第16話:気遣い

 せせこましく、畳張りの長椅子やマッサージ機の詰め込まれたロビー。休憩スペースと銘打ってあったが、病院の待合いと言ったほうがしっくりくる。

 とは言え三人並んで座り、約束通りにアイスを食べるのには申し分ない。


「すんませんウイさん。気ぃ遣わせたでしょ」

「え、なんで?」

「でかい声出したけえ。了が」

「ああ。全然」


 左を向くと、チョコでコーティングされたアイスが豪快にバキッと鳴った。空いたほうの手を、彼女は「だいじょぶだいじょぶ」と振る。

 大丈夫ではなかったろうに。そう言っても、きっと頷かないけれど。


「了。ウイさんに、ごめんなさいさしたんじゃろ。周りの人に。びっくりさせました、いうて」


 右手の側を見下ろせば、フルーツたっぷりのかき氷が入念にかき混ぜられていた。

 楽しんでいるところへ余計な事実確認と思いつつ、無関心に放置ともいかなかった。でも問題ないはず。自分が悪かったと察すれば、彼はきちんと謝れる。


「ううん」

「え?」

「ウイ姉ちゃん、ごめんなさいしとらんよ」

「ええ?」


 変わった行動もするけれど、彼女もそういう常識はあるように思う。

 それなのに、なぜ。擁護のできる推測が思い浮かばない。


「子供がちょっと大きい声出すくらい、ようあることよ。誰も見向きもしとらんかったけえね」


 ちょっと? 壁越しの俺でさえ、飛び上がりそうに驚いたのに。

 いやでも考えてみると、女性のほうが子供のやらかしに寛容な気はする。


「あら、そうなんですか。男湯の人はみんな驚いとったけえ、そんなもんとは思わんかった。了、悪かったの」

「ううん。ヘイちゃんごめんね」

「ええよ。まあ俺もびっくりしたし、もうちょい声のボリューム調整してくれえよ」


 疑った詫びにモナカアイスを一かけ、了の口元へ持っていった。だが彼は不思議そうに、アイスと俺とを見比べる。


なん?」

「モナカ、嫌いか? 一口やろう思うたんじゃけど」

「食べてええん?」

「当たり前よ」


 俺が頷くより早く、アイスと指とを意外に大きな口が包み込む。慌てて、冷たい感触から手を離した。


「おいおい、俺の手まで食う気か」

「んんふぃ」

「ん?」


 ほとんど隙間をなくした口から、無理やりに出す声が聞き取れない。二度、繰り返してやっと「おいしい」だと分かった。

 なんだかなあ。

 たかがアイスで、最高に幸せみたいに笑う。見ている俺まで笑えてきて、了の肩を引き寄せた。


「——もう昼飯の時間か」


 食べ終わり、スパ・モーニングをあとにした。来た道を歩き、岩国駅に戻ったのは午前十一時過ぎ。バス会社の窓口前で確認すると、高速バスが正午前でちょうどいい。

 しかし一つ、うっかりしていたことに気づいた。


「どうしたん?」

「朝飯も食うてないのに、了にアイス食わせてしもうたなって。バスん乗ったら、何時間も走りっぱなしじゃし」

「コンビニで何かうたら?」


 俺でさえ、たった今は食べたいと思わない。ウイさんの言う通り、コンビニ飯ももはや定番。

 けれどもお土産屋のことを思うと、彼を楽しませてやりたかった。


「あ、福岡の前にちょっと寄り道しょうか」

「どこ行くん?」


 チケット料金の表に、福岡方面の行き先が幾つかあった。最も栄えている博多へも行けるが、それでは目的地にほど近い。


「俺もウイさんを見習うわ。楽しぅておいしいとこ行こう」


 了が母親と対面した後、どんな状態か。お通夜みたいに、ひたすら黙りこくって祖父母の家へ戻るのでないか。

 それなら、了に何をしてやる機会も残り少ない。


「ええっ、なんそれ何それ」

「ふっ、ふっ、ふー。秘密じゃ」

「ええぇぇ。ヘイちゃん教えてぇやぁ」


 もったいぶると、俺の尻を丸出しにせんとばかりズボンが引っ張られた。

 そう、こういうのだ。彼の子供らしいリアクションが癖になる。


