盤そろばんが合うだろう。


何より、冥府ハデスで散々醜く穢らわしい存在を見慣れてきたバナルフィンですら対面すれば思わずオエオエとえづいてしまいそうな醜女しこめをようやくこの世から消し去ることが出来るのが嬉しく、彼は鋭く甲高かんだかい、邪悪な笑いを漏らした。


しかし、状況は変わった。


「なんなのだ、あのガキは!!」


クロダと名乗る目深なフードを被った回復術師を名乗る男。彼のようなサポート職は通常、戦闘能力がそこまで高くないはずだ。


しかし、クロダはウッドモンキーたちの幾度いくたびかの襲撃の際に見事な剣技を見せた。それだけなら問題なかったが、彼はカーズとの戦いで突如として更に数段剣の腕を上げ、帝国内に巣食うデーモンを狩り尽くしたという”剣王”と見紛うかのような剣術の腕を見せた。


自分の奥の手であるカーズの腕がクロダに切られたのを目撃した彼は、急いで自分の載るウッドモンキーを操り森の奥深くにある拠点へと戻る。


カーズは深手を負ったがまだ戦える。急いで態勢を整えて奴らがこの森を出る前に始末せねば......」


バナルフィンが懐から出した予備の魔物寄せの香料を炊いて森中のウッドモンキーたちを集めていると、1匹の配下の化け猿が警戒の鳴き声を上げる。


警戒の声を出す猿が向いている方に視線を向けると追いかけて来たクロダとノラが見えた。


「ニンゲン風情ふぜいが舐めやがって」


とバナルフィンはそう唸りつつも追う手間が省けたと笑いをこぼした。


〜〜〜〜


ノラが風の魔術を身に纏い、森を縫うように高速で駆け抜けていく。


俺は彼女の後を必死に追いかける。”身体強化”のパッシブスキルを持っているおかげでノラの後姿をかろうじて見失わずに済んでいるものの彼女の速さは、矢が風を切り裂くかのごとくで、息をつく隙もなかった。


「ノラ!少し待ってくれ!」


---


振り返ったノラは驚いた顔で俺を見る。


「お前、まだ私についてきていたのか」


彼女はそう言って俺を待つために少しづつ速度をゆるめて止まってくれた。


ゼェゼェと呼吸する俺を不思議なものを見るような、それでいて少し嬉しそうな表情をフードの中からのぞかしているのが分かった。


「ハァハァ……。さっきからずっと全力疾走してるけど、あの化け猿の位置は把握してるのか?」


「あぁ、それなら大丈夫。こちらの目で追いかけられるからな。それにどうやら奴ら、もう近くにいるみたいだ」


彼女はそう言って、フードの中の自分の眼帯を指差す。いったいどういう意味なんだろうか。それに奴らがもう近くに居るって何だ?


俺が首をかしげていると突然、頭上からさげすみの声が聞こえた。


「ニンゲン風情ふぜいが舐めやがって!」


声が聞こえた方を見上げると少し離れた巨大な樹木の上に男が一人……あれはヤングか?


月の光を雲が隠しているので顔がはっきりとは見えないが身につけている服装は商隊のまとめ訳をしていたヤングのものだった。しかしヤングは既にウッドモンキーの襲撃で死んだはずだ。


横に立つノラは肩に掛けていたハルバートを構え、木の上に腰掛ける男をにらみつける。雲が過ぎ去り、月明かりが柔らかにあたりを照らすと、男の顔がはっきりと見えるようになった。奴は邪悪に輝く瞳をえた猿の顔を持っていた。


