第27話:ヘイちゃんが居れば
「了、そう言えば今――」
運転席のすぐ後ろへ立つ。希望した彼の背丈が窓まで足りず、抱っこして。
関門トンネルを通るに当たり、電車の天井を指さして言いかけた。が、やめた。
この上は海だ。教えれば面白がると思ったけれど、水族館で立ち竦んだ再現になりかねない。
「今?」
「今……今いうか、ウイさん
華麗に方向を変えた。彼の嫌がる話題を避けたのであって嘘ではない、と信じたい。
「
「それだけか?」
「何かご用事じゃないん? 僕、ヘイちゃんが
ニコニコと。通りすがりで出会っただけの男に、よくも言ってくれる。信頼か好意か、刷り込み現象みたいなものか。
どうであれ嬉しいことに間違いはない。ただ、ウイさんも可愛がってくれたのに。自分のことは棚上げで、何やら無情だなという気持ちになる。
「まあもし次に
「うん。ウイ姉ちゃん、楽しかった」
と言ったところで、連絡先の交換もしていない。買い物に行っていたスジグランドの近所だろうが、探すこともしない。
事実上、この会話を以て彼女との縁は終わりだ。
「でもヘイちゃんは、友達んなってくれる言うたけえ」
「ん?」
「一緒に
「ああ。うん、言うたで。嘘じゃないけえ」
何かと思えば、ヘイちゃんが居ればいいについての解説らしい。改めて考えても、訂正はゼロだ。
問題は、一緒に居るにも限度があること。
了を祖父母のところへ送り帰した後、俺はどうやって生きていく? 離職票に刻まれた理不尽な言葉はそのままだし、訂正を求めるにもどうすればいいやら。
湯摺計器はもとより、天下の西日本鉄鋼や菱立重工へケンカを売る格好になるんじゃないか。たかが何十万の現金だけで、どうやって勝てと。
「ヘイちゃんはね、僕が寂しくなくしてくれたけえ。じゃけえね、ヘイちゃんが
熱烈に、ぎゅうっと抱きついてくれる。
まあ、ずっとフリーターとかでもいいか。あの辺りへ安いアパートがあればいいけれども。
なんなら漁師を教えてもらって——なんて甘いものでなかろうが。
「うん、何とかなるじゃろ」
楽観な風に言ってみるものの、愛想笑い以上には笑えなかった。
ダメだ、次の話題。
そう考えた時、目の前に光が差した。比喩とかでなく、関門トンネルの出口だ。
抜けてみれば空は明るいものの、車窓へ水滴が付く。ワイパーに合わせ、了は踊るように首を動かした。
門司駅を過ぎ、小倉駅で降りる。
下関から小倉、つまり山口県から福岡県へ。本州から九州へ移動したのに、えらく早かったように思う。
時計を見れば、やはり乗車していたのは十五分足らず。これから乗り換えの電車も十分かからないらしい。
昨日までの計画では、了の母親の家まで半日かかる計算だったのだが。また徒労感で気が重くなる。
「よっしゃ、次は五番ホームじゃ」
「五番!」
案内板を眺め、嬉しそうに了が叫ぶ。
あと少しで母親と顔を合わせる、と理解しているのか? そういえばゆうべ、明日着くと言ったきりのような。
最寄りの駅に着いてから、メモを頼りに家を探さなければ。見つけても、在宅中とは限らない。その時間で心の準備をしてもらおう。
矢印に従い、走り出した彼を追う。あせらなくとも、十歩も離れずに止まってくれる。
五番ホームに着いても、踵を上げたり下げたり。電車に乗るのが楽しい、来るのが待ち遠しい。問わずとも全身で表す姿に、固まった頬が緩んだ。
「来た!」
「お、カッコええ」
特に興味のない俺も、赤と黒の車体をスタイリッシュと感じた。そのせいかずっと「ええねえ。カッコええの、嬉しいんよ」と、了の独り言が続く。
また抱っこで相槌を打ちつつ、彼の見る景色を俺も眺めた。
大きな工場や倉庫街を過ぎ、何十年かの街並みの只中を抜ける。それらの向こう、海が垣間見える。
そしてまた倉庫と工業施設が立ち並び、今度は水平線まで続きそうな数が尋常でない。
——あ、西日本鉄鋼のお膝元か。
小倉といえば、気づかなければいけなかった。いやもう俺には関係ないのだが。
広大な土地を占める西日本鉄鋼を抱えた街。暮市とイメージの重なる中、列車は目的の駅に到着した。
「
JR鹿児島本線、扉畑駅。この近くに、了の母親は居る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます