第28話:到着

 地図でおよそ見ると、駅の北側らしい。しかし改札は南口しかなく、そちらへ向かった。

 改札機が六台。午前十時前という頃合いのせいか、他に出入りする客は両手で数えられそうだ。


「切符やる!」

「おう、分かっとるで」


 了の分の切符を手渡した。下関駅で乗る時もだったが、自動改札に自分で通したいと。気持ちは分かる。

 端の機械を選び、先に行けと手を離す。彼の足でも四歩の距離を、半ばで振り返った。誇らしげに、これから通す切符を掲げて。


 挿入口を覗き込み、小さな両手が切符を入れる。名刺を差し出すような丁寧さで。けれどもゲートの開くのは、バタンと無愛想極まりない。

 また振り返る。なんだろう、良かったなと言えばいいのか。分からないので、頷いておいた。


「なして?」


 誰かが言った。女声で心当たりもないけれど、あまりに近かった。

 反射的に首が向く。揃えたように俺と並んで、左側。ふくよかで健康そうなおばちゃんが居た。

 立ち止まる俺を追い抜き、隣のゲートから出ようとしたのだろう。どう見てもセンサーにかざそうという向きのスマホが手にあった。

 

 それがどうして。何が、なして? なのか。

 改札機。あるいはその先を見るおばちゃんの眉間に、訝しげな皺が見える。

 まさか、幼い子に切符を通させるなとでも? そんなことを言っていたら、体験する機会なんてなくなるじゃないか。

 責められてもいないのに、反論が湧き上がる。


 しかし結局、何ごともなかったように。おばちゃんはゲートを通り、そのまま駅の外へ出ていく。

 もしかすると、考えごとをしていただけかも。だとしたら、気にした俺が恥ずかしい。

 そそくさとゲートを抜ける。了が隣接のショッピングモールに気を取られていて良かった。


「何か要るんか?」

「ううん。キラキラしとるねえ思うて」


 ガラス扉の向こう。アクセサリー、いや化粧品売り場。明るい照明が跳ね、たしかに綺羅びやかだ。


「あのの、了。お前の母ちゃん、この近くにるらしいんよ」

「ここなん?」


 しゃがんで、彼の両肩を握る。

 さっ、さっ、と幼い首が動く。もう見回したはずの景色を、改めて。


「じゃけえ、まずは先にそれを済まそうや。その後、要るもんがあったら何でもうちゃるけえ」

「うん、行く。ありがとヘイちゃん」

「なんでや。連れてくるいうて、約束したんじゃけえ」


 鼻を啜り、立ち上がる。心の準備をさせるつもりが、整っていなかったのは俺のほうらしい。


「ええと、駅の反対へ行く道とかあるんかな」


 普段、言いもしない独り言。甲斐あって、北へ抜ける地下通路の案内を見つけた。

 地下街にしてもいいような、広く立派な通路だった。改札の外に見えたたくさんのビル、バスやタクシーのロータリーも暮駅より広々として。

 都会がええんかなあ、と思う。

 了の母親は実家から距離を置き、広島に住んだようだし。暮市より、広島市より、北九州市なのだろうか。

 俺自身にはそういう感覚が薄く、今いち分からない。


「あれ——」


 地下通路から出た途端、声が漏れた。

 最近のタワーマンションなんかより、了の祖父母の古い漁師の家のほうが俺は好きだ。などと慰める必要があるかと思ったのに。

 目に映るのは二階建ての普通の家、もしくは同じ高さのアパートばかり。間違いなく初めて来たのに、なんだか既視感を覚える風景だった。


「雨、やんでかったの」


 降りやんだと思ったら、急に雲も散らばった。もちろん濡れて歩くより、晴れたほうがいい。

 駅から離れるに連れ、既視感は増した。センターラインがないどころか、車同士すれ違うのも悩むような道路が交叉する。

 新しい家も中にはあるが、ほとんどが三、四十年以上だろう。さらにその中へ、木板を鎧張りの建物が混じった。

 海の匂い、波の音が近づくほど、そういう古い建物と出逢う率が高まる。いつから残るのか、朽ちかけた小屋にどこかで見たような小舟も見つけた。


「うわぁ」


 やがて、肩の高さの堤防に突き当たった。駆け出そうとする了を引き止め、辺りを見回してから手を放す。


「海じゃ!」


 階段を見つけ、とっとと上った彼をゆっくり追った。「お魚、るかねえ」と足下を覗くのにはニヤとしてしまう。

 堤防沿い、つまり海沿いの道路だけは広い。渡船だの漁港だのと案内があるので、船を運ぶのに必要なのだろう。

 並ぶ建物も、水揚げされる荷に関わりそうな物ばかり。いずれも波板の錆びつく年代物だったが、仲間外れも幾つか。


 場違いに新しい、しかもアパートだ。二階建てを四軒ずつ、貼り合わせた感じの。

 それがたぶん四棟、サイコロの目に並んでいた。

 メモの住所はその辺り。ただ、ここまでの建物に細かな番地の表記がなかったので定かでない。


「了、行くで」


 五十メートルくらいは離れていて、ここで遊んでいろとも言えない。声をかけると、階段も使わずに飛び下りた。

 ひゅっと肝が冷え、全く間に合わない救助の手を伸ばす。彼はいつものごとく手を握り、機嫌良く俺を見上げる。


「た、たぶんそこかもしれん」


 違うかも。と曖昧に保険をかけ、指さす。

 するとちょうど、一軒の扉が開く。黒いシャツの、おそらく女性がベビーカーを押す。俺達とは反対方向へ歩き、すぐに角を折れた。

 まさか、とも思わなかった。了を捨てた母親が、別の場所で別の子供をなどと。


 だが。

 手前から順に表札を読み、置いてある自転車で住所も間違いないと分かった。

 そしてベビーカーの女性が出てきた扉。脇の表札には玲菜と、了の母親の名がある。

 きっと結婚したらしい男の名と並んで、その男の苗字で。

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