「チケット、あたしが持っとくわ」

「ええですけど、どうかしました?」


 下関行きを三枚。券売機から取り出した途端、渡せとウイさんの手が差し出される。


「別に。ヘイちゃん、了くんと手ぇ繋いどるけえ。両手が塞がったら危ない思うただけ」

「ああ、なるほど。どうもです」


 やはり細かな気遣いの行き届く人だ。俺が最初に警戒していたのも、勝手な思い込みだろうし。

 どうしてこんな人を傷つけるんだ。相手の男の気が知れない。


「はいはい、さっさと乗る」


 コンビニで食べ物を買い、ついでに近くにあった作業着の店でズボンを買った。履き替えて、バス乗り場へ向かう。

 三十分近く早かったが、既にバスが待機していた。ここまで乗ったどのバスより大きな観光バスタイプ。了からすると背丈の四倍ほどに屋根がある。

 声もなく見上げる彼の歩調に合わせていると、ウイさんが手にしたチケットで追い立てた。


「運転手さん、待っとってよ」

「あ」


 了ばかりを気にして、気づかなかった。乗降口に制服姿の小柄な男性が立っている。視線が合って、会釈もされた。


「す、すんません」

「いえいえ。バスがお好きなんですねえ」

「ええ、そうみたいで」

「え?」


 気さくに話してくれる運転手さんが、疑問の声を上げた。何に対してか、こちらも「え?」としか答えられない。


「ああ、いえ申しわけありません。私の早とちりです」

「いえいえ、こちらこそ」


 話す間に、了が車内へ入っていった。何だか分からないが自己解決したようだし、切り上げる。

 ウイさんが最後になったけれど、心配の必要はない。最後尾へずんずん進む小さな背中を追いかけた。


 まだ他の乗客の姿はなかった。すぐに窓へへばりつく彼の隣に腰を下ろし、ウイさんを待つ。と言っても、もう目の前だったが。

 また前の席を陣取るに違いない。今朝のバスまで含め、必ずそうだった。

 という予測を裏切り、彼女は俺の隣へ座る。


「あれ?」

「どうしたん?」

「いえ、何でも」


 首をひねると、同じく疑問の声が返る。

 なぜ俺の隣へ座るのか。なんて、変な勘違いをしているっぽくて聞けなかった。

 これまでと、今。何が違うか。思い当たるのは一つだけだ。


「ウイさん、すんません」

「何が?」

「やっぱり俺、くさかったんでしょ」

「え、まだ気にしとるん? お土産屋さんでも言うた思うけど、あたしも気づかんかったんよ」


 優しい人だ。何のことやらという態度で、気にするなと言ってくれる。


「いや、でも。ウイさんずっと、前の席から乗り出して話しよったし。ほいで思い返したら、市電とかで他の客に見られよったんも、くさかったんかなって」

「ああ——」


 しまった。結局、隣に座ったことを口にした。

 彼女も位置関係を意識したのか、言葉の途中で口ごもる。


「ううん。あたしも思い出してみたけど、臭わんかったよ。あん時はあたしの鼻も慣れてなかったし、間違いないわ」

「ええ? そうなんですか」


 黙ったのは、記憶を辿っていたようだ。それで言うのは体臭についてだけで、どこに座るかはどうでもいいらしい。


「まあまあ。もうお風呂に入って、ほんまにええ匂いになっとるよ」

「えっ、ほれでも嗅がんとってください」


 あははっと笑い飛ばし、ウイさんはわざとらしく鼻を利かす。


「そんなんより。あのお店の話なら、なんで鎧が崩れたかのほうが気になるわ」

「まあ、そりゃあ」


 終わったことだ、忘れろと言うのだろう。俺自身、了やウイさんに申しわけないと感じるだけで、気にはしていないつもりだった。

 しかしこんな風に言ってもらうと、心のどこかがほんの少し軽くなったように思う。

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