俺は”能力透視”のスキルをその猿顔の男に対して使う。


ーーーーーーーーーー

名前 :バナルフィン

性別 :男

種族 :悪魔族デーモン

レベル:36

HP:350

MP:400

- パッシブスキル

- アクティブスキル

悪魔術Lev.3

猿真似Lev.9

ーーーーーーーーーー


「悪魔?!」


俺が驚いた声をあげると、ノラはチラリとこちらを見る。


「ほう、俺をデーモンと見抜くか」


サル顔の悪魔バナルフィンは、その場で回転しながら立ち上がると口笛を吹いた。すると次々と周りの木の上にウッドモンキーたちが現れる。


「喰らい尽くせ」


奴がゾッとするような笑いを浮かべながらそう命じると、ウッドモンキーたちは俺達に向かって一斉に襲い掛かって来た。


ノラはハルバートのつかの一番端を握ると、風を体にまとわせて化け猿たちの群れに突っ込んでいく。


重量のある武器を持っているにも関わらず、彼女はまるでツバメのように木々を回転しながら飛び移って進路にいるウッドモンキーたちを切り裂いていく。そうしてあっと言う間にバナルフィンの立つ大木の眼の前に降り立った。


「そのサル顔、バナルフィンと見た。手前おまえのような序列外の雑魚悪魔に時間を掛けていたとはバカバカしい」


「ニンゲン風情ふぜいが悪魔である俺様を雑魚呼ばわりとは分をわきまえ…….」


猿の悪魔が怒りに満ちた顔でそう言い放ち終わるのも待たず、ノラはハルバードを思い切り振り上げて襲いかかっていった。


「ッ……!」


「相手の話が終わるのも待てないのか、この醜女しこめは」


彼女の槍斧そうふがバナルフィンの頭を叩き割ろうとした瞬間、ニュッと大きな影が降り立ち、斧刃ふじんの衝撃を素手で受け止める。あれは……カーズだ!ウッドモンキーロードのカーズ!


先程、俺と彼女を苦戦させたネームドモンスターのボス猿カーズが主人である悪魔を守るため立ちはだかっていた。


ノラは武器の先端が掴まれている状態を脱しようと思い切り引っ張っているが、カーズはそれを許さない。歯をむき出しにて、ゆっくりとゆっくりとハルバードのポールを綱引きの綱のように両手を使って引き寄せ、彼女との距離を詰めていく。


このままでは彼女が危ないっ!そう思った俺は遮二無二しゃにむに駆け出すと、身体強化スキルを活かして一直線にカーズとノラの間に飛び込んでいった。


カーズは先程俺に腕を切られたことを思い出したのか俺が到達するかしないかの直前でノラのハルバードを手放し、主人バナルフィンを肩にヒョイと載っけると跳ね飛んで後方の木に飛び移った。


バナルフィンがキーキーと怒鳴りつけるがカーズは後ずさりをするのを辞めない。


「こいつを使うのは面倒だが、仕方ない」


猿の悪魔は俺達を睨みつけながらため息をついてそう言うと、思い切り自分の腕をカーズの頭のあたりにめり込ませた。何をやっているんだ?!


ー悪魔術:魂魄統制ブレインコントロール


俺が混乱していると、頭に腕をめり込まされているカーズの目から光が消え俺達に飛びかかってきた。


どうやらバナルフィンは悪魔術を使ってカーズの魂魄ソウルを一時的に支配しているようだ。奴の操り人形となったカーズの攻撃はこれまでと比べると多少の精彩せいさいを欠くものの、繰り出してくる一発一発の威力が高く中々近づくことが出来ない。


俺とノラは木々の間を別々に飛び移りながらカーズの攻撃を避けていたが、ついに化け猿の一撃がノラを捉えてしまった。


「クッッッッッ…….!」


彼女は衝撃のあまり体をくの字にしながら吹き飛ばされ地面に叩きつけられる。


すぐに態勢を整えてカーズを迎撃しようとハルバードを構えるやいなや、カーズがむちのようにふるった蹴りで吹き飛んでしまっていた。


俺は急いでノラの元に駆け寄ると剣を抜いてカーズに向ける。奴との距離15メートルほど。化け猿からは獣特有のツンとした臭いが漂ってくる。


「震えているぞ、ニンゲン」


余裕を感じたのか木から降りてきたバナルフィンはカーズの後ろからヒョッコリと顔をのぞかせるとニヤニヤとこちらをあざ笑ってくる。


《怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い!!》


正直言って滅茶苦茶怖い。猿の悪魔があざって言う通り、今の俺は恐怖のあまり剣を持つ手が震えていた。滝のように流れる汗がべったりと剣の握りの滑り止めの布に染み込んで、その感覚が気持ち悪い。胃が震える、吐きそうだ。


いくら”痛覚遮断”や”超速再生”といったパッシブスキルがあるからと言って完全に安心することは出来ない。不死身ではない以上、再生が間に合わないくらい一瞬で大ダメージを喰らえばおそらく絶命してしまうだろうし、何より眼の前にいる山のように大きい化け猿のリアルな感覚が俺の脳を恐怖で縛り付けてきていた。


「まずは深呼吸しろ、少し落ち着け」


俺の足元に触れる温かい感覚。ノラだ。


彼女は頭から血をダラダラと流し立膝をつきながらもルビーのような美しい赤い隻眼にメラメラと宿る闘志は全く変わらなかった。


彼女の手の暖かさが、そしてその強い眼差しが、恐怖にすくむ俺の心を軽くしてくれる。


「ノラ、アンタまだやれるか?」

「もちろん」


彼女がそう軽く笑うのを見てこんな状況だと言うのに思わず見惚れてしまう。

それと同時になんとしても彼女とこの場を切り抜けねば、と覚悟を決めることが出来た。


「よし、作戦は単純だ。俺があの化け猿の攻撃を全て受け止める。ノラ、お前はその隙きをついてあのサル顔の悪魔を討ち取ってくれ。あいつを仕留めれば、おそらく化け猿は一時的に腑抜ふぬけの状態になっちまう」

「お前、本気なのか?」


俺が小声で方針を伝えるとノラは驚いた顔をするが、彼女の次の発声を待たず俺はカーズへ剣を向けて駆け出していく。


「ノラ!お前はもう動けないならじっとしてろ!!」


俺はわざとバナルフィンにも聞こえるような大きな声でノラの不調をかたって突っ込んでいった。


「ウゥウゥゥゥウウゥ!!」


カーズが不快な唸り声を上げながら鉤爪のついた腕をぶん回してくるのを受け流しの剣術スキル”斬撃流水”で弾き飛ばす。


現在の俺の剣術レベルは7。


“大国一もしくは大陸でも5本の指に入る剣術士と同等”とスキル説明欄には書いてあったが、その言葉に偽りはないようだ。

学生時代の体育授業の剣道体験で軽く竹刀を握っただけの俺が、今は持っている剣と体がまるで一体になったような感覚で戦えており、化け猿の攻撃もなんとか避けたり防いだりと立ち回ることが出来ていた。


しかしカーズの攻撃は凄まじい。


剣で攻撃を凌ぐたびに鋭い風切り音と刃と鉤爪が激しくぶつかる金属音が鳴り響き、心臓に悪い。


《ん?》


何度も奴の攻撃を防ぐなかで、剣との感覚がなぜか揺らいでくる。不思議に思ったその瞬間!


ガキン…


金属の砕け散る音と共に俺の持っていた鉄製の剣の刃はポッキリと折れてしまった。街の武器屋で比較的状態の良い中古の剣を購入したのだがこの激しい戦闘には耐えきれなかったのだ。

鉤爪の一撃を食らって剣は完全にオシャカになりやがった!


「どうやら、終わりのようだな」


勝利を確信したのか、猿の悪魔バナルフィンは嫌味ったらしく肩をすくめて笑いを浮かべながら、カーズの肩の上に舞い降りて俺を眺める。


剣を失った俺をカーズのしなる腕が捉えようとしたその瞬間、後ろで控えていたノラが槍斧を思い切り投げ放ち、バナルフィンの頭を粉砕ふんさいした。


バナルフィンの体は己の頭部が破砕はさいされたことに気づいていないようにしばらくヘラヘラと肩をすくめていたが、ポトリとカーズの体から落ちたかと思うと体の構成物がバラバラと空中に消えていった。


猿の悪魔に操られていたカーズもまるで氷漬けにされたかのように俺に殴りかかる直前の姿勢で固まっている。


ノラはノソノソと立ち上がり、バナルフィンの頭部を粉砕ふんさいして地面に突き刺さった状態になっている自分の槍斧そうふを取り上げると、動かないカーズの首をねじり切った。


ノラがひと仕事を終えたと同時に、俺は緊張の糸が切れてしまい地面へと倒れ込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る