第12話:黄金の橋

 ちょっと忘れ物。などとウイさんがコンビニに行ったりして、錦帯橋のバスセンターへ到着したのは午後七時を過ぎた。

 降りた目の前がいきなりお土産物屋さんで、おいおいと思う。しかし並びのどの店も、既にシャッターを下ろしていた。半開きの奥が明るいけれど、さすがに了も入ろうとは言わない。

 その代わり、彼の口から漏れたのは感嘆の息。


「うわあ……」


 それは乗ってきたバスが去り、視界が開けたからだ。

 薄暮の頃合い。目の前を水平に流れる川向こうへ、稜線も朧な山々の陰が連なる。

 水墨画めく厳かな景色の一角、視界の左手から右奥に向け、黄金色が走った。闇を切り取る刃のように、五つのアーチが気高く優雅に佇む。

 錦帯橋の実物を見たのは、小学校の修学旅行以来。しかし特徴的な姿を見間違えようがない。


「きれえじゃねえ」

「うん。初めて見たでしょ、渡ってみよ」


 早く、と手招きのウイさんが先を行く。引き寄せられる風に了が歩き、自動的に俺も着いて進む。


「あらら、カラーライトアップは一日までじゃったんじゃって。赤とか青とかになっとったんかね」


 料金所もシャッターが下りていた。入橋料の示された脇に貼られたお知らせを、ウイさんが読み上げる。


「ええ? でも凄い綺麗なよ」

「じゃの。ただの水銀灯で金色に見えるんじゃ、ほんま凄いわ」


 嬉しそうな了の声に、俺も頷く。寄付も兼ねた千円札を料金箱へ入れ、さっそく渡り始めた。


「幅が五メートル。長さは、百九十三メートルもあるんじゃ。木造で釘が一本も使つこうてないのに? すごっ」


 スマホを片手、ウイさんが解説してくれる。ほとんどは「へえ、そうなんじゃ」と一人で合点していたが。だがたしかに凄い。最も反りの大きなアーチなど四、五メートルほども高低差がある。

 子供の時は木造で珍しいというくらいだったが、この歳で来ると感想も変わるものだ。


「了、どうや」

「ん、ええとね。うーん、なんかね。綺麗でカッコええ!」

「あはは。カッコええならかったわ」


 この子もまたいつか、彼女や家族を連れて訪れるかもしれない。その時、今日のことを思い出すだろうか。

 そうじゃったらええな。

 握る小さな手に、少し強く力を篭めた。


 それから対岸の道を上流へ、調べた錦城橋まで歩く。こちらは普通に鉄やコンクリート製で、安心して火を焚けそうだ。

 橋の袂の駐車場と、川原の間に小さな林があった。その川原側へ荷物を下ろし、疲れた足を投げ出す。


 パンパンのふくらはぎを揉む間に、了は林から薪を集めてくれる。川原の石でかまどを作り火を熾すと、「交代ね」なんてウイさんにフライパンを奪われた。

 レジ袋からベーコンやらマッシュポテトやらを放り込み、慣れた手つきで調理していく。


「ほい。ジャーマンポテト風の何か」


 コンビニで酒を買っただけと思っていたら、調味料も出てきた。結果として出来上がった物は、お世辞抜きに旨そうだ。


「枝豆と温泉卵のスクランブルエッグ」

「おつまみばっかりですね」

「じゃけえ、おつまみの買い物に出かけたんじゃってば」


 たっぷり盛られた皿とおにぎりを、了は持て余しつつ手放さない。「おいしいねえ、おいしいねえ」なんて、数年ぶりの食事みたいな喜びよう。


「ウイさん、ありがとうございます」

「え、何が? バス代とか出してもろうたし、トントンでしょ」

「いや、そういうんじゃのうて」

「どういうん?」

「何でもないです」


 少なくとも、俺を捕まえようという空気はない。警戒を解いたわけでもないが、なぜ着いてくるかまともに答えさすのも諦めた。

 了の旅路の邪魔をせず、楽しませてくれるのならそれで構わない。


「『墓ぁ掃除せにゃいけん』って、毎週言うんよ。先月末にやったばっかりでしょ言うても、『お前ぁ暇なんじゃろうが』いうて。大きなお世話よね?」


 酒が進むと、ウイさんは自分の親のことを話し始めた。白ネギのチーズ焼きを了に振る舞いながら。


「ほしたら次は、母ちゃんよ。『ほうよほうよ、土の崩れとるとこもブロック積まんと』いうて、必ずよ。必ず」

「はあ。お墓を綺麗にするんは、ええことなんじゃないです?」

「そりゃまあ。やらんといけんとは、あたしも思うとるけど。何て言うんか、宿題やろうとしとったのに『やりんさいよ』言われたらやる気なくすみたいな?」


 この人はモノマネをしないと話せないのか。父親も母親も、見たことのない人物像がどんどん膨れ上がる。


「分かりますけど」

「うん。父ちゃん母ちゃんのお墓もね、あたしが用意せんといけんのよ。最近ちょっとお金も入ったし、やる気はあるんよ」


 ストロングと書いてある焼酎を、もう二本目が空きそうだ。呂律はまったく怪しくないが、それで据わった目が怖い。


「じゃけどねえ、お墓って何のために要るん? どうでもええとは思わんけど、冷静に考えるとよう分からんくない?」

「そりゃあ、あの。亡くなった人の休むとこいうか、あの世とこの世を繋いどるいうか」


 よく分からないながら、何となくそれっぽいことを答えられた。まじまじ問われても、人が亡くなれば墓へ納めるものだ。それこそ飼っている金魚が死んだって、生ゴミで捨てればいいとは誰も言うまい。


「そう、分かる。お経を唱えるんでも、お墓がなかったらどこへ向けてええか分からんしね」

「ですね」

「でも、ほれじゃったらさ。仏壇とかお位牌とかだけあればくない? お骨はお寺に預けるとしても、ちょっとそういう棚みたいなとこで」

「納骨堂です?」

「ううん。こう言うたらバチが当たりそうじゃけど、コインロッカーみたいな」


 言わんとするところは分かる。お金や手間のかかることだし、スペースも有限だ。ならば省エネ、省スペースを突き詰めろと。


「こっちの声があの世に伝わるんなら、それでええと思うんじゃけど」

「みんながそうしょうってなっても、うちだけは豪華にとか言い出す人がるでしょうね。せっかくなら、あれこれ整ったほうが、っていう」


 見栄や抜け駆けでなく、亡くなった人のために。そういう気持ちは誰しもあるはずで、やるなと言えるものでもない。

 ウイさんも頭から否定したいでもないのだろう。何度も頷きながら、悩ましげに「うーん」と唸った。


「死んだ後。こっちからお祈りしたりするん、どんだけ伝わるんかね」

「元気でやっとりますよ、とか?」

「うん。そっちはどうですかー、とか。どうもこうも、死んどってんよ」


 返答に困る。俺自身は墓参りをしたことがないのだ。


「死ぬいうて、何なんじゃろ。ね、どう思う?」


 答えなかったからか、ウイさんは質問を重ねた。しかも俺にでなく、余ったチーズを食べる了に。


「死ぬ——って、痛いんじゃろ? 痛いの嫌じゃねえ」


 こんな小さな子に何を。と思うものの、了はすぐに答えた。痛いとは祖父からでも聞いたのか、何やら思い出す素振りで、眉を顰めて。

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