第19話:了の好き嫌い

「あ、ないなった」


 もうすぐバスを降りる。忘れ物はないかと見回す中、フルーツ飴の袋を逆さにした了が呟く。


「これ、ヘイちゃんあげる」

「え。最後の飴じゃろ、食わんのんか?」

「マスカットある」


 あーん、と口の中に緑の玉が見えた。それにしたって最後の一個に変わりはないのだから、持っておけばいいのに。

 だが彼は、ぐいぐい力強く押し付けてくる。


「ん。ありがと、貰うわ。またどっかでうたるけえの」

「あたしのは?」


 だから、もう降りるんだって。

 左右のポケットに財布とスマホを持ち歩くウイさんは、あせる様子もない。


「はいはい、どうぞ。了、ウイさんにあげてもええじゃろ?」


 一応の確認をするものの、彼はケチケチしたことを言わない。当然のごとく「うん」と了承を得て、飴を渡す。

 バスが止まり、扉が開いた。先に立ったウイさんが歩きながら包みを破り、飴を口に入れる。


「あれ、またリンゴ味。ねえ了くん、リンゴ味が嫌いなん? おいしいのに」

「おいしいけど、嫌い」


 すぐ後ろの了を振り返り、問う。

 言われてみれば、俺が貰ったのもリンゴ味がほとんどだった。ウイさんも同じなら、彼自身はきっと一つも食べていない。

 ただその回答も、既に当人が淡々と答えた。


「ちょ、早う降りんと迷惑んなるけえ」


 下関駅前のバスターミナルは終点で、十五人くらい残った乗客の全員が降りる。最後尾だった俺達の後、ゆっくり降りようという感じで座ったままのお年寄りも中に居た。

 急かしてウイさんの肩を押す。三人分のお金を運賃箱へ放り込み、バタバタと降りた。


 けれども落ち着いてはいられなかった。

 乗り換えのバスに余裕がないはず。見渡すと、待機しているバスに目的の行き先が表示されている。「あれじゃ」ともう一度、二人を急がせた。

 それから、たったの五分。

 今日、目指す場所の前に降り立った。乗り換えの前後で何を話していたかとか、すっかり忘れて。


「観覧車ある!」

「うんうん、乗ってもええで。じゃけど、本命はあっちじゃ」


 横断歩道へ歩きつつ、道路向こうに聳える観覧車の奥を指さした。茶色い壁に白い屋根の、巨大な建造物を。


「大っきいねえ。買い物するとこ?」


 了の中で、大きな施設はショッピングモールやスーパーらしい。実際、そういう規模ではあるが。

 しかし違う。ほくそ笑み、頭の中でジャーンと効果音を鳴らす。


海響館かいきょうかんいうところよ。あのでかいのが全部、水族館なんで?」

「すいぞくかん!」


 横断歩道を渡り、前庭のような公園部分を横切る。期待した通り、驚きの声の了を、むしろ俺が引き摺りながら。


「——って、なん?」

「あら。そうか、知らんのか。サメとか魚とか、海ん中の生きもんが何でもるで」

「えっ、魚屋さんなん?」


 水族館を知らないとか。

 しりとりでも魚の名前が出てきたし、たぶん好きなのだと思う。だから喜んでくれると思ったのに、ガクッと力が抜けた。


「いやいや、生きとるんよ。水ん中で泳いどるんが、そのまんま見られる」


 学校でも金魚か何かを水槽で飼っているだろう。などと、危うく付け加えるところだった。


「面白い思うんじゃけど」

「うん。よう分からんけど、行ってみる!」


 彼の性格上、つまらなそうとは言わない。気に入ってくれるか、試験に臨む学生の気分でチケット売り場へ向かった。


「了は——」


 小学生の料金が設定されている。通っていないといえ、それを支払うべきだ。

 声には出さず、財布を取り出す。と、ウイさんが「ねえねえ」と袖を引っ張った。


「何です?」

「喉渇いた。中に入ったら、たぶん高いでしょ。自販機でうてきて」


 彼女の指す先、五十メートルほどに自動販売機はある。しかしそう思うのなら、自分で行ってはどうだろう。


「ええ?」

「了くんも何か飲みたいじゃろ?」

「ジュース、飲んでええん?」

「ええよええよ。ヘイちゃんがうてきてくれるよ」


 しまった、すぐにはっきりと断るべきだった。了をダシに使うとは卑怯者め。


「何がええん?」


 こうなっては仕方がない。了は果物系、ウイさんはお茶。希望の飲み物をとっとと買いに行った。

 それなのに戻ってみると、二人が居ない。


「ヘイちゃん!」


 いや、どこからか了の声が。夕方に差しかかる頃合いなのに、他の客がぱらぱらと居て見つけられない。


「こっち!」


 今度はウイさん。まさかと思って入場口を見れば、もう中へ入っている。

 ああ、そうか。高速バスの料金を俺が出したから、お返しというらしい。それならそうと言ってくれれば素直に受け取る、こともないか。


「拐われたか思うたわ」


 苦笑で入場口を進むと、係員の女性が手を差し出す。なんだ、先に俺の分も見せてあるのかと思った。

 さすがにここで肩透かしはなく、ウイさんがチケットを出す。女性はちょっと面食らいながらも、半券を千切って返してくれた。

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